第7話

 数日後。

 珍しく早い時間に退勤できた。

 こういうときぐらい、早く帰宅したい。そう考えたら駅に直行していて、ホームに降りてしまってから、やっぱり何か食べてくるべきだった、と思いつく。まっすぐ家に帰っても、冷蔵庫にはビールとツマミになるようなものぐらいしか入ってない。


「お兄ちゃん?」


 自分をそのように呼ぶのは、一人しかいない。

 声のした方を振り返ると、やはり、今朝も一緒の電車だったマイが、今朝別れたときと同じ制服姿で立っていた。


「やっぱり、お兄ちゃんだ」


 嬉しそうに微笑み、ウキウキと近づいてくる姿に、慎吾もつい和んでしまう。


「帰りに会うの、珍しいね。はじめて?」

「いつもはもっと遅いから。今日は、たまたま」

「早く帰れたんだ?」


 マイは、ただの知り合いとは言い難い距離まで一気に距離を詰めてきて、慎吾は思わずどぎまぎする。朝の通勤ではいつもこのぐらいの距離感だし、混雑すればもっと近づくことだってあるが、宵の口、しかも電車ではなく駅のホームでこの近さは、少し狼狽えてしまう。

 サラリーマンと女子高生の組み合わせなのだ。周囲の目が、気になる。


 かといって、離れるわけにもいかず。慎吾は気まずさから目をそらしてしまったが、マイの機嫌も損ねたくないと思い、口を開く。


「マイちゃんは、いつもこの時間?」

「いつもよりはちょっと遅いんだけど」


 マイはホームの間から見える空を見たようだった。日は暮れたばかりで、西の方はまだ明るい。


「一人暮らしって言ってたよね? 晩御飯は?」

「あー……どうしようかなって思ってたんだけど、弁当でも買って帰ろうかな」

「……自分では作らないの?」


 慎吾は苦笑して肩をすくめる。


「なかなかね。めんどくさくて。昔は少しはやったんだけど、最近は全然」

「ふぅん……」


 マイは少し考えるようにしてから、慎吾の顔を覗き込むように見上げた。


「わたしが作ってあげようか?」

「えっ?」

「ごはん。手作りに飢えてたり、しない?」

「えっ、そりゃあ……」


 誰かが作ったごはんなど、正月に実家に帰った時以来かもしれない、と思いついた。


「でっ、でも、良くないでしょ」


 思わずそう言った慎吾に、マイは不思議そうな顔。


「どうして?」

「だって……女子高生にごはん作ってもらう、なんて」


 言うと、マイはくすくすと笑った。


「女子高生だって、料理ぐらいできるよ」

「そういう意味じゃなくて……独り者の男のところで、なんてさ」

「そんなふうに考えなくてもいいよ。常日頃のお礼、とかさ。どう?」


 後ろで手を組んで身を乗り出し、顔色を伺ってくるマイの仕草は、やっぱり可憐で、そういう彼女の申し出を突っぱねるなど、してはいけないことだ、と慎吾は感じてしまう。


「でも、ホントにいいの?」


 慎吾は最後の抵抗をする。


「遅くなったら、おうちのひと、心配するでしょ?」


 聞いたマイは、意味有りげに微笑む。


「友達のところに寄ってくるって、連絡するよ」

「――そう? だったら……」


 抗うには、あまりにも魅力的な提案だ。


「……お願い、してもいいですか?」


 マイはニッコリと微笑む。

 ホームに電車が滑り込んできた。



 駅前のスーパーに寄って、食材を調達する。

 慎吾が籠を抱え、マイが品を選ぶ。


「なにを作ってもらえるんですか?」

「ふふっ、ひみつ〜♪」


 籠に人参をそっと入れたマイは、近くにあった慎吾の顔を見上げた。


「こんなふうに買い物してると、新婚さんみたいだね」


 至近距離に彼女の顔を見た慎吾は、ドキッとした内心を隠してなんとか返した。


「いいねぇ女子高生妻。憧れます」


 とっさの冗談は面白くもなんともない出来だったが、マイはおかしそうに笑ってくれた。

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