黒のインクで書き変えて一マス進む

「なぁ周也、さっきのお客さんはもう帰られたのか? それならそんなところにつっ立ってないでほら、まだ掃除とか色々残ってるんだけど……、周也?」


 俺はいてもたってもいられなくなってしまって、伶の言葉を無視してそのまま屋敷を飛び出した。氷野先生の旧友へ、ペンダントを届けに。妹の恩人である氷緒理さんの、頼みごとを叶えるために。



 *



 ――なんて。勢いよく出てきたのはいいものの、そもそも俺は目印となる学校への行き方をちゃんと覚えていない。あのときは大人数で喋りながらだったし、なにより一度しか行ったことないから仕方ないっちゃあ仕方ないが。


 どうしてすぐに気付かなかったんだ。既に金剛堂の辺りにまで出て来てしまったじゃないか。しくった。

 そうだ、一旦戻って伶に聞いて……いやでも手紙の中身は誰にも知られてはいけないからな、如何にして誤魔化そうか。どう足掻いても理由だとか詮索されるのは目に見えているし。どうしよう。もういっそ誰か歩いてる人に話しかけて



「あれ、そこにいるのは……もしかして卯野原君ですか? どうかされましたか?」

 ふとどこかで聞いたことがあるような声が聞こえたので振り向くと、そこには前と同じようにシスターのような服を身にまとったキャロルさんが立っていた。


 そういえば俺の中の記憶では、キャロルさんとは祈莉(偽物)とアンと一緒に金剛堂でバイトしているときに知り合ったんだっけか。さっきのアンの言動から察するに、こっちではそのようなことは起こらなかったはずなんだけど……どういう経緯いきさつで出会ったんだろう。まあいいか。



「ああ、キャロルさん。少し道に迷ってしまって、学校の近くの図書館にまで行きたいんですけど」


「それなら、向こうの通りを道なりに進めばすぐに着きますよ。……実は私もこれからそちらの方に行こうと思っていたんです。もしよろしければご一緒に、どうですか?」




 キャロルさんのお言葉に甘えて、俺はそのまま着いていくことにした。ここの土地勘がある人がいてくれると途端に心強くなる。



「――そうだ。そういえば卯野原君は、『神様』って信じますか?」


 キャロルさんは不意にそう問いかけてきた。……前よりも難しい質問だな。俺はクリスマスを祝った一週間後には神社に初詣に行くし、テストで赤点をとりそうなときは神頼みでなんとかしようとするし。かといってもし外れたら「神様なんていなかった」だなんて言うし。あれ、思ったよりも蔑ろにしてるな。



「いえ、俺はあまりそういう類のものは信じていないというか。ああでも、さっき道に迷っていたときにキャロルさんに偶然話しかけてもらえたのは運が良かったなっていうか、神様ありがとうって感じで。キャロルさんはどうなんですか?」


「そうですか。いえ、私は信じていますよ。『神様』のこと。今のソーサリアで『神様』のことを信じている人はごく少数です、そんなもの絵空事だって嘲笑う人も沢山います。でも私は、例え自分が最後の信仰者になろうとこの想いが変わることはありません。きっと」


 そう答えるキャロルさんの表情は至って真面目だった。――魔法だとか魔術を周りのクラスメイトからどれだけバカにされてもずっと信じ続けていた祈莉もこんな感じだったんだろうな。ここまで何かに夢中になれる事があるのはある意味羨ましい。


「……それに、いつか……ために」

「キャロルさん? なにか言いましたか?」


「あぁいえ、なんでもありませんよ。気になさらないで下さい。そうだ、もうじき目的地に到着しますよ」



 キャロルさんが指差した方向へ視線を向けると、そこにはまるで古代の遺跡のような、とにかく大きな石造りの建物がそびえ立っていた。

 ていうかこれ、図書館だったんだ。遠くからでも目立っていたけれどずっと王宮か何かだと思っていた。




 入口でキャロルさんと別れた後、俺は少し緊張しながらドアを開けた。年季が入っているのか、中々に重たい。

 それにしても館内の装飾も煌びやかで綺麗だな。祈莉が見たら大喜びしそうだ。そういえば前に、いつか図書館に行きたいなんて言ってたな。もしかしてここのことだったのだろうか。


 ええと、大倉庫はどこだろうか。もしかしたら一般の人は入れないようなところだろうか。これは司書さんに聞いた方が早いだろうな。よし。



「……すみません、こちらの図書館の大倉庫の管理人をされている方にお会いしたいのですが、その方はどちらに?」


「誠に申し訳ありません、生憎そちらの者は只今不在でして。もしなにかあれば伝言を残すことが出来ますが」


 困った。ここで伝言を頼みたいけども手紙の内容が他の人に知れ渡るのはマズい。かといってずっと待ち続けていても怪しまれるだろう。そもそも顔も分からないし。……仕方ない。


