私、はじめてのひとり飲み
つかさ
第1話
今日、私は初めての体験をする。
そう、それは『ひとり飲み』!
ぽつぽつと灯りの弱い街頭を月明りがなんとかサポートしてくれる薄暗い裏道を歩く。駅前の商店街から逸れたとこの一角にあるのは小さな居酒屋。曇り窓がオフィスの電灯並みにうるさく光る。
目がくらみそうになりながらも、私はごくりと生唾を飲み込んで扉を開けた。
「へい、らっしゃい!」
まだ、30代くらいだろうか。気合の入った若めの店員さんの声にびくりと体が震える。ええい!怯むな私。
「適当なとこ座ってね!」
金曜の夜だけあって席はほとんど埋まっている。このお店、動画サイトで女の人が紹介していたから気になってきたんだよね。内装は意外ときれいで女の人でも居心地が良さそうだった。
私は空いているわずかな席から良さそうなところを探す。あっ、そこなら良さそう。
床固定型の簡素な椅子に腰をかける。右隣は静かに飲んでる寡黙そうな男の人。左隣はキレイめな女の人。失礼にならないように一瞬だけ横目でご尊顔を確認。私より少し年上に見える。
店員さんに注文を聞かれ、レモンサワーと焼き鳥を注文。まずは先にやってきたレモンサワーのジョッキをグイっと飲んだ。午前中にいきなり投げてこられた会議の資料作りのイライラごと流し込む。食欲をそそられる焼き鳥を焼く音と炭火の香りで、むかつく上司の怒声と加齢臭の記憶をかき消しながら、真打登場の出番を待ち構える。
ねぎま、すなぎも、ハツ、もも。茶色率高めだけど、私にとっては極上の色彩が眼前に並ぶ。先週末に浮気が発覚して振ってやった彼氏がいつかの誕生日プレゼントにくれたネックレスよりきらびやかだ。
焼き鳥を順に頬張っていく。柔らかさ、歯ごたえ、塩気、肉の甘み、それらを舌の上で堪能する。ほぼ満席のにぎやかな店内なのに、この瞬間は世界に私だけしかいない。そんな気分。
……さて。3本食べて残るは、もも。実はちょっとやりたいことがあるんだよね。
私は串を真横にして口の前に持っていく。そして、串に刺さった4切れの肉すべてに噛みついて、串を一気に引き抜いた!
そう、これ!漫画とかでやってそうな豪快な食べ方。タレがしみこんだももをぐしゃりぐしゃりと咀嚼する。肉汁とタレが口の中で混ざりあう。いやー、幸せだー!
ふと、隣から小さく笑い声が聞こえた。そこで自分がやっていることが大人の女性にしてはそこそこ恥ずかしいものだったことを実感させられ、酔うより早く顔が赤くなる。
「あっ……下品ですみません」
私が謝ると、隣の人は「ううん。そんなことないって」と手を横に振りながらフォローしてくれたが、顔はまだ笑っていた。ううぅ……。
「最近、ちょっとストレスが溜まってて豪快に行きたいなーって。居酒屋に一人で来たのもこれが初めてで」
「みんなでワイワイ飲むのもいいけど、一人でこうやってひっそりのんびりと飲むのもストレス発散になるのよね。さっきのはひっそりとはほど遠いけど……ふふっ」
「からかわないでください……。恥ずかしくなってきた」
「ごめん、ごめん。気持ちはすごくわかるから、ね?」
どうやらここには定期的に来ているお姉さん(歳を尋ねたら私より5つも上だった)と、気づけば話は盛り上がって、時折店員さんも交えながら仕事と恋愛の愚痴トークがはじまった。
「でも、すごいなぁ……。私なんかより全然できる女って感じで」
「それだから嫌われることもあるし、それだと困ることもたくさんあるけどね」
食べ終わった串がまた一本、串入れの中に放り込まれた。コンという小さな音が喧噪の中へ埋もれていく。
「私もさ。この串みたいに細くて非力で他と変わらなくて、あれこれ身に纏ってようやく認められるような存在ってわけ。でも、いざ出てみたらいいように食い荒らされてポイっとされるのがオチ」
「そんなことないですって……」
「ありがとう。嬉しい」
お姉さんの赤く染まる頬は照れているのか。ただ、酔っているだけなのか。
「いろいろ話ができて楽しいわ。……もし良かったらこの後もう一件行かない?ほかにもお気に入りのお店があるの」
「もちろん!私で良ければ」
「じゃあ、善は急げね」
私とお姉さんは互いに勘定を済ませ、お店を後にする。「またのご来店をー!」と声をかける店員さんの顔がさっきみたいに明るくも少し引きつっていたような気がするのは、別の店に行くなんて話をしちゃったからなのかな……?
――――――
「店長、あの人、今日もいつもの手口で女の子持ち帰りましたね」
「まぁ、あの人の動画のおかげで女性客も頻繁に来るようになったし、こっちとしてはありがたいんだけどな。ただ、何があったかは知らないけど、あの人に連れられたお客さん、リピーターになってくれないのが困りもんだよ……」
「ナニがあったんですかねぇ」
私、はじめてのひとり飲み つかさ @tsukasa_fth
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