第207話 『大公の許可証』
三人がルクセンブルグの刑務所からつまみ出されて二週間が経過した。
大公への伝手の調査が進めば進むほど接触が難しいことが分かる。一国の主と面会するなど簡単に叶うはずがない。そして、この国はトップが首相ではなく大貴族大公なのだ。それが更に事態を深刻に難しいものにしていた。
三人が途方に暮れ始めた頃、ロイは彼の事を思い出して電話する事にした。
こんな事を説明したら何て言い出すかな。
「いい加減にしろよ!もう諦めろ!」
そんな風に言うだろうか。でも、聞くだけは聞こう。全て手は尽くした。あいつはバンクーバーで国際色豊かな有名な高校に通っていた。もしかしたら、何か足がかりになる伝手に繋がる知り合いがいるかも知れないじゃないか。
ロイはトロントに居るエイチに電話した。時計を見て時差を計算する。あっちは夜の十一時半か・・・・とっくに練習も終わってるな。試合だったとしてもそれも終わって帰っている時間だ。例え女と遊んでいても出てくれ。頼むよ、エイチ。
何回かコールが鳴って、エイチは電話に出た。
『なんだ?』
「ああ!エイチ、ごめん、もう寝るところだったか?今一人か?」
『・・・・話しが長そうだな。切るぞ』
「ああ!切るんじゃない!聞いてくれよ!」
本当にどうして俺の弟はこんな奴なんだ!
ロイはエイチに電話を切るなと頼んで、これまでの事情を説明した。
すると、話の途中でエイチが叫んだ。
『シルト!』
「・・それで、大公の・・・え?」
『シルトに直ぐに聞いてやる!』
「シルトって?シルト・ブラウンか?あいつヨーロッパに親戚でも?」
『違う!あいつ、ハプスブルグ家の末裔なんだ!』
「えええっ?」
ロイはそれを聞いて目を見開いた。唖然とする。頭の中に子供の頃の彼の姿が思い出された。エイチをかばうために俺のところに泣きながら走って来たあのだらしない格好のシルトが?いい加減な生活をして、ヘラヘラといつも陽気に笑っているシルトが?
『あいつ、オーストリアの大富豪の三男なんだ。本当にどうにかできるかもしれない』
「そんな事、初耳だぞ?」
『あいつも俺も誰にも言ってない』
「ああ!エイチ、なんて事なんだ!頼む!すぐに聞いてくれないか?」
エイチはそれを受けて直ぐにシルトに連絡を入れた。
◆
シルトはオンボロトレーラーの中から外に飛び出し、興奮しながらアルベルトに電話した。
「アルベルト!めちゃくちゃ緊急事態だよ!助けてっ!」
アルベルトはオーストリアの執務室であまりに珍しいシルトからの電話を受けて驚いていた。
『お坊ちゃま?なんと珍しい事があるのでしょうか!シルト様から、この私目にお電話があるなんて。お元気であられますか?』
「悠長な事言ってる場合じゃないんだよ!」
シルトはエイチから聞いた全ての出来事をアルベルトに説明した。
『ほほう。それは一大事ですな』
「どうにかならない?こんな時家の家系は何も役にたたないのか?」
『シルト様?ブラウン家の外交をどの様にお考えですか?』
「は?外交?知らないよそんな事!」
『ルクセンブルグは元々我が一族の支配下にあった国ですぞ。大公とは切っても切れない因縁で結ばれております』
「因縁?なんだか上手く行きそうにない気配がするね。良い関係じゃないって意味?」
『我々は今となっては大公の事をなんとも思っておりません。その証拠にヨーロッパ有数の金融国である大公の国にお坊ちゃまの兄上であられるルドルフ様が、ご自信の資産の二十五パーセントを預けているぐらいです』
「うん、難しい話は嫌いだよ。それで?」
『シルト様は「美術外交」と言う言葉をご存知ですか?』
「知らない」
『そうですか。ゴホン・・・簡単に説明致しますと、大公が欲しがっている我がハプスブルグ家ゆかりの秘宝である美術品を彼の目の前にチラつかせれば言う事を聞くかも知れない。と言う意味です』
「なんなの!その秘宝って?」
『覚えていらっしゃいますか?父君の寝室の枕の上に掲げてある中世の有名な騎士が所有していたソードを』
