./Round.05

「誰かに後ろを取られたなんていつ以来かしら。あなた、エインヘリアルの選手にでもなったらどう?」


背後から銃口を向けられながら、自嘲気味にそう口にしたのはキリカだった。


「かの真紅の戦乙女スカーレット・ヴァルキリーにそう言われるとは光栄だな」


背後の男の声はそう返しつつ、油断したような気配はない。

キリカは仕方なくゆっくりと両手を頭の上に上げ、膝を降ろし始めた。


「俺に背後を取られたことは気にしなくて良い。まだ実用化されていない光学迷彩を使わせてもらった」

「あら、すごいのね。あの自動車事故もあなたの差金かしら?」

「さぁ、どうだろうな?」


1歩ずつ慎重に男が近づいてくる音がする。


「今からあんたに手錠をかけさせてもらう。抵抗はするなよ。

大人しくしていれば、痛い目には遭わずに済む」


男は銃を構えながら淀みなく告げた。


「なるべく平和的にいこうじゃないか」


セダンを正面にして跪いているキリカは、車体に映り込む相手の姿を見ていた。


(あと2…いや3歩...)


相手の声の位置と足音も計算しながら、冷静に距離を測る。


大人しく捕まったところで無事な保証はない。

タイミングを外せば命はないが、しかけるなら今だと彼女の直感が告げていた。


(2…1…今!!)


驚異的な速さで体をひねり、男が銃を持つ右手の手首をねじり上げた。

咄嗟のことに男は銃を落とし、拾おうと手を伸ばす。

しかしキリカが蹴り飛ばし、銃はセダンの下へ滑り込んでいった。


そして銃に気を取られた隙をつかれ、足払いの要領で男は転倒させられた。

キリカは完全なマウントポジションを取り、拳を振り上げた。


「仲間の位置と人数は?」

「...わ、悪かった。仲間はいない、俺だけだ!いやマジな話よ!」


ジーンズに革のジャケット。ジェルでセットされたツーブロックの髪。

全体的に男は伊達男を気取ったような容姿をしていた。


先ほどまでの真剣な声とはうってかわり、どこか間抜けなトーンが響いた。


そんな相手に背後を取られたことがよほど気に食わなかったのか。

キリカは不機嫌そうに腕のナノマシンを活性化させた。


「あなたの狙いは?目的は何?」

「ちょ!その腕、赤くなってるし血管浮き出てるって!

ナノマシンは勘弁してくれ!」

「答えろ」

「分かった分かったから腕を降ろしてくれ!」

「それはあなたの返答次第ね」


男は完全にギブアップしたかのように両手を上げ、話しだした。


「俺の名前は狼谷ロウ。狼の谷ってかいて”かみや”と読む。

もちろん偽名だが結構気に入ってる名前だ。クールだろ?」


キリカの瞳はより一層冷たくなっていった。


「ジギーをハッキングしてあんたにメッセージを伝えたのは俺さ」

「そんなに優秀な人には見えないけど」


冷たくあしらうキリカだったが、ロウはあっけらかんと答えた。


「当たり前だろ。俺は優秀なじゃない。

超・優秀なアンドロイドだからな」


軽薄な空気漂う男だったが、今の言葉に嘘はない。

根拠は曖昧だが、少なくともキリカにはそう思えた。


「さっき俺の手首に触れた時も、人工皮膚に気づかなかっただろ?

俺はもともと特別製だから、色々スペシャルなのさ」

「それで、そのアンドロイドさんが私に何の用?」

「いやぁ、ちょっとサインが欲しくて」


再びナノマシンで紅く染まった拳を振り上げるキリカ。


「...っていうのは冗談で、あんたに仕事を頼みたいのさ。

報酬はあんたの過去の記憶だ。」





早乙女キリカには過去の記憶がない。


物心ついたときには、施設で育てられていた。早乙女キリカという名前は施設で付けられた。


いつからナノマシンを使えるようになったのかも分からない。

ただ、施設の中で訓練させられたナノマシンの使い方や格闘術・サバイバル術。

そしてどこから来るか分からないアンドロイドへの憎しみと破壊衝動だけがあった。


才能もあった。だからただ周りに言われるまま、戦う力を伸ばした。

実際、アンドロイドをこの手でグチャグチャにできるのは楽しかった。


いつしか人間がアンドロイドを命懸けで狩る「エインヘリアル」に参加した。

世界中で熱狂的なファンが観戦する大人気のゲームだった。

ディンベルグという大きな会社の偉い人が、自分をスカウトしたと施設の人に聞いた。14歳の時だった。


それから4年間、ひたすらゲームを戦い続けた。

戦乙女ヴァルキリー」として知られるスター選手になった。


その生活を投げ打ってでも、今の彼女は知りたがった。

自分は何者で、どのような過去があるのかを。




「あんたの記憶は削除されたわけじゃない」


ロウは未だマウントポジションを取られながらも真剣に語った。


「プロテクトがかけられ思い出せないだけだ」


怪しい行動はしない、と目で訴えかけながら上着の内ポケットに手を入れる。

彼が取り出したのは、手のひらにおさまるサイズの小さなプラスチックケースだった。


「マトリックスって知っているか?1999年に制作された映像作品なんだが...」


そのまま慎重にケースを開くと、中には1粒の赤い錠剤が入っていた。

キリカはその錠剤をまじまじと見つめる。


「これがあんたへの報酬だ、先払いで構わない。この錠剤は、あんたの記憶のプロテクトを解除する。

あんたに真実を見せるための赤い錠剤レッドピルさ」


ちなみに、青い錠剤ブルーピルは持ってきていないんだとロウは笑った。

キリカは別に映画好きでもないし、ましてや100年以上前の作品なんて興味もなかった。

よく分からないロウの映画ジョークを受け流し、彼女質問を続けた。


「それで、私に依頼する仕事って何?」

「...この人間を殺害してほしい」


そして先ほど同様に内ポケットから取り出された、今時珍しい一枚の紙の写真。

身分証などに使う証明写真を拡大印刷したもののようだ。


そこに写っていたのは丁寧に手入れされたセミロングの茶髪。

派手すぎない化粧と整った顔立ちの女性だった。


初めて見る顔。

しかし、封印された記憶が関係しているのだろうか?


その写真を見て、ひどく懐かしい感覚がキリカの心を襲ったのだった。



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