窺窬する謀略 ☆漆

    ▼   ▼



「――以上で、嘉神学園説明会を終了とさせていただきます。本日はお越しくださり、誠にありがとうございました」


 締めくくりの言葉のあとに、ぱらぱらと拍手が鳴り響く。そうして、視聴していた客たちがめいめいに席を立ち始めた。


 玲子れいこは出入り口まで移動し、重厚な鉄扉を開ける。本来の予定では他の役員が見送り担当だったのだが、この場には玲子しかいないので一人でそこまでやらなければならなくなった。


 別にそれ自体は苦ではない。――仲間のほうが、今大変な思いをしているはずなのだから。


 一人一人に感謝の言葉を述べながら、玲子は逸る気持ちをぐっと押さえつけていた。


 説明会の終了予定時刻は十五時で、概ね予定通りに終わり、今はその数分前だ。状況がどうなっているのかわからない。順調にことが進んでいるのか、いないのか。


 万一、最悪の事態に陥った場合は校内放送がかかるはずなので、それがないということは表立った騒ぎは今のところ生じていないのだろう。


 幸い、修練場はこのあと使う予定がない。当初は説明会を終えたらすぐにこの場を片付けることになっていたが、そんなものは後回しだ。


 それよりも、早く合流せねば。仲間を信用していないわけではけっしてない。けれども、事が事だけにどうしてもいても立ってもいられないのだ。学園の存亡がかかっているようなものなのだから。


 もどかしく思いながらも態度には一切出さず、ぞろぞろと扉をくぐっていく客を見送る。


 少しして五十人ほどいた客がようやく出て行った。玲子はふっと息を吐く。これでやっと動ける。


 すぐにでも修練場を出ていきかけた玲子だったが、何気なくフロアに目をやった時、最後部の端にひとりだけまだ座っていることに気がついた。


 危なかった。もし気がついていなければ、とんだ失礼を働いてしまうところだった。


 それにしても、他の客は全員出て行ったというのに何をやっているのだろう。こちらは急いでいるというのに。


 さすがにそのまま無視して行くわけにもいかないので、玲子は仕方なくその客のところへ向かう。


「あの、どうかされましたか。もしや体調がすぐれないとか……」


 声をかけると、その人物は色素の薄い腰まで届くほど長い髪を翻して振り向いた。


 その顔を見た玲子はふっと息を詰めた。


 その人物は、目を瞠るほどの美貌を持った妙齢の女性だった。


 七分丈の白いワイシャツに細身のジーンズというシンプルでラフな格好だが、それがまた彼女の美しさを際立たせている。そして、腕にかけた大きいサイズの薄紫のストールは、まるで天女の羽衣のようだった。


 どうして、今の今まで気がつかなかったのだろうか。これほどの存在感を放っているというのに。


 目の前の女性とは、一度しか会ったことがない。けれども、そのたった一度で存在を刻みつけていった、忘れられるはずもない人物。


「こんにちは、幸徳井家のお嬢さん」


 微笑みをその面持ちにたたえてそう返してきたのは、ゆらに古式降魔術を教えた張本人、土御門つちみかど深晴みはるだった。


 信じられない面持ちでその場に立ち尽くす玲子に、深晴はくすりと笑っておもむろに立ち上がった。


 すらりとした細身の体形と長身がスタイルの良さを物語っている。玲子も似たような背格好だが、深晴のほうがわずかに身長が高い。


「さすがは生徒会長ね。私だったら、あんなふうに説明なんてできないわ」


 どうやら先ほどの説明会の感想を言っているらしい。


 世辞か、本心か。どちらにせよ、玲子の様子にお構いなく深晴が平然と話しかけてくる。


 不思議と馴れ馴れしいとは思わない。しかし、親しみもまた感じられなかった。


「……なぜ、あなたがここに」


 ようやく絞り出した声は、自分でもわかるほどこわばっていた。


 そんな玲子の問いに、深晴が頬に手を当てて悩ましげな表情を作ってみせた。


「愛しの教え子に会いに来たのだけど、あいにく出払っているみたいでね。けれど、ここまで来て何もせずに帰るのもなんだかもったいないと思って、せっかくだから覗きに来たの」


 だって、私も一般市民だもの。


 微笑をたたえ、うそぶくように放たれた言葉に、玲子は固い面持ちのまま漸う口を開いた。


「土御門家現当主ともあろうお方が、ご冗談を」

「あら、なんだか棘を感じるのは気のせいかしら」


 特に気を悪くしたふうもなく、深晴はくすくすと笑っている。


「でも一般市民なのは本当よ? 私、降魔士じゃないもの」


 深晴がそう言った途端、ぴくりと玲子の柳眉りゅうびが跳ねる。


 降魔術を行使するには、ライセンスが必須だ。医師免許などと同様に、認められた者しかその技術を行使してはならない。


 余計なトラブルを起こさないためにも、法令で厳しく定められている。


 その件で、当時普通科生でありながら降魔術を使っていた響とひと悶着あったぐらいなのだ。


 それを知らないはずがないのに、降魔術を使える目の前の女性はどこか挑戦的な表情を浮かべながら、堂々と自分は降魔士ではないと言い切った。自ら犯罪者だと公言しているようなものだ。


