第14話 『本当の理由』
夜も遅く遅くなって皆が寮に戻った。寮の規則は厳しく、夜の十一時を過ぎると門が完全に閉まってしまう。管理人は厳しい。手元の端末で入退室の時刻が記録され記録を定期的に教務課に提出している。不正が見つかれば防犯カメラの映像も提出する。万が一管理人が独断で融通を利かせたのが教務課に見つかれば即クビになる。その上契約によって罰金まで払わねばならない。
そのせいで彼らは門限に厳しく冷徹だった。
マチは見慣れないホッケーの道具を数えるのに手間取って遅くなってしまい、寮の玄関ホールに入場したのは十時半を過ぎていた。これでも今日は早い方だった。
ホッケー部の練習は長い。そして本当にハードでストイックだ。彼らはただで北米一になっているわけじゃない。門限近くまで練習があるのが普通だった。
マチは学校にいればロアンナという友達がいて一人ぼっちというわけでは無い。しかし一旦、校舎を出ればそこは孤独な世界だった。両親が近くにいるわけでもなく親戚もいない。小さい頃からここに住んでいたわけでも無いので知り合いもいない。
しかも男子寮に住むことになってしまった為に、女の子がそばにいない。さらに悪い事にマネージャーに選ばれてしまった事でますます孤立し、妬みや偏見、怒りをかってもう誰もマチに近寄ってこない。ロアンナ以外の友人を作る機会は無に等しかった。
八階についてEVの扉が開いた時、最悪な事態がおきた。廊下に何故かエイチがいた。
「ひっ!」マチは恐怖で息を呑んだ。
彼はエレベーターの方をチラッと見て直ぐにマチに気付いた。彼は自分の部屋に戻るでもなく、わざわざマチの方を向いて立ち止まった。百九十近くある大男が腕組して廊下の真ん中に無表情で立っていた。と言うより、マチがこちらへ来るのを待ち構えている。それがはっきり分かっていながらマチはまるで自分には無関係のように彼の脇にできた狭い空間を早歩きで通り過ぎようとした。風になりたいと本気で思った。
そしてまさに彼の横を通り過ぎようとした時だった。力強い手で肩を掴まれ、大きく引き戻された。
「おい、マネージャー。部員と目が合ったのに無視かよ?」
心臓がバクバク言ってる。怖い・・・・二人しかいない廊下で何する気?8階から突き落とされたらどうしよう。マチは本気で怖くなって目を泳がせると青い顔をした。
エイチは怯える彼女の様子を覗うと彼女の顔に片手を伸ばしおもむろにマチの眼鏡を取った。
「あっ!何するのっ!」
エイチはその眼鏡のレンズを夜空にかざしてしげしげと眺めると、フッ、と鼻で笑った。
マチは恐怖を覚えた。視覚を奪って本当に八階から突き落とす気かも・・・
「返して!」
そう叫ぶマチを尻目にエイチは冷ややかな口調で続けた。
「お前、なんで自分がこの倍率でマネージャーに選ばれたか分かってるのか?言ってみろよ」
何を言い出すんだろう。今はこの男の言う通りにするしか無い。もう少しすれば誰かがエレベーターに乗って帰って来て助けてくれるかもしれない。
「あなたに・・・」
「聞こえない」
「あ、あなたにたてついたのが『勇気』があったって思ってもらえたからだと思うわ」
マチは小さい声で言った。
「あははは!」エイチは遠慮なく大声で笑った。
「そうだな、俺にたてつく女は確かに始めてだった。命知らずでいい度胸だ。その事は忘れない。必ず仕返しする」
マチは心臓が凍りつきそうだった。
エイチはマチに近づいた。そしてこんな事を言った。
「おい、俺が着てるTシャツの文字を読んでみろよ」
と自分の胸を指した。
マチはエイチが一体何をしたいのか分からず、言われたままTシャツの方を凝視した。
いくら目を凝らしたって見えない。マチは弱視でこんなに外がうす暗いと蛍光灯の下でも濃い色のTシャツに書いてある文字など大きな文字でも一文字も判別出来なかった。
「わ、わからないわ」目を細めながらマチはそう答えた。
エイチは自分のTシャツを見てうなづくと
「こんなに近くてもはっきり見えないんだな。それならあんなタンカも切れただろう」
「・・・」
マチは驚いた。まさかあの日、眼鏡が壊れていて何も見えなかったのを知って、あのタンカは無効だって言いたいの?
