第213話 『クリスマスのおとり』

 六日間の遠征が全て終了し一旦全員がホームであるトロントに戻った。

 トロントは大雪だった。


 仲間達は休息を取る為に家に戻ったが、人気絶頂のエイチは次の仕事が入っていた。そのままフィラデルフィアのメーカーの撮影現場に飛行機で向かってCM撮影をこなし、ようやく空港近くのホテルに帰って来た。部屋の時計を見ると夜の十一時半だった。

 エイチは間もなくやって来るクリスマス休暇をどう過ごすべきか悩んでいた。

 大勢の仲間からクリスマスパーティーにも誘われた。しかし、全て断って来た。そもそも試合と仕事で忙しくてパーティーなんて参加している暇がない。


 マチはクリスマス休暇をどうやって過ごすんだろう。会いたい。でも嫌いな男から自宅に誘われたら、なんて思うだろう。

 そう考えると電話もできなかった。しかも好きだと伝えてもいないのに二人きりでクリスマスを過ごすなんておかしい。あの日の事を思い出されて、小さい頃母親に嫌いだと電話で言われた不幸な男だから仕方なく付き合ってやると思われても嫌だった。

 

 それにもう、ロアンナとかあの辺のパーティーに誘われてるだろうな。昔、ロアンナの家でやってるクリスマスパーティーにシルトを迎えに行ったのを思い出す。あの日、彼女は俺のベットに入って来た。色んな理由が重なって仕方無くだった。あの頃が本当に懐かしい。もう一度あの日がやって来れば良いのに。


 あの頃も嫌われていた。でも今よりはもっと身近に存在を感じられたし、心の距離も感じなかった。それに、あの頃はまだSの事も殴ってなかったし、病院に送ってなかった。

「あなたの方が重症みたいだから」

 あの台詞を思い出した。

 エイチは暗い気分に陥った。冷静に考えれば考えるほど自分がどれ程彼女を傷つけてきたのか分かる。

 俺が女だったら、リッキーと同じくらい会いたくない。


 エイチは最近、自分が犯してきた彼女への数々の悪行を振り返る事が多くなった。今までだったらそんな事反省する事もなかったのに。そして、思い返せば思い返すほど、嫌われていることだけが浮き彫りになる。もう傷つけるつもりなんて無いのに。そんな風に思われたくない。それなのに顔を合わせるとつい喧嘩になる。


 エイチはベットに放った電話を見つめた。

 そんな事を一人で考えていると、突然目の前の電話が鳴り始めた。エイチは急いでディスプレイを見た。マチだったら良いのにと思う反面、全く可能性が無いな、と冷静に思う自分がいた。電話の相手はロイだった。

「何だよ」

 不機嫌に答える。兄貴が嫌いなわけじゃない。マチからじゃないからつまらない。

『エイチごめん。夜遅いのに。昨日の試合をジャスミンと息子達と一緒に見てたよ。良い動きをして得点してたな』

「・・・それで?」

 エイチはベットにうつぶせたままうっとおしそうに聞いた。

『お前、明後日のクリスマスは何してる?実家に帰ってこないか?その日だけは試合も練習も無いだろ?ジャスミンと双子がエイチにも来て貰いたいって。彼女がターキーを焼いてパーティーの準備をしてくれるんだ。こんな事がハンドクルー家に訪れるなんて奇跡みたいじゃないか?ははは!』

 エイチもロイも自宅でクリスマスを祝った事が一度も無かった。毎年、父の妹のアンが自分の家のクリスマスに兄弟を呼んでは、代々のハンドクルー家の男達の愛情の深さがどうとかこうとかと話し、エイチをうんざりさせていた。そして、何年かしてエイチはクリスマスが来ると実家にもアンの家にも寄り付かなくなった。

「勝手にやってろよ。俺に構うな」

『大丈夫、アンは来ないよ。それに、彼女は来てくれるって言ってるけど?』

 その台詞に瞬時に眉間に皺が寄る。

「・・・・彼女?」

 エイチは勢い良くベットから起き上がった。

「誰の事だ?」

 直ぐに目が攻撃色に一変する。

『マチだよ。お前も良く知ってるはずだ』

 クソ野郎!

「そんな事分かってる!なんで性懲りも無くまた彼女を誘ったりするんだ!お前らと何の関係もないだろ!ふざけるな!また家を破壊されたいのか!なんであの女を毎回おとりに使うんだ!許せない!」

 エイチは電話にシャウトしていた。

『・・・・そんなに大声で叫ぶなよ、鼓膜が破れそうだ。とにかく来いよ?それから、双子にスティックをプレゼントしてやってくれないか?二本とも同じメーカーのにしてくれ、ちょっとでも違うと物凄く喧嘩するんだ。お前の事をTVで見て大はしゃぎしてる。会いたがってるから来てくれよ。あ、それから金属バットは要らないからな。いいな?じゃあ』

 ロイは一方的にそう言うと電話をわざと切った。

「ファック!」

 エイチは怒り心頭で直ぐにマチにコールした。

 さっきまで電話するのをためらっていた自分はもうそこには居なかった。怒りで頭が一杯になり一刻も早くぶつけないと気がすまない。

『はい、もしもし?』

 大声で怒鳴る。

「バカ!なんで関係ないのに兄貴に誘われてパーティーへ行くなんて言ったんだ!信じられない!あの日を忘れたのか!俺はお前をおとりにされて頭に来た!どうしてまた同じ事を繰り返すんだ!絶対に行くんじゃないからな!」

『・・・・エイチ、どうしてそんなに耳元で叫ぶの?本当に鼓膜が破れそうだわ』

 何かがおかしい。

『エイチ、あなたが怒るのは分かっていたんだけど、せっかくお兄さんに誘っていただいたし、ジャスミンさんに会わせたいって言われて断る理由がなくて。それに、ジャスミンさんと双子が居るリビングをさすがにエイチでも破壊できないと思うって言われて・・・』

 怒りが身体中を支配して、受話器を持つ手が震える。

「おい・・・お前・・・今どこに居る?」

 耳元であまりの握力に電話のパネルがきしむ音がした。

『エイチ、あなたってどうしてそんなに勘が良いの?そうなの。今、あなたの実家に来てクリスマスのイルミネーションの飾り付けをお手伝いしているところなの』

「っ!・・・・・」

 エイチはもう叫ぶ気が起きなかった。呆れ果てて死にそうだと思った。

 また謀られた・・・・!

これは何かの陰謀だ。俺を懲らしめようとか、反省させてやろうとか、嫌な目に遭わせてやろうとか、地面に倒してやろうと周りの奴らが裏で画策してたくらんだ最悪の罠なんだ。

 エイチは電話を切るとベットに沈んだ。予想外の展開にもうついていけない。



 エイチの頭の中に住む悪魔が言った。二匹はとても仲が良い。

『さっき悩んでいた問題があっと言う間に解決して、願いが叶ったじゃないか』

『これでマチと休暇を共に過ごせるな』

 こんなつもりじゃ無かったのに!

『気にするなエイチ、シナリオが狂っただけだ。クリスマスにマチに会える。その事実に変り無いさ』

 俺は行かないからな!絶対!


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