「……そうですか、分かりました。では日を改めてまた伺います」



 *



 せっかくここまで来れたのに、まさか最後の最後でこうなるとは。このまま真っ直ぐ屋敷に帰っても伶に質問責めにされるだけだろうな。億劫だ。


 そうだ。どうせならここで本でも読んでいこうか。さすがに全ての本が古文書みたいな物ではないだろうし。どこかに俺でも読めるような本が……これとかどうだろうか?




 ……なんて。読み始めたはいいものの、何が書いてあるのかサッパリ理解出来ない。いや、書いてある文字は理解できるんだ。内容が全く分からない。高校の参考書とか比にならないレベルの難しさだ。


 それにしても向かいに座ってる人、やたら勉強熱心だな。かなり厚めの本が何冊も、相手の顔が見えないくらい高く積まれていた。……かなり不安定に見えるけど大丈夫かこれ。


「っと、あれ、……うわあぁっ!?」

 案の定。相手が新たに本を取ろうとした瞬間、そこからバランスを崩した大量の本の山が俺の方に全て降ってきた。正直、こうなるだろうということは予想出来ていたので少しは受けられたが、それでも中々に痛い。



「どうしよう、あ、あの、えっと、大丈夫ですか?」

「ああ、なんとか。でも今度からもう少し気をつけて」


 ――あれ。この声、もしかして……まさか。


「ごめんなさい、本当にすみませ……え、お兄ちゃん!? お兄ちゃんだよね!? なんで!? どうしてここにいるの!?」


 やっぱり。向かいに座っていたのは祈莉だった。俺にとっては昨日振りの再会だが、もしかしたら祈莉にとっては三年振りだったりするのだろうか。


 機械人間だった前とは違って表情は明るいが……待て。これ土人形じゃないよな? 本者の祈莉だよな? ――よかった。ちゃんと髪飾りをつけている。ということは本者であることは間違いなさそうだ。



「あはは、色々あってな……そうだ、少し外に出て話さないか」



 *



「はぁ、それにしてもビックリしたよ。まさかお兄ちゃんも伶さんの魔術でソーサリアに来たなんて」

 二人で図書館の裏庭にあるベンチに腰掛けながら、俺はこれまでのことを少しだけ脚色しつつ祈莉に話した。


 祈莉が持ち出してきた話題も大半は知っている話だったが、一つだけ大きく異なる点があった。というのも、今の祈莉は錬金術はおろか、俺と同じく何の魔術も使うことが出来ないらしい。さっき熱心に本を読んでいたのも、少しでも早く魔術を使えるようになるためとのことだった。



「……あれ。そういえばお前、いつも一緒にいた猫はどこに行ったんだ?」

「え、何でお兄ちゃんがマリーのことを知ってるの?」

 もしかしてこんなところまで過去が変わっているのか? マズい、どうやって誤魔化そうか。


「ああいや、えっと。何年か前に伶から聞いたんだ。確かそう」

「もう、知ってたんなら言ってくれればよかったのに。……あの子はソーサリアに来たときにはぐれちゃったの。今でもずっと探してるんだけど見つからなくて」


「そうだったのか。すまんな変なことを聞いて。……そういえば祈莉は今、一体どこで暮らしてるんだ? ……まさかほとんど野宿なんて言わないよな?」

「もう、そんな訳ないじゃん! 実はここの」


 ふと、さっきまでずっと動いていた祈莉の口の動きが止まった。そしてみるみるうちに表情が険しくなる。その視線の先にあったもの。それは。


「……やだ、なんで、もうこないでって言ったじゃん、どうして」



 気付けば、かつて通りで俺達に敵襲を仕掛けてきたような、機械人間の下っ端であろうと思われる物たちが周りを囲っていた。今の祈莉は機械人間では無いはずなのに、どうしてまたこいつらに狙われているのだろうか。それも初めてじゃなさそうだし。



 やばい。前よりは数が少ないし所詮下っ端だからちょっとはなんとかなるかと思っていたけど、よく考えたら手紙以外、何も持たずに飛び出してきてしまったんだった。勿論、剣すら置いてきたままだ。


