【4章幕間】波乱の暇に
「カフェやってまーす! 休憩していきませんかー?」
「うちのお化け屋敷、人気ですよ~!」
「今少し込んでます! こちらが最後尾なので、並んでお待ちください!」
老若男女入り乱れた人々がごった返す中、
これが嘉神学園高等学校の敷地内で行われている学園祭、嘉神祭2日目の景色だった。
各所が盛況しており、響たちが開いている二クラス合同軽食の模擬店もその例に漏れず、昨日と同様の人の出入りとなっている。
「梨々花、梨々花!」
受けたオーダーを伝えに厨房である1組の教室に来ていた梨々花の元に、女子生徒が慌てた様子で駆け寄ってきた。
「なになに、そんなに慌てて……って、まさかまたなんかアクシデントとかじゃ……!」
「じゃなくって! ちょ、ちょっとこっち来て!」
出入口のほうに手招きされて
「え!? と、統括会長と
隣の教室の入口に
梨々花のその声に反応し、厨房側にいたクラスメートたちも騒然とする。そんな中、落ち着いている者がひとり。
聞く気がなくとも今のは響の耳にもさすがに届いており、あー、そういえばなんか来るとか言ってたような、と準備期間の時に話したことをふと思い出した。
驚いていた梨々花だったが、今の自分の役割をすぐに思い出し、玲子たちに向かって行った。
「会長! 古河先輩!」
「
「わしらも入って平気か?」
「も、もちろんです! いらっしゃいませ!」
梨々花がそう言うと、他の生徒たちも慌てていらっしゃいませと復唱する。
「こちらへどうぞ!」
梨々花が玲子たちを席へ案内している間、他の生徒たちはこそこそと話していた。
「な、なんで会長がここに!?」
「統括会の先輩たちも普通に来るんだな……?」
「もしかしたら、何か試されてるのかも」
統括会メンバーの突然の来訪に、一年生ということもあり、1組と2組の生徒たちは戸惑いを隠しきれない。
「……やっぱり、来ないほうが良かったかしら」
案内された席に着いていた玲子が、妙な空気を感じ取って微かに眉根を下げた。
玲子たちには当然ながら思惑のようなものはなく、ただ普通に遊びに来ただけだ。響との約束どおりに。統括会メンバーとはいえ、玲子たちも嘉神生であることに変わりはないのである。
ただ、こんな雰囲気にさせる気はなかった。委縮させてしまうくらいなら、来るべきではなかったかもしれない。
玲子の呟きを聞き、オーダーを取っていた梨々花はぎょっとして、ぶんぶんと首を横に振った。
「ええ!? そんなことないですよ!?」
あたしはすっごく嬉しいです! と元気よく答える梨々花に、玲子がありがとうと微笑む。しかし、その表情にはやはりどこか引け目があるように感じた。
梨々花自身も含めてだが、クラスメートたちは憧れの統括会メンバーの来訪に驚いて多少戸惑っているだけだ。嫌がるだとか怖がるだとか、そういうわけではけっしてない。
どうしよう、このままでは先輩たちにいらぬ誤解を与え、せっかく来てくれたのに楽しんでもらえなくなってしまう。それはよくない、非常によくない。
どうにかしなければと思い、とりあえず口を開く。
「あーっと……そうだ! 響もいるので、呼んできましょうか!?」
梨々花は、いっぱいいっぱいだった。
「え? でも調理担当なのでは……」
「ちょっとぐらいなら大丈夫です! むしろ、先輩が来たんだから顔見せろぐらい言ってもいいと思うんですよね!」
梨々花は、だいぶいっぱいいっぱいだった。考えるより先に口から言葉が出ている。
「それでは、注文ついでに呼んできますね!」
止める間もなく身を翻した梨々花の背を、玲子は困惑の面持ちで、楓は吹き出すのを必死で堪えながら見送った。
厨房の教室に入った梨々花は、一直線に響のもとに向かう。
「会長と古河先輩のオーダーよ。ストレートティーと緑茶ね」
「んー」
「で、それできたら先輩方に持ってってね!」
「んー……は?」
響が返事をしかけてぴたりと止まる。聞き間違いだろうか。わけのわからない言葉が聞こえたような気がしたのだが。
「待って、誰が持ってくって?」
「だから、響がよ。せっかく先輩たちが足を運んでくれたんだから、ついでに挨拶ぐらいしてきなって」
「いやいや、なんでわたしが……フロア担当じゃないんですけど」
「もう響が行くって言っちゃったんだから、行ってもらわなきゃ困るの! あたしが!」
