第5話 『踏み台・ジャスパーミリガン』


 今日も良く晴れている。空は真っ青に輝き、紅葉した木々が風に小さな音を立てている。

 マチはいったい何人が一次審査で登録されたのか知りたくて掲示板を見に行った。

 一枚の大きな紙に、総勢五十人の名前が列挙されていた。

「あんなにいたのにたった五十人しか登録されてないわ。あれは登録と言う名を借りた第一審査だったって事ね」ロアンナがそう言った。

「そんな・・・それって受付のあの部員の審査だけってこと?ほとんど彼の好みじゃないの」

「ええ。だけどホッケー部がモリエルを一次審査の受付に選んだのには訳があるのよ。彼は校内で有名なの。かわいい子には目が無いって。彼に声をかけられて嫌がる女の子はいないわ。『かわいい』って証明されたようなものだから。それぐらい可愛い子が好きなので有名なの。そんな彼が選んだ子が残るんですもの。選ばれるべくして選ばれた子達だけがこの五十人ってことね」

「ふー・・・ん。ライバルは皆かわいい子達ってことね。自信無いなぁ・・・」

 そう言えば私の名前は?

「――え?」マチは目を疑った。上書きされてる。

 ロアンナが眉をしかめて言った。

「五十番目の子の名前が消されてるわ。その上にあなたの名前が鉛筆で書かれてる!」


 昨日、一次審査後、モリエルがマチを不合格にしたことをロッカールームで知ったエイチが怒り狂った。

「なんなんだよ!あの女の名前がないじゃないか!来なかったのか?」

 考えられないような大声で怒鳴る。エイチの叫び声だった。

「馬鹿言うなよエイチ、彼女は来たけど却下したさ、あんな変な女受けさせるのか?」

 モリエルは叫ぶエイチに胸倉を掴まれながら一応反論していた。

「当たり前だ!」

 エイチは容赦なく同じ部員のモリエルを脅した。

「だけど―――――」

 モリエルはこれ以上言うと殴られると本能で察知し言葉を途中で切った。

 エイチはモリエルをロッカーに押しつけていた。

「わ、わわわわかったよ、登録すればいいんだろ!」モリエルは観念した。

 エイチの力にはかなわない。モリエルもホッケー部員でポジションもディフェンダーなのである程度腕力もある。背もエイチと同じくらいあるのに、彼の暴力は天才的なので敵わない。戦ったら必ず負けることがわかってる。モリエルはいつも思う事があった。こいつが敵じゃなく同じチームで良かったと。

 エイチはモリエルの胸倉をつかんだまま地面に下ろした。

「いいか?俺はあの女を必ずあの部屋から追い出す。でもそれだけじゃない」

「・・・・」

 モリエルはエイチの目が凶暴になっているのを感じた。

「たっぷり恥をかかせて、二度とここへ来れないようにしてやる」

 モリエルはエイチの残酷な目つきに冷や汗をかいた。



 マチは嫌な予感がしてきた。

「・・・・この子は?どうなるの?」

 ロアンナは眉間にしわを寄せてその名前を凝視し、ゆっくりとマチの方を見た。そして神妙な面持ちで、

「しかも、あのジャスパー・ミリガンよ・・・・」と言った。

「ジャスパーって?誰なの?」

 ロアンナはマチに説明した。

 バトミントン部の子よ。赤毛のショートへアーで目がパッチリ。奇麗な子だけどとっても気が荒いの。思うように行かないと何をしでかすかわから無いわ」

 ジャスパー・・・まさか私のせいで失格になったんじゃないわよね?

 これはただ事ではなかった。こんな勝手な審査で失格になって黙っているほどおとなしい子かしら?