エイチは鼻で笑った。空気の感じで分かる。
「お前がなんで受かったか本当のことを教えてやる」
「本当の事?」マチには彼が言っている意味がよく分からなかった。
「お前はあの日俺に文句を言いに来た。その勇気はかってやる。でも、お前はロッカーにでも乗り込んだつもりだったんだろ?」
マチはエイチが話す事を浅い呼吸で緊張しながら静かに聞いた。
「でも本当は違った。お前が乗りこんだのはどこだと思う?」
「え?」
マチはほとんど、霞んで見えない瞳でエイチの顔を見上げた。
エイチはマチの耳元に近づき、かすれた低い声でこう言った。
「シャワールームだ」
「え・・・・」
――――――――――?マチは身体中の血の気が引くのが分かった。モリエルに『他の女にはできないよ』『本当に恥知らずだよな』と言われたのが急に鮮明に蘇る。
もしかして、もしかすると。まさかまさか、ウソよ、そんなはず・・・
「ハハハ!そうだ、やっと事態が飲みこめたか?お前は全裸でシャワーを浴びる俺達に喧嘩を売りに来た」
全裸――――――なんて事なの・・・・?
マチは見えない目を見開いてこの世の終わりの様な悲壮な顔をした。あまりの事に声が出なかった。
「まさか目が見えないなんてな。お前のダサい眼鏡を見れば目が悪いことは分かる。でも眼鏡が無いとこれ程何も見えないなんて。誰も知らない。だから他の奴等は勘違いした『なんて勇気がある女だろ』って。俺の息子を目の前に、指差しながら堂々と喧嘩を売ったんだからな」
「―――そんな・・・・・」
マチはあまりの恥ずかしさに小刻みに震え出した。
「私、し、知らな―――――知らなかったの、本当に。シャワールームだったなんて、何も、まさかそんな、いやらしい理由で当選したなんて・・・・」
「腹立たしい話しだな。お陰でマネージャーがお前に決まった。仲間達も理由が分かれば切れるぜ。どうする?」
声がとても意地悪だった。エイチは前に屈みマチをなじる様に攻めて睨んだ。そして体を起こすとシラットしたいつもの冷たい顔に戻った。
マチにはぼんやりとしか見えなかったがエイチの声の抑揚で全ての感情を把握できた。エイチはとても意地悪におもしろがっている。
「私、どうすれば良いか・・・・そんな事で選ばれたならすぐに辞めなきゃ・・・」
マチは自分がした事を素直に反省した。
「辞める?タダで辞められるなんて思うな」
エイチの声は低くて恐い。
「え?」なに?この人何考えてるの?
すると、エレベーターが開いて誰かが下りて来た。
誰でもいいわ!助けて!
「おお、なんてタイミングなんだ?お前の大好きな王子様の登場だぞ」
エイチは降りてくる男を見て目を細めると、相手に聞こえないように小声でマチにそう言った。
なんですって?『大好きな王子様』って?まさか降りてきたのはSなの?
マチの心臓は不安と言い知れぬ恐怖で波打った。
「やぁ、二人で何してるの?」Sは何も知らないで二人に話しかけた。
この男、私がSをどう思ってるか知ってるんだわ。どうして・・・
エイチはSの方をぶっきらぼうに見ると、
「別に。マネージャーになる事がいかにラッキーな事かを話してやってたんだ。これから長くいてもらわなきゃならないからな」と悪意を込めて言った。
「そうだな、エイチも言うように大変かもしれないけど頑張ってね。宜しくね」
Sは自分の部屋の前からそう言うと、鍵を開けて部屋に入った。
エイチは持っていたマチの眼鏡を彼女の手に押しつけると
「コンタクトにしろよ。二度と眼鏡のレンズが落ちてインチキができないようにな。それと、忘れるな?もしお前の事がばれたらSが全校生徒に笑われる。ハハハ!」
マチは渡された眼鏡を急いで掛けた。エレベーターに乗ってどこかへ去っていく悪魔のような男を目で追った。エレベーターに乗り込んで正面を向いた彼のTシャツは、ネイビーでほとんど黒に近い深い色だった。
何の文字も書かれていない無地のTシャツだった。
◆
取り残されたマチは深く心を傷つけられた気がしていた。心臓のあたりが今もズキズキ言って痛い。
これから私はどうすればいいの?エイチはタダでは辞めさせないって言っていた。もし私が白状すれば必ず退部させられる。当然よね。もちろんSにもがっかりされて、嫌われてしまう。
エイチはさっき『これから長くなるから』って言った。という事はまだ暴露しない気なんだわ。さっきもSに言わなかった。きっと私が一番傷つく瞬間が来るまで寝かせてタイミングを計って言う気なんだわ。私の詩の朗読を全校生徒の前で馬鹿にしたのと同じように最高の瞬間を狙うつもりね。
恥ずかしい!裸の男の人たちを前にあんな啖呵を切っていたなんて!死にそうだわ!
マチは真っ赤になったり真っ青になったりして、さっきからずっと正しい事が何なのかを考えた。しかし全く答えが出なかった。
何よりも恐怖に感じた事は『Sのことを好きだ』とエイチが知っている事だった。
何で知ってるの―――――?分からない・・・・きっとこれからもこれを使って嫌がらせをする気なんだわ。
エイチに不正だったと言われ、Sを好きだと言う弱みを握られてしまった。勝負のサイはエイチが握り、どの目が出てもマチには不利だった。
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