私の名前を呼んで

@tukishirogekka

きらきらと風に靡く彼女の名前



さらさらと、砂が崩れていく。


男は泣きながら手に残った砂を握りしめた。


握った手の上からキスをして、地面に落ちた煌めく砂を掻き寄せるように集め、むせび泣いた。


「数葉!」


もう呼んでも答えてくれることのない、彼女の名を幾度となく呼び、男は悔恨の日々を振り返った。




20××年、人々は地球温暖化対策の為に新たな装置を産み出した。


その装置は、設置すると地表の温度を下げ、人々が過ごしやすい環境を整えてくれるものだった。


人々はこぞってその装置を使用した。


照りつける日差しは日々強くなり、地面からの反射熱で人々を焼いたからだ。


しかし、ある日、下がりすぎた地表の温度が眠っていた化け物を呼び覚ましてしまった。


地表の温度は、大気から発せられる紫外線により暖められている。


その紫外線を効果範囲内で反射させるこの装置は、人々が予測したよりも地表の温度をさげてしまっていた。


結果、冷えた地表の奥から、眠っていたウイルスが目を覚ますこととあいなった。





寒い気温のなかでしか生きられないそのウイルスは、生き残るため生物に取りつくことに成功し、足元の傷や水虫などから、瞬く間に体内に根をはった。


そうして、進化を続け、今や人類の最大の敵になっていた。




始まりは、ある家庭でのこと。


「あ、薫、それとって」


「ん、わかっ、えっ、きゃー!!」


夫婦間の何気ない会話で、名をよばれた方の腕が突如として崩れ落ち、砂になったのだ。



このニュースは都市伝説として、瞬く間に広まったが、余りにも現実味がなく、直ぐにかききえた。





「ねえ、実、最近、数葉ちゃんとはどう?」


おせっかいな母親が、俺に喋りかける。


当時、長年付き合っていた数葉とはマンネリ期間に陥っていた俺は、どことなく気まずくて、逃げるように食卓を後にした。


「別に、ふつー」


「もうっ、数葉ちゃんに捨てられてもしらないわよ」


プンプンと怒る母を背に、俺はバイト先に向かった。




「遅いよー、実」


「わりー」


はたから見ても、お姉さん系統のショートカット美女は俺の彼女の数葉だ。


新しく髪を染めたのか、明るいブラウンになっていて、彼女によくにあっていた。


なんとなく、見惚れたのがくやしくて、態度も荒くファミレスの席につく。


やがて、ポツポツと会話している最中に数葉が真剣な顔でこちらを見た。


「ねえ、実。最近、冷たくない?なんかしたかな?」


「いや、いつも通りだろ」


なんとなくうっとおしくて、目をそらす。


「そう?だって、最近、実に名前、呼ばれてないなぁって。‥ちょっと寂しいよ」


すねたように、言う数葉にうっとおしい半分、可愛らしいはんぶんで、俺は渋いかおをした。


顔がいいというのは、得だなとひがみっぽく思いながら、ため息をはく。


「数葉」


これでいいんだろ?と数葉を見やれば、顔をぱぁっと輝かせ、ーーー、痛みと恐怖に顔をゆがめた。


「あああああああぁ!」


言葉とも呼べない絶叫がほとばしり、店内の人々がこちらを見て、さらに絶叫した。


俺は、倒れた数葉にかけより、目の前の光景が理解できなくて呆然と佇んだ。


彼女の腕から先はなくなり、辺りに銀の砂が煌めいていた。




「px057ウイルスに感染していますね。残念ながら、病院の治療方法が見つかっていないため、徐々に進行し、最後には死に至るでしょう。

進行を送らせるためには、名前を呼ばないこと。

名をよべば、一気に進行します。くれぐれもご注意ください」


彼女の病気が、あの都市伝説の病だとしって、彼女の両親も、俺も、そして彼女も真っ白になりながら、帰宅した。


幸い、この病気は人から人には移らないので、一緒にはいられる。


こんな時でも、彼女は明るくて、残った日々を俺と共に大切に過ごそうとしてくれた。


でも、俺は彼女が夜中、一人で膝を抱えて泣いていることや、他の人が名前を呼ばれるたび、一瞬、悲しそうな顔をすることを知っていた。


後悔しても、もう遅い。


あんなにも時間があったのに。


あの穏やかな日々で、彼女の名前を何度呼べたことだろうか。大事に、大事に、すればよかった。


両親には反対されたが、俺は振り切って彼女と二人で彼女の両親の側で暮らしはじめた。


「一緒に暮らそう」


そう言ったとき、彼女は泣き笑いしながら喜んでくれた。


毎日、過ごすなかで、着実に彼女は痩せ細っていった。


体内から微量ずつ、砂化しているのだ。




久しぶりに、彼女が一緒に出掛けたいといった。


「いつまで動けるかわかんないからさ、一緒に行きたい」


無理やり作った笑顔でそう言う彼女が哀しくて、俺は彼女を抱きしめて言った。


「ああ、どこへでもいこう」


そう言う俺に彼女は茶目っ気たっぷりに、なら、ヨーロッパ一週旅行!と笑っていった。


本気で算段をつけようとする俺に、彼女は慌てて、いやいや、冗談だから、あの海でいいから、と言った。


可愛いかった。


本当に、もうすぐ、いなくなるのが信じられないくらい。




出発の朝、彼女の両親が訪ねてきた。


「あの子を、宜しくね」


泣き腫らした顔が気になったが、なにもいえずに、頷く。


そうして、彼女と二人で思い出の海に向かった。





ひとしきり海で遊んで、砂浜でふたりで微睡んでいると、彼女がたちあがった。


夕暮れ近い黄金の空からさす光は綺麗で、彼女の髪に反射してキラキラと輝く。


儚いその姿に、息もできずに見惚れてしまった。


「ねえ、あのね、私の名前を呼んでほしいの」


彼女が小さな声で言う。


「馬鹿をいうな!そんなことしたら、おまえ、死んじゃうんだぞ」


そう叫ぶ俺の方を彼女は振り返った。


淡い茶色の髪が光に透け、彼女自身がとけていくような錯覚に陥る。


「あのね、私、もう長くないの。あと数日もしないうちに死ぬわ。お医者さんに宣告されたの。

死ぬまで、誰にも名前を呼ばれないのは、寂しいわ」


「そんなこと、聞いてないぞ」


俺は歯を食いしばった。


きっと、彼女の両親は聞いていたのだろう。


そうして、彼女の最期の意思を尊重したのだ。


「ごめんね、弱くて。ごめんなさい、甘えてしまって。

ずるくても、弱くても、最後、あなたが真っ赤な顔で告白してきてくれたこの場所で、あなたに名前を呼ばれたいとおもったの」


静かにそう告げる彼女に、ああ、本当にもう時間は残っていないんだなとわかった。


俺は立ち上がり、彼女を抱きしめた。


「愛している、数葉。誰よりも‥」


彼女はふわっと笑って、嬉そうに泣いた。


「私も、大好きよ、実」




そうして、日の光に砂となって溶けていった彼女を幾度となく、俺は抱きしめた。






「数葉、すぐに、そっちにいけそうだ。まっていて。

今度あったら、めちゃくちゃ大事にする、約束だ」


嬉しそうに呟く実の指は、さらさらと風に靡いて崩れ落ちていた。

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