第201話 『後悔』

 彼の怪我の事件が沈静化して数日が経った時だった。

 ホームアリーナで練習中のエイチは繰り返される単調な反復練習に集中力を欠いていた。あの日の後悔が新しい。


 どうして、意識が朦朧とする中マチのところに行って、あんなみっともない話をしてしまったんだろう。しかも、肩を借りて泣くなんて・・・・・最低最悪の事態だ。

 マチは俺が話している間、一言も口を挟まずに全部聞いた。そして、その後も何も言わなかった。ずっと俺の傍いて、聞き終えたとき俺のこめかみにキスをした。その行為が温かく傷が癒えた気がした。マチはちゃんと分かってる。人が受けた傷は受けた者にしかその痛みが分からない事を。適当な感想も、慰めの言葉も傷口に効かないことを知っている。だから何も言わないで俺を手当した。

 あの日の俺には彼女の手が必要だった・・

でも・・・・・・でも・・・・・

 恥ずかしくてもうマチに会えない!

 自分にうんざりする・・・・


 本当にあの日は頭がおかしくてどうかしてたんだ・・・あれは俺じゃない。

 これからマチに会う機会があるんだろうか?もしあるならその度に恥ずかしい気持ちになると思う。

 彼女の方から距離を取られたのが嫌で悩んでた。しかも、前回会った時はマチは病院のベットで眠ってた。バスの事故だったからだ。最後に顔を合わせて交わした言葉は思い出してみると

「お前になんて二度と連絡しない。二度と会わない!俺の前に二度とその顔を見せるな!」だった。

 そんな事を叫んでおいてなんでここに来たんだろうと不審がられただろうな?

 バスの事故で助けたのはあれは緊急事態だから仕方ない。今回は俺が緊急事態だったから「仕方なく」なのか?これで引き分けだな。こう言う事は勝負じゃない。それに別に負けてるわけじゃない。

 でも・・・・

「ああああああ!」

 エイチはいきなりスティックを放るとリンクに四つん這いになって叫んだ。

 それを遠くで見たイワンが近づいてくる。

「お前・・・・大丈夫か?」

「大丈夫じゃない!」

「前からおかしな野郎だと思ってたけど、ついに頭がいかれたのか?今朝会った時は元気そうだったろ?それなのに今は氷に向かって叫んでる。どうしてそうコロコロ精神状態が変わるんだ?一度精神科に診て貰ったらどうなんだ?」

 エイチはスティックを杖代わりにして立ち上がった。

「俺は精神病じゃないって言ってるだろ!色々な事が立て続けに起ってるだけだ!」

「前にも誰かにそう言われた事があるのか?」

 イワンはそう言って納得するかのように頷いた。

「だろうな」

 イワンはそのままバックでスケーティングして練習に戻って行った。



 元気になった。あの大怪我をするまでのエイチとは別人の様だ。あの行方不明になった晩に何があったんだろう。

 マリアンヌは医者に「軍医にでも診せに行ったのか?」と聞かれたと言っていた。なんなんだろう。エイチは本心を言わないから分からない。

 チームメイトにこんなに心配を掛けておいて一体何があったのか全て話すんだ!とすごんでも彼には一切効かなかった。

 仕方が無い奴だ。まぁ、元気そうだから良い。少しは眠れるようになったみたいだ。顔色がすごく良い。

 今度あいつが夜中に走ってるのを見たら力ずくで止めさせよう。選手として間違っている。どんな時も試合の為に体力は温存すべきだ。

 イワンはそう思いながらゴールキーパーに向かって150キロのシュートを叩き出した。



 今日は遠征と遠征の合間でチームメイトはホームアリーナで午前と午後に分けて調整をして早目に解散になった。仲間達は誘い合わせて食事に出かけた。スタッフやチーム関係者も数名誘われて大勢で飲みに行く。

 エイチは体調が完璧に良くなった。

 マチに抱きついて眠って以来、不思議と不眠症が解消された。今のところ、夜中に目が覚めたまま寝れなくなって不快な思いをする事が一度も無い。

 ロイの状況は変ってないのにマチに「あの事」を話しただけでこんなに違うものなんだろうかと思う。毎日ちゃんと寝れるからなのか、健康そのもので身体が軽い。前にも増して元気になった気がする。

