私と友人と焼き鳥の話

ひなた華月

私と友人と焼き鳥の話

 これは、実際に私が経験した実話で、今から丁度、10年程前の話になるだろうか?


 まだ、新型コロナウィルスが世界中で猛威を振るい、飲食店では時短営業が続くことなど誰も予想していなかった時代の頃のお話。


 私は友人に誘われて居酒屋で酒を呑み交わしていた。


「いやぁ、お前とこうして飲むのも久しぶりやなぁ。大学の頃に毎週飲みに行ってたんが懐かしいわ」


 そう言いながら、運ばれていたビールを上機嫌で飲む彼の姿を、私は改めてマジマジと眺めていた。


「ん? どうしたんや? 俺の顔なんかジロジロ見て?」


 すると、彼も私の視線に気づいたのだろう。不思議そうな目で私を見てくる。


 別に、隠すことはなかったので、私は率直に「スーツを着ているのが新鮮だと思って」と言った。


「ああ、そうか。仕事終わりに飲むんは初めてやもんな」


 そう快活に笑う友人の姿に、私は少し安堵した。


 やっぱり、何も変わってないな、と独り言のように呟いたのだが、その言葉はしっかりと彼の耳に届いてしまったらしい。


「いやいや、俺だって変わったで。社会人になって、結構しっかり働いとるちゅーねん」


 そう言いながら、彼は仕事の疲れを流すかのように、ジョッキに入ったビールで喉を鳴らす。


 一方、私は梅酒のソーダ割をちびちびと飲む。ビールは苦くて苦手なのだ。


「それより、俺のことよりお前は最近どうなん? 小説、新人賞に応募しとるんやろ?」


 そう聞いてくる友人に、私は「まぁ」とか「ぼちぼち」といった、曖昧な返事で誤魔化してしまう。


「そっかー。やっぱ小説家になるんって難しいもんやねんなぁ」


 しかし、彼は特に私の不遜な態度を咎めるわけでもなく、そんな感想を漏らした。


 当時のことは、今でもあまり思い出したくもない、というのが本音だ。


 というのも、当時の私は苛酷な就職活動を経て、ようやく職に就いたのにも関わらず、会社の人たちと馴染めないことが原因で、たったの3ヶ月で退職し無職になっていたからだ。


 私の世代は『ゆとり世代』などと言われて周りから揶揄されたものだが、そのマイナスの代表例を挙げるなら、自分こそが相応しかったと自負している。



 役立たず。


 どうして、言われたこともできないんだ。


 ちょっとコミュニケーション能力に問題があるんじゃないかな?



 たった3ヶ月で、上司の人たちから言われた私の評価はざっとこんな感じだ。


 実際、私は人と話すのが苦手であったし、ミスをして仕事の足を引っ張っていたので、そう言われても仕方のない立場だったが、結局、そんな言葉に耐えられなくなり辞表を出してあっさり辞めてしまった。


 つまり、当時の私はロクに仕事もせずに、毎日パソコンのテキストファイルに小説を書いては、手あたり次第に新人賞へ原稿を送っているだけの日々を過ごしていたのだ。


 そして、そんな生活を送っていることを知っているのは、両親に兄弟、そして、彼のような私を『友人』だと言ってくれる、数少ない人間だけだった。


「いや、でもお前なら小説家にもなれるって俺は思うで。ほら、中学校のときなんか、一人でずっと本読んでたやん。村上春樹を中学生から読んでた奴なんて、俺、お前のことしか知らんし」