 モリエルはなんでこんなことをしたんだろう?上書きって何か必ず理由があるはず。そうだわ。モリエルに頼んでみよう。もしかしたら私を例外の五一人目にして、ジャスパーをもと通りに五〇人目として審査対象にしてくれるかもしれないじゃない。

 

 ◆


 中庭で誰かが早速『勇気』の証明を始めてる。聞けば頭上のリンゴを矢で打ち落として勇気の証明をしてるらしい。

 しかし、そんなことはどうでも良かった。怒りが身体中を支配して他の事など考えられない。 

 どこの誰がどんな危険を侵してマネージャーになろうと必死になっていようが、関係無かった。今、頭の中にあるのは違う事。怒り。怒りで一杯だった。

 私は名前を消された。あのマネージャー試験の名簿から。しかも始めは受かっていたのに。誰かのせいで、この私が欄外になってしまったのよ?そんなことありえるかしら?理由を聞けばろくでも無い日本人のせい!何もかもその女のせいよ!何が頭に来るかってその女を受からせたのはあのエイチだって言うじゃないの!

 でも、エイチは何も悪く無いわ。きっと何か名案があるのよ、彼女を再起不能にできるような何か良い案が。それにしても私を落す必要がある?このままじゃエイチのマネージャーになれなくなってしまう。そんなの絶対に嫌!私はしつこい女よ。欲しいものは何でも手に入れたい。どんな手を使っても構うもんですか。

 第一あんなダサい日本人『眼鏡猿』に何かしたって罪になるはずなんてないわ。私があの名簿からはずされた事の方がよっぽど罪よ。私があの名簿に復帰出きる条件はたった一つ。

 そう――――彼女が外れればいいの。そうすれば私が復帰できる。

「エイチが直々に手を下さなくても、その前に私がしてあげるわ!」

 バトミントン部のジャスパーとその取り巻きエリーとフランソワの三人は憎きマチのことを話し合っていた。タダで済ませる気は微塵もない。エイチの隣に越してきたと聞いただけでも頭に来てたのに、マネージャーになるのを邪魔された。このままでは気が収まらない。

「なんとしても恥をかかせてマネージャー登録権を奪い返してやるわ!」

 エリーがさっき掲示板の前で盗み聞きした話では、彼女は放課後モリエルに何か相談しに行くらしい。きっとリンクに向かってくる。

 ジャスパー率いるバトミントン部の三人はリンク近くの倉庫の影に身をひそめ、マチの到着をじっと待ち構え準備に入った。

 

 ◆

 

 部活が始まる前にモリエルに会わなきゃ。何とかしてジャスパーを五十人の中に戻してもらわなきゃ。

 マチが悩みながらリンクへ向かっている時だった。突然倉庫の影から三人の女がマチの前に現れた。

「きゃあ!」

 びっくりしたマチが小さく悲鳴を上げると夕方のリンク裏、薄暗くなった空間に気の強そうな目つきに真っ赤な唇でとても目立つ女が現れた。赤茶の短い髪に風が吹き、色白の顔になびいていた。他の二人はマチを囲む様に真横に構えている。

 まさか・・・マチは息を呑んだ。

「ジャスパーよ。聞き覚えがあるでしょう?」

「始めて見るけど本当に小さいのね」

「小学生みたい」

 三人が交互に目を合わせてニタニタ笑った。

 突然、マチは両横の二人に腕をつかまれると口をふさがれた。そしてそのまま強引にリンクの方へかかとを引きずられるようにして連れて行かれた。

「――――――っ!」

 助けて!

 口を塞がれ、いくらもがいても二人の女の力は強く抵抗出来なかった。ひ弱で運動なんてめったにしないマチは、抵抗虚しくどんどん引きずられて行った。靴のかかとが熱くなってちょっと力を入れれば捻挫しそうな状態だった。リンクに続く裏口から中へ引きずられ、ある部屋の扉が開け放たれた。そこは用具室の様で沢山のモップや雑巾、バケツなど掃除用具が並んでいる。

 マチは突然口を抑えられたまま壁に押しつけられた。一人がガムテープを勢い良く引き千切りそれをマチの口にしっかりと貼りつけた。鼻に近い所に貼られてしまったので息がしにくくて苦しい。

 マチは引きずられるだけ引きずられ、ついに暗いリンクの廊下を抜けると、ある部屋にたどり着いた。

 ジャスパーが突然電気をつけた。大きな棚にところどころ並ぶスケート靴。マチの背よりも高い数十本のスティック、12番、46番、87番、11番・・・・大きな木枠の中に激しいチェックから身を守るプロテクター、見覚えのある黒と白のユニフォームが掛けられていた。

 ジャスパー達は更にこの先の部屋に進んだ。薄い水色のタイルが見えて、胸がはだけたブロンド美女の大きなポスター、ののしりの言葉を羅列した数々のステッカー、この部屋はさっきの木枠のロッカーではなく金属の細いロッカーがいくつも並んでいた。

 いったい何をする気?こんな所に連れて来て、許せないってどう言う意味?

