第188話 『兄を助けたい』①

 それから遠征と試合が立て続けに続いてあっという間に月日が過ぎた。

 紅葉が終わり木々はすっかり葉を落とし、細い枝がシルエットの様に浮かび上がって静かに冬の到来を告げようとしていた。

 

 ホッケーの試合はどんどん続く。試合は毎回ホームで対戦するわけじゃなく、相手チームのアリーナにも遠征が続く。年間何十試合とこなさないとならない。

 ホッケーは楽しい。小さい頃から夢だったプロになれた。誰もが言うように血筋も良かったのかセンスがあった。


 エイチは目覚しい活躍を見せ、今期も得点王に輝く記録を作ろうとしていた。人気も出てファンが大勢いた。観戦チケットが売れ過ぎて足りない。グッズも売れる。H・ハンドクルーは誰もが認める成功者の一人だった。

 そんな派手で忙しい生活を続けるエイチの本心を知る者は少ない。彼が何に悩んでいるのかは本人にしか分からない。

 

 仲間は大勢いる。仲が良い親友もいる。世間から見れば手に入らないものなど何も無いだろう?そう言われる程成功した。しかし、そんな華やかな舞台とは裏腹にエイチは一人になると考え事が多かった。それは、唯一の兄ロイの事であり、遠いマチの事だった。


 

 遠征先で仕事が終わった。仲間と一緒に食事して楽しかった。その後ホテルの部屋に戻ってしばらく仲間と試合のDVDを見て話した。そして寝る時間になって一人になった。

 エイチはベットを見て思った。

 また今日もどうせ眠れない。目が冴えて頭の中が熱い。一人でこんな閉ざされた空間に居たくない。冷たい空気を吸ってリセットしよう。

 エイチは夜中にホテルを一人でふらりと抜けて走り始めた。

「ハァ・・・ハァ・・・ハァ・・・・」

 走る中で思った。

 ロイ・・・ホッケーを辞めてしまうほど彼女に会いたいなんて。

 心拍数が上がり、心臓を何かが押さえつけようとしてる。強く締め付けられる。

「ハァ、ハァ、ハァッ・・・・」苦しさに反発するように速度を上げる。

 どんな女だったんだろう。ロイをそこまで思わせる女なんて。全く知らない。知ろうとしなかった。聞きたくなかった。

 エイチは久々にかなりの長距離を走り込んだ。筋肉が熱い。

 一人で走るのが好きだ。寒い中、肺の中が冷たくなって身体が熱くなり、頭の中が整理される。色々な事を思い出して考える。そしていつの間にか何も考えないで走れる。

 昔はそうだった。でも今は違う。無の中にロイがいてマチがいる。自分の力では外に追い出せない。

 日が昇り始め、暗い世界が白み始めた。道が青く見える。

 ホテルが乱立する一角に続く広い寒い道に人影は無い。明け方だから当たり前だった。

 エイチはホテルに到着すると速度を緩めて呼吸を整えながらロビーにふらりと入った。

 フロントの前のソファーにはイワンが座っていた。カフェが開くまでそこで雑誌を広げて読んでいた。イワンは顔を上げた先にジョギング帰りのエイチを見て驚いた。

「!」

 髪の毛が濡れている。あいつどれくらい走りこんだんだ?一体何時間前から走ってた?

「おい、エイチ!」

 直ぐに声を掛けた。


 エイチはまるで校則違反を教務課の主任に見られたかのようにうっとおしそうな顔を向けてイワンを見た。

 なんでこんなに朝早いのにそこに居るんだ?うんざりするな・・・

「エイチ!大丈夫か?」

「は?」

「今日は試合があるんだぞ?一体何時からどれくらい走った?」

「関係ないだろ?」

「チームのルールでホテルに戻る門限があるだろ。なぜ守らない?」

「夜、一旦帰って来てそれから夜中に抜けただけだ。門限は守ってるだろ!」

「大切な試合の前に外でトラブルでもあったらどうするつもりだ?試合に出れなくなるぞ!遠征先なのに!」

「俺が誰かに襲われるとでも?」

「・・・・・その心配はないな」

 イワンはそう冷静に答えてエイチに更に近寄った。

「エイチ、一体どうした?なんでこんな夜明けに走りこんだりするんだ?」

 イワンは心配そうにエイチの顔を見た。

「まさか寝れないのか?不眠症なのか?」

「違う。寝てる」

 細切れだけど寝てるには寝てる。全く寝れないわけじゃない。

 

 イワンはエイチの腕を取って目をじっと見つめた。エイチは感情を隠すのがとても上手い。今もイワンに心の内を決して見せようとはしなかった。簡単に人に懐いたりしない。

「エイチ、何か困ってる事があるなら俺に言ってみろよ。解決できなかったとしても話し相手にはなれる」

「・・・」

 エイチはイワンのグレーの瞳を見た。そしてふと思った。

「ロイは・・・?あいつ、いつ帰ってくる?」

 イワンは突然ロイの事を口にしたエイチを不審に思いながらも答えた。

「・・・・明後日、トロントに戻ってくる」

「・・・・・」

 エイチはそれを聞くとそれ以上何も言わず一人で部屋に戻ってしまった。

 イワンは様子がおかしいエイチの事を心配そうに見つめた。

 

 ホッケーは相変わらず集中していてミスも無い。インタビューにも大口を叩いていつも通りの対応だ。女関係も別に無くなったわけじゃ無さそうだ。スキャンダルにまみれてる。一見何も変化が無いように見えるのに、どうしてこんなに不安になるのだろう。

 激しい練習があったその日の夜に、長距離を走り込んで明け方までホテルに戻らないなんて普通の男には出来ない事だ。若いから誰よりも体力があるから?そうじゃない。エイチ、最近のお前は目つきがまずい。影がある。絶対何か悩みを抱えているはずだ。心を開いてくれれば良いのに。自分を破滅に追い込むような事にならないと良いが・・・・

 

 なんで急にロイの帰国を聞いたんだろう。もう兄貴でも何でもないと暴言を吐いたはずなのに。



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