./Round.06

「彼女の名前はリンディ・ルーテニア、界隈ではちょっとした有名人さ」

「どんな人なの?」


名前や顔立ちからしてヨーロッパ系の移民の血を引いているのだろう。

そしてかなり優秀な人間でもあるはず、とキリカは感じた。

アンドロイドが発展しても職を奪われなかった人間特有の鋭い目つきをしているからだ。


「ディンベルグ社の日本法人代表オーランド・ディンベルグの秘書官を勤めている」

「へぇ、ご立派。で、アンドロイドのあなたは彼女にどんな恨みがあるわけ?」

「悪いが今は言えない」

「わがままが言える立場だと思ってるの?」


キリカは再び拳を振り上げた。

ナノマシンを使えば、ロウの頭部をブチ抜くのは朝飯前である。


「あんたの過去の記憶とも関連するからだ。

今、その話をするのはお互いにとってフェアじゃない」


ロウはキリカの脅迫にも屈さず、はっきりと告げた。


「悪いけど、信用できない」


キリカも同様にキッパリと返す。


「あなたがジギーをハックして、私は狙われるようになった。

その錠剤が本物だとしても、ハッカーとしての能力自体が疑問よ」

「その点に関しては説明させてくれ」


命の危機にあることも相まってか、ロウは真剣に話を始めた。


「まず、あんたの存在そのものが国家の機密に関わっている。

なぜエインヘリアルという表舞台に立たされたのか不思議なくらいにな」


それはおそらく、記憶がないことや施設で育ったことに関連するのだろう。

ひとまずキリカはロウの話に耳を傾けた。


「おそらく、あんたが自身の過去に一定以上の狙われるようにプログラムされていたんだろう。大方、メディカルチェックの際に脳波も毎回調べてたってところかな」


確かに、試合後のメディカルチェックでは肉体だけでなく脳まで検査されていた。

一応は話の筋が通っている。


「ジギーのハッキングは正直、絶対バレない自信があった。今でもバレてないはずだ。だが、あんたの脳波が監視されているかどうかは、正直賭けだったんだ。本当にすまない」

「なるほどね。どのみち私が自分の過去に興味を持ちすぎた時点で、消される運命だったと」

「そういうことになる」


あまりの現実感のなさに流石のキリカも、気がどうにかなりそうだった。

降って湧いたような陰謀論に急に巻き込まれたような、よく分からない感覚がした。


しかし、同時にふつふつと怒りが湧いてきた。


自分の18年の人生が、誰かの手で転がされていたこと。

「自分が何者なのか」を掴むための記憶がずっと奪われてきたこと。

都合が悪くなれば処分される、そんな消耗品のように扱われてきたこと。


そして、そんな境遇に甘んじてきた自分への激しい怒りだった。


「いいわ、飲むわよ。その錠剤」

「...本当にいいのか?」


今の話で納得できたのか?と暗に尋ねるような聞き方だった。

しかし、キリカの黒い瞳は覚悟が決まっていた。


「あなたの話が本当かどうかは分からない。現実感も正直まだ薄い。だけど、あなたがもし私を殺すつもりなら...背後をとった時点でやれていたわ」


ロウが光学迷彩で背後を取り、銃に弾を込め、引き金を引けばキリカの命はなかった。錠剤に毒などを仕込むメリットがそもそもないと彼女は判断した。


「それに、政府かあるいは巨大な組織に追われているのも事実。どっちみち、記憶を取り戻さなければ私は前に進めない」


ロウの持っていたプラスチックケースを取り上げ、キリカは立ち上がった。

マウントポジションから解き放たれたロウも、よろよろと立ち上がる。

アンドロイドにしてはやはり、ひどく人間臭い動きだった。


「リンディ・ルーテニアとかいう女をどうするか、それは記憶を取り戻してから決めるわ。私の過去に関係ある人間なのでしょう?」

「あぁ、それで構わない。あんたの記憶が戻ったら、改めて説明しよう」

「あまり期待はしないで。アンドロイドはいくらでも壊せるけど、人間を殺したことはないの」


手のひらに取り出した赤い錠剤レッドピルをじっと見つめた。

血を塗り固めて宝石を作ったら、こんな色になるのかもしれない。


そんな柄にもない空想を頭から追い出し、キリカはそれを飲み込んだ。


「ひとまずはこれで、契約成立ね。よろしく頼むわ、狼谷ロウ」

「こちらこそ、よろしく頼む。早乙女キリカ」






「物事には理由がつきまとう」


画面に映る初老の男はゆっくりと話し始めた。

整えられた白髪と縁のないメガネ、そしてよく仕立てられたスーツ。

一眼で紳士然とした空気が伝わってくる外見だった。


「私がこの任務にアサインされた理由は何だと思う、Ms.ルーテニア...?」

「私には計りかねます。"ユグドラシルの根"が決めたことですので」


モニターの前でリンディ・ルーテニアは冷静にそう告げた。

ディンベルグ社が用意した秘匿回線でのビデオ通話である。


「そう、ユグドラシルの根だ...」

「何かご不満でもおありでしょうか、教授プロフェッサー?」

「いや、不満などではないよ。ただ...」


教授と呼ばれた男は、一息ついてから語り出した。


「国家や企業の意思決定をAIが担うようになって数十年が経つ。

そして西側諸国のほとんどをユグドラシルの根と呼ばれる巨大な汎用AIが管理している...」


リンディは微笑したまま黙って耳を傾けている。


「だが、ルートがどのような思考の経路ルートをたどってその決定を下したのか。

人間には一生かかっても理解できないアルゴリズムの連続だ...理由を知ろうとする意欲さえ、特に最近の若者からは失われている」

「ゆえに、結果のみが我々人間に伝えられます」


(我々か...)

教授は心の中で皮肉げにつぶやいた。


とはいえ、ここでその話題を切り出すことに生産性はない。

そう判断した教授は、本題に話を戻した。


「まぁいい。私が最適だと判断された理由も、私には理解できないのだろう。

とはいえ、技術者としてユグドラシルの直々の命令ほど誇らしいものはない。

謹んで任務をお受けしよう。早乙女キリカを狩るために」

「ありがとうございます」


教授と呼ばれた男は、若い頃から数多くの兵器やアンドロイド、そしてナノマシンを開発してきた。エインヘリアルの発展にも大きく寄与してきた技術者だった。


年を重ねても未だその技術力は顕在である。

そこで今回、早乙女キリカを狩るための技術面でのバックアップを任命された。


「しかし、こんな年寄りを駆り出すとは。ユグドラシルの根は大丈夫なのか?

たまには肥料でも撒いた方がいいかもしれんぞ」

「ユニークな見解ですね」

「なに、年寄りのたわごとだ。それでは失礼するよ。後のことはメールで頼む」


そういってビデオ会議は終了した。

モニターをオフにしたリンディは立ち上がり、コーヒーメーカーのスイッチを入れた。


そして思い出したように笑った。


「年寄りとはご冗談を...ユグドラシルの根はこうも言ってますよ。

あなたはただの技術者ではない。未だ牙を研ぎ続ける優れた狩人でもあると」

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