形だけの上司
神凪
安酒でも飲んで
「だいたい、最近の若いもんは仕事が遅いんだよ。そう思わないかい、青木くん」
「は、はぁ……そっすね」
その若いもんの括りに、きっと俺は入っている。
部署異動が決まった。会社側から言い渡されたものだが、正直なところ俺も希望していたものだ。こうやって、若いやつは駄目だと言われるのが嫌だったから。
けれど、思えば俺はそんなに人にしか出会ってこなかった。こんなこともできないのか、と何度言われたのかわからない。到底素人ができるようなことでもないのに。
「しかし、君がいないと寂しくなるな」
「そですかね」
「まあ新人が入れば元通りだがな!」
「部長ー! 言い過ぎですよー!」
同期の一人が、そんなことを言った。誰も何も言おうとはしないタイミングで声を出してくれたのは助かった。
しかし、ここまで言えるやつはいっそ清々しい気もする。周りも苦笑を浮かべていることに、気づく様子もない。
しばらく部長の話を聞いて、俺たちは全員笑顔で相槌を打った。とても楽しい飲み会なんてものじゃない。
俺がひねくれているというのもある。上に媚びを売るというのが大切だというのも頭では理解している。だから、反抗はしない。言いたいことを言えないままでいいと思っている。
やがて、解散になった。部長は楽しそうに、俺たちはそれを楽しいふりをして見送った。
「じゃあ、またな」
「ええ、また。いいなぁ、異動」
「なんか悪いな……」
「ええ!? 気にしなくていいよ! でも、赤石さんは当たりだね」
「ああ……まあ、そうだな」
他部署の俺にも、その噂は届いている。仕事ができて部下にも優しい、美人でそのうえ言いたいことはきちんと言ってくれる女性だから働いていて心地いいという声だ。俺も休憩中に何度か話したことがある。
それだけ噂になるような人なら、今よりは快適に仕事ができるだろう。
同期とも別れて帰路に着こうとしたとき、何者かに声をかけられた。
「あ、いたいた。青木くん!」
「赤石さん!?」
「はろー」
「ど、ども」
「異動先の部長の赤石だよ。よろしく」
「よろしくお願いします」
なぜここにいるのだろう。別の飲み会があったとかにしても、タイミングがあまりにも合いすぎている。
「君の同期ちゃんに連絡もらってね。二人で飲みに行こうかと思って。飲み足りないでしょ?」
「……まあ、いいっすけど」
「やったぜ。あ、私の奢りだから気にしないでとは言っておくけどちょっとお財布のこと気にしてくれるとめっちゃ助かる」
「えっ、あ、はい」
「てなわけで安くて美味い焼き鳥屋に行こうと思います。いや味はいいから。めっちゃいいから」
本当にはっきりと言う人らしい。少しでも格好をつけようとしていたうちの部長なら、めっちゃ助かるなんてことは言わないだろう。それに、わざわざ今から行くところを安いなんてことも言わない。
赤石さんに連れられてやってきた店の中に人はほとんどいなかった。
「いらっしゃ……またあんたか。今度は男かよ」
「もう! またって言わないでよ! 歓迎で毎回安いものしか奢れないってバレるから!」
「店主の前で安いものって言い切れるあんたは相当大物だよ」
「ちゃんと美味い! でも有名にはならないでほしいなぁ……」
「知ってるよ。あんたはもうちょい嘘つけるようになりやがれ。あと有名になるつもりもないから安心しろ」
どうやら赤石さんはここの常連らしく、店主と思わしき男性と楽しそうに話している。かなり失礼なことを言われていたような気がする店主も、どこか楽しげに笑っている。その表情には翳りは見えない。
「何でも頼んでいいよ。ちなみに何頼んでも美味い」
「は、はぁ……」
「建前じゃなくてマジだからね、これ。ほんっとに何頼んでも美味いから。ビールによく合う」
赤石さんの方は今は注文する気がないらしく、メニューを渡してこちらを見つめている。美人だという噂は本当なようで、くっきりとした目元に引き込まれそうになってしまう。
「ほい、サービスだ。一杯だけ半額にしてやるよ」
「タダがいいな」
「ほざけ」
「駄目かぁ」
そう言って店主が置いていってくれたのは二人分のタレの焼き鳥とビール。
「やべ、あの人一杯だけって言ってたよね。まあいいや、乾杯しよ!」
「はぁ……」
「はい、かんぱーい!」
「乾杯」
かこん、とジョッキが小さな音を立てた。