「ああ、護身用かと思ってたけど違うの?」
『違います。あれは今まで世に出た事の無い名剣で、刃に蜂のダンスを表す『8』の字が巧妙に彫られた秘宝なのです。大公は中世騎士時代の甲冑や、武器のコレクターとしてとても有名です。ずっと昔からその剣を探している。そしてここブラウン家にそれがある事を知っているのです。一目みたいと言って何度も遣いの者がブラウン家に手紙を持参していますが追い返されています』
「一国の主に対して、随分偉そうだね・・・追い返すだなんて。見せてやれば良いのに」
『お坊ちゃま?当家の歴史をあれほど学習したはずなのにまだ力関係が分からないのですか?ルクセンブルグは我が一族の支配下にあったのですぞ?例え一国の王であろうと、ブラウン家頭首のお父上様の方が位がずっと上なのです。それは未来永劫変りません。わかりますか?』
「そうなの?よく知らないけど、とにかくどうにか出来そう?」
『出来ますとも。ただし、お坊ちゃまに条件がございます』
「え?」
『今まで突き放して来たプライドを翻さねばならないのですから、ブラウン家にとっては大変なリスクがあります。ですから、それに見合うものをシルト様が受けてくださるなら応じましょう』
「・・・・何?」
『シルト様、もう十九になりましたね。そろそろご結婚の準備をしなくてはなりません』
「ファック!何考えているんだ!今が何世紀かちゃんとカレンダー見てみろ!ハッとするはずだ!十九歳が結婚適齢期だなんて、どれ程昔の話なんだ!そんなの寿命がずっと短かった頃の話だろ!信じられない!絶対に嫌だ!結婚なんてしたくない!しかも知らない女となんて絶対嫌だからな!二十歳になったら国籍だってカナダに変えるんだ!オーストリアから完全に離れてやる!完全に家出してやるからな!」
『それで?』
「ハァ・・・ハァ・・・・・・まだ条件を聞いてない」
『ええ、言おうとしたら取り乱されたので。条件は来月にでもブラウン家に戻り、あなた様の許婚であられますドール家のクラウディアお嬢様に一度ご面会いただきたいのです。結婚は強制などではありません。私も、ご両親様も無理にとは思っておりません。ただ、昔からの風習に従い、許婚との顔合わせをして欲しいと申しているのです」
「・・・ブラウン家が強引なのは知ってる。だから嫌だと言っても、無理やりくっつけそうなのも分かってる。でも、ロイの事を助けたい。だから・・・・だから会うよ。それで良い?」
『分かりました。お約束ですぞ。これで私もご両親様に面目が保てます。家出したシルト様とクラウディアお嬢様をどうやって引き合わせようかとプロジェクトチームを創設して会議していたところでしたから』
「会議・・・・・吐き気がするな・・・」
『それでは、急いで進めましょう。大公に遣いの者を送り、ブラウン家にご招待する旨を打診せねば。それから、ロイ・ハンドクルー様のご担当の弁護士スチュアート様の連絡先を私にお教えください』
「有難う、アルベルト」
『いいえ、どういたしましてシルト様。こちらこそ有難うございます』
◆
それから一週間がたった頃、ロイの手元には分厚い上質で真っ白な封筒が握られていた。
真紅の蝋の印章が刻印されたブラウン家からの正式な封筒だった。
父親の収監されている刑務所に向かったロイとスチュワートとジャンは所長のところに再び戻って来た。
所長は首をかしげながら三人を馬鹿にした様子で見た。
何週間か前に追い払ったやから達だ。
しかし、スチュアートが封筒の中身を彼に渡すと態度が急に変った。何度も見ては確認する。どこかに電話を入れてこの書類が正式な物なのかを厳重に確認しているようだった。
そして、所長は改めて三人を観察した。大公直筆の面会許可証をどうやって手に入れたのか探っているようだった。所長にはどんなに考えても全く分からなかった。それに、大公の許可はなかなか下りないことで有名だ。
こんなに短時間でいったいどうして?