 エイチはイワンとご機嫌に話しながら店に向かった。

 豪快な男達が大勢で飲みに行くのだから賑やかで楽しい場だった。珍しく仕事が後につまっていなかったエイチもイワンに肩を組まれてついて行く。

 多くの仲間は自分よりずっと年下のエイチを、自分よりも若いと感じることが出来なかった。いつもキャプテンのイワンが可愛がってつるんでいるからじゃない。

 何故かつい遠慮してしまう。普通の下っ端の新人には「先輩を敬え」とか「先輩が優先だろ?」などと言えるがエイチには出来ない。ロイ・ハンドクルーの弟だからではなく、エイチが放つ凶暴なオーラが強すぎて、下手にうわてに出れない。もし、彼が「喉が渇いた」と言い出したら、誰かが平気で飲み物を買いに行ってやりそうな気がする。まだ十代だなんて信じられない!

 ホッケーが異様に出来て、あのルックスに体力。

 前世は何かの戦士だったんじゃないだろうか?暗殺専門だったとか、馬に乗ると誰よりも早く走れたとか、弓が上手くて外れる事が無かったとか、中世の剣の手練だったとか・・とにかく遠慮なく誰でも彼でも殺して来たようなそんな感じがする男だな。

 仲間達はエイチの後姿を見ながら駐車場へ進んだ。



 レストランでの食事は盛り上がり、楽しく終わった。あっと言う間に夜が来て、気が付けば夜の十時半になっていた。全員が解散になってそれぞれが家に戻っていく。

 

 エイチはマリアンヌを自分の車で彼女の自宅まで送り、その後自分の家に帰った。

 マリアンヌの家はトロントの市街地からとても近い便利な場所にある。一人なのに一軒家を彼女は借りている。実家はアメリカにあると聞いたことがあった。エイチのマネージャーに就く事が決まってトロントに家を借りたのだ。

 一見、普通の家だったが中に掛かっているカーテンがエイチは好きじゃなかった。ドレープの付いた白いレースのカーテンが見えた。ロマンチックな演出でもしたいのか?なんてうっとおしいんだ。と思った。彼女の家の中を想像するとゾッとした。あちこちにレースの刺繍かなんかが置いてあるんだろうか?気持ち悪い。

 彼女の良い所は、そんな少女趣味を他の誰にも押し付けないところだな。俺の家も彼女に任せているがレースが付いた物は一切無い。車のセンスも良い。俺が希望するものが良く分かっていて適当なものを選んで提案してくる。デザイナーやコーディネーターを駆使してやっているんだろう。まぁ、ここはお前の家だ、好きにすればいい。

 エイチはそんな事を考えて彼女を降ろすと自宅へ車を発進させた。


 今日は身体を大きく動かしたから気分が良かった。これから一時間ぐらいジョギングに出ても良いかもしれない。空気が冷えていて気持ちが良さそうだ。エイチは車の中から星空を見上げた。


 エイチが自宅にたどり着いて服を脱ぎ、ジョギングウェアに着替えている時だった。マリアンヌから電話が来た。

 さっきまで一緒にいただろうが!なんなんだ!いきなりムカついて出るなり言った。

「何を言い忘れたんだよ!」

『ひどい言い様ね。家に着いて落ち着いてPCを開けたら面白い仕事が入ってたから電話したのよ』

「面白い仕事?」

『ええ。スポーツ用品の有名なメーカーからよ。あなたの実寸代のマネキンを造りたいんですって。全店舗に並べたいらしいの。だから、全裸の型を取らせて欲しいって。っ!』

「・・・・馬鹿にしてるのか?今笑ったな?」

 直ぐに意地悪な発想が思いつく。

「いい事を思いついたぞ。俺の型じゃなくてお前のにしろよ。全店舗に置いて『こんな体にはなりたくない』って書いて置けば良い。ジョギングシューズとか、筋トレのグッズが飛ぶ様に売れるはずだ。いいか?そんなくだらない仕事を入れてみろ?その肥えた体をゴール前に縛って、160キロでパックを連打してやるからな!」

