妖狐彼女が喋る焼き鳥を食わせてくる

暁太郎

丸焼きうずら

 伏見稲荷大社の商店街は、いつもと変わらぬ賑わいを見せていた。俺が京都に越してきて二年ぐらいになるが、程よい喧騒と、少し進んだ先にある神社の静謐さが隣り合い、両立しているこの雰囲気が今でも好きだ。

 道に立ち並ぶ桜が花吹雪を散らし、辺りを春の景色に彩っている。


「それ、ええやろ。よろしゅうおあがりやす」


 紺香はそう言うとニコニコというかニヤニヤした表情で俺を見つめている。

 俺の手には焼き鳥が一串。焼き立てで、タレがかかっていて香ばしく、匂いだけでお昼過ぎの胃を刺激してくる。

 匂いだけなら。


「く」

「く?」


 紺子が首をかしげると、艶のある長い黒髪が揺れた。


「食え、ないッッッ!!!」


 往来の人々に構わず、俺はあらん限り絶叫した。


「そんな、ほたえな。やかましいのは迷惑え?」


 そう言いながら、紺子はくつくつと手で口を抑えながら笑った。

 俺の手に握られてるのは、焼き鳥は焼き鳥でも、うずらの姿焼き。つまり、うずらがまるまる一匹串に刺さって焼かれているのである。

 この伏見稲荷大社の参道商店街における目玉の一つだ。なんといっても本当に目玉がついてる。


 紺香との出会いは、二年前、京都に越してきてすぐだった。

 観光がてらやって来た大社の山で狐を一匹見つけ、珍しいなと思いながら、俺は手に持っていたいなり寿司を何となく物欲しそうにしていたその狐にあげた。

 野良の生き物に気軽に食べ物をやってはいけないとはわかっているが、どういう訳かあげたくなった。

 山頂についた時、一人の女に会って、それが紺香だった。きめ細かさのある長い黒髪と切れ長の目が蠱惑的な美女だったが、それ以上に、長い髪をかき分けるように生えてる狐の尻尾に目がいった。

 直感で、さっきの狐だとわかった。霊感の類は無いはずなのに、そう確信した。

 それから何度か会う内、いつの間にか、恋人同士のような関係になった。


「流石にこれは無理だって……気持ち悪いって!」

「けったいな事いわはるんやねぇ。この前、焼き鳥美味しい居酒屋見つけた言うたはったやんか。それかて、ちゃんとした鳥やで」

「丸焼きはさぁぁ……食べるのは何かこう……さぁ」

「ふぅん、旦那はん、変なひと」


 そういう紺香の顔は大人をからかう童女のように無邪気で悪意たっぷりな笑みが広がっている。完全にわかってやっている顔だった。


「人間いうんは不思議やね。ちょいと形がちゃうだけやのに、それで食う食わん騒ぎよってからに」

「何でもかんでも腹に入ればいいってもんでもないって」

「おんなじや。ほなそれ、どうするん? ほかすん? もったいないわぁ」

「うぅ……」

「んー……せや」


 何かを思いついたのか、紺香は俺に近づいて上目遣いでこちらを見てきた。


「ほなな、旦那はん。それもし綺麗に食べられたら、今日一日あんたの言うこと、な~んでも聞いたるで」

「んんッ!?」


 突然の提案に俺は思わずむせる。こちらを見上げてくる紺香の顔は、かすかに上気しており、こちらの劣情を刺激してくる。


「う……!」

「ふふっ、どないや?」


 こうまで言われては、やらなければ男がすたる。……気がする。

 俺は意を決して、人生でこれ以上になく、うずらと向かい合った。

 丸々と焼かれたうずらの白目がこちらを向いてるような錯覚に陥る。俺は目をつぶり、意を決してそれにかぶりつこうとした、時だった。


「私を食らうんか?」


 うずらから、ムダに荘厳な声が聞こえてきた。喋りやがった。


「食らうんか」

「いやいやいやいやいや」

 

 せっかく腹を決めたというのに、食べる対象が喋るとなったらもうダメだった。

 正体はわかっている。紺香だ。妖力だか何だかを使って、うずらを喋らせているのだ。


「どないしたん? 狐が喋るんやから、うずらかて喋る事あるやろ」

「あるやろ、じゃなくて!」

「ほらほら、はよ食べな冷めてまうがな」

「冷めても食らうんか?」


 狐とうずらが同時に俺を攻め立ててくる。

 きっと、うずらを齧った瞬間に、絶叫とか断末魔を上げてこちらの勇気を粉々に砕いてくるに違いない。そこまでされたら、もう俺にはこいつを食べる事は出来なかった。


「うう……」

「あ~あ、残念やわぁ、旦那はんの愛情いうんは、そんぐらいやったんかなぁ」

「………………」


 このまま、やられていいのか?

