第4話

三糖島にて



「いやー、極楽でやんすねぇ」

 妖怪は私と赤い服を着た見知らぬ若い女性に挟まれてウキウキしていた。

「あんたは、いいわね。いつも幸せそうで」


 私と妖怪は、常夏の離島に行くために小型飛行機の中にいた。知らない土地へ行き、気分を変えたかった。霊ばかりと話し、彼のいない彼との思い出ばかり詰まったあの部屋にいると、黒い何かに全身からめとられ、ずぶずぶと底なし沼に沈んでいくような気がしていた。

窓際の席に座った赤い服の女性越しに、明るい光に照らされた青空が見える。飛行機が少し角度を変えると、宝石のように輝く海が覗いた。

 テレビでしか見たことない世界。思わず身を乗り出そうとすると、強烈な太陽の光が差し込み、女性がピシャリと窓を閉めた。無機質な弁当の葢のような白いそれを眺めててもつまらないので、視線を前に戻す。


 飛行機が地上に止まり、非常階段のようなタラップを降りる。強すぎる光に頭がクラクラし、思わず手すりを掴む。

「大丈夫ですか?」

 先ほどの女性が私の腕を掴み、一緒に降りてくれる。

「ありがとうございま…」

 私の言葉を聞くことも無く、さっさと行ってしまう。まあ、悪い人では無いのだろう。多少、情緒に欠けるだけで。

「大丈夫でやんすかぁ?暑いのに、そんな長袖を着てるからでやんすよ」

「これが私のスタイルだから」

 私のような商売をする者には、ある程度の箔をつけないと、人に舐められてしまう。なにしろ、目に見えない不確かなものを扱うのだから。やはり、どこであろうと、黒いロングコートは必須だ。さすがに薄手のものにしたが。

 一方、さっきの女性は、赤いシャツに赤いロングスカート。私と同じで都会にしか生息していない格好ながら、私とは正反対の色。口紅は高級ブランドのものであろう、深いコクのある赤い色で派手過ぎず華やかさを添えていて、とても品があった。とても今からこのデパートや駅ビルなど無い、島を満喫しようという格好には見えないが…。私の視線などものともせず、ヒールの高い赤いストラップのサンダルの音を響かせ颯爽と歩いていく後ろ姿を眺める。


 タラップを下りて空港内に入ると、空調が効いていて生き返った気がした。荷物を受け取り出口へ向かうと、空港の外で何やら騒がしい一団に遭遇する。

「今年こそは、こっちが勝つからな!」

「何を?!去年負けたヤツらが生意気な口をききやがって」

 4、5人ずつの集団が1メートルほどの距離をおいて対峙し、罵り合いのすえ睨み合っている。それを不思議そうに遠巻きに眺める人々。思わず足を止めたその時、すぐそばにいた五十代ぐらいの男性が、ウェーブのかかった白髪混じりの顎髭を撫でながら呟いた。

「まーた、今年も始まった」

「一体、なんなんです?」

 思わず尋ねると、男性はいい話し相手を得たとばかりに嬉々として話し始めた。

「あの二つの集団は、別々の島の住人なんだけどな。二つの島の間で、毎年やっている習慣があるんだ」

 男性は目を細め、遠くを見つめているかのように、しばし黙る。

「お前さんは、余所から来た人間かい?」

 改めて私の服装を眺める。

「…まあ、そうだな。地元の人間は、そんな馬鹿な格好はしない」

 馬鹿と言われてしまったが、…まあ仕方がない。実際に自殺行為と思われても仕方のない、馬鹿な格好をしているのだから。

「二つの島の間に綱を渡して、大綱引きをやるんだ。勝ったほうに、その年の豊漁が約束される。まあ、迷信みたいなもんだが、ばっさまも覚えてないぐらい昔から続く伝統行事なんだ。」

「へえー。面白そう。いつやるんですか?」

「今夜船で二つの島の間に綱を渡して、やるのは昼だ。太陽が天の一番高いところに登った時が、始まりだ。海沿いの、崖の上に来るといい。」

 そういうと、その男は去って行った。

 

 翌日、割と近年まれにみる爽快感と共に目が覚めた。綺麗な島の空気の為せる技なのか。いつも朝は頭の中に鉛が置かれたような鈍痛と共に起き、食欲など微塵も湧かない私が、少し空腹を感じていた。止まっている宿は、食事の出ない素泊まりの宿だった。私は着替え、外に出ることにした。

 外は、まるで午後のように強い日差しに包まれていたが、まだ太陽が天高く登るまでは時間がある。

 空港でもらってきたパンフレットを見ると、観光客に人気のかき氷屋があるようだった。海沿いにあるその店に向かうと、店先のパラソルの下の白い椅子に、見覚えのある赤い服の女性が座っていた。ウェーブのかかった肩下まである茶色い髪を風になびかせ、黄色いソースのかかったかき氷を口に運んでいた。私が近づくと、振り向いて涼しい笑顔で「どうぞ」と一言。差し示された椅子に座ると、「マンゴーソースがお勧めよ」とさも地元の人であるかのように言い、私が何か言う前に店内を振り返ると「オバチャーン、マンゴーかき氷もう一つ!」と大声で言う。

