第9話


翌週の金曜日の夜。

とある居酒屋で、ニナとヴァンはお互い下を向いていて、喋らない。

全て個室タイプの小洒落た居酒屋で、周りの騒がしさが2人を守ってくれていない。




––なんで私は誘ったんだろう。なんで私は誘ってしまったんだろう。バカじゃない?頭ぶっ壊れた?



––コンコンッ。



「失礼しまーすっ!ビールお2つ、お待たせしましたーっ!」



元気な店員が、飲み物とつまみを置いた。



「…じゃ、とりあえず、乾杯。」



「乾杯、です。」



控え目な乾杯をする。

しかし、2人とも、緊張と気まずさで、豪快に飲み干し、同時にジョッキを机に置いた。



「…お酒強いんですね。」



「…ニナも、ね。」



「…ふっ。ふふ…」



「…はは…」



2人とも、なんだかおかしくなってしまい、次第に大笑いした。そのおかげで、緊張がとける。



「…ね、なんで急に誘ってくれたの?」



「ぐっ…そ、それは…なんと、なく?」



「…なんとなくかー。うははっ。そっか、なんとなくか!」



ヴァンはニコニコしている。



「…変な笑い方。」



ニナはボソッと言って、メニューで顔を隠す。



「あ、次何飲む?俺はまたビールかな!」



「…ほんとは、俺なんですか?一人称。」



「…あ。うん、そう。」



ヴァンは頭を掻いた。

思いがけず秘密を曝け出してしまった彼が、なんだか少しだけ可愛く思えた。



ビールを2つ頼むと、すぐに提供された。



「あの、なんで急にこっちの支店に転勤されたんですか?」



「んー?今の支店長からオファーがあってさ。副支店長が退職するから、代わりに来ないかって。まぁ、前の支店では、やることやりきったつもりだし、いいかなって。おかげでニナにも会えたしね。」



「うっ…。…あの、私、あんな言い方して…すみませんでした。」



「…まぁ、俺もしつこかったと思うし…悪かった。」



ニナは少し安堵した。



「……ふふ。仲直り、ですね。」



ジョッキを両手で持ちながら、ふにゃっと笑うニナの姿に、ヴァンはドキッとときめいた。



「…な、俺、可能性あるって、思っていいの?」



ヴァンはニナを見つめる。



「ッ!……。」



ニナは目を逸らす。



「…思っていい?」



「…っ。」



「ニナ。」



「…ぃ…」



「?」



「……ぃ、いぃ、かも?」



ニナは小さく呟いた。



「!……ぅぅッ!ッしゃ!…今日は俺のおごり!飲め飲め!たんと飲め!」



ヴァンはわかりやすく喜んでいる。



ニナは可愛いヴァンに、心が傾きそうになっていた。



同時に、寂しい気持ちも湧き上がる。

––これが、魔法じゃなかったらいいのに。



それから、お互いの家族の話になった。ニナは実家暮らしで、妹が最近アードゥと結ばれたことを話した。ヴァンは一人っ子で、今は一人暮らしをしているらしい。両親の写真を見せてもらうと、ヴァンは母親そっくりだった。



「お母さんそっくりですね!」



「よく言われるんだよなぁ。俺はわからん。」



「やっぱ美形は美形から生まれるんですねぇ。」



「…え、俺かっこいい?」



「…!みみみんな言ってるんで!」



「…ふへっ、そうかぁ。」



ヴァンは嬉しそうだ。



それから、他愛ない話をして、2人ともほろ酔いになったところで店を出た。



「もう遅いし、送るよ。」



「ありがとうございます。」



ニナは断ることなく、自然に言った。

ヴァンは内心喜んでいる。



「ニナ、ほんとに酒強いんだなぁ。意外だった!」



「副支店長こそ、全然酔ってないじゃないですか!」



「えぇ、そうかな?…な、2人でいる時は、名前で呼んでくんない?周りに役職晒すのも嫌だし…」



「…タンザナイトさん?」



「んー?ヴァンさん。」



「…善処します。」



「お待ちしております。」



「段々冷えてきましたね。」



ニナは少し手をさする。

この国は四季がある。今の季節は秋。夜は少し冷え込む。



「…俺の手、空いてますけど。」



「遠慮します。」



「遠慮に遠慮ねぇな。」



「上司と部下ですから。」



「まだ…ね。」



「酔った勢いとかは、嫌ですし。」



「…。」



ヴァンは無言で、ニナに自分の上着をかけた。



「…!さ、寒いでしょ?」



「…今日はこれで勘弁してやるの。黙って羽織ってろ。」



「…あ、ありがとう…ございます…。」



ふわっと、彼の使う柔軟剤の香りが鼻をくすぐる。それが鼓動を強く打たせ、身体の体温を上げる。薄手の上着だが、厚手のコートを着ているようだ。






しばらく無言で歩く。

すると、車道を挟んで向かいから声が飛んできた。



「おーい!ヴァン!」



「…?」



綺麗な女性が、車が来ていないことを確認しつつ、こちらに小走りでやってきた。



「久しぶりじゃん!」



女性はヴァンの肩をばんばん叩く。



「いてぇよ。酔ってんの?」



「酔ってないって!…て、彼女?」



女性がチラリとニナを見る。

女性はとても美人だ。黒髪ロングで、瞳は夜がよく似合う美しい紫色をしている。



「…部下。」



「なぁんだ部下ちゃんか!私はクロエ。クロエ・オニキス。こいつと同期!よろしくね!」



「えと、ニナ・クンツァイトです。よろしくお願いします。」



「ニナちゃんかぁ。可愛いね!ヴァン、送り狼になるなよ?」



「ならねぇよ。」



「ふふ、毎日一緒にいたんだから、わかってるよ。じゃ、また近いうち飲み行こ!連絡する。」



「…!ちょ…」



ヴァンは驚いた。クロエはヴァンの頬にキスをしたのだ。クロエはそのまま笑顔で去って行った。



「…随分仲がいいんですね。」



「ちがっ…今のは」



「いや、別に私は構わないですけど。」



ニナは冷たく言い放った。



「もう、すぐそこなんで。上着、ありがとうございました。」



ニナはヴァンに上着を返し、弁解させる隙を与えずにそそくさと帰っていった。






ニナは風呂に入り、先程の出来事を振り返った。



「…なによ、イイ人いるんじゃん…。」



クロエは美人で背が高く、スタイル抜群である。誰が見ても、ヴァンとクロエはお似合いカップルだ。



「…キスまでさせちゃって、鼻の下のばしやがって。」



ニナは、一度ぶくぶくと湯の中に沈んだ。



––別にガッカリしてない。どうでもいい。どうでもいいんだ。あんな奴。……どうでもいいはずなのに…消えてくれない。ムカつく。ムカつく…。



息が続かなくなり、顔を上げる。

それから、ひたすらただ天井を見つめる。



「…この感情も、魔法なのかな…。」



ニナは、ぐっと胸に手を当てた。

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