「えぇ……」
いくらなんでも無茶苦茶が過ぎるのではないだろうか。いつも強引に話を進められるが、今回は一段とひどい。
「ちょうど今はそんなに忙しくないし、五分十分離れても大丈夫だって。ね、お願い! 一回だけでいいから!」
響のしらっとした視線を受けてさすがに自分でもおかしな要求をしていることに気づいたのか、梨々花が手を合わせて懇願してくる。
何が彼女をそうさせているのかはわからないが、梨々花はこうなるともうこちらが折れるしかなくなる。それがわかってきてしまっているのが不本意極まりないのだが。
響はぶつぶつと文句を呟きながら、仕方なくトレーに注文のドリンクを載せ、飲食スペースである隣の教室に向かう。なぜか梨々花も後ろから普通について来るのだが、だったら梨々花が持って行けばいいじゃないかと思う。もう面倒なのであえて言わないが。
「おお、本当に来るとは。約束どおり遊びに来たぞ、響」
「ゆ……如月さん、お疲れ様です」
目的の席に行くと声をかけてきた玲子と楓に、響はどーもですとやや疲れたように返した。
三角巾とエプロン姿でドリンクを置き始める響を見て、楓がふむと頷いた。
「意外と真面目にやっておるようじゃな。感心感心」
「まぁやらなきゃあとが面倒なんで……」
いつもの後ろ向き発言に玲子と楓は思わず微笑む。
「どうじゃ、忙しいか」
「それなりに……ですかね。まぁお昼時が一番やばいですけど」
少し言葉を交わしていると、それまで傍から見ていた梨々花がやおら玲子たちに声をかけた。
「あの、先輩方はこのあとお忙しいですか?」
「いえ、特には」
昨日の件でやることが山積みだと思っていたが、
だから、玲子と楓は以前話をしたとおり、響たちのクラスを覗きに来ることができたのだ。他のメンバーも各々校内を回っているはずである。
何も指示はされていないとはいえ、昨日の今日だ。鵜飼を含めた学園の上層部は昨日の一件のため、今日丸一日会議だと聞いている。そうなると必然学園関係者が手薄になる。
統括会として、念のためいくらか警戒はしておこうという話をした。そして巡回も兼ねて各々学園祭を楽しむことになり、それぞれ分かれたのだ。
そういうわけで、玲子たちはこのあとも引き続き校内を回るつもりではある。だが、明確な目的地はここだけだったため、それ以外は特に決めていなかった。
首を振る玲子に、梨々花の目が光る。そして何やら意を決したように口を開いた。
「あたしたち十三時で交代なんですけど、よかったら一緒に回りませんか?」
「え?」
「すみません、お待たせしました!」
十三時を過ぎ、予定どおり後半組と交代した響と梨々花は、昇降口付近で玲子と楓の二人と合流した。
――あたしたち十三時で交代なんですけど、よかったら一緒に回りませんか?
梨々花のその言葉に、玲子と楓は一瞬驚いた様子だった。少しして、いやでも迷惑では、とためらう素振りを見せた玲子に、とんでもないと梨々花は首を振った。そして、響だって賛成でしょ? と響に話を振ったのだ。
あたしたち、の時点で嫌な予感はしていたが、案の定響もその中に加わることは確定事項となっていた。意味がないとわかっていても、梨々花に避難がましい目を向けずにはいられなかった。当たり前のように気にも留められなかったが。
なおも梨々花の提案にためらっていた玲子だったが、楓が賛成して口添えしたことによって、最終的に一緒に回ることになったのだ。
響がため息を吐いた。
「なんでわたしまで……」
「いいじゃない、どうせ二人で回る予定だったんだし」
「いやそれ自体初耳なんですけど」
いつから二人で回ることが決まっていたのか。そんなことは微塵も聞いていない。
「そんなの昨日回れなかったからに決まってるでしょ? リベンジよ、リベンジ」
「……ああそう」
当然とばかりに返され、響はもう諦めた。勝手に決めないでほしい、というのも言っても無駄であることはわかりきっている。
ちなみに、
昨日からだが、登校時に暁鐘が興味津々で各クラスの模擬店のほうを見ていたのだ。非常にわかりやすくあちこち見て回りたそうにしていたので、そんなに気になるなら行ってくればと促した。どうせ自分は昼までどこにも行けないのだ。退屈なら出歩くなりなんなり勝手にすればいい。