 こちらをからかう紺香は、正直言うと滅茶苦茶に可愛らしいが、やられっぱなしというのも面白くない。

 ピンと閃き、一計を案じる事にした。


「……紺香は食おうと思えば何でも食えるんだよな」

「そらな」

「じゃあ、これは?」


 俺は肩にかけた鞄から、ひとつ包みを取り出し、それを開いた。


「あっ、これ!」


 紺香が目を丸くした。包みの中には、酢飯を油揚げで巻いたもの……いわゆる、おいなりさんがあった。

 お供え物としてポピュラーな品であり、紺香も例に漏れずお気に入りの料理だった。


「ルール追加。これ食べたら、一日中紺香の言う事聞くよ」

「えぇ~、いや~ほんまに? ええよぉ、そんなんやったら、いくらでも」


 紺香がいなり寿司に手を伸ばし、喜色満面の様子で大きく口を開けて食べようとした瞬間、俺はこう言った。


「それ、お供え物として持ってきたやつだけどな」


 ピタッ、と今度は紺香の動きが止まった。


「上司のモノ勝手に食べていいのか?」


 お稲荷さん……これは稲荷大明神の事であり、伏見稲荷大社の主神であるウカノミタマの事を指す。五穀豊穣を願われ、参拝客にいなり寿司をお供えされる事もある。

 紺香のような狐は、その神の眷属や使い、つまりは部下にあたる存在だ。

 それが、目上のものの為に供えられたものを勝手に食べるとなっては、大目玉を食らう事は間違いない。

 紺香はまだ妖狐になりたてで、神社の中ではまだまだ新人である。

 日頃、彼女の口からよく上司の妖狐の愚痴を聞かされている。この企みは彼女にとって大きなウィークポイントのはずだ。


「…………いけずやわ、そんなん、いけず」


 ムスッと紺香は唇を尖らせて、涙目でこちらを見た。人をからかうのは好きだが、からかわれるのは得意ではないのは、やはり彼女がまだまだひよっ子な証拠だろう。


「でも、さっき嬉しそうに「やる」って言ったしさ。神様の眷属としては、一度約束した事を破るのはダメでしょ」

「せやけど……」

「腹に入ったら全部一緒って言っただろさっき」

「それとこれとは話ちゃうやん!」

「それとこれとは話ちゃうやん!」


 紺香とうずらが同時に叫んだ。

 それから紺香は「う゛~」と唸りだして、そのまま固まってしまう。

 さっきの小悪魔のような態度から一転、怒られた子供のような表情のギャップに思わずときめいてしまうが、そろそろ虐めるのはやめてあげよう。

 俺はおもむろに切り出した。


「じゃあ……食べさせあう?」

「え?」

「俺が紺香にうずらを食べさせて、紺香が俺にいなり寿司食べさせる。ほら、俺が食べたら紺香が食べた事にならないし、俺はうずらを処理できるし」

「……お互い、一日言う事聞くって話が無しになる?」

「そう、そう」


 その話を聞いた途端、紺香の顔がぱぁっと明るくなった。


「なんや、もう、ほんまいけずやわっ!」


 ニコニコしながらパンパンと背を叩いてくる。


「調子がいいなぁ」

「言いっこなしや。ほら、あーん」


 お互いに食べ物を差し出し、それを同時に食べる。視線を感じて周りを見ると、観光客やお店の人がほっこりとした表情でこちらを見ていた。

 何だか気恥ずかしくなって、紺香の背を押してそそくさとその場を離れる。


「旦那はん、次、きつねうどん食べたいわ」

「はいはい」


 彼女のおねだりに、俺は相槌をうつ。

 行く先の桜色はまだ増していくばかりで、枯れる様子はない。

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