第16話 『シルト』

 空港からノースバンクーバーを目指してライオンズゲートブリッジを軽快なエンジン音を響かせて猛スピードで走行する一台のバイクがあった。

 タイヤもボディも細身のバイクで飾り気の無いシンプルな姿をしている。ボディーが軽い分、スピードが出た。擦り切れたジーンズに真っ白なTシャツだけでバイクにまたがるその男は、背が高く細身。ヘルメットから一本にゆるく結ばれた長い髪が激しい風の中にまるで動物のしっぽの様にたなびいていた。光の加減でシルバーに見間違う程薄い色のプラチナブロンド。シルトはこの自慢の長髪がとても気に入っていた。

 

 久々にバイクに乗れる!

 身体が風を切って最高に気持ちが良い。シルトは吹き抜ける風の中に「ヒャッホー!」と喜声を上げた。

 髪の毛と同じゴールドの美しい瞳でバンクーバーの景色を見つめ、スピードを一段階落とした。いつもの調子でスピードの出し過ぎはいけない。一か月ぶりに学校へ戻るのにここでいきなり警察に捕まるのはまずい。エイチにも馬鹿にされる。

 あいつ、俺が留守してた一か月どうしてたかな。あの性格が急に治るわけがない。凶暴で、短気、勝負にうるさくて最高に面白い男。初めて会った八歳の時に俺はエイチに感動した。男ってこういう奴を言うんだと思った。俺をいじめて追いかけ来た奴らはエイチに殴られて泣いて逃げた。その後、さっきの奴らより強く殴られた。自分とは全然違う男が気に入った。そして俺達はいつの間にか親友になった。

 何年たってもあいつは変わらない。何をしでかすか分からない面白い奴だ。爆弾みたいな男にまた会える。

 シルトはヘルメットの中で小さく笑った。



 その頃、マチは午後の授業を全て終えてリンクの観客席に居た。席と席の間をぐるぐると行ったり来たり背をかがめて何周もしていた。

 先日練習試合がメインのリンクで開催された。たくさんの観客が来場し高校生だけではなく大学生、近隣の住民までやって来て満席で立ち見が出るほど盛況だった。

この辺りでメインと言うとホッケーが有名だったし、地元のホッケー好きな大人達なら今のチームにSがいて、エイチが居る事を知っていた。一人が秀才でクールな部長で、もう一人が見た事も無い程インパクトのある存在でハンサム、飛びぬけてホッケーが上手いのは周知の事だった。

 地元にはメインのファンが大勢いた。今回の相手は隣町のリーグに所属するチームだったが結果はメインの圧勝だった。

 試合終了後、モリエルが言うには「パスワークは良いチーム」で、Sが言うには「実力を着けて来ている。今後は注意すべきチーム」だったそうで、エイチに言わせると「相手にもならない」チームだったらしい。

 皆それぞれ対戦した感想をロッカーまでの道のり大声で話しているのをマチは静かに一番後ろで聞いていた。全員意見が個性的でおもしろい。

 その試合を見に来た観客の一人が席に万年筆を落としてしまったので捜してほしいと教務課に連絡が入った。マチは、コーチからそれを捜索するよう命じられた。


 大リンクの観客席の中から万年筆一本を探すのは至難の業だった。その客が座っていた席周辺を広範囲に探しているが見つからない。長時間かがんで探して腰を一旦伸ばそうと立ち上がったマチはぎょっとした。

「はっ!」

 すぐ近くの席に見た事のない男が座っていた。

 金色・・・・

 見事な金髪でストレート、長い髪を後ろにゆるく縛って左の肩から胸に垂らしている。前髪も長くあまりきちんと縛る事を考えていない感じ。色素がとても薄いのかブラウンではない黄金の瞳。肌が日に焼けて健康的ですらっとした体つきに擦り切れたジーンズにTシャツと言うラフな格好がいやに似合っていた。男はマチを見てニコッと笑うと言った。

「カグヤヒメがいる」

 マチは始め何を言われたのか分からなかった。

『カグヤヒメ』?もしかして日本のおとぎ話の、あの「かぐや姫」の事かしら?