許可が下り、囚人に会うことが可能となった。
しかし面会時間は刑務所の規則で午後の三時からだという事を説明され、それまで廊下で待機する事になった。
三時までは五時間あった。その時間は十年にも百年にも感じられた。
ロイはジャスミンが近くに居るかもしれないと思うと胸が締め付けられて食欲がわかなかった。
カナダを出発したあの時から、ずっと呼吸が浅い。緊張しているのだ。
彼女を見つけたい一心でここまで来た。しかし、いざ彼女に会えると思うと色々な事が思い浮かんだ。
彼女が今も生きているのか、独身でいるのか、俺の事を覚えているのか、気持ちを伝えて受け入れてもらえるのか、一切分からなかった。
五年は長い歳月だった。この地で他の男と出会い結婚していてもおかしくない。子供が居るかもしれない。それを見て諦められるのか?全てが不安だった。
でも今も、この瞬間も五年前と何も変らないのは彼女を誰よりも愛していて「会いたい」と言うことだった。ロイは様々な憶測を考えるのを止めて彼女に会えることに意識を集中した。
三時になってもすぐには会えなかった。
しばらく面会場で待たされた。そして更に五十分ほど待った時だった。
二人の前に水色のつなぎの囚人服を着た父親が現れた。五年前に会った時よりずっと老けていて痩せたように見えた。彼はあの時と同じように車椅子に乗って現れた。
ロイは彼を見て本人である事を確信した。あの冷たい目つきは今も変らない。
車椅子は看守に押され、ブレーキを踏まれて机の前で止められた。
「時間は十分だけだ」
そう言われた。
父親はロイを見た瞬間、口元を歪めて言った。
「・・・・あの時、家の前を通り掛かった男だな」
ロイは彼の言っている事がすぐに分かった。父親はロイの顔をちゃんと覚えていた。
ロイは父親の事を見つめて冷静を装って静かに言った。
「ええ、今日もこの監獄の前を通り掛かったんです」
父親がロイの発言を聞いて歯を見せずに鼻で笑った。
「ジャスミンはどうしていますか?会わせて下さい」
ロイは全身に汗をかいていた。緊張の一瞬だった。
父親はロイの澄んだ目をじっと見つめていた。何かを頭の中で考えているようだった。
「彼女をなぜ探してる?」
ロイは父親から目を離さず真っ直ぐ彼の目を真剣に見つめて答えた。
「愛しています」
父親はロイをじっくり時間を掛けて観察すると何度も何度も彼の瞳を見つめては目を細め、しきりに何かを考えているようだった。
ロイにしてみればその時間が永遠とも感じられる。
本当はこの男に飛び掛って「ジャスミンはどこに居るんだ!早く言え!」と叫びたかった。
「お前は・・・・・五年前のカナダからやって来たんだな。彼女を探しにか・・・・」
父親は両肘を机について指を組んだままじっと宙を見つめている。
そして強い瞳でロイを見た。
「・・・どうやら、その気持ちは嘘じゃないらしい」
ロイは静かに父親の言動を見守った。
「彼女はとても不幸な娘だ」
「生きているんですね?」
父親は頷いた。ロイは心臓から重い石が取り去られた様に感じた。
「良かった!・・・ああ・・・・・本当に良かった・・・・・」
ロイは彼女が生きている事を知って心底ほっとした。
握り締めて爪の痕がついた拳をようやく緩めた。
「彼女に会わせて下さい」
「お前に、彼女が救えるか?」
「・・・?」
「幸せになど出来るのか?囚人となった俺の事を今も心配し、心を痛めながら小さなボロ家で暮らしている。若いのに好きな事も出来ず、父親に縛られているんだ。俺のことは忘れろと言っても彼女はそれを許さない」
父親は黙ったまま彼を見つめ、まだ何かを考えているようだった。
早く居場所を教えてくれ・・・・頼む。ロイは必死で祈った。
長い時間考える父親に看守が近づいた。
「時間だ」
「!待ってくれ!お願いです。彼女に一目会わせてください!ずっとこの五年間、何もかもを捨てて彼女の事だけを探して来ました!お願いです!」
ロイは乗り出して言った。
父親は連れて行かれる中、最後につぶやいた。
「もう一度、・・・孫たちに会いたい」
そう言うと看守がやって来て車椅子を引き離し外へ連れ出そうとした。
孫たち・・・・・
ロイは慌てて聞いた。
「彼女の旦那は?」
「ふんっ!世界一の馬鹿でロクデなしだ!」
父親はロイに吐き捨てるようにそう言った。怒りに満ちたような視線だった。
そして扉が閉まる瞬間、地名と番地を簡単に言った。
「行ってみろ」
父親はロイの目を見て無表情に消えた。
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