第203話 『会いたい』

 ある晴れた日だった。ロイは実家の雪かきをしながらエイチの事を考えていた。


 あいつ、なんであの男に殴らせたんだろう。何か他の事を考えていたのか?

 エイチは昔から運動神経が極端に良かった。シルト・ブラウンと一緒に数々のイタズラを繰り返し、見つかる前に笑いながら逃げて行ったな。捕まえるのに苦労した。エイチは背中に目でもあるんじゃないかと思うぐらい視野が広くて勘が良い。それに、全ての動きに俊敏に対応できる。考えなくても体が動くみたいだ。試合中良くそう感じた。

 ゴールへの執着が激しくて、究極の負けず嫌いだ。転ばされても直ぐに体勢を立て直してゴールを目指す。とにかくゴールするまで諦めない。子供にしては珍しい程ガッツがあった。 

 気が荒くて暴力的だったのにホッケーには真面目だった。

 

 ・・・・エイチ、そんなお前があんな風に真正面から切りつけてくる男から逃げないなんておかしいぞ。いつものお前ならあんな攻撃左で交わして、直ぐに右ストレートでKOしていたろ?

 もしかして、殴られれば何かがあると思ったのか?

 それが何かは分からない。でも、分かるんだ。

 俺はジャスミンの事を試合中も考えるようになって、ついにはNHLを辞めた。

 そしてそれを今も後悔して無い。

 ジャスミンは俺の助けを待ってるはずだ。どこに居るのかも、誰と一緒に住んでいるのかも知らない。でも、彼女が待っているような気がしてならない。

 弟は人を愛する事ができない。いつまでも冷たい瞳をして・・・・・どうか、幸せになって欲しい。誰かに愛される喜びを知って、愛する事を学んで欲しい。

 マリアンヌにはあいつに見合う良い子を紹介してやってくれと頼んでる。

 だから女と全く出会いが無いわけではない。適当に遊んでるみたいでメディアの取り上げ方も派手だ。その内の誰か一人でも彼の事を分かって、彼の事を本気で愛してくれる女は居ないんだろうか・・・・


 本当は、あの子・・・そう、マチみたいなまともな子がエイチの傍に居てくれたら良いのに。でも高校を卒業して接点がなくなってしまった。それにエイチには全く似合わない地味で大人しい感じの子だったな。

 エイチは彼女の事を嫌っていなかった。目を見ていたら分かる。でも彼女の方はエイチの事を恐い目で見て、どうしようもない男だと呆れてた。それに、話を聞く限りあいつに相当の事をされている。夜中に寮の部屋に侵入されて出て行けと首を絞められたとか、折れたスティックの端でマネージャーになってみろと脅されたとか。どれもこれも嫌われて当然だ。あいつが悪い。いくら謝っても昔つけた傷は消えないし、なかなか許されるもんじゃない。今更好きになんてなってもらえないな。まず無理だ。

 それに、エイチは謝れない男だ。悪いと思えないから謝れないのか、悪いと分かっていても謝りたくないのか。


 ロイは重い雪を全て退けて玄関を奇麗にした。そして、シャワーを浴びると出かける準備に取り掛かった。

 弁護士のスチュアートから今度はスロベニアの入国手続きが完了したと昨晩連絡があった。今日の午後、トロントから出国して、オーストリアを経由してスロベニアに入国する。

 スチュアートがそこで待っているはずだ。


 五年前、NHLを退団して捜索を本格的に開始しようと思った時、有能な弁護士がどうしても必要だった。各国の特にヨーロッパの法律に強い優秀な若い体力がある弁護士を雇う必要があった。当時個人マネージャーをしていたマリアンヌに相談したところ人伝手に彼を直ぐに紹介してくれた。一目会ってすぐに気に入った。彼はとても真面目な男だった。拠点をアメリカに置きながらヨーロッパでの裁判をいくつもこなす国際的な弁護士だった。

 根元がグレーのブロンドの短髪に目がブラウンで誠実そうな顔をしていた。

 初めて会った時、俺がNHLを辞めた本当の理由を聞いて、彼は驚いていた。

 そしてしばらく考えてこう言った。

「ロイ、僕は君の大ファンだった。忙しい中でも必ず君の出る試合は録画して観てた。憧れていたからだよ。喜んで力を貸すよ。この案件に関しては何としても早い時期に動き出すことが大切だ。報酬は出来高制にしよう。経費は君が持つとして、報酬はジャスミンを見つけた時に支払ってくれ。見つからなかったら要らない。どうだい?」

 あの頃はこの先何年も見つからないだなんて二人とも思ってなかった。一刻も早くジャスミンに会いたい一心で急いで探し始めた。

なんの痕跡も無くジャスミンは消えてしまった。ヨーロッパのどこかの国にいることしか分からない。どれ程大変な事になるかなんて二人はちゃんと想像していなかった。


 一年が過ぎ二人は気が付いた。これは途方も無い旅の「始まり」に過ぎないと。

「スチューアート、俺達は甘かったのかもしれない。直ぐに見つけられるような気がしていた。でも、一年捜してみて思った。ヨーロッパは果てしなく広い。そして数え切れないほどの国が密集してる。その上、各国に独自の法律が存在して、情報を提供してもらうには途方も無い時間と手間が掛かる。ジャスミンには会いたい。だから俺は一生を掛けても彼女を捜す。でも、君をこれ以上巻き添えには出来ない。報酬も見つかったら払う事になっているけど、このままではいつ払えるのか分からない。一年間長かった。君には身を粉にして働き続けてもらってヨーロッパ中を旅させてる。何か国語も操つるポリグロットで、各国の法律にも詳しい君の他にこの役目を担う事ができる男を知らない。でも、君にも自由な人生がある。これ以上拘束なんてできないよ。俺には分からないが、法曹界にだって大切なキャリアもあるだろ?一介の俺なんかに手を貸している暇なんて本当は無いはずだ。今までありがとう。これからも友達のままで居て欲しい」