「さ、始めましょ」

 二人の女がマチの制服の胸倉をつかむと勢い良くベストを脱がせた。胸のリボンが足元に落ち、ばたつかせて抵抗するマチの足に絡まった。それを見たジャスパーはそのリボンでマチの両足をキツク二重に縛ると、硬い靴の裏ですねを踏みつけた。あまりに痛かったのでマチは低い声で悲鳴を上げたが外にいる誰かに助けを求めるにはガムテープが邪魔して小さなため息の様にしか聞こえなかった。

「さっき休憩が終わって全員リンクに入ったでしょ?早くしなきゃ」

「そうね、もうそろそろ出てくるわ」

 ジャスパーはマチの一本に縛った髪を片手で掴むと力いっぱい引っ張って

「あんたが私にした事を思う存分味あわせてやるんだから、静かにしてなさい」

 きつい目つきが恐ろしかった。

「さっさと、脱がしちゃいましょ!」

「!」

 脱がす?やめて!

「あはははは!いい気味!こんな事されて私って本当に可哀相だなんて思ってんの?あんたなんかよりリストから外された私の方がもっと可哀相よ!三年も夢見て来てその決末がこんな終わり方?冗談じゃないのよ。許せない!」

「――――――」マチはこの後何をされるのか怖くて怖くてたまらなかった。

「でもね、私も人間よ。優しいところがあるの。だから、あんたに選ばせてあげる」

 何を?

「エイチとSどっちが良い?」

 そう言ったジャスパーの顔は意地悪そのものだった。

 まさか、まさかこんな姿の私をロッカーに閉じ込める気?

 冷たい空気が立ちこめ意地悪なジャスパーの顔一面に悪魔の様な笑みが広がった。

 この裸同然の私をロッカーに入れるつもりなんだわ!しかも、よりによってあのエイチか、Sのロッカーの中に!死んだ方がましだわ!それだけはやめて!

「さぁ、早く言って?ククク・・・」

 お願い!こんな姿をSにだけは見られたくない!Sのロッカーだけはやめて欲しい!エイチのロッカーだって絶対やだけどSにだけは見られたく無いの!やめて!お願い!

 マチは激しく首を左右に振って抵抗した。

「しっ!誰か来るわ!」エリーが言った。

「残念ね、私の優しさを無駄にするなんて。時間が無いわ。あんたにはより多くの恥をかいてもらう必要があるの。Sも効果的だけど立ち直れ無いほどのショックが必要。残念ね。エイチのロッカーに入れさせてもらうわ!」

 きゃーあああああああッ!

 マチは一気にロッカーに押し込められ、力任せに扉が閉められた。

「これでエイチが彼女を見つけて大騒ぎになるわ」

 真っ暗なロッカーの外で三人の会話が聞こえてきた。

「早く逃げましょ!見つかったらおしまいよ」

「いい?マチ聞こえるでしょ?私達がやったって事を誰かに言ってみなさい?誰が傷つくと思う?あなたの大事な大事なお友達。ロアンナがこれ以上のひどい目にあうからね。ハハハハハ!」

「明日が楽しみだわ!サヨナラ。ごきげんよう」

 タタタタタタ・・・・・

 三人が来た道を逃げ帰っていくのが聞こえた。電気が消され、ドアが閉まり更衣室は不気味に静まり帰った。何の音もしない。聞こえるのは自分が入っているエイチのロッカーに響く荒い鼻息だけ。息が苦しい、足はリボンで縛られ、手は口と同様ガムテープで二重に縛り上げられ身動きは出来なかった。