「なんだか、勝手知ったる、って感じね。何度も訪れているの?」

「ええ。私の地元だから」

 そういうと彼女は肩にかかった髪を払いです風になびかせた。

 私は驚いた。スリムで洗練されていて、てっきり生粋の都会で生まれ育った女性だと思っていたからだ。

「そうは見えない?ふふ、私も帰る気なかったもの。どっぷり、都会の空気に浸かってた。でも、最近、電車に乗ってる時に、隣の白いスーツを着た女性が、田舎に帰りたいわ……、って遠い目をして呟いてるのを聞いちゃったの。それが引き金になったのかしらね……。もう、帰りたい、頭の中に、故郷の光景しか浮かばなくなって……。帰って来ちゃた。お父には、怒られたんだけどね」

 女性が、笑いながらペロリと舌を出す。パラソルの縁が風ではためき、彼女の顔が影になる。太陽の眩しい光に隠されていて気付かなかったが、彼女の右頬が赤く腫れていた。

「あ、気付いた?お父に叩かれちゃって。あ、でも大丈夫。愛の鞭、ってやつ」

 彼女は急いで残りのかき氷をかきこむと、パッと立ち上がった。

「もう行かなきゃ。私はこれから生け贄になるの」

「どういうこと?」

「この島の、伝統的な祭りよ。未婚の女性を一人、小舟に乗せて綱の真ん中にくくりつけ、二つの島の民がそれを両側から引っ張る。勝ったほうにはその年の豊漁が約束され、その女性は勝ったほうの島に嫁ぐことになる」

「そんな野蛮なことが……」

「昔はあったみたいね。でも今は、形式だけ。古くさい伝統衣装着て、舟に乗ってるだけの、お飾り。本当は別の子が乗るはずだったんだけど、嫌で逃げちゃったらしくて。たまたま帰って来た私に白羽の矢が立っちゃた。で、心配したお父に、これ」

 苦笑いしながら、自分の赤くなった頬を指す。でも、大丈夫、というように、彼女は毅然と顎を上げる。すっと通った鼻筋は、彼女の気の強さを表しているようだった。

「見にきてよ。海沿いの、崖の上から見えるから」

 昨日空港の外で会った男性と同じことを言うと、彼女は走って去っていった。

 彼女の頬の赤い痣を驚いて、白いスーツの女について聞きそびれてしまった。祭りが終わったら、聞いてみようか、そんなことを考えていると、エプロンをつけた恰幅のいい店の女性が目の前にドンと高さ十五センチはあろうかと思われるマンゴーかき氷を置いた。

 かき氷をほとんど溶かしつつ食べ終え、途中の道でのんびりと歩く野生のヤギに遭遇し恐れおののきながらすれ違い、ようよう崖の上に向かうと、ずいぶんと見晴らしがよく、二つの島の間に渡された綱が見えた。綱の真ん中に、小さな小舟がついていて、誰か乗っているのが見えた。

「あれが、さっきの女性ね」

「そうでやんすねぇ」

 のっぺらぼうなのにちゃんと見えているから不思議だ。

 青い着物風の伝統衣装らしきものを着ていて、それが海風にはためいている。

 「よお、お前さん、見にきたな」

 振り返ると、昨日の白髪混じりのウェーブ髭のおっちゃんだった。

「あの小舟にいる女性はな、昔は勝ったほうの島に貰われていったんだ。もちろん、現代では、ただお飾りで座っているだけだ。」

 昔の野蛮な風習に、あらためて怖気がふるった。

「それに、昔はもっと怖いことが行われていてな、もし綱引きの途中で小舟がはぐれた場合、誰も追わない。その時は、海の神様が欲していたんだ、と、諦める。その時点で、綱引きは終わりだ」

「ずいぶんと、ひどい風習だったんですね」

「ああ」

 おっちゃんはニヤッと笑った。

「だが、現代では、人道に反するから、ロープが切れて小舟が離れた場合、待機してる船が追って救助することになっている。安心してくれ」

 最後のセリフは、私に言ったというより、おっちゃんが自分のために言った気がした。

 港の、大漁旗が一斉に上がった。

 綱を持った島民たちが、声を上げ綱を引き合う。

 力が拮抗して、なかなか決着はつかない。

「あっ」

 おっちゃんが声を上げ、慌ててポケットから携帯を取り出した。

 見ると、小舟が綱から離れて、波間を漂いはじめていた。

「救助班!小舟が離れたぞ!追ってくれ!」

 引き潮なのか離岸流なのか、海に詳しくないから分からないが、女性の乗った船は波に押されどんどんと離れていく。

「見るでやんす。海の中から、誰かが船を引っ張っているでやんす。」

 確かに、眩しい海面に目を凝らすと、波間に白い人影がいて、小舟に手をかけ引っ張っているように見えた。

 港から出た一艘の船が、エンジン音を響かせ向かう。だが、それよりも速いスピードで、小舟は沖に向かっていた。小舟の向かう先には何もない。ただの大海原だ。

 「救助班、もっとスピード出せないか!」

「これで精一杯やってる!なんだ!あの速さは!あの小舟にエンジンなんかついてねえよな!」

「ああ、当たりまえだ。俺が点検したのだから……」

 おっちゃんは、放心状態だった。

 誰も成すすべなく、小舟は、水平線の向こうに消えた。微かに女性の悲鳴が、波風を伝って聞こえた気がした。

「嘘、嘘だ、こんなこと、どうして……」

 おっちゃんの目に、並々ならぬ涙が浮かんた。よく見ると、その鼻筋は、あの女性とそっくりだった。

「もしかして……」

 おっちゃんは、しゃくり上げた。

「ああ、あの子は、

俺の娘だ」

 おっちゃんが、叫び出した。

 その慟哭はやがて途切れ、波間に消えた。

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