第185話 『知らないナンバー』①
二人がそれぞれ考え事をしながら月日は流れ真冬がやってきた。
ホッケーの試合が最盛期になり全チーム・全選手が試合に集中する。各地のファンが熱狂的にリンクに通いひいきのチームの応援を欠かさない。道行く人々もチームのユニフォーム姿で歩く様になった。ここトロントでは、小さい子供達が皆『29』のH・ハンドクルーの背番号を背負ってる。
北米中が熱気に包まれ、どこが優勝するのか賭けが始まる。
そんなシーズン真っ只中の事だった。
その日、エイチ達のチームは練習終了後、ロッカールームでミーティングが行われていた。試合中仲間の一人が怪我を負って三試合ほど欠場する事が決定した。ラインの編成を変えて次の試合に臨む。監督が編成内容を詳しく説明した。
選手達は氷で濡れたユニフォームを脱いで、プロテクターを外し、スケートを脱いで半裸になりタオルを肩から掛けて話しに集中する。
一通りのミーティングが終了して監督の指示で解散になった時だった。
イワンがエイチに近寄りこの後、食事に行かないかと誘って来た。別に予定も無かったのでエイチは行くことにした。
シャワーを浴びて服に着替えてロッカーを後にする時だった。
エイチの携帯が鳴った。エイチは着信を見た。知らないナンバーだった。
エイチは出ない。
「鳴ってるのに出ないのか?」
イワンが聞く。
「知らないナンバーだ。どうでもいいヤツからだろ。どうせ」
そう言いながらも全く見たこともないナンバーなのが気になった。
エイチは数字に異常に強かった。その辺の女達の電話番号でもなんとなく記憶がある。
でもこれは全く知らない始めてみる数字の羅列だった。
しばらく鳴る。眉間に皺を寄せるとエイチは珍しくそれを取った。彼の鋭い第六感が何故かそうさせた。
「!」
エイチは電話を出るなり相手の息遣いでそれがマチである事が分かった。
しかも泣いてる!
エイチは驚愕して電話先に向かって聞いた。
「大丈夫か?どうした?どこに居る?」
『エイチ・・・!良かった!出てくれて!ヒック・・・・』
マチは心底安心したような声を出した。
『覚えてる番号があなたの携帯しかなくて、本当にごめんなさい・・・』
苦しそうに話す。
「落ち着け!」
エイチの様子が一変したのをイワンが近くで見てつられて真剣になる。
『エイチ助けて!ロアンナが!ロアンナが頭を強く打っちゃったの!モリエルに教えなきゃ!救急車は呼んだわ!でもロアンナが目を覚まさないの!どうしよう!バスで一緒に旅行に来てたの、キングストンの方なのガーデニングが有名な公園を見ようって・・・・バスが途中で横転して崖を滑り落ちちゃって沢山の人が怪我してるの・・・・エイチ、どうしよう・・・・ロアンナが!』
マチは何かの事故に巻き込まれたようだった。
エイチは我を忘れて駐車場に走り始めた。
イワンも緊急事態だと分かって見送った。
あの男があれほど真剣に電話先の相手を心配している。家族以上の友人なのかもしれない。誰だろう?
「マチ、落ち着くんだ。大丈夫だ!俺が必ずそこへ行って助けてやる。モリエルにも直ぐに連絡をつけてそこへ行くように言ってやる。だから心配するな。落ち着くんだ」
『・・・うん・・・・エイチごめんね・・・忙しいのに本当に迷惑ばっかり・・・』
「マチ、良く聞け。お前はなんとも無いのか?」
『大丈夫、私は平気よ、なんとも無いの。それよりもロアンナが・・・・どうしよう!』
マチの混乱ぶりが受話器を通じてはっきり分かる。泣いているのもわかる。親友が傷ついて平静を保ててない。
俺が直ぐに行って助けてやる!
