第208話 『二階から』

 ロイはスチュアートと外に出た。外は風が冷たく辺り一面砂埃が巻き上がって荒んだ風景を映し出していた。冷たい風が二人に吹いた。砂が顔に当たって目を開いていられない。


 正直がっかりした。

 ジャスミンが今も生きている事は嬉しかった。

 でも・・・・やはり自分の事を待っていてはくれなかった。当然だよな・・・冷静に考えれば分かるじゃないか。俺が彼女を追いかけて探していることなんて本人は知らない。 

 もう戻れないカナダにいる男の事なんて昔の思い出だと思ってこの地で違う男との出会いを探すのが当然だよな?誰かと結婚して子供を産んでいたって・・・

 スチュアートはロイの肩を抱いて声を掛けた。

「気を落とすな、旦那がいて子供が生まれているかもしれないのは想像できたじゃないか。もう五年前の話だ。彼女に罪なんてない」

 涙を左右の目からボロボロ流して泣いているのはロイでは無くスチュアートだった。ロイに触れている手が激しく震えていた。

 


 ロイは現実を思い知らされても、彼女に会うのを諦めるつもりは無かった。

 ここまで探して来てついに彼女の家まで駒が進んだ。あとサイコロ「1」が出るだけでゴールできる。ここでゲームを諦めるような馬鹿じゃない。俺は根っからの負けず嫌いで、ハンドクルー家の長男だ。天然資源の掘削現場の爆破隊長の父親と、自由奔放な写真家の母の血を受け継ぎ、大きく恵まれた健康な身体に抜群の運動神経で北米リーグNHLで活躍していたプロの選手だった。それを諦めて彼女を探す旅に出て、今ゴールが目前にある。


 彼女には夫がいる。どこの国の男だろう。ルクセンブルク人?ベルギー人?ドイツ人?スイス人?イタリア人かもしれない。

 父親の話から子供が複数居る事は確かだ。五年の間に二人も請けたと言う事は何年か前に結婚して出産して、まだ小さい子供達だろう。もっと早く見つけていたら、もっと早く会えていたら、他の男に盗られずに済んだかも知れない。

 でも、見つからなかった。最善を尽くしたのに結果は五年後になってしまった。

 ロイは父親が最後につぶやいた住所を暗記して何度も唱えながら急な坂道を一人で登っていた。スチュアートは落胆したまま、ゆっくりと崩れそうになって歩き、フラフラしながらついて来た。

 暑い日ざしが肌を刺して焼けるように痛い。カナダとは違う日差しだ。

 ロイは落胆していなかった。ジャスミンに会える。それだけで嬉しい事だった。その後のことは後で悲しめば良い。呪われた五年間を思い出して泣き崩れるのは後で良い。今はジャスミンに再開できる最高の瞬間だ。

 ロイは大きく深呼吸して坂を上った。人気のあまり無い集落の道に背の高いハンサムなロイはやけに目立った。

「五年間努力しても良いことが待ってるとは限らないよな」

 独り言を言う。

「彼女の父親があんな風になじるような最悪の男が旦那で、その最低の男に子供を産まされてる」

 俺はその男を見ても殴らずにいれるのか?家に旦那もいるのか?そいつがもしもホッケー選手だったらどうしよう!

「ケツを蹴り上げて倒してやる。北米リーグをなめるなよ!」

・・・いや、ホッケー選手じゃなくて本場のマフィアかもな。


 丘の上に小さくて古い家が見えて来た。住所を見てここだと分かった。ロイはその家を見上げた。そして、

「良かった、平屋じゃなくて」

 と言って一人笑うと、家の裏庭に回り二階の小さなバルコニーに掛かる大きなイチジクの木を見上げた。ロイは足を木に掛けると二階へ上がって行った。

 彼女の旦那が自分を見て銃で撃ち殺すとか、そんな事は何故か思い浮かばなかった。そして何故か彼女が家に居て、必ず会えるような気がした。ロイは二階のバルコニーの柵をヒラリと乗り越えた。そしてあの頃と同じように窓ガラスをノックした。

 しばらく何も反応が無かった。

 しかし一階にいた彼女にはかすかなノックが聞こえた。庭では子供達が遊んでいる。

 私はこのノックを知っている。五年間ずっと聞きたかった音だった。彼女は大きく息を吸い込むと震える足で階段を上がった。途中、踏み外してすねを打った。急いで向かった。ベッドルームのレースのカーテン越しに背の高い男が立っていた。

 大好きなシルエット。五年前と体型が変らない。外の暑い日ざしに照らされて彼の顔がはっきり見える。はっきりした眉、奇麗な鼻筋、はりのある唇。いつも無精ひげを生やしていてワイルドでセクシーな優しい人。ブルーの目が澄んでいて優しい・・・・瞳。