 つまりこれから機械人間を相手に、魔術を一ミリも使えない、武器すら持っていない俺達でなんとかしなければならない、ということか? 祈莉だけは何があっても守らなきゃ



「きゃああああああ!」

「祈莉!? 大丈夫か!? クソっ、どうすれば」


 機械人間は容赦なく祈莉に襲い掛かる。いくら下っ端とはいえ、その攻撃力は普通の人間と比べて桁違いだった。

 ……もしかしなくても絶体絶命じゃないか。せっかくさらわれずに済んだのに、これじゃまた前と同じじゃないか。なんで、どうしてそんな



「あれ、卯野原君? こんなところでどうしたんですか? 物凄い悲鳴が聞こえてきたのですが」

「え、あ、キャロルさん!? ……あの、本当に申し訳ないんですけど誰か助けを呼んできてもらえませんか? 機械人間に妹が狙われてて」

 危機一髪、祈莉の悲鳴を聞いたキャロルさんが駆けつけて来てくれた。まだこの近くにいたんだ、良かった。


「いえ、その必要はありません。<空を響かせる雷鳴よ・あの者たちを薙ぎ払いなさい>」


 キャロルさんがそう詠唱した瞬間、槍のような閃光が機械人間達を引き裂いた。数秒後、地響きのような轟音が辺り一帯に鳴り響く。少しだけ焦げ臭い。


 あまりの衝撃に、機械人間達は気絶して倒れてしまったようだった。あれだけの魔術を喰らってもなお、掠り傷程度の怪我しかしていない機械人間の生命力には驚いたが、まぁなにはともあれ助かった。ありがとうキャロルさん。……ありがとう神様。



「えっと、助けていただいてありがとうございます。さっきの雷の魔術、強いですね」

「ああ、少しやり過ぎてしまいましたね。私、一応魔術は得意なので。これでも昔は遠距離攻撃の天才なんて言われていたんですよ」

「そうなんですか? すごい、かっこいい……」




「――ええ、本当に。見惚れるくらい綺麗な雷撃だったわ」

 ふと、頭上から声が聞こえた気がしたのでそちらのほうに目をやると、そこには屋根の上から俺達を見下げる『ルゥ』の姿があった。



「『あの方』からの命令で卯野原祈莉のことは傷一つ付けるなと言われていたはずなのに。全く、これだから下っ端は信用ならないのよ。そこのシスター? 雑魚を蹴散らしてくれてありがとう、感謝するわ」


 そう言い捨ててから『ルゥ』はこちらに飛び降りてきた。……一体何の用だろうか。


「なぁ祈莉、あいつのこと知ってるか?」

「うん、何回か見たことある。私のことは直接襲ってきたことは無いんだけど」



「まぁいいわ。……さて、卯野原祈莉さん。あなたのことはこちらでさせていただきます。ではこちらに。大丈夫、決して痛いようにはしないわ」


 『ルゥ』は祈莉の方に手を伸ばしてきた。かつての『アズ』とは違い、雰囲気はどこも恐ろしくなく、むしろ優しさすら感じたが所詮相手は西部陣営の機械人間。信用出来る訳が無い。



「嫌だ、誰があんたたちに付いていくものですか!」

 祈莉は少し泣きそうになりながら、それでも大声を上げて抵抗する。だがそれでも『ルゥ』は食い下がらなかった。


「そうですか、残念です。……仕方ないわね。それならいっそここで眠らせて」



「静かにしなさい。いくら外とはいえここは図書館の敷地内です。それに、外壁に傷が付いたりなどしたらどうするのですか」


 振り向くと、その人は冷たく怒気を含んだような表情でこちらを見つめていた。思わずこちらも身震いしてしまいそうになる。その声の主は、更に目を吊り上げてキッと『ルゥ』を睨みながらこう続けた。


「……もしこれ以上騒ぎ立てるのであれば、こちらも何か手を打たせていただきます。どうしますか?」


「はぁ、困りました。面倒くさい事になるのは勘弁ですね。えぇ分かりました、今回は引かせていただきます。……それではまた」




「……災難でしたね、祈莉さん。お怪我はありませんか? すみません、私が少し目を離してしまったばかりに」


「あぁ、いえ。少し擦り剥いただけなので大丈夫です、ありがとうございます」

「なぁ祈莉。この人、知り合いなのか?」



「あぁそっか。お兄ちゃんにはまだ紹介してなかったんだった。この人ね、ソーサリアに来てすぐの頃に私のことを保護してくれたの。ここの図書館の大倉庫の管理人をしている方なんだけどね、私もそこに居候させてもらってるんだ」


「初めまして。私は久世くぜ亜理彩ありさと申します。貴方は……祈莉さんのお兄さんですね? 話には聞いています。もし宜しければ仲良くさせてくださいね」

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