第186話 『知らないナンバー』②

 エイチは時速200キロで事故現場に向かっていた。クラクションを鳴らして前をふさぐ車を払いのけて大至急向かう。交通規則を守って運転なんてしている場合じゃない。

 現場へ向かう途中エイチの頭は真っ白で余計な事は一切考えられなかった。

 マチが事故に!

 何とも無いと言っているから怪我をしたのはロアンナだけなんだろう。でも彼女の顔を見るまでは安心なんて出来ない。

 マチが泣いて俺に助けを求めている!

 助けてと言っていた!


 エイチは現場に到着した。どうやら救急車も今到着したばかりの様だった。次々と隊員が降りて来て、思っていた以上の事故に慌しくタンカーを崖の下へ運び始めた。隊員達が斜面の道路に命綱を張りながら慎重に事故現場に下りて行こうとする。

 エイチは車を乱暴に横付けして乗り捨てると崖を駆け下りた。隊員達が横で恐る恐る降りていくのも気にせず走った。滑るように降りてバスに大至急入った。

「マチ!」

 大声で呼んだ。返事が無かった。

 そこここからうめき声が聞こえる。思っていた以上の大事故だった。

「え、エイチ?どうして・・・ここへ?」

 そう苦しそうに答えたのは目を覚ましたロアンナだった。

 頭を打ってこぶが出来たのか痛そうに押さえていた。エイチは直ぐに彼女に近寄った。

「大丈夫か?」

「ええ・・・なんとか・・・」

「モリエルがここへ向かってる。直ぐに救急車へ運んでやる」

「ありがとう・・・マチはどこに?」

 おかしい、マチが居ない・・・・エイチはバスの中を焦って探した。

 自力で外へ出たのかもしれない。これだけの事故で本当になんともなかったのか?

 エイチの心臓が湧き上がる嫌な予感に急激に締め付けられる。

 ・・・・・マチ・・・・

「た、大変!エイチ!下を見て!」

 ロアンナが自分の下の方の座席を指差してエイチに叫んだ。

 そこにはぐったりと倒れたマチの姿があり、真っ青な顔で口を少し開いてまるで死人の様に動かなかった。

「・・・・マチ!」

 エイチは血の気が引いた。

 マチは足首の辺りから大量の血を流し失血しながら気を失って倒れていた。彼女の血と思われる大量の赤いものが床だった面に滝のように流れている。エイチは状況が分かって焦った。


 ロアンナが必死の形相でエイチに向かって強く頷いた。マチを一番に運び出さなくてはならないのは明白だった。

 マチを抱きかかえると直ぐに外に出た。そのまま崖を登って救急車に駆け込んだ。

 そして中に設置されているストレッチャーに彼女を横にすると、

「早く!彼女を助けてくれ!大量に血を流して意識が無い!早くしろ!」

 大声で叫んだ。隊員達はあまりに彼が必死に頼むので慌てて作業に取り掛かった。





 マチとロアンナ二人は病院に運ばれ直ぐに処置を受けた。

 そしてそこへモリエルが駆けつけて直ぐにロアンナに再会した。ロアンナはCTで頭部を入念に撮影し脳に異常が無い事が確認できると、しばらく横になって休んだ後、帰宅しても良い事になった。

