第8話

 駅から慎吾のアパートまでは、結構距離があった。


「遠すぎない?」

「駅に近いところは高いから」


 アパートの前の通りを見渡したマイは、電柱の住所表記を見つける。


「駅に戻るより、まっすぐ家に向かったほうが近いかも」

「そう?」

「場所もわかったし、いつでも遊びに来れるね」


 マイの言葉は冗談だということにして、笑って見せる慎吾。


 部屋の扉の前まで来て、慎吾はマイを振り返った。


「ごめん、ちょっと待ってて。片付けるから」

「片付け? 手伝うよ」

「いや、そういうわけには」

「なに? もしかして、見られて恥ずかしいものとかある?」


 マイは悪戯っぽい目で慎吾を見上げる。


「えっちぃ本とか?」

「とても女子高生に見せられないようなものがね」

「えぇ〜? 制服モノとか?」

「散らかってるから恥ずかしいんだよ」

「気にしない気にしない」


 マイは、半ば強引に部屋に入ってくる。


「ふぅん? まあ、男の人の部屋ならこんなもんでしょ」


 お世辞が言えない程度には散らかってる部屋を見て、マイはそう言う。


「女の子が来るってわかってれば、片付けといたんだけど」


 床に落ちていたジーンズを拾いながら、慎吾が言う。


「わかった。じゃあキッチンは任せて」


 慎吾が住まいにしている1Rのアパートは、カウンター付きの対面キッチン。そのカウンターには酒瓶やらなにやらが所狭しと置いてあったが、幸いにもキッチンのほうは、使ってないだけにさほど汚れていないはずだった。


 買い物袋を下げたマイに続いてキッチンへと入り、ワークトップに洗った後放置してあった弁当容器等のプラスチックゴミ類をダストボックスに放り込む。一応は揃えてあった包丁その他調理器具の場所を教えて、「これしかないけど」と男物のエプロンを手渡す。


「エプロン、あるんだ?」

「いるかもしれないと思って、最初に買った。結局最初の一度しか使ってない」

「あはは」


 笑ったマイに「わかった、任せて」ともう一度言われてしまい、慎吾はキッチンから追い出される。


 仕方なく、慎吾は部屋の片付けへ。

 もう一度着てから洗濯するつもりだった、みたいな部屋着を拾い、予定を繰り上げて洗濯機に放り込む。散乱していた雑誌類をまとめる。テーブルの上に置きっぱなしだったリモコンをキャビネットに移動させ、ラグに掃除機……は埃が舞うので諦め、カーペットローラーをコロコロ転がし、床をフローリングワイパーで拭いた。