主の許可を受けた暁鐘は初めこそためらいを見せたものの、誘惑に抗うことができなかったようで、周りの目がないことを確認してから人の姿に変化した。
以前と同様どこからどう見ても降魔科の女子生徒にしか見えない姿で出て行こうとした暁鐘に、響はついでだと氷輪を放り渡した。好きにすればいいとは思うものの、暁鐘ひとりだとやや気がかりが拭えなかったため、それなら氷輪も同行させようという魂胆ゆえである。
そうして暁鐘はぎゃあぎゃあ文句を言う氷輪を連れて行った。その後響のシフトが終わるタイミングで一度帰ってきたものの、午後は玲子たちと回ることになった話を聞くと、再び繰り出していったのだ。その肩に乗った氷輪がぐったりしていたように見えたが、響は見なかったことにした。暁鐘が満喫しているようで何よりだ、うん。
暁鐘には、念のために一応いくらか小遣いも渡しておいてある。嘉神祭の出し物で、飲食を提供する模擬店は基本有料だ。氷輪や暁鐘は飲食を必要とはしないが、娯楽の一部として楽しむときもある。そうなったときに、さすがに無銭飲食をさせるわけにはいかないからだ。
だから今響のそばに式神は不在なわけだが、万一不測の事態が起こったとしても学園内なのですぐに駆けつけてくるだろう。そう連日何かあってたまるかという気持ちではあるが。
「そ、それでは、さっそく行きましょうか!」
梨々花の促す口調がやや硬い。どうやら緊張しているようだ。そういえば、梨々花は玲子に憧れていたのだったか。
そんなことをぼんやりと思いながら、梨々花の先導で一行が向かい始めたのは普通科がある校舎、普通科棟方面だった。響と梨々花たちの模擬店でもそうだったが、降魔科のほうだと統括会メンバーである玲子や楓はどうしたって目立ってしまう。先ほどのようにざわつかれては、十分に楽しめないかもしれない。そう考えた梨々花の配慮だった。
普通科でもいくらか目を引くだろうが、降魔科ほどではないだろうと踏んでいる。そんな梨々花の考えどおり、普通科生はそこまで気にする素振りを見せなかった。あまり関わる機会がないのと、降魔科生ほど統括会メンバーのすごさがわかっていないというのもあるからだろう。
校舎内はもちろんだが、外にも模擬店がたくさん出ている。外は、普通科生が運営しているものである。
今日も日が照っているため暑い中、汗を流しながらも生徒たちが一生懸命客引きをしている。その表情はどこも楽しそうだった。
普通科も各クラスで模擬店を出しているが、降魔科よりもクオリティが高く変わり種もそこそこある。普通科は準備時間が多いため、その分凝ったものを企画しやすいのだ。
「先輩方は何か食べましたか?」
「いいや、まだじゃ。せっかく共に回るんじゃから、先に腹を満たしてしまってはもったいないからの」
楓の言葉に玲子も同意する。
「おぬしらも腹が減っておるじゃろう。さて、どこに行くかの。こうもたくさんあると選ぶのもひと苦労じゃな」
周囲やパンフレットを眺めつつ楓がううむと唸っている。その横で玲子がそっと響に話しかけた。
「響は何か食べたいものある?」
「え、別に特には」
「クレープにチョコバナナ、りんご飴もあるみたいよ」
玲子がパンフレット片手にいくつか列挙していくが、なぜか甘味ばかりである。
「玲子先輩、甘いもの好きなんですか?」
「私は甘すぎなければ……という感じかしら。なんとなく、響が好きそうだと思って」
「まぁ別に嫌いじゃないですけど……」
なぜそんなイメージがついているのかは謎だが、響は特に食へのこだわりがない。あまり好き嫌いもないため、正直それなりに美味くて腹を満たせるならなんでもいいと思っている。今も空腹ゆえに、なんでもいいから早く食べ物にありつきたい気持ちでいっぱいだ。
「――あ、あの!」
そこでふいに声が上がった。目をやると、何やらもじもじとしている梨々花の姿が目に入った。
「三船さん? どうかしましたか」
玲子が不思議そうに尋ねる。言い澱んでいた梨々花だったが、ええいままよとばかりに勢い込んで言った。
「あたしも、そのっ、れ、玲子先輩って呼んでもいいですか……!?」
玲子は目を丸くして、思わずまじまじと梨々花を見てしまう。彼女の頬は赤く目がわずかに揺れているが、表情は真剣そのものだ。
梨々花は、響が楓や
