第30話 氷点下と獲物の血

 講堂に戻ると照明は復旧していたが、生徒たちはまだ倒れたままだった。


「ルーちゃん、しっかりして」


「う……」


 微かに身じろぎしたルーちゃんを抱えて講堂を出ると、外にボディーガードさんが待機していた。


「アイリ様、ルチア様は……」


「大丈夫よ、気を失っているだけみたい」


 ボディーガードさんがルーちゃんを抱き上げると、ルーちゃんの意識がわずかに戻った。


「……アイ、リちゃん。変な男が、なにかして……。アイリちゃんは、大丈夫、でしたの……?」


「私は平気だよ。……セバスチャンが守ってくれたから。もうあの変な人もいなくなったよ」


「……そう、よかった。さすがセバスチャンですわね……」


 ルーちゃんは安堵した顔になり、再び意識を失った。


「ルチア様……、眠ってらっしゃるようです。お怪我も無いようですし、このままお部屋にお連れします」


「うん、お願いします」


 しばらくすると講堂の中が騒がしくなってくる。他の生徒たちも起き出したみたいで先生方が慌ただしく出入りし始めた。

 私とボディーガードさんはその騒動に巻き込まれないようにそっと各部屋に戻ったのだった。



 ******




『きゅいきゅい』


 部屋に入るとナイトがぷるぷると揺れ出す。


「ナイト?」


 バレッタがぽふんっと音を立ててコウモリの姿に戻った。そして、パタパタとベッドまで飛んでいくと眠っている吸血鬼様の頭上をぐるぐると回り始めたのだ。


「きゅいきゅいっ!きゅいっ!」


 なんだか焦っているように必死に鳴いていた。


「……吸血鬼様が、どうかしたの?」


 そっと眠っている吸血鬼様の顔を覗き込む。静かに目を閉じてるようにしか見えないけど、……なんかちょっと変な感じがした。


「……!」


 思わずその頬に手を当てると、まるで氷の塊のようにゾクリとするほど冷たかった。吸血鬼の体温は人間よりも低い。だが普段は少しひんやりして気持ちいい程度の低さだ。だがこの冷たさは異常な気がした。

 触っている指先が冷たさでかじかみ、まるで冷凍庫の中にずっと手を入れていたみたいな感覚になる。吸血鬼様の顔はいつもの無表情のまま。でも青白く冷たいその肌が死人の顔を連想させた。


「きゅいーっ」


 ナイトが涙目になってぐるぐると飛んだ。なんて言ってるかはわからないが、緊急事態なことだけはわかる。

 ゲームでの吸血鬼様はこんな状態になったことなど無かった。でも、きっとどこかになにかヒントがあったはず。


「裏公式設定集……それとも裏公式サイト……。ゲームにも出てこない、マニア向けのホームページ……」


 意外と人気のあった吸血鬼様の情報を知りたがるファンはけっこう多かった。

 特に弱点系の情報を知ってそのギャップに悶えるファンのために、ゲーム攻略にはまったく関係ない情報が書かれているホームページもあったのだ。(もちろん攻略対象者や他のキャラクターのもあったが、私は吸血鬼様の情報のみを重箱の隅をほじくりかえす勢いで見てたはずだ)


「……思い出した!」


 人間が体調を崩すと高熱が出るのと逆で、吸血鬼は体調を崩すと低温になるのだ。低ければ低いほど、体調の悪化を表す。

 いくら吸血鬼でも一定の体温を保てないとやはり不調となり、最悪の場合は理性を失い本能のまま動く化け物になってしまう。


 そう、書かれていたはずだ。


「……疲れたって言ってたけど、体調が悪かったのね」


 しかしこの冷たさはかなりまずいのではないだろうか。吸血鬼自身の体調不良には本人の治癒力は役に立たない。その治癒力の効果が下がってるからこその体調不良なのだ。

 とりあえずどうするべきか……。人間の高熱になら冷やせばいいのだから、その逆で温めればいいのだろうか?さすがにマニア向けのホームページにも治し方までは書いてなかった。

 そもそも体調を崩すことがない。という設定だったからだ。


「きゅい~っ」


 ナイトがうるうると泣きながら私を見た。


「吸血鬼様が心配なのね。とりあえずできるだけのことをやりましょう。大丈夫よ、吸血鬼様はラスボスだもの。そんな簡単には死なないわ」


 ゲームの中で吸血鬼様が死ぬのは、ヒロインと攻略対象者の愛の力が込められた剣で刺された時だ。(このときの愛の力100%なら即死、80%なら封印、50%以下なら返り討ちで攻略対象者が死亡。それによってエンディングも変化する)それ以外で死ぬことはない。

 例え本能のまま動く化け物になっても、死にはしないはずなのだ。


 私はミニキッチンでお湯を沸かし、熱い蒸しタオルを作って吸血鬼様のおでこに乗せた。ちょっとは暖まるかな?と思ったが、そのタオルは一瞬で氷の塊へと変貌してしまう。

 最初から被っていた布団をめくってみると内側にはつららができているし、着ていた服も氷の膜に包まれて触るとパキパキと音を立てた。

 さらに温度が下がってる気がする。どれだけ部屋を暖めても吸血鬼様の周囲だけは氷点下のままだ。


 私は、自分が熱を出して倒れた時の吸血鬼様を思い出していた。私の回復力をあげるために、一晩中抱き締めていてくれた。

 私があの時、吸血鬼様を脅迫なんかしなかったら今頃は森の奥でナイトたちと静かに暮らしていたのに、吸血鬼様の運命をねじ曲げているのは私だ。


 指先で自分の首筋に触れた。そこには吸血鬼の傷痕がある。これは、吸血鬼の祝福と呪いの証。


 そして、獲物の目印。


 吸血鬼様に再び血を吸われ、私も吸血鬼様の血を飲めば私は吸血鬼になる。でも、私が飲まなければどうなる?身体中の血を吸い付くされて吸血鬼様の糧になるだけ。

 吸血鬼は元より人間の血を吸って糧にしている。無くても生きていけるけど、いざというとき……そう、自身の体が弱った時の糧にするために獲物を選び目印をつけておくのだ。

 それは吸血鬼の生存本能。ならば私の血を飲めば、治るかもしれない。


「私、お子さまだし胸も大きくないし、綺麗じゃないから。私のことお嫁さんにするのは嫌だろうけど……」


 私はキッチンにあったフルーツナイフを手首に当てた。


「私の血くらいなら、もらってくれますよね?」


 切っ先から赤い血が溢れ出し、吸血鬼様の唇の上にポタポタと落ちた。




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