『・・・あなたってどうしてそんなひどい事が直ぐに頭に浮かぶのかしらね。まぁ、そんな暴言が出てくるくらいだから元気になった証拠ね。話したい事はそんな事じゃないのよ。実は、さっきオーナーから招待状が届いていて再来月の中旬にパーティーに出なきゃいけなくなったの。それを話しておきたくて』

「別に適当にスケジュールに入れておけば良いだろ。なんで今回に限ってそんな事を聞いてくる?今まで何回もパーティーなんてあっただろ?」

 エイチが不審そうにマリアンヌに聞いた。

『パーティーには相手が必要でしょ?毎回私が用意してるわよね。モデルのかわいい子とか、女優とか・・・・』

「は?言っている意味が分からない。とっとと用件を言えよ」

『もう、どうしてそんなに短気なの?つまり、つまりよ、あなたが誘いたい女の子はいないのかって聞いてるのよ』

「?」

 何で急にそんな事を言い出したんだ?

 エイチは警戒モードに入った。おかしい。最近なにかあっただろうか?肩を打たれてマチに会いに行ったのは多分ばれてない。ばれていたらもっと直接探りを入れてくるはずだ。

『別に居ないなら、また私が適当な奇麗な子を探しておくけど・・・』

 マリアンヌは尻尾を出さないエイチの事を不満に思った。

 あの子の写真を財布に入れてるのは何故なの?すごく知りたいわ。好きじゃないみたいだったし・・・なんで?

 そう簡単に聞き出せそうに無いわね。物凄くいわくつきの写真だったりして。やっぱり何かの切り札なの?ロマンチックな理由で持ち歩いていて欲しいのに。


「連れて行きたい女なんて居ない。隣に誰がいようと関係ない。仕事だと割り切って、時間が経つのをひたすら待つだけだ。横にどんな女が来ても褒めないからな」

『分かったわ。じゃあ、捜しておくわ。今回はメーカーの社長令嬢なんてどうかしら?』

「そんなくだらない話を何で長々話すんだ。時間が無駄だ」

 エイチがそんな事をイライラしながら言うと受話器の向こうでチャイムが鳴ったのが聞こえた。マリアンヌの家に誰かが来たのだ。

「・・・・?」

『あら、誰か来たわ。切るわね。それじゃあ、また明日』

「おい・・・こんな夜中に誰だよ?」

 出て大丈夫なのか?

 エイチはそんな事をふと思って時計を見た。

 もう十一時だった。

 近所の誰かが留守中の預かり物でも届けに来たのかもな。と思いながら携帯の電源を切ろうとした。しかし、マリアンヌが切ボタンを押し損ねていたのか、向こうとはまだ繋がっていた。

 エイチはなんとなく誰が来たのか気になって、電話を耳に戻し聞こえてくる声に耳を澄ました。

 マリアンヌが玄関に向かう足音がかすかに聞こえ「今出ます!」と大きな声で言っているのが分かった。

 鍵を開ける音がしてドアが開いた音がした。

『・・・・はっ!』

 彼女が相手を見てビックリしたように息を呑む声がする。

 エイチは思わず立ち上がった。即座に左手で車のキーを掴む。

 まずい事にならないと良い・・・。まさか強盗?なんで彼女の家に?誰だ?誰が来たんだ?

『・・・イワン!』

 は?

 なんだって?

 イワン?あいつが?・・・・・彼女の家に?何をしに?

「・・・・・・・・」

 エイチはしばらく考えると車のキーをソファーに投げた。

 そして急に危険がなくなったと知ってソファーにドカリと座った。

 顔がいきなり面白そうに歪む。よからぬ想像が頭を占める。耳に意識を集中する。

 あっという間にイタズラな心に火がついて人としての「デリカシー」がどこかへ行ってしまった。

 耳を澄まして何が起こるのかワクワクしながら聞き入る。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る