第二節 狂ったふたり

6:狂ったふたりの今後の話

 一連の騒動が終わり、二人は男が目を覚まさないうちに部屋を出た。桔梗としては、なるべく警察とは関わりたくなかったので、とりあえずほっとくことにした。ここまで痛めつければ、さすがに何もしてこないはずだ。いやしかし、あいつならあるいは……と桔梗は考えた。

 佳奈も未だに今起こったことに対してのネガティブな感情が残っていたため、桔梗と一緒にいたいと言い出した。桔梗もそこそこ疲れを感じていたため、彼女の父親が帰って来るまでの間、その願望と厚意に甘え、彼女の家で休ませてもらうことにした。


「それにしても、4階の窓までどうやって来たの?絶対人に見られてるよ」

 佳奈はコップに入った麦茶を桔梗の前に置きながら訪ねた。

「問題ねえな。視線や気配ってのに敏感なんだ、鬼ってのは。誰かまではわかんないけどな、少なくとも誰にも見られてなかった」

 佳奈は「便利なんだねえ」と相槌を打った。

「でも、桔梗が助けてくれて本当に良かった。これからも一緒にいようね!」

 桔梗は佳奈が恥ずかしそうに言った言葉の中の「一緒に」という言葉にハッとした。冷静になって、今まで自分がしてきたことを思い返すと、少し焦りを感じた。


(確かに、あそこまですれば佳奈は俺が鬼だってことを信じるだろう。でも逆に、俺は佳奈を完全に信じることは出来ない。そもそも、あの底抜けにお人好しな馬鹿善人マスターと違ってこいつは所詮、ただ仲がいいだけの少女ガキだ。鬼であることはともかく、人喰いだってことを打ち明けるなんて、俺は一体何を考えてんだ……?)


 しかし、桔梗は打ち明けてしまった以上は「もう後戻りはできない」と理解していた。しばらく考え込んだ後に仕方ない、と腹を括って取り敢えずの交渉を試みることにした。


「……なあ、俺が鬼だってこと、誰にも言わないでくれないか。正直こんな口約束には意味が無いんだけど──」

「わかってるよ」

 佳奈は食い気味に答えた。

「桔梗が鬼ってことが広まっちゃったら、桔梗はもうこの街にはいられなくなっちゃうんでしょ。私は桔梗といられて幸せだから、自分からそれを壊す事なんてしないよ」

 桔梗は、この言葉を聞いて、そして佳奈のその曇りのない瞳を見て、本当に信じてもいいのかもしれない、と思った。とはいえ、まだ自分の中で答えが出た訳ではなかった。それに、本当は「お前は人殺しの共犯になるんだぞ?」とかなんとか言おうと思ったが、

「……そうか。まあ、うん。取り敢えずそういうことにしとくよ。その……ありがとう」

という言葉に留めておくことにした。


 何となく気まずい空気になる。桔梗はそれに耐えかねて、申し訳なさそうに出された麦茶を少しだけ飲んだ。その後、桔梗は無理に話題を変えようと試みた。

「な、なあ……俺って何時くらいまでここにいていいんだ? それとも、早めに帰った方がいいのか……?」

「んー、別にしばらく帰ってこないからあと何時間かいても大丈夫だと思うけど……。明日もお仕事で、朝早いんだっけ?」

 そう言われた時、桔梗はこれを自然にこの気まずい場を脱するチャンスだと考え、帰ろうと思い立った。

「んー、たしかにな。いやそうは言ってもそこまで早かねぇけど……。でも、長居すんのも悪いし、十分休憩したしそろそろお暇しようかね……」

(本当は一旦気持ちの整理つけたいだけなんだがな……。)

 彼女はまるで自然な流れであるかのように振る舞い、一旦この場を離脱するために玄関まで歩いて行った。

「えー、帰っちゃうの。言ってくれれば夕飯くらい作ってあげるよ?」

「はは、じゃあそれはまた別の機会に楽しみにしとくよ。お前の手料理は美味いんだろうなぁきっと。それじゃまたな──」

 彼女が靴を履き、ドアノブに手をかけたその時だった。佳奈が、突然後ろから桔梗に抱きついたのだ。

「ねぇ、桔梗」

 改まった様子の佳奈に桔梗は少し身構えた。

「な、なんだよ」

「……本当に、私と、一緒に居てくれるの?」

 佳奈がゆっくりと口に出した言葉に、桔梗は少し笑いそうになった。

「今更何言ってやがるんだ! お前が俺の事を誰にも言わない限り、俺はお前とずっと一緒だ。安心しなよ」

 桔梗はそう言って、佳奈の手をぽんぽんと軽く叩いた。佳奈は小さく「ありがと」と言うと、静かに手を離した。

「じゃあ、またね。これからもよろしく」

 桔梗は佳奈に見送られながらマンションの階段を降りて行った。


 日が暮れだした道を歩いている間、桔梗は考えを整理していた。これからどうするべきなのだろうか、と。

(まだ完全に信じる訳にはいかねえが、あいつとはこれからも一緒だってことは確かだろうな。いや、それはともかく……あいつ、どうしたんだ。なんか、今日のあいつに影があった気がした。あいつには、まだ俺の知らねえ部分、それもかなり大きな何かがあるんじゃないか……?)

 しかし途中で、彼女にとってわかりやすい気配が、すぐそこまで来ていることに気がついた。先程のあの男である。

「なんだよあの野郎、思ったより早く報復にきたじゃねーか」

 彼女はバレない程度に小さく呟くと、そのまま気付かないふりをして歩いていた。ここは山道であり、滅多に車が通らない。だからこそ、そろそろ不意打ちでもするんじゃないか、彼女はそう考えていた。

 すると案の定、男がこちらへ向かって一気に走ってくるのを、桔梗は感じ取った。

 彼女はそれを紙一重でかわした。見てみると、男の手には包丁が握られていた。

「あぁ……避けやがったな! 避けるんじゃない! ちゃんと死んで償ってくれよ、ボクから佳奈ちゃんを奪ったことをォ!」

 彼はそう言いながら、桔梗に向かって包丁を振り回す。しかし、彼女にそれが当たることは無かった。彼女は何も言わなかった。

「死ねぇ! あぁ……絶対に後悔させてやるからなぁ! 絶対にっ……」

 彼女はただ淡々と、男の首をへし折った。

「……ちょいと早すぎるんだよな。こちとら満腹度的な意味でストックがあと一週間はあるってのによ……」

 彼女は事切れた男を抱え、家まで持ち帰る。


 無論、彼女は持ち帰ったそれを貪り食った。

「……人を食ってるところは、絶対にあいつには見せらんねえな。言葉でわかっているのと、本物を見るのは訳が違うからよ」

 彼女は食後の煙草をふかしながら、そんなことをぼやいていた。


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