第184話 『懺悔』
道路わきに植えられた椰子の木がざわざわと風に揺れていた。
エイチはリタの家からの帰り道、運転しながら人気の無いラスベガスの大きな通りを走り考えた。なんだか自分が笑えて、思わず声に出して笑った。
本当に何も感じなかった。
若い男の正常な精神状態じゃないよな。世界一の身体だと言って持てはやされるハリウッドの女優だぞ。確かに完璧な体つきだった。
奇麗で、大きな胸にくびれた腰、肉感的な腿に厚い唇。目が妖艶で・・・・フェロモンが出ている。
真つ平らな身体じゃない。リタの方が絶対セクシーだ。
それなのに俺はどうした?目も身体も「これじゃない」って否定してた。
こんな女じゃなく・・・・
自分から裸になって誘惑してくる大胆な女じゃなく・・・・
ほんの一瞬、鏡越しに裸を見られた事を『一生の恥だ』と言って怒る女の方が好きだ。そんな風に恥かしがって必死で隠そうとする彼女の裸を見たい。柔らかい唇をぎゅっと硬く結んで俺が言う事に怒るマチが好きだ。
俺はいつからこんなに潔癖な男になったんだ?
「病気だ!」
エイチは、暗い車の中で思い出した。
あの日、ホテルでマチの入浴を曇りガラス越しに見ただけで身体が痛くなるほど疼いた。何も出来ない最悪の夜だった。
「エイチのバカ!世界中の男が彼女とやるのを夢見てるのに。なんてチャンスを逃したんだ!」
「うるさい!本当に抱く気が起きなかったんだ!」
「ふざけるな!リタだぞ!」
シルトの目が怒ってる。
「じゃあ、お前、自分がその場に居たら抱いたのか?」
「・・・・今は冬眠中だから手は出さないよ」
シルトはリカの事を思い出し、ムッとして言った後気がついた。
そうなのか・・・?とエイチをまじまじと見つめた。
エイチは運転しながらもその目線の変化に気が付いてイライラした。
「だいたい食事に行って、肉が食いたいのに、魚が出てきたら萎えるだろ?それと一緒の現象だ」
シルトが金色の瞳で呆れたように親友に言った。
「エイチ、普通肉がリタで魚がマチだろ?」
「あいつの事だなんて一言も言って無い!」
頭に来て大声で言った。
シルトは、はい、はいと思いながら素直じゃないエイチがマチの事に本気になっているのに気が付いた。
世界一のヌードを前に手を出さないなんてそれってどう考えてもマチに「本気」なんだ。
本気で好きな女がついにエイチにもできたんだ。高校時代からその兆しはあったけど、まさかここまで本気になるとはね。
シルトはとても嬉しくなってついつい笑いながらエイチを見た。
「何だよ?お前、俺をからかうつもりか?」
「違うよ。嬉しいだけだよ」
「嬉しい?なんでお前が喜ぶんだ?」
「だってエイチに好きな子がいるなんてなんだか幸せだよ」
「やっぱりからかうつもりだな?」
エイチは屈託の無いシルトに負けて、ため息をもらした。
そして、しばらくの沈黙の後、エイチがおもむろに話し始めた。本心をもらした。
「何ヶ月か前、シーズンが始まる前にマチとホテルに泊まった。リタに会うより前に」
あまりの進展にビックリしてシルトが前のめりになった。
「!ホテルに?一緒に?一晩過ごしたの?よく彼女がお前に身体を許したな!物凄く仲が悪いと思ってたのに!」
シルトが大声でビックリする。エイチはシルトを睨んだ。
「何もしてない!手が出せるわけ無いだろ?俺は嫌われているんだぞ!」
「え?何も無かったって事?」
シルトは拍子抜けして背もたれに戻った。
エイチは首を振ると
「うっかり、あいつがシャワーを浴びてるのをガラス越しに見て、耐え難い性欲が沸いて来て死にそうだった。自分の姿を見られたらまずいと思ってベットの上で必死に理性と戦った」
「・・・・・・」
シルトが舌を出して物凄い面白いものでも見るかのようにエイチを見つめる。エイチはそんなシルトのことも構わずあの晩を思い出しながら話した。
「あいつ、目が悪いから出てきた時、コンタクトをしてなくて助かった。慌ててシャワールームに駆け込んで冷水を全身に浴びてベットルームに戻った」
「それで?」金色の瞳が笑い、口元がおかしそうに歪む。
「マチはもう寝てた。完全に俺を男だと思ってない!」
怒るエイチを見て、シルトはもう笑いが止まらなくなった。遠慮なくエイチを馬鹿にして大笑いする。あまりに笑い過ぎて、ダッシュボードに頭をぶつけた。
「駄目だ!可笑しい!腹がよじれる!助けてくれ!」
「貴様・・・・」
「だって!NHLのルーキーで北米中の女が抱いて欲しい男ナンバーワンに選ぶぐらいのお前が、彼女に何も出来ないなんて!ああ!可笑しいよ!ひぃー!」
シルトが大笑いしてる中、エイチは暗い気分になった。
あの時、マチは俺の事を男と思ってなかった。きっと今もそうだと思う。どうすればリンクに上げてもらえるんだろう?さっぱり分からない。
その上、距離を縮めたいと思っている俺とは正反対に、離れようとしてるのを感じる。
あれ以来彼女の事を考えないようにしてる。もう本当に二度と会えないような気がして暗い気分に何度も襲われる。H・ハンドクルーに悩みがあるなんて誰も気がつかないだろうな・・・
美女に囲まれて、乱暴な性格で口が悪いホッケー選手だ。そんなイメージがすっかり定着した。それに、そんなキャラクターが何故か人気になった。