 そんな事をスチュアートに話した。彼は静かな男だったが情熱があった。

「ロイ、これはもう君一人の問題じゃないんだ。僕もジャスミンを見つけたい。もう、今更金の事なんてどうでもいいさ。NHLは君にとって小さい頃からの夢だったはずだ。それを諦めてまで捜すなんて物凄い情熱だよ。僕はもうその話を聞いてからすっかり感動してまって君のとりこになったんだ。何としてもジャスミンを見つけよう。これは僕の戦いでもあるよ。自分の能力がどこまで通用するのか確かめたい。だから続けさせてくれないか?まぁ、僕の能力が低いから見つからないと思っていて、どうしても解雇したいんだったら別だけど」

 スチュワートは笑ってロイにそんな事を話した。今から四年前の出来事だ。

 あれからずっと捜してる。

 スチュワートは本当に良く働いてくれて、俺に出来ない複雑な手続きをする為に一年中、あちこちを飛び回ってくれている。現地で収集した情報をスチュアートが送り、それを俺が自宅を拠点に捜索する。準備が整う度にトロントを出国して現地へ向かい二人でその国の領事館と警察署、刑務所を訪ねては探偵を雇って情報を収集した。

 二年前には七ヶ月ほどベルギーにアパートを借りてそこに住んで捜索した事もある。でもやっぱり見つからなかった。

 長い長い永遠に続く旅なんだ・・・・・


 ロイはそんな過酷な旅に彼を巻き添えにしてる事を申し訳ないと思いながら、何度申し出ても全く受け取らない報酬の事も気になった。

 捜索に掛かる全経費はロイが支払っている。しかし、もう五年も経つのに一切報酬を受け取らない。彼がいくら有能な弁護士だったとしてもロイとは六歳しか違わず、出会った時彼はまだ二十代後半だった。弁護士の報酬が多額だったとしてもNHLの人気選手には叶わない。貯蓄がロイほどあるとは考えにくい。

「ロイ、いい加減にしてくれ。金が無くなったら君に言うからそれまでそんな心配しないでくれよ。それに、彼女が見つかったら本当に報酬を請求するから覚悟しろよ?直ぐにNHLに復帰して稼ぎ始めないと払いきれない程だからな?」

 そんな事を言いながらはぐらかされてしまう。スチュアートは本当に良い奴だった。二人は同じ道を歩む旅人であり、険しい山を一緒に登る仲間であり、家族であり、兄弟であった。

「スチュアート、俺のせいで良い子に出会う機会が全然無いな。このままだと婚期が遅れるぞ」

「気にするな。お前がNHLに復帰したら可愛い子を沢山紹介してくれればそれで良い。期待してるよ」

 二人は知らない国の役所の暗い細い廊下に立ったまま、そんな話を小声でしながら二時間も三時間も、あるいは半日以上情報を貰うのに待たされる事が普通だった。そんな事がしょっちゅうだった。食べ慣れない固いパンをかじりながら急いで隣の国へ移動した。ヨーロッパはカナダともアメリカとも時間の感覚が違う。人を待たせるという概念が無いんじゃないかと思うほどの国も多い。でもジャスミンのために辛抱しなくてはならない。欲しい情報を得るためならこれぐらいなんとも無い。

 そう自分に言い聞かせながら五年も捜索が続いている。

 本当は二人ともボロボロだった。泣きたくても泣かない。泣いていても見つからないからだ。

 ロイは扱いなれた旅の支度を整えると、電話を見た。今まで出発前に一度もした事が無かったが、電話を掛けた。

 練習の合間だったのか昼休みだったからか、エイチは兄の電話に出た。

「エイチ、肩の怪我は大丈夫か?」

『・・・それで?』

 エイチは勘が良い。他の事を話そうとしているのが直ぐに分かったんだろう。

「・・・二ヶ月間、スロベニアに彼女を捜しに行って来る。今日、トロントを出国するよ」

 ロイは弟の返事を待った。

 ジャスミンとの真相を弟に話した。それを聞いてエイチがどんな風に思っているのか知りたかった。エイチの沈黙が長い。

 随分と時間を置いて、エイチが言った。

『・・・・見つかると良いな』

 ロイは嬉しかった。エイチが始めて自分の事を応援してくれた。それだけで感動的だった。思わず目頭が熱くなり涙が滲んだ。

「エイチ、有難う!愛してるよ」

 ロイは電話を切ると深呼吸した。『もうお前なんて兄弟でも何でもない』と言った弟がまた自分を兄だと思ってくれた証拠だった。

 一階に下りて父に言った。

「また自宅を二ヶ月ほど離れるよ。父さん、玄関の雪かきを忘れないで。もう年だから、仕事も無理しないで」

 ハグをしてロイは車に乗った。玄関には父が息子の成功を祈るようにじっといつまでも見つめていた。

 トロントの冬の道が空港まで続く。この道も何度通っているだろう。

 ロイが空港に着いて、スロベニア行きの飛行機をロビーで待っていた時だった。

 スチュアートから突然着信があった。国際電話だった。

『大変だ!ロイ!直ぐに行き先を変えろ!』

 スチュアートからの緊急連絡だった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る