一番衝撃的だったのは、玲子をいつの間にか〝玲子先輩〟と呼ぶようになっていたことだ。統括会メンバー以外でそんな風に気易く呼んでいる人は周りにいなかった。特に玲子は雲の上のような存在だったのだ。梨々花でさえ、統括会の先輩にはおいそれと気安くするのは
どういうことかと問い詰めれば、そんな流れになったからだと響はやや面倒そうに言っていた。思わずズルい! と嘆いたぐらいだ。響には知らないよと迷惑そうに一蹴されたが。
玲子は基本的に誰に対しても丁寧な口調で、統括会長としての立場での
それもあってか降魔科生たちのほうも、ほとんどが敬意を払って統括会長、あるい会長と玲子を呼んでいる。思えば、普通に名前で呼んでいるのは楓ぐらいではなかっただろうか。
そんな常日頃から凛としている玲子だが、響といる時は気を抜いているように梨々花には見えていた。
先ほどの会話がその証拠だ。いつもは如月さんと呼んでいたはずだが、さっきは響と名前で呼んでいた。口調も砕けており、普段の威厳といったものがいい意味で感じない。あんな統括会長の姿を、梨々花は見たことがなかった。
梨々花にとって、玲子は憧れの存在だ。強く、凛々しく、美しく、気高い。これで憧れないわけがない。自分もいつかそうなりたいと強く思っている。本当になれるかどうかは別として、それでもひそかに目標にしている。
そんな先輩と友人の親しげな場面を見て、考えるより先に口が動いていた。それが先ほどの発言である。
「――ええ、構いません」
突然すぎただろうか、失礼ではなかっただろうかとじわじわと襲って来た不安に俯いていた梨々花は、耳に届いた言葉にがばっと顔を上げた。
「え、ほんとに!? ほんとにいいんですか!?」
「もちろん」
玲子が苦笑気味に頷いてみせると、梨々花の表情がぱぁっと輝く。
「じゃ、じゃあじゃあっ、玲子先輩!」
玲子はふっと目元を和ませ、軽く顎を引いた。その横からも声が上がる。
「ああ、わしのほうも好きに呼んで構わんぞ」
「ほんとですか! ありがとうございます、楓先輩!」
楓がうむうむと頷く。
「ならば、わしらも呼び名を変えねばな。のう、玲子?」
そう言われて梨々花の様子を窺った玲子は、拒む意思を微塵も感じない、どころか期待するような視線を受けて、そうねとひとつ頷いた。
「改めてお礼を言わせてもらうわね。今日は誘ってくれてありがとう、梨々花」
梨々花に向き直った玲子は、先ほどまでとは違う砕けた口調で微笑んだ。その横で、楓も同じように梨々花に声をかける。
「梨々花、おぬしの心遣いには助けられた。普通科方面に来たのはわしらのためじゃろ?」
「ええ!? や、そんな……!」
名前を呼んでもらえるだけでなく、まさか感謝までされるとは。嬉しさが許容範囲を超えて、梨々花は気絶寸前だった。
楓はそっと玲子の様子を横目で盗み見た。彼女の表情が和んでいる。こうやって後輩に慕われるのがやはり嬉しいのだろう。
そうだ、玲子は慕われるべき人間だ。遠巻きでしか見られない、なんてことはあっていいはずがない。
我ながら過保護かと思わないでもないが、玲子には寂しい思いをしてほしくないと願ってしまうのは本心なのだからどうしようもない。玲子が嬉しいと、不思議と自分も満たされる。
「ねぇ、響どうしよう! 先輩たちに名前呼ばれちゃった! キャー!」
「はぁ、そーですか」
「ていうか、見た? 玲子先輩の微笑み! 美しすぎて目が潰れるかと思った!」
「ああそー……」
頬をやや紅潮させて興奮気味の梨々花を、響は引きつつ迷惑そうにあしらっている。そんな二人を先輩二人が微笑ましく見ていた。
14時半ごろ、ある程度回ったところで休憩しようという話になり、外にいた響たちは校舎の壁際の日陰に移った。
ここからでも人の往来や賑わいは見えるものの、あちらからはこの陰になっている場所はあまり気にならないだろうと踏み、ここで休憩することに決めたのだ。
楓と梨々花が飲み物を買ってくると二人で行ってしまったため、その場には響と玲子だけが残された。壁にもたれてふぅと息を吐く響に、玲子が声をかける。
「思った以上に回れたわね」
「はぁ、そーですね」
まさかこれほど連れ回されるとは。クレープや焼きそばといった祭りの屋台定番の食べ物を巡って腹を満たしたあと、ミニゲームレベルのアトラクションをいくつか遊んだり野外ステージを少々観覧するなどして、普通科棟をけっこう歩き回った。それなりにへとへとである。