 どうしよう・・・こんなひどい格好で、あの意地悪なエイチのロッカーに入れられている。

 もうすぐ部活が終わるんだわ、そうすれば他の部員達と一緒にSやエイチも戻ってくる。皆がそろったところで、エイチがロッカーを開けるわ。私を見て驚くに違いないけど、私には分かる。あの悪魔の顔が驚きからののしりの大笑いの顔に変わる様が。 

 きっと大声で『おい!裸で何やってんだ!見ろよこの様を!』そして全員がこの醜い私の姿に寄って来て耳をふさがなければ絶えられないようなひどい言葉を叫ぶのよ。 

 きっとSもひどい事が起こったって思いながら私のことを哀れみの表情で見るんだわ。『やめろよ!皆!』って止めてくれる?でもダメ。きっとそんな言葉を無視してエイチが筆頭になって笑うから。こんな事絶えられない。でも身動きが取れない・・・どうすればいいの?何も思いつかないわ。怖い・・・・誰か!助けて!

 

 もがいてもムダだった。戻って来る部員達の声が聞こえ始めた。騒がしい。

 この後続くミーティングに向けて時間が迫り、早く支度をするために早歩きでロッカールームに向かって来た。

 ロッカーの中でこれから襲い掛かる恐怖にひたすら震えながら耐えるマチは冷や汗でべとべとだった。ゆがんだエイチのロッカーの空気穴からうっすらと様子が見える。迫ってくる部員達の声が近くなり、ついに更衣室に大勢が入って来た。マチはこらえきれなくなり息を止めて目を堅く閉じた。

 この悪夢が夢であります様に!夢であります様に!夢であります様に!

「一体誰がマネージャーになるんだ?」

「俺はエレインがいいなぁ、あの女の胸のでかさ見ただろ?」

 男達が自分の木枠のロッカーにスティックやら、はめていたグローブやら、メットを乱暴に放る音が遠くに聞こえる。ホッケー部のロッカーは特殊で、防具が多いので木の枠で出来た扉の無い大きなロッカーが背番号ごとに一人ずつ配置されている。そしてその直ぐ横の部屋には金属製の扉のあるロッカーが備え付けられている。マチが閉じ込められたのはその細い金属製のロッカーの方だった。

 部員達がしゃべりながら、こっちの部屋に移動してくる。

「はははは!胸だけじゃ勇気は測れ無いからなぁ」

「でも考えても見ろよ!あの胸が試合中、俺達をずっと応援してるんだぜ?」

「やる気が出るよなぁ。試合に勝った時は一人づつやらせるご褒美を用意して待ってたら?」

「もう、勇気なんて関係ないよな!女としての魅力があって、自分がなんで選ばれたのかを自覚してる女って題にして応募すりゃ良いのに」

「ぎゃははははは!だよな、勇気なんて必要ないだろ?」

「なぁ、お前もエレインが良いだろ?」

 男たちが続々と入ってくる中で聞き覚えのある声がした。

「エレイン?誰だそれ?」

 エイチだ!

「ほら、胸がGカップのマーチングのトランペットだよ」

「選ぶならもっとでかい女にしろよ」

「あははははは!」

 エイチは首に掛けたタオルを外しながらロッカーに手をかけた。エイチのロッカーは彼に何度も怒りをぶつけられているせいで、ゆがんでいてそう簡単には開かない。それを承知のエイチは始めから力を込めて勢い良くロッカーの扉を開けた。

 きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぁ!!!

 心臓が破裂しそうなほど恥ずかしさと恐怖でカチカチに固まったマチの引きつった顔は、ぼさぼさにほどけた髪が汗で顔にへばりつき、曇った眼鏡の奥から覗く震えきった瞳、引き千切られたブラウスに下着、胸こそ見えていなかったがそんな事はあまり関係ないほど女としては信じがたい格好をしている。このあられも無いマチの姿は全身真っ青でまるで無実の罪で魔女裁判にかけられた小さな女の最後の悲鳴を思い浮かばせた。あまりの恐怖に見開かれたマチの瞳はエイチの瞳を直視していた。

 時間にすれば一秒も立っていなかったが、エイチが自分のロッカーに押し込められているのが人間で、女で、あのマチであると判断するには長い時間だった。

 状況を判断するや否や、エイチはマチが想像していたのとは全く違う行動に出た。

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