 おそらく、全国を探せば、そんな中学生などごまんといそうだが、あえて私は何も言わなかった。


 そして、彼がそれを嫌味で言っているわけではないことも、私にはよく分かっている。


 その日だって、彼が私を呼び出して飲みに行こうと誘ってくれたのも、本当にただの気まぐれだったのだろう。


 最近アイツの顔みてないから連絡するか、というようなフランクさが、私には心地よかった。


 本当に、彼だけは私との接し方を変えない。


 だが、そう思っていた私に、とある事件が起こった。


「おっ、来た来た。ここの焼き鳥、めっちゃ旨いで」


 それは、私たちの前に、焼き鳥が運ばれてきたときのことだ。


 いわゆる5種盛りと呼ばれる焼き鳥の皿で、ねぎま、つくね、肝、皮……あと1本はなんだったか忘れてしまったが、とにかく、居酒屋では定番のメニューだった。


 そして、彼は早速、その届いた焼き鳥の串に手を伸ばしたので、てっきり私は彼がそのまま焼き鳥を口の中へ運ぶのかと思ったのだが、そうではなかった。



 ――なんと、彼は串に刺さった身を、割りばしで一つ一つ切り離していく作業を始めたのだった。


 私は、その光景に思わず目を丸くしてしまい、しばらく固まったまま、丁寧に解体されていく焼き鳥を見てしまっていた。


「ん? ああ、これか?」


 すると、彼は私が唖然としていることに気付いたようで、さも当然のように口にする。


「上の人と飲みにいくとき、俺がこうせんと怒られんねん。こっちのほうが、みんな食べやすいからってな」


 笑いながらそう言った彼とは対照的に、私は全く意味が分かっていなかった。


「だって、こうしたらみんな一個ずつ食べれて喧嘩にならへんらしいねん。むっちゃめんどいけど、これも俺の仕事やからな」


 仕事?


 そういう彼の言動が、私には本当に理解ができなかった。


 なぜなら、私は焼き鳥というものは串に刺さっているのが当たり前で、それを一人が手に取って食べる食べ物だと思っていたから……というわけではない。


 社会人とは、そんなことまで上司に命令されて、やらなければならないのかという文化の違いに、度肝を抜かれてしまったのだ。


 確かに、社会人としてのマナー講座は、私も大学の就職活動で学んだことはある。


 上座と下座の位置も覚えたし、ビールの瓶を持つときは、ラベルを上にして持たなくてはいけないとか、そういうことをちゃんと覚えた。


 だが、焼き鳥を串から外して食べやすいようにするマナーなど、私は今でも聞いたことがない。


 そして、彼は更なる衝撃を、私に与える。


「これな、ウチの会社では『ザコ分け』っていうねん。なんでそういうか分かるか? それが新人の仕事やから『ザコ』っていうらしいねん。俺、会社やとザコ扱いやで」


 ははは、といつも通り快活に笑う彼だったが、私は全く笑えなかった。



 そして、私はここで、ようやく自分がいかに無能な人間であるかを悟ったのだ。



 きっと、幼稚な私には、そんな扱いを受けただけで、耐えられなくなってしまうだろう。



 だけど、彼はそれを何でもないようなことだと言って、笑って吹き飛ばす。



 それが、私と彼の……『役立たず』と『立派な人間』の違いなのだと思う。



 そのとき、私はふいに、彼に対して、凄いな、と言ってしまった。


 とても私にはそんなことは出来ないと、赤裸々に自分の無能さを吐露した。


 勿論、嫌味で言っているわけではなくて、私は彼のことを本当に凄いと思って言ったのだ。


「はぁ? なんやねん、それ」


 すると、彼はこんなことを、私に言い返してきた。



「俺からすれば、毎日小説書いてるお前のほうが凄いわ」






 何気なくそう言ってくれた友人の言葉を、私は今でも時々、思い出す。


 きっと、今の彼はもう、そんなことを言ったことを覚えてすらいないだろう。


 だが、端くれの底辺作家として、なんとか業界にしがみついている私が、なんとかこうして、小説を書き続けているのは、彼の言葉があったからだと断言できる。




 私は、焼き鳥を串から外すことことも出来なかった人間だけど。


 10年以上経った今でも、こうして小説を書いている。


 また彼に会ったときに、「凄いわ」と言ってくれる自分である為に。



 終


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私と友人と焼き鳥の話 ひなた華月 @hinakadu

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