「響、楽しい?」
普段どおりのローテンションであるように見えるが、今日の響からはどこか陰があるように感じていた。もしかしたら、昨日の一件を気にしているかもしれない。
とはいえ、わざわざ言葉にするのも水を差してしまうかと思い、玲子はただそれだけを訊いた。
「楽しいというか、疲れたというか……」
玲子は微苦笑を浮かべる。気のないような素振りを見せつつも、そこに否定的な雰囲気は感じられない。むしろ、今日最初に会った時よりもいくらか陰が薄まっているような気がする。多少は気が紛れたのではないだろうか。
そうだといいなと思いつつ、玲子は改めて賑わいに目を向けた。
視線を滑らせていくと、嘉神生に一般客、老若男女問わずみな学園祭を楽しんでいるのが見て取れる。あの笑顔が、この
昨日の一件は、まだ完全に収束していない。関与した降魔科生たちの処分の件がある。昨日の今日ということもあり、完全には安心しきれないのが正直なところだ。すべてが本当に落ち着くまでは、幕引きとは言わないだろう。
だが、ひとまずは順調に進んでいる。何が起きてもいいように多少気を張ってはいるものの、波乱の
今日この光景を見ることができたのも、鵜飼と統括会メンバーの活躍があってこそだ。響や梨々花、
――そして、
あの助言があったおかげで、今回の首謀者を捕まえることができた。どういうつもりなのかわからないが、それは認めざるを得ない事実だった。
「いずれ、お礼を言わないといけないわね──深晴さんには」
玲子は独り言のつもりだった。しかし、それは隣の後輩の耳にもしっかり届いていた。
「……みはる、さん?」
響が信じられないような面持ち玲子を見つめる。そこで玲子ははたと気がついた。そういえば、昨日深晴に会ったことを響に伝えていなかったのだった。
「ごめんなさい、言い忘れていたわ。実は昨日、
玲子は学校説明会終了直後の一連を話した。
深晴が来ており、そこで会話をしたこと。去り際に放った深晴の一言が首謀者の捕獲に至ったことも。
「そうですか」
眉根をひそめて聞いていた響だが、話し終えたあとはその一言だけをこぼした。
「あまり驚かないのね」
「まぁ、いつものことなんで……」
あの人はどこにでも現れるし、どういうわけかなんでもお見通しだ。神出鬼没の千里眼相手にいちいち驚いていたらきりがない、というか疲れるだけ。いつの頃からかそう悟ってから、その辺りに関しては特に動揺することもなくなった。せいぜい呆れるぐらいで。
それよりも、響が気になったのは別のところだ。
「てか、その〝深晴さん〟てのは……」
「そう呼べと、言われたのよ」
玲子は嘆息した。玲子とて
「へぇ……他に、何かされませんでした?」
いつになく響が真剣な表情で問うてくる。玲子は戸惑いがちに頷いた。
「え、ええ。特に何も」
軽く挑発めいたものは受けはしたが、それ以外では特にこれといったことはされていない。
その答えを聞いて、響はひとまず胸を撫でおろした。あの人は何をしでかすかわからない。余計なことをしないでほしい、切実に。
「まったく、何しに来たんだあの人は」
「響に会いに来た、とは言っていたけれど」
どうしてか裏で起こっていたことに響が巻き込まれていることを知り、最後には響によろしくと言って去って行った。
それを伝えると、響が嫌そうに顔を歪めた。この様子を見る限り、深晴は本当に弟子に会わずに帰ったようだ。
「なんだかんだ弟子が心配だったってことかしら」
「それはないです、絶対」
玲子の言葉を、響が即座に否定する。
「あの人の場合、全部気まぐれですよ」
あの深晴が〝誰かのため〟といった理由で動くことはまずない。あり得ないと言ってもいい。
単純に、面白そうだから首を突っ込んだ。ただそれだけなのだろう。たとえ真実を知っていたとしても、気が乗らなければわざわざ自ら出張ることなどしない。
それすなわち、自分のためにしか動かないと同義。土御門深晴とは、そういう人間だ。
「…………」
玲子はじっと響を見た。響はそう言うが、深晴が響に対して一切の情がない、とは思えない。ただ、それが真っ当なものかどうかは怪しいところだが。
深晴の言動ゆえか、これまでの響の態度からすると彼女は師を快く思っていないように見える。