「あら? 私をとがめないの? 響の時みたいに」


 どこか煽るような言い方だ。悠然と笑みを浮かべた深晴は、玲子の出方を窺っているかのようにも見える。


 降魔術を扱うには、確かにライセンスが必要だ。ライセンス未取得者が術を使えば、速やかに身柄を拘束して然るべき裁きを受けてもらわねばならない。


 ――しかし、これには〝例外〟があった。


 ライセンスを持たずとも降魔術を扱うことが許されている役職が、実はあるのだ。


「……あなたは、資格をお持ちなのではないでしょうか」


 玲子が慎重に口を開くと、深晴はうっそりと目を細めた。


「ふふ、やっぱりわかっちゃうのね」


 つまらないわ、という言葉とは裏腹に、深晴は微笑を浮かべたままだ。その様子から察するに、こちらが看破することなどとうに見越していたのだろう。


 玲子はやはりかと自分の予想が的中したことにほっと息を吐く。いや、本当に安堵していいかは正直微妙なところではあるが。


 降魔術には、カデイ式降魔術と古式降魔術の二種類がある。カデイ式が現在一般的に使用されている術式だ。


 その中の古式降魔術に、〝例外〟の意味が隠されていた。


 古式降魔術はまたの名を陰陽術おんみょうじゅつ。より正確に言えば、陰陽術調伏法ちょうぶくほうのことを指している。


 陰陽道をベースに作られたものが陰陽術であり、その術を学び極めていた者たちが、降魔士の前身である陰陽師だ。


 陰陽道は、神道や道教、仏教に密教などから多大な影響を受けて構築されている。


 特に、陰陽術調伏法はその影響がもっとも強い。それが真言しんごん結印けついんを使った呪法である。


 そしてその神道や仏教などは、それ単体として現在に至るまで信仰されている。


 つまり、神仏に従事する者であれば、降魔術を扱えるということを意味していた。世界規模の宗教相手では、降魔士であっても関与することが難しく規制ができないため、理屈上はそうなっている。


 深晴は、現代で一般的に使われているカデイ式降魔術の元となった陰陽術の継承者。それも斯界しかいでは名高い祖先の正統な血を受け継いでいる。


 降魔士ではない深晴に資格があるということは、それはつまり――。


「それにしても、あの子もほとほと不憫ねぇ」


 と、深晴がふいに話し始めたので、玲子は思考の淵から引き戻された。


「学園の行事って時にまでおかしなことに巻き込まれるんだもの。これも、輝血かがちだからなのかしら。ねぇ? 生徒会長さん」

「……っ」


 玲子は思わず息を呑んだ。今起こっている事態は、響と梨々花りりか、それに生徒会と鵜飼うかいしか知らないはず。それなのに、この女性は学園祭の裏で何が起きているのか、すでに把握しているかのような風情だ。


 一体どうやって知ったのか――どこまで、知っているのか。


 たとえすべてを知っていたとして、自分の弟子が巻き込まれているというのに、しかし深晴はどこか他人事だ。


 心配する様子は微塵もなく、逆に楽しそうにしているように見えるのはきっと気のせいではない。


「土御門家ご当主様」


 呼びかけると、んー、と深晴が小首を傾げた。


「それ、呼びにくいんじゃないかしら。気軽に名前で呼んでちょうだい。ご大層な敬称も必要ないわ」


 軽い調子で言ってはいるが、そこには有無を言わせない迫力がある。軽く言霊が込められているのか。少し肩を震わせた玲子は、それに従わざるを得なかった。


「では……深晴さん、でよろしいでしょうか」

「ええ、いいわね。さっきよりも親しくなった気がするわ」


 そう言いながらも、どうにも親しくしようという気が感じられなかった。本当にこの人からは真意が一切読み取れない。


「それじゃあ、私も玲子さんと呼ばせてもらってもいいかしら」


 玲子は固い面持ちで頷く。そんな玲子を見て、深晴はくすりと笑った。


「そんなに警戒しなくてもいいのに。取って食おうってわけでもないのだし」

「…………」


 それはできない相談だった。


 何しろ、この人物は得体が知れなさすぎる。少しでも気を抜けば、その時点で飲み込まれてしまいそうな感覚を抱くのだ。


 雰囲気を一切和らげない女子学生に、女性はやはり気にすることなく平然と声をかけ続ける。


「私はあなたを好ましく思っているのよ、玲子さん」


 玲子は怪訝な表情を浮かべた。取るに足らない小娘程度の認識しか持たれていないと思っているのだが。


 思い浮かんだのは、深晴と初めて会った時のこと。


 気配も悟らせずにふいに現れ、かと思いきやいつの間にか束縛の術をかけられていて、一切身動きができなかった。もしも深晴に悪意があったのならば、何ひとつ抵抗できずにやられていただろう。


