第202話 『イワンの告白』
マリアンヌは玄関にやって来た来客を見てそれがイワンだと分かると露骨に嫌そうな顔をした。急に気分を害した。
この男は・・・・エイチの次に私に失礼な男よ。
「何しに来たの?」
腰に手を置いて怒る様に言う。
イワンは玄関先で立ったまま扉にもたれかかって何も言わなかった。じっと目の前の彼女を見ている。
マリアンヌは鋭い視線を彼に送ると
「酔ってるの?」と聞いた。
「そうかもな」
彼は酒を飲んでいなかったがそう言った。
「帰って頂戴。なんなの?もう夜中でしょ?失礼よ!」
イワンはそんな彼女の言葉も気にせず、後ろ手に持っていた花束をマリアンヌの目の前に見せた。
「!」
彼女は困惑して彼の顔を凝視した。イワンは真面目な顔をしてこっちを見てる。
「な・・・なんのつもり?」
気の強いマリアンヌの心が花束を見て不覚にも揺れた。
知らぬ間に物凄く近くにイワンが立っている。
マリアンヌはイワンを見上げた。イワンも背が高い。濃いブラウンの髪に眉がくっきりしていてグレーの瞳が濃いまつげに囲まれて目元がとてもセクシーな男だった。
中から覗く瞳は強い光を発している。気が荒くて強情なところがあるが、情に厚く面倒見の良い男だった。若い選手を懸命に育て仲間にも慕われている。ロイとは親友で、彼はイワンと一緒に飲んだ帰りにジャスミンと出会った。
イワンはマリアンヌを真っ直ぐに見つめ、その強い視線で彼女を金縛りに掛ける様に止めた。
「変よ、イワン・・・何なの?やめて頂戴」
目が据わってるわ・・・・何なの?
心臓がさっきから鳴り止まない。どうしようもなく動揺してしまう。
しゃきっとして跳ね除ける準備をしなきゃいけないのに。
「酔っ払いの面倒なんて見たくないわ。帰って・・・・」
彼の胸に手を置いて玄関の外に出るように強く押した。
しかし、そんな事で目の前の男が動くはずが無かった。イワンはマリアンヌの手首を取って更に顔を近づけた。
ビックリして思わず壁に頭をぶつけた。それほど彼女は壁に追いやられていた。
「酒なんて飲んでないよ」
確かに・・・。彼がこんなに接近してるのにお酒の匂いが全くしない。酒臭くない。むしろ清潔な男の香りがする。じゃあ、なんでこんなおかしな行動を・・・・?
マリアンヌは不覚にも彼の前で少女の様に真っ赤になってしまった。
「や・・・やめてちょうだい、イワンお願い」
イワンは片方の手を彼女の顔の真横に付き、もう一つの手では花束を持っていた。
「花を受け取ってくれよ。顔が知れてて恥かしかったのに花屋に寄って自分で買った」
マリアンヌは胸が高鳴って何も言えなくなくなってしまった。
目の前の花束は彼女が大好きな花だった。薄い紫のトルコキキョウの花束だった。他の花は入って無い。コーヒーの砂糖と同じように、自分が大好きな花が知られていて胸が痛む。心臓を鷲掴みにされて、彼の思うように鼓動を操作されてしまっているような感じがした。
相変わらず目の前のイワンの瞳は強い、優しい瞳じゃない。男らしい熱い瞳だわ。
マリアンヌは上手く呼吸できずに彼の事を見た。止めようとしても止められないほど震えてしまっている手で、花束をそっと受け取った。イワンの顔が間近にある。もう鼻と鼻がくっついてしまうほどに。
