よいの一時

九戸政景

よいの一時

 夕焼け空と星空の境のような空が広がる夜、街のある一角で小さな屋台が空腹を刺激するような香りを漂わせていると、そこに一人のスーツ姿の男性が現れた。


「親父さん、今日も来たよ」

「……いらっしゃい」

「はっはっは、今日も物静かだね。いつもの頼めるかな」

「……あいよ」


 店主が静かに答え、老年の男性がそんな店主の姿にクスリと笑っていると、そこに一人の若い男性が姿を見せた。


「こんばんは……あ、お疲れ様です」

「おお、君か。お疲れ様。今日の仕事はどうだったかな?」

「今日も疲れましたよ。あ、親父さん、いつものでお願いします」

「……へい」


 若い男性の言葉に店主は再び静かに答えると、網の上には調理前の焼き鳥が置かれ、店主がその内の幾つかにハケでタレを塗ると、焼けていく音と香りが男性達へと届き、二人は嬉しそうに笑みを浮かべる。


「ふふっ、どんなに疲れてる日でもこの一時があると、今日も頑張ったなぁと思えるよ」

「そうですね。僕も少し前からここに来させてもらってますけど、ここで食べる焼き鳥と一緒に飲むお酒があるから頑張れてる気がします」

「私もだよ。ところで、そちらの仕事は順調かな?」

「一応は。特別業績が伸びてるわけではないですけど、上司にも怒られて同僚達に時々先を越されながらもなんとかやれてます。そちらはどうですか?」

「ウチも特別業績が伸びてるわけではないかな。社員達も頑張ってくれてはいるけど、世の中の流行り廃りはあるからね。何か真新しい物が必要かなと思っているよ」

「そうですか……それにしても、こうしているのはなんだか不思議です。普段であれば、僕達って中々出会う機会も無いはずなのに、こうして約束もしてないのに屋台まで集まって食べたり飲んだりしてるなんて」

「そうだね。けど、どんなに豪勢な料理や酒よりもここでの一時には勝てないよ。ここなら仕事の時の自分を忘れて素のままでいられるからね」

「そうですね。そうじゃなきゃ、今でも貴方と話すのは本当に緊張しちゃいますから」

「はっはっは、そうだろうね。けど、これからも近い距離感で頼むよ。その内、ここに娘も連れてきたいと思っているんだが、どうやら君に興味と好意を持っているようだからね。その時には私と接する時と同じように頼むよ」

「はい、わかりました」


 若い男性が微笑みながら頷いていると、二人の前にはそれぞれタレと塩の焼き鳥がコップと栓が抜かれたビール瓶と共に置かれ、男性達はお互いにビールを注ぎ合った後、コップを持ちながら笑い合った。


「それじゃあ今日もお疲れ様。乾杯」

「乾杯」


 カチンという音が響き、二人は揃ってビールを飲むと、その冷たさと美味さに微笑み、寡黙な店主が他の料理の準備を始める中で歳や身分を気にしないまま二人は楽しそうに話しながら焼き鳥を肴に酒を酌み交わしていった。

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よいの一時 九戸政景 @2012712

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