異様な関係である。そう思うと、どうしたって疑問が浮かび上がってくるもので。
「――響は、どういう経緯であの人と出会ったの?」
玲子は響に向き直り、軽く、しかし慎重に尋ねた。
「言える範囲で構わないわ。私は響のことを知りたい。それだけなの」
無理に聞き出そうと思っているわけではないということをアピールしつつ、響の反応を待つ。今まであまり踏み込んだ話は聞いてこなかったが、ずっと気になっていたことだった。
少しの沈黙のあと、響はおもむろに口を開いた。
「昔、妖異に襲われかけた時ですかね」
響は遠い日のことを思い出す。
あれは自分がまだ小学生の時だった。妖異に襲われて窮地に陥り、もういいやと生きることを諦めかけた瞬間にあの人が現れたのだ。
それが土御門深晴との
自分を守れるのは自分だけ。
今も胸に残っている深晴の言葉。それを聞いて、響は幼心に自分で未来を切り開く決意をした。
「それで、まぁ色々あって術を教えてもらうことになった……みたいな」
ざっくりと言う。深晴と出会ってからの出来事はとても一言で語ることなどできないし、どこまで話していいのかわからない。それに、自分の身の上話など他人にしたことがないので、話すのが難しいというのもある。
正直、いい出会いとは言い難い。師のことを慕ったことなど一度たりともなく、安直だったかもしれないと後悔したこととて数えきれないほどある。あの人は最初から容赦がなかった。
「……そう」
玲子はそれだけ呟く。正直知りたいことの九割も聞けていない。響には謎がまだ多く残されており、聞きたいことは山ほどある。
それでも、響が少しでも話そうとしてくれたことが嬉しかった。多少は心を開いてくれていると思ってもいいのだろうか。
ならば、今はそれだけで十分だ。あとは徐々に、徐々に。響がいつか話してくれることを信じて。
それ以上のことは言及せず、玲子は少し話の方向を変える。
「こう言うのもあれかもしれないけれど、あの人のそばにいるのは、その……とても大変だったのではないかしら」
自分など少し言葉を交わした程度でそれなりに消耗してしまったのだ。緊張と警戒ゆえのものだが、正直長時間同じ空間にいられる自信が湧いてこない。
だから、深晴に師事し、古式降魔術をここまで習得した響は素直にすごいと思う。
「大変……なんてもんじゃないですね」
師との関わりは大変を遥かに超えた何かだ。よくここまでもっているなと自画自賛してもいいだろうもはや。
「術を会得するために耐えたのね」
「……まぁ、そうですね。それもありますけど」
護身のすべを得るため、であることに間違いはない。だから響はどんなにつらくても諦めなかった。
けれども、おそらく一番がそれではないことはわかっていた。
深晴のもとにいる理由。それは──。
▲ ▲
『一般開放終了です。ご来校いただきまして、誠にありがとうございました。みなさま、足元にお気をつけてお帰りください』
先ほど学園内に響き渡ったアナウンスにより、学園祭二日目も終わりを迎えた。
来客が帰ったあとは嘉神生だけの後夜祭が待っている。普通科生も降魔科生も校庭に集まり、そこで学園祭の閉会式が行われるのだ。
後夜祭は校庭にて行われるため、嘉神生たちがぽつぽつと集まり出し始めている。その様子を、統括会室の窓から玲子は眺めていた。
「無事終わったな」
「ええ」
統括会室にいるのは玲子と楓のみ。昨日行った学校説明会の結果をまとめておきたかったため、後夜祭には不参加だ。本当は玲子ひとりでやるつもりだったが、話を聞いた楓も手伝いを買って出てくれたこともあり、二人で進めることになっていた。後夜祭のほうは一応去年は出ているので、特に残念とまでは思わない。
今日は今に至るまで異変などは起こらず、至極平和に過ぎ去った。表面上は、嘉神祭は大成功を収めたと言えるだろう。
「今日は何事もなくて本当に良かった」
「そのわりには、浮かない顔をしておるようじゃがの」
楓が真剣な表情で玲子を見据える。言葉にせずとも、どうしたと訴えかけてきているのがわかる。親友はこういう時、ずばりと見抜いてくるのだ。
「……自分の浅はかさに呆れていただけよ」
言って、玲子は
思い出されたのは響との会話。響が土御門深晴に師事した理由を聞いた時のこと。