 モリエルは泣きながら彼女を抱きしめて何度もロアンナの頬を両手で包んで無事だった事を喜び強く抱きしめた。

 そして少し前に口げんかした原因を謝りながら

「ロアンナ、つぶ貝のマリネにはお前が言うレッドペッパーが正解だよ、オレガノが良いのになんて言って本当にごめん。もう言わないよ」

「モリエル・・・私の方が間違っていたのよ、試しもしないであんな事言ってごめんなさい」

 二人は強く抱きしめあって愛を語り合った。



 一方、マチは重症だった。思っていた以上に失血しており、縫合と赤血球製剤を点滴で受けてようやく個室にベットごと運ばれて来た。

 手術室からマチが出てくるまでエイチはずっと動かずにベンチに座って祈るように待っていた。術中のランプが消えたのを見て勢いよく立ち上がる。

 傍に付いて出て来た医者に聞いた。

「マチは大丈夫なのか?助かるのか?目を覚ますのか?」青い目が真剣だった。

「落ち着いて。彼女は大丈夫。直ぐに処置したから大丈夫だ。足首の縫合も終了した。傷口は広かったが、深手ではなかった。一ヶ月ほどで痛みもなく元の通り普通に歩けるようになる。今は麻酔で寝ているが、薬が切れれば目が覚めるだろう。脳にも異常は無いし、頭はぶつけなかったようだ。後少し遅れていれば命が危なかった。君が助けて直ぐに救急車に運んだのが良かったよ」

 年配の医師はエイチの肩を叩きながら彼を落ち着かせようと説明した。


 どれぐらいの時間が経っただろうか。エイチはずっとマチのベットの脇で椅子に座り彼女の寝顔を見つめていた。大丈夫だと医者に言われても心配でたまらなかった。マチと電話で話して以来、目が覚めているマチとは会話できていない。目が覚めるまでここに居て、本当に大丈夫なのかを自分の目で確かめたい。

 そして、もう心配ない、大丈夫だ。俺が傍にいるから安心しろと自分の口で言ってやりたい。

「エイチ」

 後ろで誰かの声が聞こえた。モリエルとロアンナだった。

「マチはまだ目が覚めないのか?」

「・・・・ああ」

「俺はロアンナを実家に送っていくよ。お前は・・・大丈夫なのか?」

「気にするな」

エイチは青い目で二人を見た。

「お前、仕事が忙しいんだろ?シーズン中だ。明日も試合があるんじゃないのか?マチの事は俺が迎えに来て送るから心配するなよ。もう夜中だ。帰った方が良い」

 エイチは首を振った。そしてまたマチのベットの方を向いてもう振向かなかった。

「・・・・分かった。彼女が目覚めたらロアンナの無事を伝えてくれ。きっと凄く心配しているはずだ」

 エイチは静かに頷いた。



 ロアンナとモリエルは静かに車で帰途に着いた。もう夜中で真っ暗だった。

「ねぇ・・・・」

「ん?」

「ううん、なんでもない。そんなはず無いものね・・・・」

 ロアンナがかすれた様な声でモリエルにつぶやいた。

「エイチの事か?」

 モリエルはロアンナが言おうとしている事が何なのか分かって聞いた。

 ロアンナは頷いた。

「俺も昔、何度かそう思った事があった。でも二人は異常な程仲が悪かったんだ。それを目の前で見るたびに、やっぱり勘違いだよなって思い直した記憶がある」

「でも・・・・」

「うん、多分そうだと思う。少なくともエイチは。でも、マチはどうなのかな?ロアンナ、お前は親友だろ?何も知らないのか?二人でいる時にあいつの話はしないのか?」

「だって、エイチとマチはもう接点が無いのよ?マチもエイチの事を口に出さないわ。昔はよくこんなことされて本当に腹が立ったわとか、こんなことを言うなんて酷いと思わない?って、そう言う事をよく二人で話したけど今は違うもの」

「そうだよな。でも、今日のあいつを見てると思うんだ。エイチはあの時と何も変らない。エイチはやっぱりマチを今でも守ってる。きっかけはMRだったかもしれない。でも最後はマチの事を仲間だってちゃんと認めた。ジャケットを全員からプレゼントしたんだ。もちろんエイチも同意した。エイチは仲間の事は絶対に守るんだ。だから・・・今もそのつもりなのか、あるいはそれ以上の気持ちがあるのか。俺たちには分からない。でも、その気持ちが何であれ、薄れる事なんて無い気がするんだ。マチはエイチを嫌ってるだろ。どうにか歩み寄ってくれれば良いのに。すごく難しい二人だよな。俺達に解決なんて出来ない。関係が絡まりすぎているんだ」

 モリエルはため息をついた。

 ロアンナは真っ暗なトロントの道を見つめながら二人の事をいつまでも考えた。


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