超短編小説「コーヒーの苦味」
夜長 明
いっぱいの苦さ
「私たち、やっぱり別れましょう」
と彼女に言われたのは遊園地から帰る電車の中だった。そのとき僕はどんな顔をしていたのだろう。きっとひどい表情をしていた。あまりにも突然で、そんなことを言われるなんてまったく考えていなかった。
それから僕は静かにひとりで過ごす時間が増えた。もともと誰かと常に一緒にいたいというふうでもなかったから、落ち着いて安心できる毎日を過ごした。
その日はいつものように喫茶店で小説を読んでいた。物語はもう少しでクライマックスを迎える、そんなとき後ろから声が聞こえた。
「その本、面白いですか?」
「ええまあ。えーと、前にお会いしたことありましたっけ?」
「すみません。私、ここでバイトしてるんです。常連さんなので、もう覚えちゃいました。いつもカフェラテですよね」
少女の言う通り、今もカフェラテのカップがひとつ、テーブルの上に置かれている。
「そうでしたか。はは、なんか恥ずかしいですね」
笑いながら、少女の顔を改めて見てみる。確かに、カウンター越しに制服姿の彼女を見たことがあるかもしれない。私服を着ている今は、おしゃれな大学生という感じだった。
「今日はこれから?」
「いえ、今日はシフト入ってないんです。もしかしたらあの常連さん来てるかなーと思って、来ちゃいました」
少女は恥ずかしそうに笑っていた。それで、こっちも少し対応に困った。
「そうなんだ。じゃあせっかくだし、このお店の話でもしよう」
手振りで向かいの席に招く。彼女はおずおずと座った。
「はい、ありがとうございます。……えーと、お兄さんはコーヒーは飲まないんですか?」
「そうだね、コーヒーは苦くて。僕の味覚はまだ中学生くらいなんだよ」
少女は楽しそうに笑った。
「そうでしたか。でもここのおすすめはやっぱりコーヒーですよ」
それから僕らはしばらくの間、他愛もない話を続けた。
✳︎
今日もあの喫茶店に来た。扉を開けるとからんころんと音が鳴る。
「いらっしゃいませ。って常連さんじゃないですか」
「こんにちは。今日は、ブレンドコーヒーをひとつください」
「あ、はい。ブレンドコーヒーですね」
支払いをして、少し待つ。
コーヒーを受け取るとき、彼女が耳元で小さく囁いた。
「ファイトです」
いつも使っている席に着き、そのままコーヒーをひと口飲む。
やっぱり、苦かった。
超短編小説「コーヒーの苦味」 夜長 明 @water_
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