赤石さんはごくごくと心地よい飲みっぷりでビールを飲んだ。それに倣って俺もビールに口をつける。
「いやー、お疲れ様。あのハゲのとこで働いてるの、大変だったでしょ」
「ま、まぁ……」
「あ、ごめん。言いにくいよな。めっちゃごめん」
「いや別に」
「キャリアだけは長いから私もなんも言えんのよなぁ……あの子も早くうちに連れてきたい」
「はは……」
あのハゲ、というのは部長のことだろう。話を合わせようとしているのかはたまた本気でそう思っているのかはわからないが、鬱陶しかったのは事実だ。
だけど、それを話のネタに使うのはややリスキーな気がしないでもない。そんなことを思っていると、赤石さんが俺の顔と焼き鳥を交互に見ていることに気づいた。
「こいつ鬱陶しいなって思われるかもしれない話するから、食べてもらってていい? 聞き流してもらうくらいでちょうどいいからさ」
「わ、わかりました……」
さっきから歯切れの悪い返事しかできない。それもこれも、低姿勢な赤石さんに調子を狂わされているからなのだが。
「私の部署に来たら守ってほしいルールがあります」
「はい」
「その一! 飲み会で奢ってもらえると思わないでください! マジで金がない」
「えぇ……」
「その二! 残業絶対許さない!」
「ま、まぁそれは、はい」
「その三! 困ったことがあったら相談してください!」
どうしてだろう、ルールらしいルールがひとつも見当たらなかった。
「質問は?」
「……失礼なことですけど、いろいろ聞いてもいいっすか」
「どぞどぞ。スリーサイズとかでなければ」
「セクハラっす。えっと、なんでそんなに金がないんすか」
なんとなく、噂通りのイメージだったらそれほど金欠になるイメージでもない。というか、この少しうるさい感じがどうにもイメージと離れている。
「あはは、実は最近はライトノベルのまとめ買いとエアロバイクとゲーム用のパソコン買っちゃって」
「……多趣味すぎません?」
「ううん、これはみんなの趣味。やってみて、ちょっとでも楽しく話ができたら嬉しいから。どうしても無理なことは正直に無理だって言うけどね」
「……へぇ」
正直、苦手なタイプの人だった。別に好きでもないことをさも同じ立場であるかのように話されるのは、どうにも違和感がある。
「あ、でも結構いいよ、ラノベ。難しいのは読んでないけど、コミカルなのは仕事終わりにちょうどいい。ゲームは……逆にストレスになるときもあるけど楽しいし、筋トレは痩せれるし」
「えっ?」
「嫌じゃなかったら君の趣味も教えてね」
少し、思っていたのと違った。本音と建前の割合がかなりおかしな人、そんな人に思えた。
「その二その三なんだけど、スケジュール的に無理そうなやつはみんなで分担してるんだ。面倒なやつは私がやるし……」
「あの、もう一個いいっすか」
「どぞどぞ」
「なんでそんな、人のためみたいなことができるんすか」
媚びを売るのは上にだけでいい。わざわざ部下にまでいい顔をするのは、ただ疲れるだけだ。
だから、気になった。
「文句ばっかり言われるより、みんなで楽しく仕事できた方がいいから、かな」
「そんなことしたって誰も赤石さんのためにってしてくれませんよ」
「まあ、そだね。確かに。それはそうかも。でもさ、あのハゲの元で働いてた君ならわかってくれると思うんだけど」
少しだけ恥ずかしそうに顔を背けて言った。
「本音でいい上司だって言われるの、めっちゃ嬉しいんだ」
心が清い人なんだ。見返りを求めていないわけではない。その見返りが結果的には自分にとっても部下にとっても良いものになっているだけで。
今までそんな人に出会ったことがなかったから、そう思ってしまったのかもしれない。
「……好きだな」
「……えっ? えっ!?」
「あ、いや。すません」
「ちょい待ち!? 絶対やめといた方がいいよこの女は!?」
ただ、どうにも自己評価が低いのが短所らしい。
「ま、まずは上司と部下からいきましょう……? ね?」
「ですね。よろしくお願いします、赤石さん」
「よろしくできるかわかりませんけど。うん、よろしくね」
これからは少しだけ、仕事が楽しくなりそうだった。
形だけの上司 神凪 @Hohoemi
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