 ジャスミンはこらえきれなくなって走り出した。

 ガラスの扉を勢い良く開けた。


 二人は顔を見るなり強く抱き合った。

 ロイはジャスミンの顔を大きな手のひらで挟んで自分の方へ向けそして彼女の顔を見た。彼女の顔はあの時と変らず美しかった。健康的な肌も、真っ白な歯も、細かくカールしたこげ茶の髪の毛も何も変らなかった。

 変ったのは声も出せないほどむせび泣いている姿をロイに見せている事だけだった。

 気が強くて涙なんて見せないはずの彼女だった。ロイは彼女を強く胸に抱き寄せて言った。

「・・・・会いたかった」

 それは五年前、遠征の度に彼女に会いに行き、毎回彼女に言っていた台詞だった。

 ジャスミンは五年間の思いが募りすぎて喉がつまり頷く事しか出来なかった。

 ロイの太い腕に巻かれ、不安が解消されるのが分かった。

 もう、何も言えない、何も考えられなかった。ジャスミンは声を上げ身体を震わせて激しく泣いた。五年間の経緯を話さなくてはいけないのに、何も話せない。肺が苦しくて言葉が出なかった。そんな彼女をロイは離さずしっかりと腕を巻きつけて抱き、彼女の髪の毛に頬を寄せた。

 

 二人が再開して泣きながら無言で愛を語り合っていると、部屋の扉の隅に小さな子供達の気配がした。寝室で抱き締め合う二人の様子を廊下からそっと覗くように見ている。

 そして一人が言った。

「ねぇ、誰?」

「似てるよ?」

 もう一人が手に持っていたのは捨てられたはずのロイのアリーナのIDカードだった。子供の気配に気が付いた二人はようやく身体を離した。

 子供達は顔がそっくりな男の子で一卵性の双子なのがすぐに分かった。

 ロイは現実と対面してやはりショックだった。彼女には新しい家族がいるのだ。

 そしてなんとなく二人の顔を見て違和感を覚えた。

 誰かに・・・・

「ママ、この人?」首から掛けているIDを見せている。

「はっ・・・・!」

 あれは俺がジャスミンの家で失くしたIDカードだ!

 

 旦那の事を尋ねた時、急に父親が自分に向かって『世界一の馬鹿でロクデなしだ!』と吐き捨てたのを思い出した。

 まさか・・・・まさか・・・・・

 俺に言ったのか?

 「!」

 ロイはジャスミンをビックリして見た。


 そうだ、この子達の顔は誰かに似てるんじゃなく「エイチ」に似てる!目が、目の色があいつと・・・いや、俺にそっくりだ!ロイは口を開けて瞬きを忘れ、夢中で二人の子供を凝視した。

 ジャスミンは二人の子供をこちらに来るように手招きして泣きながら抱きしめた。

「この前で四歳になったの」ジャスミンはロイに向かって微笑んだ。

「あなたの・・・子供達よ」

 ロイは頭が錯乱して言葉が出なかった。

 ジャスミンを最後に抱いたのは彼女が失踪する直前だった。

 そのまま行方不明になって・・・・そんな馬鹿な・・・・

 ロイは感動の眼差しでジャスミンと二人の子供に何度も目を向けた。

 そして、ゆっくりと信じられないと言う表情を向けた。

 しゃがんで大きな腕を広げ双子を抱き寄せると二人にそっとキスをした。

「・・・・やぁ、お父さんだよ、もう寂しい思いは絶対させない」

 かすれた声で優しく二人を強く抱きしめた。

 双子は無邪気に笑って大きなお父さんの事を見ていた。

 そして一人が

「ねぇ、どうして来たの?」

 と不思議そうに尋ねた。ロイは双子を降ろして立ち上がるとジャスミンに向かって言った。

「プロポーズの返事がまだでね、答えを貰いに来たんだ」

 ロイは白い歯を見せて口角を上げて笑いながら、そして少しいたずらにも、真剣にも見える表情でジャスミンを見た。

 ジャスミンはロイのブルーの瞳を見てはっきりと言った。

「イエスよ。ロイ!」

 ロイは満面の笑みでジャスミンを強く抱きしめると、彼女の温かい日に焼けた奇麗な唇に熱いキスをした。それを見ていた二人がくすくすと笑ってママの足に絡みついた。

「愛する人に再会できて、結婚してもらえる事になって、二人のかわいい子供が手に入って夢みたいだよ、ジャスミン、五年間がこれで報われる!」

 そう言ってロイは三人をきつく抱きしめた。


 階下に降りると途方にくれて佇むスチュアートが庭に見えた。

 ロイは彼に全てを説明した。旦那なんていなくて父親は自分の事を言っていたんだと説明した。すぐにジャスミンを紹介して息子達を彼の前に見せた。全てを知ったスチュアートは様子が一変した。

「あああ!良かった!本当に良かった!」

 あまりの感動に涙が止まらなくなったようでジャスミンの肩を借りていつまでも泣き続けていた。


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