その問いに対して、響から普段と変わらぬ口調で放たれた答えに、玲子は愕然として言葉を失った。直後に楓たちが戻ってきて話が切り上げられたのもあるが、それがなくとも玲子はかける言葉を見つけることはできなかっただろう。
話題はそこで終了してしまったが、響の言葉がずっと頭の中で反響している。
それは、
どんな思いで、その言葉を吐き出したのだろうか。響がなんの気になし言っていたこともあり、玲子には正確に推し量ることができなかった。
ただ、玲子はどうしようもなく悲しくなったのだ。
輝血の生涯は修羅の道。生まれ落ちた時から望まざる
それはわかっていたはずなのに。
いや、わかっているつもりになっていただけだ。なにせ、玲子が輝血の人間と実際に会ったのは、響が初めてなのだから。
当人たちの言葉を、思いを、直接聞いたことがない。すべては聞きかじった話で、想像しただけのものにすぎなかった。
響があまりにも普通にしているから、そういった雰囲気を感じさせなかったというのもある。けれど、それは響が自分自身の手で掴み取ったものだ。
輝血の身を狙われないように、妖異と相対しても渡り合えるように。
扱いが難しい古式降魔術を体得するのは並大抵のことではない。そこに至るまでに、いったいどれほどの努力をしたのか。
玲子は己を深く恥じる。きちんと考えようとせず、わかった気になっていた自分が情けない。
自分はもっと知る必要がある。輝血のことを。響のことを。
「――――」
無言で窓の向こうを見つめ続ける玲子の横顔を、楓はただ静かに見ていた。
玲子の様子がおかしいと気づいたのは、梨々花と飲み物を買って戻った時。その後ほどなくして響たちと別れ、そのまま統括会室に向かう道すがらも、彼女は何かを考え込んでいるようだった。
玲子は何があったのかははっきりと言わなかったが、またきっと何かを背負おうとしている。責任感が強いのは彼女の長所ではあるが、その責任感ゆえに必要以上に背負いすぎる部分は彼女の短所だ。もう少し肩の力を抜いてもいいだろうにと、楓はずっと思っている。
しかし、それを口に出したところで彼女は変わらないだろう。ただ困らせてしまうだけ。それは楓の望むところではない。
器用なようでいて不器用。どうしたって生き方を曲げられないのが、
けれど、そんな玲子だからこそ、楓はついていこうと思ったのだ。
心配ではあるが詳しくは聞かない。きっと、今聞くべきことではないのだろう。
だから、楓に言えることはこれだけだ。
「玲子、わしはおぬしを信じておる。何があっても」
「……ごめんなさい、楓。私はあなたに甘えてばかりだわ」
玲子のこの発言は、楓の心遣いに気づいているがゆえのものだ。
そんな風に思う必要はない。そう伝えたかったが、楓はあえて別の言葉を選ぶ。
「まったくじゃ。おぬしは意外と世話が焼けるからのぅ」
やれやれと大げさに首を振ってみせると、玲子は苦笑した。
うん、それでいい。望んだ反応が得られ、楓は内心安堵する。そんなことはないと否定するほど、玲子が更に気に病んでしまうことはこれまでの経験でわかっていた。彼女がどこまでもまっすぐな性格だからわかりやすいというのもある。
「ありがとう、楓。いずれ、きちんと話すから」
楓はひとつ頷くだけで返した。別に無理に話す必要はない。玲子の心が少しでも軽くなれば、楓にはそれだけで十分なのだ。
そこで話を切り上げ、仕事に取りかかろうと席に着く前に、玲子はもう一度窓の外を見た。
校庭には、すでにけっこうな人数が集まってきている。あの中に、あの子もいるのだろうか。ここからでは遠すぎてさすがに個人を判別できないが、きっと梨々花に引っ張られて参加しているに違いない。容易に想像できて微かに口元が笑む。
水面下で起きた事件もあったから十分にとは言い難いだろうが、彼女が少しでもこの学園祭を楽しんでくれていたらいい。
なんの気兼ねなく楽しめるような、ありふれたなんでもない時間を響には過ごしてほしい。そう願わずにはいられない。
そっと窓際から離れた玲子の胸に、新たな決意が宿る。自分もできることをやろう。少しでも力になれるように、心を尽くそう。
――もし自分が妖異に喰われたとしても、あの人ならその妖異を調伏できるから
もう、あんな悲しいことを言わせないために。
▲ ▲
「――と、ここまでが私と氷輪殿で嘉神祭を回った全貌だ」