 このぐらいで限界か。


 あとは……慎吾は壁際を振り返る。

 一人暮らし、ゆえに一部屋だけの住まい。そちらにはベッドがあって、彼が朝に出てきたまま、布団はしわくちゃだった。


 見栄え的には整えたい。

 が、部屋に女の子を招いて、ベッドメイクというのも、いかがなものか。


 いやいや、やましいことなど考えるからいけないのだ。

 確かに彼女は女性だが、そういうつもりで来たわけではない。彼女は……そう、妹。妹が兄の食生活を不憫に思い、食事を作りに来てくれた、ただそれだけなのだ。


 このベッドメイクには、ただ見栄えを整える、それだけの意味しかないのだ。


 そういう葛藤を脳内でだけ行い、慎吾はベッドの状態を整えた。

 これで、なんとか部屋は片付いたようにみえた――雑誌類は次の古紙類の日に捨てよう。


 キッチンの様子を伺うと、顔を上げたマイと目が合った。

 マイは、うふふ、と微笑む。


「いいね、対面キッチンって」


 そう、はにかむ姿に、新婚ってマジでこんな感じなのかな、などと思う慎吾。


「手伝います」


 キッチンへ近づく。

 制服にエプロン、という破壊力抜群のマイの姿を目の当たりにして、慎吾は一瞬、怯んでしまう。

 平静を装おうとした気分を知ってか知らずか、マイはそんな慎吾に微笑んだ。


「えっちな本、片付けた?」

「だいじょうぶ」

「ベッドの下?」

「一人暮らしだから隠したりしないよ」

「ごはんが炊けるまで、もう少しかかるから」

「なにを作ってくださったんでしょうか」


 鍋を覗き込もうとする慎吾を、マイは邪魔しなかった。


「おっ? お味噌汁と肉じゃがですか」


 意外、というか、鉄板、というか。香る醤油に思わず口元をほころばせた慎吾に、マイは悪戯っぽい笑みを向ける。


「男の人には、和食がウケるって」

「どこで聞いたんだよそういうの」

「嫌だった?」

「まさか! 最高ですよ!」


 ごはんが炊けるのを待って、協力して盛り付ける。

 小さなテーブルに、向き合うように二人分の食事が並んだ。最近は、家で食べるときもカウンターを使っていて、このテーブルを食卓として使うのは久しぶりだった。

 引っ越した直後に、友人が遊びに来た時以来じゃないか、などということを思い出す。


 しっかりと手を合わせ、「いただきます」と丁寧に口にする。


「どうぞ、召し上がれ」


 慎吾のノリに合わせて、マイがかしこまって答えてくれた。


 最初に口にした味噌汁の味が、やけに染みた。お店のものだって手作りだろうに、作ってもらったものってどうして違う美味しさを感じるのだろうな、と思った。


 肉じゃがもとても美味しかった。使える時間は短かったはずなのに、じゃがいもにはしっかりと火が通って柔らかかった。


「どう?」


 夢中で食べてしまって、聞かれるまで感想を言うのを忘れていた。


「とても美味しいです」


 言わなくても、慎吾の食べる様子を見ていればわかっていただろう。

 だがマイは、慎吾の言葉に、嬉しそうに微笑んだ。


「よかった」

「すごいね。僕が高一の時には、こんなふうには料理できなかった――今でもそうか」

「あはは。わたし、料理は、結構するんだ。今度は違うもの作ってあげるよ」

「ホント? 楽しみだな」


「いいお嫁さんになれると思う?」

「なるなる」

「わたしと、結婚したい?」

「したいしたい」


 食べながら、いつもの冗談、のつもりで、いつものように軽く返した慎吾は、こちらを見るマイの顔が、赤くなっていることにようやく気づく。


「――どこに嫁に出しても、恥ずかしくないよ」


 そう付け加えたが、彼女のどこか熱っぽい瞳は、変わらなかった。



 滞在時間、約二時間。

 二人で一緒に片付け、洗い物を済ませてから、「じゃあ、帰るね」とマイが言った。


 もちろん、夜、少女を一人歩かせるつもりはない。慎吾も一緒に部屋を出る。

 マイの案内で、街灯が照らす歩道を並んで歩く。


「どうだった? 久しぶりの手作りごはん」

「最高でした。生きてるとこんないいことあるんだな、って気分」

「あはは、大げさだなあ……じゃあ、また作ってあげる♪」


 こちらを見上げるマイの笑顔に、慎吾は複雑な顔。


「……いいの?」

「えっ? 良くないわけ、ないでしょ?」

「いや……女子高生なら、僕なんかにかまってないで、友達とかと遊んだほうが」


 言うと、マイは慎吾の前に立ちはだかるように、振り返った。


「わたし、お兄ちゃんにごはん作るの、すっごい楽しかったよ」


 そう言って、ニッコリ微笑む。


「だから、また作らせて欲しいな」


 そう、笑顔で言われてしまうと、慎吾としては、頷くしかない。


「では、よろしくお願いします」


 マイは機嫌よく、進行方向へ向き直った。


「次はハンバーグを作ってあげよう」

「作れるの?」

「もちろん! たくさん作って冷凍してあげるね」

「すごい。結婚したい」

「ふふっ。いいよ」


 振り返ったマイと顔を見合わせ、一緒に笑う。

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