イワンは突然マリアンヌの腰に腕を回し、そのまま力任せに玄関のフローリングの上に倒した。
「きゃあああああああ!」
マリーが叫び、慌ててもがいた。
でも、無駄だった。巨体の彼女でも彼の鍛え上げられた男の力には敵わない。
「マリー、もういい加減に諦めただろ?俺の気持ちを知っているはずだ。ロイは今もジャスミンを追ってる。彼女の事しか頭に無い。きっとこれからもそうだ。ロイを諦めて俺とつきあってくれ」
マリアンヌは真っ赤になって全身に汗をかいた。自分より大きな男にこんな風に組み敷かれながら告白を受けるなんて信じられない事だった。イワンは興奮してる。鼻息が荒い。マリーは心の中で不思議な自分と話していた。
こんなに失礼な事をされているのに、そんなに嫌じゃない・・・・そう思った。
目の前の男を好きになってる自分がいる。断るべきなのに出来ない・・・。
コーヒーの時もドキドキした。今もトルコキキョウの花束を貰って物凄く心を掴まれた。
マリアンヌは小さい声で懸命に答えた。
「・・・・・考えてみるわ」とかすれた声で返事した。
それを聞いたイワンは倒れている彼女を起こした。
そして、なんといきなりマリアンヌを抱えて持ち上げた。そして、そのまま二階へ階段を登り始めた。階段がきしむ。
「イワン!ちょっと!何するの!やめなさい!骨が折れるわよ!」
マリアンヌの叫び声が聞こえる。
電話の向こうではエイチが悪態を付いて叫んでいた。
「ちくしょう!なんで電話を二階に持って行かないんだよ!続きが聞こえないじゃないか!」
最高に面白い出来事を全部聞いた。
エイチは久々に面白くて声に出して一人悪魔の様に笑った。
なんて笑える話なんだ!あのイワンが!彼女に花束を持って告白しに来るなんて!
「あははははは!」
思い切り馬鹿にして笑う。
やっぱりイワンは彼女の事が昔から好きだったんだな。変な目つきで彼女を見てた。
エイチは何も聞こえなくなった電話の電源を切って放ると、再び込み上げる笑いでご機嫌になった。
あいつ・・・どうやってあの巨体を運んだんだろう。肩に担いで?それとも前に抱いて?
しかも、二階へ連れて行くなんて二人は今頃・・・・・
想像するだけでも悪寒がするな!
「ああ!笑える!」
明日、どうやってイワンをからかおうか・・・
エイチの目が輝きを増してブルーに光った。
◆
翌日、練習がありロッカーで全員が着替えていた。
エイチがおもむろにイワンの横に立って耳元に何かをささやいた。すると、それを聞いたイワンが真っ赤になってブチ切れた。
廊下を物凄いスピードでエイチが走る。
「まさか、あんなに怒るなんて!」
大笑いしながら後方を見た。イワンも負けずに追いかけてくる。大人のやることじゃない。
「誰か俺に銃をよこせ!あのクソガキを殺してやる!」
廊下にイワンの雄叫びがこだまする。
何も知らずに入り口から入って来たマリアンヌはビックリしてのけぞった。
エイチが猛スピードで目の前の廊下を走り去り、その後ろを顔を真っ赤にして怒り狂うイワンが追いかけてる。物凄く怒っている。
「ちょっと!どうしたの!なんなの!私のクライアントに何する気?」
「うるさい!殺してやる!」
イワンはマリーの姿を見てさらに激昂した。
二人の事を盗み聞きされていたなんて!
