ベイシスターと三人の賢者
藤光
ベイシスターと三人の賢者
――私は機械になった。この国をつくる一個の
ある朝、ベイシスターが目を覚ますと無性になにかが食べたくなりました。思い返せば、ずいぶんと長い間、なにも口に入れていないことを思い出したからです。どのくらいといわれてもよく覚えていません。
「焼き鳥が食べたい」
とつぜんベイシスターがそう言いはじめたので、彼女を支えてこの国――ロンドアルキアの政治をみている国家委員たちは驚きました。
「いったいどうなさったのだろう」
「新しい戦争の口実でも思いつかれたのだろうか」
と言い合いました。ベイシスターは国家最高議長という要職にありますが、自分で政治を行う必要はありません。すべて国家委員とその官僚たちがやってくれるからです。好きな時に、好きなことをしていれば、それでいいのです。
好きなこと――昨日までベイシスターが夢中になっていたのは戦争でした。ロンドアルキアの軍隊を隣の国へ派遣して戦わせるのです。大国であるロンドアルキアの周囲にある国同士をけしかけて戦わせることも好きでした。
それが、その朝からまったく楽しくなくなったのです。
「戦争はやめる。焼き鳥が食べたい」
その代わり、なにかおいしいものを食べたくなったのでした。
「食べるったって」
「議長のお体は、高度に義体化されている」
「頸部コネクタから供給されている栄養は経口摂取する必要はないはず」
「お食事をされている姿を見たことがない」
委員たちは戸惑いましたが、国家最高議長の命令です。直ちに、停戦命令と撤収指令が発せられ、戦争は終わりました。国家委員たちも、いつまでも続く戦争にうんざりしていたからです。こうして、ベイシスター第一の命令は速やかに実行されました。
でも、問題は第二の命令の方でした。
「ヤキトリとはなんだ。某国の兵器の名か」
「まさか食べ物だろう。委員は知っているか」
「ずっと昔に、食べられていたジャンクフードだ。なんでも、ニワトリの肉や内蔵を焼いた食べ物らしい」
「内蔵を焼く!? それが食べ物なのか。刑罰ではなく?」
「ほんとうに、議長のいうヤキトリとは、それのことなのか?」
国家委員たちの議論は、果てしなく続きました。焼き鳥は、100年以上前に廃れてしまった食べ物で、だれも見たことがなかったからです。世界でただ一人、ベイシスターを除いて。
世界最高の医療を受けられるベイシスターは、100年前から臓器交換による延命措置を受けています。20年前には半永久的に駆動する高度義体に全身を換装していて、現在、150歳なのです。
「とにかく、料理人に作らせよう。そうでないと話にならん」
議論は決しました。ロンドアルキア産最高のニワトリが国会議事堂に届けられ、五つ星ホテルの料理長が焼き鳥に調理しました。でも、串刺しになった鶏肉が炎で炙られる様子に、血相を変えた人たちがいました。国家委員です。
「肉を串刺しに! なんて残酷な」
「しかも火で炙るなど、邪悪な異教の業だ!」
料理長は開いた口が塞がりません。
「お言葉ですが委員。これが伝統的な焼き鳥の調理法です。これに甘辛いタレをたっぷりかけて召し上がっていただきます」
「この上にまだ……もう耐えられん。出ていけ料理長、君はクビだ!」
五つ星ホテルの料理長は、国会議事堂から追い返されてしまいました。ヤキトリは国家委員の手で、弱火でほんのちょっぴり焼かれた上、串には刺されずお皿の上に並べられた状態で、ベイシスターの食卓に供せられました。もちろん、タレはかかっていません。
「こんはなんだ」
「ヤキトリでございます」
ベイシスターは露骨に嫌そうな顔をしました。記憶にある焼き鳥とは似ても似つかぬ代物だったからです。
「お前が食べてみろ。これは焼き鳥ではない」
ヤキトリは突き返されました。ベイシスターの命令です。おそるおそる国家委員のひとりが、ヤキトリに口をつけますが、もちろん食べられたものではありません。委員たちは平身低頭謝って、ベイシスターの前から退散しました。
代わりに今度は料理長が焼き上げた焼き鳥を差し出しました。「味が違う!」ベイシスターは、皿を突き返してきました。国家委員が食べてみると、頬が溶けそうになるほど美味しかったのですが……。
「高度に義体化された議長には正常な味覚が欠けているのです」
そう委員に忠告したのは、国家科学院の科学者でした。視覚、聴覚に比べて、味覚、嗅覚の研究は遅れており、義体へのフィードバックも十分ではないと彼はいうのです。
「普段、頸部コネクタから栄養を摂取しているので、義体の味蕾センサが十分機能していないと思われます」