 マチは思わず目の前の男の事をぼーっと見つめてしまった。

「黒い髪の毛、綺麗だね。長い」

 マチはそう言われていきなり顔が赤くなった。まっすぐマチを見るこの不思議な男は、全く人を警戒させない何かがあった。柔らかい雰囲気、人懐っこい瞳、優しい話しかけ方。

 何だろう、優しさの種類がSとはまた違う。

「あ、あの・・・どなたですか?」

 マチは不思議そうに聞いた。

「君こそ誰?部活の時間に女の子がリンクにいるなんて見たこと無い。俺はシルトだよ」

 微笑んだ笑顔がなぜかマチを安心させた。

「私は、あの、マチです」

 シルトは右手を出してマチに握手を求めた。するとリンクの方から声が聞こえた。

「おい!マチそいつに触るな!子供が出来るぞ!」

 と言うライダーの声だった。続けてリンクに入って来たモリエルが

「シルト!久しぶりだな!初登校日に狙う女がマチだなんて最低だぞ!もっと良い女がいくらでもいるだろ?」

 次々と部員が声をかけて皆がこの男の事を仲間として愛しているのがマチにもすぐに分かった。そして意外だったのはエイチがシルトに笑っている姿だった。

 エイチはたいていいつも不機嫌そうな顔をしている。怒っているか、怒鳴っているか、意地悪に笑っているかのどれかしか見たことが無かった。そんなエイチがシルトには普通に笑っているように見えた。

 シルトはリンクに降りると皆にもみくちゃにされた。

 マチはその場に留まり、とても不思議な体験をしたかのようにぼーっと立っていた。

 そして、ふと床を見ると一瞬光るものがあった。探していた万年筆だった。

 

 マチはどこからなのか知らないが、久々にメインに帰って来た「シルト」と言う男と仲間達を見ながら微笑むと教務課に万年筆を届けに行った。





 エイチとシルトは大親友だった。

 シルトが帰って来て以来、彼らが二人で歩いているのをよく見かける。

 マチは教室で一緒になったロアンナに「シルトと言う人がどこからか帰ってきたみたい」と話すとロアンナが色々教えてくれた。

「シルト・ブラウンは、エイチの大親友なのよ。二人は兄弟の様に仲が良いの。ホッケーも上手くてエイチと同じ一軍。よくは知らないけど家庭の事情とかで一か月程、メインを離れていてそれが昨日戻って来たのね」

「そうなの?あのエイチとは全然雰囲気が違うわ。昨日リンクで会ったんだけど、すごく柔らかい雰囲気で気が荒いエイチと友達だなんて信じられないわ」

 ロアンナはマチを面白そうに見て

「マチ、シルトと話したの?何か言われなかった?」

「?」不思議そうに見るマチにロアンナは笑いながら言った。

「シルトは、メインきってのプレイボーイで有名なのよ!」

 マチは昨日リンクでライダーに言われたセリフを思い出した。

 そう言う事だったんだわ。マチは眉間にしわを寄せた。


 シルトは美人に限らず女の子が大好きだった。所構わずキスしている姿を見かける。しかも次の日は違う子と。生徒は皆シルトが女好きでデートの相手を次々に変える事を知っていた。

 あまりにも色んな女の子と交際しているせいか、あの歳で隠し子が何人もいるとか良からぬ噂が多く流れていた。その噂は残念な事に校内の生徒だけではなくその保護者の間でも有名だった。シルトにだけは決して近づくなときつく注意されている子も大勢いた。そのせいか比較的真面目な子はシルトを見かけると眉をしかめて避けるほどだった。一方、遊び好きで派手な女の子達はシルトに声を掛けられるのを楽しみにしている。柔らかい物腰、美しいプラチナブロンド、自由な感じのするシルトとのデートは明るくて楽しい。しかもメインの一軍、エイチの親友。そんなシルトが戻って来たのだ。

「まぁ、心配しなくても大丈夫。私とマチなら手出しはされないと思うわ。いくらなんでもシルトだってチアの人たちみたいな美人でグラマーな女の子が好きよ」

 マチは教室の窓ガラスから校庭の緑の芝を見つめ

「それもそうね!」と笑いながら言った。

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