もう怒りを止められなかった。
随分時間が経って、チームメイトがかろうじてイワンをベンチの椅子に座らせた。全員でキャプテンをなだめたが無理だった。誰も理由は知らない。
イワンは怒り心頭で、裸の上半身も湯気が上がりそうなほど真っ赤になっていた。
「マリアンヌ!あの野郎をここへ引っ張って来い!俺がこの手で気が済むまで殴ってやる!」
「一体、どうしてそんなに怒ってるわけ?」
マリアンヌが汗を流しながら聞いた。
昨日のイワンとは別人だった。イワンは困ったように彼女を見ると、怒りが再び腹の底から沸いてきたようで、
「うるさい!絶対に許さないからな!」
ここに居ないエイチに向かって叫んだ。
ロッカールームに男の怒声が響き渡った。
マリアンヌは猛烈に怒っていたイワンとご機嫌なエイチを見比べて何が起きたのかとても不思議に思った。
昨晩の事を思い出すと本当はイワンと顔を合わせたくなかった。
ため息をつきながら朝来たらいきなりこんな事態になっていて、大騒ぎの中練習が始まった。
少し気が楽になった。
イワンは無理やり私を抱えて二階に上がった。プレイボーイで有名な男と分かっていたからこれから私も襲われてしまうんじゃないかとドキドキして恐くなった。
でも、彼は私をベットルームまで運んでベットに寝せると、私の事をじっと見て、
「マリー、俺は本気だよ。だから強引なマネはしない。お休み」
そう言って私の頬に軽くキスして帰ってしまった。
そのまましばらく動けなくなってしまった。階下で玄関が閉まる音が鳴り、続けて車のエンジン音が聞こえ、彼が去って行くのが分かった。
何もされなかった。その事がまた私の心をドキドキさせた。
イワンが遊び人だって知ってる。沢山の女とつきあって、その女達の誰もが美人で、胸とお尻が大きい豊満な体つきなのも理解してる。彼はそう言う女が好きなのよ。別にそれで良いわ。
昔ロイについていた頃、彼に近寄られ食事に誘われて侮辱されたような気がした。太っていて裏方で働いてる私にまで声を掛けてきて、なんてろくでも無い遊び人なのかしら、と不愉快だった。
だから、面白半分でからかわれる度に冷たい態度で払いのけて、ボディーガードを雇ってみせた事もあった。
全部、嫌がらせや気まぐれ、面白いからやってるだけだと思ってたのに。
エイチを待ってる病室でコーヒーの好みを知られていて動揺してしまった。
私がミルクを入れないで砂糖を二かけら入れて飲むのを習慣にしているなんて誰も知らないと思う。コーヒーを飲みながら何度もミーティングを重ねたロイでさえ、そんなこと気にもして無いと思うのに・・・・・その上、あの花束を見て衝撃を受けてしまった。
紫のトルコキキョウは私の一番好きな花で、ロイについて行くパーティーの会場や、高級なホテルのメインロビーに飾られた派手なアレンジメントに、いつもこの花を探して見つけると嬉しくて触ったりしていた。きっとそれを見られていたんだわ。
コーヒーにしても、トルコキキョウにしても・・・・・見てないと知ることが出来ない情報よね?誰かの好みを知るのは興味を持たない限り難しい事よね・・・・?
どうしよう。私はイワンにすっかり心を掴まれてしまっている。
女好きで、若い頃から良い噂があまり無い。今は大分落ち着いて、週刊誌が取り上げるのがエイチの事ばかりで彼のスキャンダルは取りだたされない。
プライベートで何をしてるのか知らないわ。でも、明らかに私なんておかしい。私だって昔はモテた。運動も出来て、校内でも成績が良く痩せていたもの。でも今は違う。私にはもう魅力なんて無いと分かっている。それなのに、どうして・・・
ロイのもとを離れて五年が経った。あの頃、私に冷たく払われた事を今でも根に持っているのかもしれない。何でも自分の物に出来たのに自尊心が傷ついたのよきっと。それで私からYeSと言われるまで挑戦しているだけだわ。きっと、そう。本気なんかじゃない。
私はもう子供じゃないし、ティーンエイジャーでも無い。恋をしたのなんて大昔の事で今更どうすれば良いのかなんて分からない。やっぱり、断ろう。
イワン、あなたは私の事なんて好きじゃないわ。私が好かれる理由が分からない。それに付き合ったりしたら直ぐに想像できる。他の子たちと同じようにあっという間に飽きられて捨てられる。
そんなの嫌よ・・・嫌なの。凄く恐いわ。
マリアンヌは片付けなくてはいけない仕事が山積みなのに、昨晩の事が何度も頭を霞めて集中できずにため息をついた。
断ろう・・・大人らしく、彼を傷つけないように・・・
いいえ、自分が傷つかないで済むようにの間違いね。
「はぁ・・・・」
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