「どうすればいいのかね」
「焼き鳥のタレに、義体専用の
「でも、それは議長を欺くということにならないか」
ロンドアルキアでは国家最高議長に対する背信行為は死刑と決められています。だれだって死にたくはありません。でも、科学者は自信満々でした。
「義体工学は完成された理論です。
「任せられるのか」
「お任せください」
国家委員たちの見守る前で、焼き鳥のタレに、科学者の合成した
国家委員たちが固唾を飲んで見守るなか、ヤキトリは
「おいしい」
おいしいのです。香ばしい香りと濃厚なタレの風味が口から鼻へと抜けていきます。頸部コネクタからの栄養注入では味わえない味覚です。息を詰めていた委員たちの間から、ため息が漏れました。
「とてもおいしい。でも、なにかが足りない。これはわたしの求める焼き鳥ではない」
ベイシスターは形の良い眉をしかめて串を置きました。国家委員たちによる苦心の成果は、ふりだしに戻りました。このヤキトリもまた、ベイシスターを満足させるものとはならなかったのです。
「いったいどうすればいいんだ」
ベイシスターは、同じ失敗を二度も三度も許してくれる寛大な権力者ではありません。むしろその逆です。この次に議長を失望させることがあれば、よくて解職、悪くすれば死刑です。国家委員たちは、追い詰められました。
頭を抱えている国家委員の前に現れたのは、小説家でした。
「わたしが議長を満足させてご覧にいれます」
小説家の風采の上がらない様子に、国家委員たちも半信半疑でした。最高の料理人や科学者が手を尽くしても満足させられなかった議長です。みすぼらしい格好をした小説家の手に負えるとは、とても思えなかったからです。
「いったい小説家に何ができるというんだ」
「議長が必要としているものは、食べ物ではありません。焼き鳥という物語なのです」
「なんのことを言ってるのかさっぱりわからん」
「これだから小説家という人種は!」
でも、そういう国家委員たちには、ベイシスターを満足させる知恵はありません。どうせ死刑となるならこの小説家に罪をかぶせて詰め腹を斬らせよう。委員たちは小説家に後を託しました。
小説家は国家最高議長を国会議事堂の外へ連れ出しました。議事堂に篭って、滅多に
「どこへ行くのだ」
「スラムです。戦争で住むところを失ったり、国を追われた人たちが集まって暮らしているところです」
そう聞いた国家委員たちは飛び上がりました。
「とんでもない」
委員は、悪事がバレた子どものように小説家を制止しようとしましたが、ベイシスターがそれを押しとどめました。
「わたしは、ほんとうの焼き鳥が食べたいのだ」
ベイシスターが小説家に連れられてやってきたのは、傾いたバラックの立ち並ぶスラムの外れの「焼き鳥屋」でした。
「らっしゃい」
「モモと砂ズリ、ぼんじりももらおうか」
「へい、まいど」
狭くて汚い店です。五人も掛ければいっぱいのカウンターがひとつあるきり。店は汚い身なりの男たちで満員です。店主が客の目の前で、串に刺さった肉を焼いていくと、もうもうと煙が舞い上がりました。
「おいしい!」
ひとくち食べたベイシスターは目を輝かせました。彼女の味蕾センサが正常になったのでしょうか。分かりません。モモ、砂ズリとつぎつぎに平らげてゆきました。
「食べっぷりがいいな、姉ちゃん!」
「おれの奢りだ。つくねと軟骨もやってくれよ」
「いや、ここの店に来たからにゃ、手羽先からだ」
スラムの男たちが、ベイシスターの周りに集まります。みんな彼女を議長とは知りませんが、国のエラい人だということは分かります。自分たちと一緒になって焼き鳥を食べてくれることが嬉しいのです。
「戦争も終わったし、今日はいい日だ!」
「食おう、飲もう!」
男たちは、ビールを飲めだの焼酎はどうだのと議長の世話を焼いています。果ては、締めにラーメンを食べなきゃいけないとか、もうめちゃくちゃです。議長は、勧められる皿は食べ、注がれた酒は飲み干して、顔を真っ赤にしていました。
「とてもおいしかった。ありがとう」
ベイシスターはそう言って、議事堂の自室に戻ると、そのままベッドに横になって眠りました。そして、そのまま翌朝になっても目覚めることはありませんでした。議長は、151歳で死にました。
ベイシスターが焼き鳥にどんな物語を見つけたのか、それはだれにも分かりません――。
(了)
ベイシスターと三人の賢者 藤光 @gigan_280614
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