第5話
街で出会った大学生の独白
…それでね…。うん。私の話口調…、飽きた?うん、でもね、聞いてほしいの、お願い。
やっぱり、何も無い田舎に住んでたから、何でもある都会に対する憧れは、あったかな。うん。憧れしかなかったかも。今思うと、世間知らずね、それも随分な。でも仕方ない。それが若い頃の私だったの。
今は分かる。そういうのは、ただの首都機能を維持するための、労働力集め。うん、そういうふうにしか、思えない。踊らされて、馬鹿みたいね。でも、それが若かった頃の私。しょうがない。
自分の人生なんだから、自由に謳歌しなきゃ、生まれた意味なんかわかんない。そう思ってた。今でもそう思ってる?…そういうとこ、あるかもな、今でも。自分の自由意思のつもりが、いいように流されてただけ。ほんと、情けない。
まあ、色々あって、私は電車のホームに立ってた。防音のための、高い壁、あるでしょ?そっから見える、狭い空。それさえも、人工の作り物に見えて……。それで、限界だと思った。私の中の何かが、プチッと切れる音がした。
……。そこで、私の記憶はおしまい。いつ、宙に連れてってもらえるのかなぁ、って、それからずっと空を眺めてるの。
なんか、道を歩いている時に、スカウトっていうの?白いスーツを着た女性に声をかけられて、「映像作品に出ませんか?」って言われて、噂には聞いていたけど、やっぱり都会ってそういうことあるんだ、って舞い上がって。でも、もともと田舎の人間だから、なんか、恐くなって、連絡しないでおいて、そしたら向こうから連絡きて、「ぜひあなたに出てもらいたいなあ」みたいな、とっても残念そうな声。私は、流されやすいのかな?田舎にいた時はそんなこと思ったことなかったけど、とっても残念そうな声、自分が悪いことした気になって、忘れられなくて、なんとなく心臓が痛くなって。そんなに望んでくれてるんだったら、と思って撮影にいったら、スタッフさんなのかな?大勢の人に囲まれて、最初は普通に服を着て道端でセリフを言えば良かたっんだけど、「いいねー!」なんて声かけられて、調子良くなって、部屋の一室での撮影になって、「どうしても脱ぐシーンが必要だから」って、さっきまでと打って変わって、恐い顔、トイレに行くふりして逃げようと思ったら、出口の前に身長2メートル、体重100キロもありそうな人が、腕組みしてこっちを睨んでる。監督に「金だけもらって、仕事しない気か!」と怒鳴られて、恐くて泣きながら脱いだ。後でお金貰っても、ドブに捨てたくて仕方がなくて、見ると撮影中の嫌なこと思い出してツラいから、ホストクラブに行って一晩で使った。こんな情けない目にあったなんて、田舎でのんびり暮らしてる親には、無理言って大学進学のために都会に出てきたわけだし、言えないから、一人で抱えてツラかった。どうやって、皆、自分を強くもって生きているのだろう。誰かが残念そうな顔で自分を見ると、自分がひどく残念な存在に思えてきてツラくなってしまう。それで、相手が笑顔になることだけを、どんどん引き受けてしまう。私だけなのかなあ。なんか、生きてるのが、嫌になってきちゃった。
いつからだろう。
私の心が固まってしまったのは。
何をしても感動しない。涙も出ない。楽しくもない。私の心は、楽しかった頃の中学時代に置き去りにされてしまったようだった。
何が起きても、全てがどうでもいい。
ニュースを見ても、何も心が動かない。
広いキャンパスを一人で歩いていると、世界から自分だけ見放されてしまったような、侘しさを感じた。
そんな私を変えたのは、ある人との出会いだった。
彼は、会ったその日から、特別に感じた。ある時、入り口で、ぶつかりそうになった。嫌な顔されるか、舌打ちされるか。そんな当たり前の反応を待っていたら、彼はニコリと笑った。ただ、それだけで、ただ、それだけなのに、私は癒された。
広いキャンパスで、私は彼の姿だけを探すようになった。探すことに疲れた私は、彼に確実に会える確約が欲しいと思い、思いきって告白した。彼は突然のことに面食らった様子だったが、私と連絡先を交換することを承諾した。彼の連絡先を手に入れて、私は舞い上がった。生まれて初めて、生きてて良かったと感じた。この日のために、私は今まで辛抱強く生きてきたのだと。
だが、私はすぐに、後悔することになった。彼は、DV男だった。私は、自分を哀れな飛んで火に入る夏の虫だったのだと早々に悟った。
…一体、彼の何に惹かれたのだろう…。いや、惹かれた、というよりは、引かれた、のかもしれない。都合のいいサンドバッグを求めていた彼に。
私の心は愛によって溶けるどころか、ぐずぐずに叩き潰され回復の見込みすら無くなった。
まさかこの世に、こんな地獄があったとは。心が凝り固まっていた時のほうがまだマシだった。私の心はすでに解離して、自分のいる状況を他人事のように見始めていた。こんなことが自分の身に起きているなんて、ツラすぎて認めたくない。ずっと自分が自分でいるのは、ツラすぎて仕方がない。だから私の無意識は、早々に私の意識を手放した。
気付けば、私はドアノブに紐をかけていた。まるで、テレビの画面を通して見ているようだった、自分のしていることなのに。私の胸に去来することは、何一つなかった。過去のことを思い出すこともなく、未来に思いを馳せることも無かった。ただ、自分には今だけがあった。今、この時からのがれたいという思いだけが。
「成仏したらさ、一度天に昇るの。そして、自分で新しいお母さんを選んで、その人のお腹に入って、次こそ、幸せな人生を送るの」
事故物件を抱えてしまったオーナーの依頼で、とあるアパートの一室に来た私は、ドアノブの下にうずくまったままの彼女に声をかけた。
痛みに気付いて手を開くと、自分の食い込んだ爪の後がくっきりと残っていた。相手の男をぶん殴ってやりたい、そんな私の無意識の気持ちの現れだった。彼女はもう二十年もこうしてここに、うずくまっている。相手の男は生きていてもろくな人生など送れていないだろうし、死んでいたとしてもろくな死にかたをしていないだろうと思った。
「…幸せになれるなら、成仏しようかな…」
彼女の丸まった小さな背中が、少し、震えた。
「女の子はさ、自分を保つのが難しかったりするじゃない?」
「どうして?」
「力が弱いから、逃げたくない時に自分の意思に反して逃げなきゃいけなかったり。」
「月のものとか?」
「月のもののせいで、出かけたくても出かけられなかったりする。」
「月の半分は、振り回される?」
「そう。だから、諦めるクセがついちゃう。結局何事も、自分の意思通りにはならないのだと。」
「だから?」
「だからこそ、やっぱり、大事な時には思い出してほしいの。振り回されちゃいけない。自分の意思を強く持たなきゃ、ってね。」
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