笑い転げていたシルトはエイチの開き掛けた心の隙をついて更に聞いた。
「なぁ、お前にどうしても聞いてみたい事があったんだ。もう時間も経ったんだし俺には教えてくれよ」
「なんだよ?」
エイチが警戒して聞きかえす。
「あの日、どうして階段で倒れていたんだ?病院に運ばれたろ?あんなに怒り狂っていたのに。何かマチとあったんだろ?」
急にあの日の情景が思い出された。
本当にイライラしていて怒り心頭でリンクの扉を蹴って出て来た。あたり構わず傷つけて破壊したい衝動に駆られてた。
階段の上からマチに掴まれて引っ張られた。その後・・・・
「・・・・言いたくない」
エイチは思い出しながら言った。
「俺には教えろよ。エイチ」
シルトが黄金の瞳で親友の青い瞳を真面目に見る。
別に隠す事じゃない。エイチは深いため息をつきながら白状した。
「・・・・・マチにキスされた」
「えっ!」
シルトはビックリして目を見開いた。
エイチはそんなシルトを見て苦笑いした。
「今思うと笑える。ただのキスなのに・・・でもあの時は腰が抜けたんだ。自分から強引にするのは慣れてたのに。あいつからされて骨抜きになった。しばらく脳震盪が起きたみたいに真っ白になって階段から転げ落ちたのに目が覚めなかった」
「そうだったのか。あのマチがそんな事するなんて意外だな」
エイチは静かに首を振った。そして大きく息を吸い込んで眉間に皺を寄せると、急にシルトに向かって懺悔を始めた。
それはシルトが始めて聞く親友の最低最悪の懺悔だった。
「違うんだ。あれはあいつなりの俺に対する復讐だったんだ。いつも俺に強引にされてばかりで、仕返ししてやろうと思ってやったんだ」
「いつも?仕返し?」
「本当はあいつのファーストキスは俺が奪ったんだ。もちろん嫌がるって知っててやった」
「ええ!なんて可哀そうな事するんだよ!」
「それから誕生日にもふざけてキスした事があった。もの凄く悲しい顔された。だから、その仕返しのつもりだったんだろ。・・・・そう考えると彼女の復讐は成功した。この俺を病院へ送ったんだからな。そんな事が出来るのはあいつだけだ。頭に来る」
「・・お前、どうして?そんな事したら嫌われるに決まってるじゃないか・・・」
シルトはエイチの事をまじまじと見た。
「それだけじゃない。卒業間際にSを殴ったのもあいつにマチをダンスに誘われて頭に来たからだった。結局あいつを担いで保健室に行って彼女に向かって「俺のお陰でSを手当できるからよかっただろ」って言ってやった」
シルトはビックリしてしばらく黙った。
「ひ・・・・酷いよ。お前、そんな事したら普通絶対、もう口もきいてもらえない。間違いなく嫌われるのにどうしてそんな酷い事を?」
シルトが呆れてエイチの顔を見る。
「まさか好きになるなんて思いもしなかった」
シルトはエイチからマチが「好き」だと言葉で聞いて少し嬉しかった。
エイチは俺にはちゃんと話してくれた。
「マチの勝ちだな」
「そうだ、俺はいつもあの女に勝てない。毎回大体俺が悪い。もう顔も合わせたくないって思うような事を言って終わっても、また次の時には何も無かった様な顔をして俺の前に現れる。でも、それは別に俺を許してるんじゃなくて、あいつが俺なんかよりずっと大人だからだ。自分が子供染みていてると思う。分かってるのに謝れたことが一度も無い。今も嫌われている。この前もそう感じた。その上またいつもの様に怒鳴り合いになって喧嘩して今日になってる。もう嫌だ。どうにかしたいのに俺にはマチに会う時間が無い。バンクーバーに行くにもシーズンが始まって身動きが取れない。」
シルトがエイチの肩を触って掴んだ。
「エイチ?マチとこの前何があったんだ?俺が気を利かせて送ってやったのに」
エイチは返事の変わりに大きなため息をついた。
「・・・・・マチは俺の事を嫌ってる。それだけならまだしも俺から離れようとしてるみたいだった。二度と会わない方が良いって言われた」
エイチは進む車の先に見える道路の中央線を見ながら運転した。
「出来る限りの事をするよ、エイチ。だから時間をとにかく作れ。マチは真面目な女だ。ちゃんと向き合えばお前の本当の気持ちにも正直に答えてくれるはずだ」
「・・・・・」
エイチはシルトを空港へ送ると、再びアリーナの方へ向かって車を出した。
これからまた練習が始まる。
どうして彼女なのかなんて分からない。ただ今、猛烈にマチに会いたい。会って何を言うのかは知らない。でも彼女に会う必要を感じる。本当は彼女を見て近くに感じて安心したいと思ってる。きっとまた怒るだろう。顔を合わせた瞬間怒鳴り合いの続きをするのかもしれない。あいつに怒られたいわけじゃない。でも、あいつの怒った顔は好きだ。全然恐くなくて、目が真っ黒で真剣でそして一生懸命俺に言う。彼女が俺を諦めないから好きなのか?
でももうそれも違うかもしれない。距離を置かれてる。
マチ、今なにしてるんだ?
「はぁ・・・・」
最近、意味も無くため息がでる。
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