「ふーん」
大浴場から自室に戻ったあと、暁鐘が今日の行動報告という名の土産話を始めたため、響は聞くともなしに聞いていた。
あれがすごかったこれが興味深かったなどと話す暁鐘は、嘉神祭を随分と堪能したようだった。心なしかツヤツヤとしている気がする。
「まったく……汝は加減というものを知れ」
暁鐘の横でそう言った氷輪は、少々うんざりした様子だった。不機嫌そうに尻尾をひとつ揺らす。
「それもこれも汝のせいだぞ、響。この我にお守りなぞさせおって」
ジトリと睨まれ、響は悪びれなく肩をすくめた。
「しょーがないじゃん。暁鐘だけだと色々心配だし、それにほら、式神の先輩としてここらで威厳とかそういうの見せとかないと」
「いい加減なことをぬかすでないわ馬鹿者めが」
「お互い様でしょ」
響と氷輪が軽口を叩き合っていると、暁鐘が申し訳なさそうに言う。
「すまない、氷輪殿。私としたことが、つい羽目を外しすぎてしまったようだ」
暁鐘は人の姿で校内を巡り、渡した小遣いも多少使って飲み食いをし、アトラクション系にも挑戦したのだそうだ。
しかし、暁鐘が目に入るものに片っ端から興味を持ったおかげで、氷輪は散々連れ回されたらしい。
氷輪が疲れているのは当然体力的にではなく、精神的に摩耗したせいだ。あれはなんだこれはなんだと聞いてくる暁鐘に逐次説明してやるだけでなく、突拍子もない行動を取ろうとするのを先んじて制する。そんなことを繰り返していたというのだから、いくら神獣とはいえさすがに気疲れしたようだ。
「ま、氷輪が一緒だったおかげで変な騒ぎとかにならなかったみたいだし、助かったよ」
「ふん、口先だけではなんとでも言えよう」
氷輪は胡乱そうだが、実際助かったのは事実だ。氷輪がいなければ、面倒なことになっていたかもしれないのだから。
知識の神獣はこういう時に本当に便利だ。おそらく、人間よりもよほど人の常識に精通しているのではないだろうか。
そんなことをぼんやりと考えていた響だが、妙な騒ぎにこそならなかったものの、暁鐘が変化した人の容姿は周囲の目をかなり引き、多少話題になっていたことは知らない。
「響、そなたが許しを与えてくれたお陰で非常に有意義な時を過ごせた。改めて礼を言う」
律儀な式神に、そりゃよかったねと響が軽く返すと、暁鐘は言葉を続けた。
「して、響は?」
「何が?」
「響も楽しめたのだろう?」
響はぱちくりと瞬きをした。
「わたしが?」
「違うのか? 表情が柔らかいゆえ、良い時を過ごせたのだと思っていたのだが」
「…………」
自分が楽しんだ? 嘉神祭を?
言われて思い返す。学生の一大イベントのうちのひとつである学校行事。それが学園祭。
そんな行事だろうと、自分は空気のごとく気配を断ち、存在しないかのように振る舞い、適当に淡々とやり過ごすはずだった。今までそうしてきたから。
それなのに、気づけばクラスメートや先輩とともに校内の模擬店を回っていた。それに、後夜祭にまで参加して。
なんだか変な感じだ。胸のあたりがむず痒くなるような、どこかくすぐったいような、そんな今まで体験したことのない感覚。けれども、不思議と嫌ではない。
これがなんなのか、響にはまだわからない。わかるようになるには、響にもう少し経験が必要だった。
「……まぁ、悪くはなかった、かも」
ぽつりと思ったままをこぼすと、暁鐘はそうかと満足そうに頷いた。
「ならば、よかったな」
「…………」
響は落ち着かなくなり、やおら立ち上がった。
「もう寝るから」
何かを誤魔化すようにそう言って、二段ベッドの梯子に足をかけた。その時にふと視線が下段のベッドに行く。
昨夜、そして今夜も帰ってきてないルームメイトが普段使用しているほうだ。
「――――」
響は軽く頭を振ると、一気に上へあがって横になった。
考えると胸の奥が重くなって気が塞ぐ。せめて今日だけは、何も考えずにこのまま眠りにつきたかった。この、悪くない気分のまま。
「明かりを消そう」
暁鐘が気を利かせてくれて、部屋がふっと暗くなる。
目を閉じた響の耳に、おやすみという声が届く。その言葉に誘われるように、響の意識はゆっくりと沈んでいった。
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