./Round.03
キリカたちの乗っていた車は横転していた。
激突してきた黒スーツの3人は、顔色ひとつ変えずにフロント部分がひしゃげた車から降りてくる。
「...対象の生存を確認」
「ふざけた真似をしてくれるじゃない...」
ひび割れたリアガラスをフレームごと蹴り飛ばし、潰れた車内からキリカが這い出てきた。ショートヘアの金髪には血がべっとりついている。
(頑丈な車で助かった。マネージャーも命に別状はなさそう。とはいえ、なるべく早く病院に連れて行ったほうがいいわね)
プロライセンスをもつ彼女は、エインヘリアル外での戦闘行為には厳罰が課される。
ゆえに、明確な敵意を持った男たちを前にしても今は睨みつけるだけだ。
「あんた達アンドロイドでしょ。私のサインでも貰いに来たの?」
「早乙女キリカ。貴女にはディンベルグ社への不正アクセス行為及び国家反逆罪の容疑がかけられている」
「...は?」
先の試合中のことだろうか?
とはいえ、キリカがハッキングをしかけたわけではない。意味が分からなかった。
「並びに重要機密の漏洩の容疑もだ。我々に同行せよ。さもなくばこの場で処分する」
「身に覚えがないし、従う理由もない。むしろ暴力行為に対する賠償と貴方達の廃棄を望みたいわね」
「対象は同行を拒否。これより処分を開始する」
ガション、という音がする。男性型アンドロイドたちの両腕の肘から先が、スーツを引きちぎりながら縦に割れ銃口が顔を出した。
プロライセンスも罰則も気にする余裕はなくなった。
だが、彼女はむしろそれを望んでいたのかもしれない。
エインヘリアルであってもなくても殺意が迸ったならば、殺し合いは始まるのだから。
…
「それだけ私の過去の記憶が大事ってわけ?」
3体のアンドロイドをなんなく始末したキリカはひとりごちた。
事故時の傷もほぼ塞がりかけており、血や汚れは公衆トイレで可能な限り洗い落としている。今は、監視カメラの届かない橋の下に逃げ込んでいた。
(あの車の衝突時、明らかに周囲から人が消えていた。それに戦闘用にチューンされたアンドロイド...それだけ向こう側も本気ってことね)
面倒なことに巻き込まれた。監視カメラを避けるのはもちろん、位置情報がばれないように端末も捨てざるを得なかった。(マネージャーについては彼の所有していた端末で救急車を呼んだ)
きっと命以外の何もかもを捨てなくてはならないのだろう。キリカはそう覚悟した。
これまで築き上げてきた地位や名誉、金銭や暮らしに未練がないとは言えない。
しかしその反面、心のどこかで充実感を感じ始めている自分もいた。
幸い、ジギーを経由して接触してきた謎の存在が示した住所は頭に入っており、ここから近い。人の多いエリアを迂回しながらでも彼女の足なら1時間程度で到着するだろう。
「国家反逆に機密漏洩。指名手配もありうる、か」
そう呟き、念の為パーカーのフードを被りマスクも付けた。
監視カメラに映り顔認証が働けば、おそらく敵が飛んでくるだろう。
それほど相手は強大な力を持っているはずだ。ゆえに彼女は今日にも死んでしまうかもしれない。
しかし、そんなことは既に彼女の日常の中だ。なぜなら彼女はエインヘリアルの戦士だから。早乙女キリカの呼吸は今日も、静かに凪いでいる。
…
<早乙女キリカは逃亡、消息は依然不明。引き続き捜査を続けます>
<了解>
高層ビルの一室。一目で金がかかっていると分かるような、広々としたオフィススペースで一人の女性がPC入力を行っていた。
観葉植物は無論ホログラムではない本物で、調度品も全て人間の手作りという高級感溢れる空間。
そして、丁寧に手入れされたセミロングの茶髪。派手すぎない化粧と整った顔立ち。品のいいベージュのスーツで働く彼女は完全に空間とフィットしている。
彼女の仕事内容の一つにまさか、一人の人間の抹殺が含まれるとは想像もつかないだろう。それくらい上品に洗練された雰囲気をまとっていた。
「さて、どうなるかしらね」
革張りの椅子を回転させ、窓から水平線を眺める。床から天井まで延びる1枚の窓ガラスには、いっぺんの曇りもない。
映り込む景観は、そのままこの国の中での彼女のステータスも表していた。
通称”海上特区”──
政界人・経営者・企業役員・技術者・芸能人・アスリート・アーティスト...
富裕層や著名人のみが集まり、富と繁栄を謳歌する人口10万人程度の海の上の楽園。
21世紀中盤、米国や中国など先進各国の富裕層は次々と海上都市を建設。
アンドロイドの開発による労働力の向上もあり、その数は10年も経たないうちに数千以上にまで増えた。
既存の国家の枠組みに縛られない「独立新興国」となる都市もあれば、最寄りの国家が管轄する行政特区の1種となる都市もあった。
日本にあるものは後者であり、かつ地震や津波の関係から一島しか建築されなかった。それゆえ「特区」といえば基本的にはこの、東京湾上に建設された海上特区のことを指した。
そんな特区の中でも際立って高いこのビルは、世界的企業ディンベルグ社のものである。アンドロイドの開発をはじめ、テクノロジーや医療、そしてエンターテイメントなど多様な事業を手掛けるいわゆる複合企業であった。
グローバリズムの拡大とアンドロイドの開発により、有能な人間とそうでない者の価値が二極化したこの世界。
アンドロイドに代替された、労働能力のない者にも生活は保障された。
しかしアンドロイドにも仕事を奪われなかった優秀な者は、極端なほどに豊かさを享受した。
海の上には、そんな豊かな者だけが集う。
そして、天下のディンベルグ社のオフィスを一部屋独占し、これほど優美に働いている「人間の女性」は格別な存在と言えるだろう。
水平線を眺める彼女は穏やかな笑顔を浮かべながら
「早乙女キリカ...せいぜい楽しませてくれるわよね」
と、機械のように冷めきった声でつぶやいた。
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