「救急車が来たら念のためお前も乗り込め。いいな?どこか変なところを打ってるかもしれない。検査しろ。ロアンナは救急隊員に任せて不用意に動かすな。必ず俺が行って助けてやるから待ってろ!いいな?」
マチはあの日アバディーンで心細くて死にそうだったところにエイチが助けに来てくれた事を思い出して安心した。
エイチ・・・・
今朝、マチは小旅行で再びロアンナの家に遊びに来ていた。今回はモリエルも一緒でナイアガラのロアンナの実家で家族全員と楽しい朝食をとった。
ロアンナの実家はナイアガラ地方で有名なアイスワインの製造元で、ピータースと言えばその辺りでは有名な農家だった。毎年出品するコンクールでいつも上位入賞するアイスワインの樽本だった。大きな葡萄農園を家族で経営している。
ロアンナには兄が二人いて、姉が一人いる。彼女は末っ子だった。
兄二人が、今年もいいワインが出来るよう畑を注意深く見回って土の検査をするのだと話して農地に出かけた。そんな二人の兄弟とすっかり仲良くなったモリエルはロアンナの両親にもとても気に入られている。本人もまるでそこに始めから居たかのようにすっかり溶け込んで楽しんでいた。
土壌検査に興味を持ったモリエルは二人の兄について広大なブドウ畑に出て行った。ロアンナとマチは暇になってしまった。
ここから二時間ほど車で行ったところに紅葉が素晴らしい有名な公園があるから見に行ってみようと言う話になり近くから観光バスに乗り込んで出発した。
美しいブドウ畑の中を抜けて、大きなお屋敷が立ち並ぶ高級住宅街を車窓見学しながら、丁寧に剪定された街路樹と、外灯に飾られた美しいフラワーバスケットに感激しながら二人は終始ご機嫌に旅をした。
公園に近づくと道路の傾斜が進み、山深い地域に侵入した。道路の改修工事の影響で細いう回路をバスが登る。カーブが多くなって長いバスは一旦進んではバックしてハンドルを切り返して再び進路を修正して登っていく。そうこうしている内に更に道幅が狭くなった。殆ど車が通らない道をゆっくりとバスが登っていく。
そんな時だった。対向車線からやって来た一台の車がいつも目にしないような観光バスに驚いてハンドル操作を誤りバスの横に突っ込んだ。しかしその衝撃は大したことは無かった。ところが、その事態に慌てたバスの運転手がハンドルを切りすぎてガードレールをずるずると押し倒し、崖のくぼみにタイヤがはまった。きしむような音がする。景色がゆっくりと傾く。バスは不気味なほどスローモーションでバランスを崩して真横に倒れた。乗客が悲鳴を上げる中、ガラスが一斉に割れる大きな音がして、座っていた乗客が宙に浮き重力の方向に全員集まって身体を強打した。
更に悪い事にバスはそのまま緩やかな山裾をゆっくりと滑り落ち、十五メートル下の崖の岩場に打ちつけられるよにしてようやく止まった。あまりの衝撃に誰もがもう駄目だと思った。
バス横転の大事故だった。運転手も乗客も酷く身体を打ち付けて苦しんでいる人の声がそこここに聞こえた。
ようやく目を開けたマチはその惨状にビックリした。何もかもがひっくり返っている。横を見ると、誰のなのか分からないがさっきまでは床だった場所に大量に血が広がっている。横倒しになった床を血が滝のように流れていた。
「大怪我をした人がいるんだわ!」マチは混乱する中、直ぐにロアンナを探した。ロアンナはマチが居る直ぐ傍の座席に挟まれるようにして気を失っていた。
「ロアンナ!大丈夫?」
マチは何度も彼女を揺すって起こそうとしたが、彼女は気を失っているのか返事が無かった。
マチは慌てて「救急車を呼ばなきゃ!」と焦った。自分の荷物がどこにあるのかも分からず、捜したが見当たらなかった。マチは近くに電話を探した。斜め前にぐったりと倒れている乗客が目に入り彼の胸のポケットから携帯電話が覗いて見えていた。手を伸ばして必死でそれを取ると、マチは大急ぎで救急車を呼んだ。
そして、揺すっても起きないロアンナを見て、どうにかモリエルに伝えなきゃ!と猛烈に焦った。どうしよう、モリエルのナンバーなんて分からないわ!覚えてない!
急にある人の顔が思い浮かんだ。エイチの事だった。
「エイチ!」
マチは高校時代何度もテストされて彼の携帯電話の番号を暗記していた。緊急時にだけかけてもいい事になっている。でもそれは高校時代MRを組まされている時の話だった。
もうMRじゃない・・・・
でも、エイチ・・・・どうしよう・・・・モリエルに・・・・
エイチ・・・・・助けて!
マチは禁断の電話番号を震える手でタッチした。
どうかお願い・・・出て・・・エイチ!
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