二 黒坊主
それから数日経ったある日のこと。M君の抱いたその不安は現実のものとなります……。
その日の昼下がり、駅前の繁華街に一人で買い物へ出かけていたM君は、雑踏の中に奇妙なものを見かけました。
「……おめでとうございます……おめでとうございます……」
道の真ん中に立つみすぼらしい恰好をした一人の人物が、なにやら脇を通り過ぎる人々にそんな言葉をかけているんです。
正月でもないのに何がおめでたいのか? 当然、気になってM君が目を凝らしてみると、そいつは全身真っ黒い肌のぶよぶよの身体に、腰布だけを巻く坊主頭の男でした。
それに、後頭部だけは長い髪が所々生えており、その見開かれたどんぐり眼は顔から飛び出しているようにも見えます……それは、まさにあの廃寺で見た仏像を彷彿とさせる姿なんです。
「……おめでとうございます……おめでとうござ……」
その不気味な目の飛び出した黒い坊主が、通りを行き交う人々にそう声をかけ続けています……ですが、その声に誰も立ち止まることはなく、完全に無視しているというか…いや、まったく見えていない感じです。
「……おめでとうございます……おめでとうございます……」
気づけば、思わずじっと見つめてしまっていたM君の目と、その黒坊主の飛び出した目が不意に合いました。
「……おめでとうございます……おめでとうございます……」
すると、黒坊主はなおもそう呟きながら、今度はM君目がけてずんずんと歩み寄ってきます。
「……ひっ! う、うわあぁぁぁっ!」
迫り来る怪人に底知れぬ恐怖を感じ、堪らずM君は悲鳴をあげると、その場から慌てて逃げ出しました。
まさに、都市伝説で云われている通りのことが起きたんです。
この時は逃げおおせることのできたM君でしたが、都市伝説の続きによれば、見たもののことを忘れて一切関わらないようにしなければ、魔物に取り憑かれて命を奪われてしまうとされています……。
でも、M君はこの〝黒坊主〟を見たことで、あの廃寺にあった奇妙な仏像に対してむしろ興味を掻き立てられてしまいました。
というのも、〝黒坊主〟が行っていたことは、高名な禅僧である一休宗純――即ち、あのとんちで有名な一休さんの逸話となんとなく似ていたからです……。
一休さんは正月、手に持つ杖の頭に髑髏を付けて町に現れ、皆に「ご用心! ご用心!」と告げて歩き回ったのだそうです。
「正月早々縁起でもない。どうしてこんなことを?」と人々が尋ねると、「門松は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」と、一首歌を詠む一休さん。
つまり、皆、年が明けると「おめでとう、おめでとう」とあたりまえのように口にするが、一年経ったということはそれだけ死が近づいたということでもあり、うかうかしていると、たちまち杖の先の髑髏のようになってしまうから用心しろと説いて回っていたというわけです。
このエピソードを偶然知っていたM君は、僧侶のようにも見える仏像だし、言ってることは正反対だけど、なんだか関係があるような気がして、どうにもその正体を突き止めたくなってしまったのです。
そこで、ネットで関連するようなワードを入れてあれこれ検索してみると、〝
この〝塗仏〟、江戸時代の妖怪絵巻や子供向けの化け物双六なんかに描かれている妖怪なんですが、その絵は真っ黒いメタボ体型の身体に腰布だけを巻き、後頭部のみに髪の毛の生えた坊主頭なんです。しかも、その目玉は完全に顔から飛び出して垂れ下がっている……まさにあの仏像や街で見た怪人と同じ姿なんです。
さらに、尾田郷澄という絵師の手による『百鬼夜行絵巻』では、同形の妖怪の名を〝黒坊〟と呼んでいたり……。
また、その筋ではわりと有名な、鳥山石燕という人の書いた『画図百鬼夜行』なる妖怪百科事典みたいなものの〝塗仏〟は、仏壇の中から姿を現しているような描かれ方をしています。
M君の目に、その仏壇から現れる〝塗仏〟の絵面は、あの厨子の中にあった仏像とどうにもかぶって見えてしまいます。
ただ、この妖怪、どの絵を見ても〝ぬりぼとけ〟とその名前が記してあるだけで、それがいったいどういった妖怪なのか? 何の説明もまったくされてはいません。
なので、その図像から考えるしかないのですが、やはり特徴的なのはなぜか目玉が飛び出しているということです。
「あ! もしかして、目が飛び出している……目が出ている……お
ふざけているように聞こえるかもしれませんが、一休さんはとんちの利いた禅僧でしたし、もしかしたら、そんな言葉遊びなのではないかという考えがM君の頭に浮かびました。
でも、「ご用心!」と注意して廻った一休さんとは正反対に、「おめでとうございます」とみんなに告げているというのは……その〝おめでとう〟というのが一休さんとはまさに真逆の、死の近づいていることに対してのものだったとしたら……。
なんだか背筋に冷たいものを感じるM君でしたが、あくまでなんの根拠もない自分の中だけの推論。ただの思い過ごしかもしれません。
手がかりがそれ以上掴めないM君は、今度は仏像の観点から改めて調べてみることにしました。
すると、こちらでも興味深い種類の仏像をM君は見つけました。
それは〝肉身仏〟や〝肉身菩薩〟と呼ばれる中国や東アジアのいわゆる〝即身仏〟のようなもので、徳の高い僧侶が死後、肉体が腐らず自然ミイラ化した存在なのですが、中には金箔などを重塗りして成形し、生前の姿に似せて祀られているものもあるんです。
内部にはっきりと人骨が映る、この〝肉身仏〟のレントゲン写真を見た瞬間、M君はあの廃寺にあった異形の像が同様のものなのではないかと思いました……あの後頭部に生えた髪の毛は、劣化した表面が崩れて剥がれ、外にはみ出てしまったものなのではないかと……。
通常、即身仏も肉身仏も徳の高いお坊さんが自主的になるものなので、たいへん御利益のある仏像とされているんですが、中には自らの意志ではなく、無理矢理、強制的に即身仏にされた僧侶もいるという話がまことしやかに囁かれています。
もし、あの廃寺の仏像もそうしたものだったのだとしたら……その怨みによって、仏の教えとは真逆に人の死を願う魔物になってしまっているのだとしたら……。
「やめよう……もう関わるのはやめにしよう……」
その正体ではないかと思われるものにたどりつくと、M君はなんともいい知れぬ恐怖に震えが止まらなくなり、もうこれ以上、あの仏像と〝黒坊主〟について調べることはやめにしました。
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