第20話
いつもテレビしか眺めていない妖怪が、その日は窓の外を眺めていた。
「どうしたの?」
「なんか、おいしそうな匂いがするでやんす」
時刻は夕方だ。焼き芋屋でも来ているのだろうか。
そう思って妖怪の後ろから窓を覗くと、下の電柱の影にサッと誰かが隠れるのが見えた。
電柱から、白い影がはみ出している。
あの女だ。
そうか、とうとう、ここまで来たのか。電柱の影に、不審な女が立っている。そうね、その程度なら、警察は動いてくれない。それで、どうするの?これから、日を置いて、通報されにくい感覚を置いて、私にプレッシャーをかけ続けるつもり?いいわよ、そっちがそう出るなら、私は今後一切窓の外を見ないだけ。
窓から離れようとした、その時、女が歩き出すのが見えた。道路の真ん中で立ち止まり、女は、こちらを正面向いてみている。へぇ、そんなに堂々と。敵ながら、笑いがこみ上げてきた。そんなとこにに立ちんぼしていたいなら、ずっとそうしていればいいじゃない。そんなことしたって、私には、精神的ダメージは与えられない。女がさらに歩き出す。その足は、私のいるアパートに向かっていた。女の姿が見えなくなる。
来るっていうの?来るなら、来なさいよ。ピンポン押しやがったら、証拠に写真を撮ってやる。
私は携帯のカメラを起動すると、玄関へ行き、女の足音を今か今かと待った。だが、いくら待っても、女の足音は聞こえてこない。
そうか、来る、と見せかけておいて、帰ったのだ、私が、いつ来るか、いつ来るかと部屋で怯えているのを想像して笑いながら。
……
「ねぇ、いつまで客人を放っておくつもり?」
突然、背後で声がして、驚いて私は携帯を取り落とした。画面が、粉々に砕ける。いつの間に……。
「ほーら、また、あなたは選択を誤った。その画面を割ったのは私じゃない。あなたなのよ」
この女……。振り返ると女は土足のまま部屋の中央に仁王立ちで立っていた。だが、これでハッキリした。この女は、物理的な存在では無い。
のっぺらぼうが、怯えたように口をへの字に曲げ、寝室へ隠れるのが見えた。
私は女へと向き直る。
「あなたは、一体何?何故、罪のない人々を、死へと追いやるの?」
「まあ、罪のあるものもいたけどね」
「あなたが誘導しているんでしょう?」
「私は、人が心の奥底に持っている、自分でも気付いていない感情を増幅して引き出しているだけよ」
「それが余計だっていうのよ。温かい言葉をかけてあげれば、改心する人だっているのに」
「勘違いしているようだけど、私は慈善事業をしているわけではない」
女はため息をついた。
「生け贄、って知ってる?あるいは人柱」
「知ってるわよ。そんなのが信じられ行われていたのは、昔の話でしょ?」
「じゃあ、何故今はしないの?」
「人道的ではないからよ」
「人柱や生け贄の習慣をやめたがために、日本は災害続きなのに?人は、その死が無念であればあるほど、その地に留まり、自分の生きた証を残そうとする。せめて自分が死んだその地を守ろうとする。大勢が死ぬのと、たった一人の犠牲で済むのと、あなたはどっちを取るのよ」
トロッコ問題か。私の嫌いな問題だった。
「災害を防ぎ、一人も犠牲者が出ないようにすればいい」
「ウハハハハ」
女が高笑いした。
「甘いわね。そうはいかないから、私のような存在がいるのよ。そもそも私は、人の依頼を受けて動いてる。どこそこの守りが薄いから、適当に犠牲者を作ってください、とね」
信じられなかった。現代に、そんな考えをする人間が複数いるなどと。しかも、実際に行動に移している。
「最低ね」
「そう言うのは簡単ね。そもそも、私はあなたと議論しに来たんじゃない。あなたに、消えてもらいに来たのよ。あなたは、せっかく私が作った人柱を、天に上げて回ってる。迷惑なのよ。あなたには、この地上から消えてもらうわ」
「私は、あなたに何をされても、絶対に自分から死を選ぶことはしない」
「ギャハハハ」
女がまた、大笑いした。
その時、寝室に行ったはずの妖怪が部屋から出てきた。女の声で起きたのか。眠いのか、しきりに何もない顔をこすっている。歩き出そうとして、こけた。すると、その口から青白い魂が出てきたかと思うと、それは靄のように伸びたり縮んだりして形をかえた。そこに現れた人の姿を見て私は息を飲んだ。それは、懐かしい彼の姿だった。
「やあ、やっとまた会えた。そして、こっちの女は、俺を突き落とした女だな」
彼が女に襲いかかる。女の白い首を、締めようとする。だが、女は、ただ笑っていた。
「そんなの、効かない」
女の後ろで、意識を取り戻した妖怪が眠そうに顔をこすり、あくびするのが見えた。大口を開けて息を吸う。そこに女が吸い込まれ、消えた。
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