 表には出さないように努めているが、玲子にはあれがけっこう堪えていた。


 玲子は自身の能力や実力を過信してはいない。他者だけでなく自分にも相当厳しい。


 しかし、偉大な父を持つ名門の生まれとして最低限の自尊心と、降魔科トップの実力保持者である生徒会長という立場に強い責任感を持っている。常日頃から名前と立場に恥じぬようにと心がけ、己を律し、研鑽を怠ることがない。


 実際、玲子の実力は本物だ。降魔士界でもすでにその名と実力は知れ渡っており、いずれ斯界を牽引する降魔士になるであろうと目されている。


 そんな玲子であっても、現状この女性にはまったく歯が立たない。それほど凄まじい力を持つ土御門家現当主に好まれるような部分など本当にあるのだろうか。


 疑いの眼差しを受けても、深晴は相変わらず悠然と微笑んでいる。


「あら、本当よ? 響のことを知ってもなお可愛がってくれているし、そんなあなたはあの子にとって頼れる先輩のようだもの」


 果たして、本心としての言葉なのか。よしんば本心だとして、何が目的なのだろう。


「……恐縮です」


 なんとかそれだけ返しはしたが、依然として警戒心を解かずにいると、深晴がふと目を細めた。


「ふふ。あまり似ているとは思わなかったけど、そうやって眉間にしわを寄せた顔はあの人にそっくりね」

「え?」


 虚を突かれて目を瞬かせる玲子に、深晴は薄く笑うだけだ。


「さて、そろそろおいとましようかしら。あなたも急ぎの用があるんでしょう?」


 ふいにそう言ったかと思うと、深晴がすたすたと出入口に向かっていく。その姿を、玲子は呆気にとられた様子で見送ることしかできなかった。


「ああ、そうだわ」


 出て行きかけて、ふと立ち止まった深晴が玲子を顧みた。


「話に付き合ってもらったお礼、というわけではないけれど、ひとつだけ教えてあげる」


 そうして、彼女はこう言った。


窺窬きゆする影は北方にあり」


 意味を図りかねて、玲子は訝しげに首を傾げる。


「それは、どういう……」

「さぁ、なんでしょうね?」


 深晴はおかしそうに笑うだけで、詳しく話そうとするそぶりは見せなかった。


「それじゃあまたね、玲子さん。響にもよろしく伝えておいて」


 ひらりと手を振り、今度こそ深晴は去って行った。


 たっぷり十秒を過ぎたところで、ようやく肩の力を抜く。深晴と相対してから、得も言われぬ緊張感でずっと張り詰めていたのだ。


 疲れたように息を吐き出した玲子の脳裏に、深晴が去り際に放った一言がよみがえる。


 ――窺窬する影は北方にあり


 どういう意味なのだろう。直訳すれば、隙を伺い狙う影は北の方向にあるという意味だが。


 隙を伺い狙う影。


 このタイミングでわざわざ言い残していったということは、それが指し示すものはおそらく――。


 その時、スカートのポケットからバイブ音と振動が伝わってきた。


 手に取ったスマホを見ると、画面に響からの着信が表示されている。なんというタイミングだろうか。


「もしもし」

『あー、と、かえで先輩に様子を聞いてくれって言われて……。そっち、どんな感じですか?』


 玲子は軽く目を伏せた。


「ごめんなさい。説明会で動けなくて、ちょうど終わったところなのだけど、私も今の状況をすべて把握しているわけではないの」


 緊急を告げる校内放送もなく、仲間からの連絡もないため、今のところ大事は起こっていないはずだということだけ伝える。


『そうですか』

「そちらはどう?」

『子どもたちを病院に連れて行ったところです』

「子どもたちの容体は?」

『妖気にあてられただけだから、一週間ぐらいで元気になるだろうって』


 それを聞いて、玲子はほっと息を吐いた。


「そう……あなたたちのほうは? 怪我はない?」

『ああ、はい、私は特に……。楓先輩が来てくれたんで』


 響の言い方に玲子は少し引っかかりを覚えた。


「三船さんに何かあったの?」


 思わず問いただすようになってしまった。すると、少し慌てたような声が返ってくる。


『あーいや、そんな大したものじゃないです』


 妖異に吹き飛ばされて地面を転がった拍子にできた傷が数ヶ所あっただけで、大事に至るようなものではないという。


 とはいえ、それをそのまま放置しておくわけにもいかない。それで、今軽く手当を受けているところらしい。


 それを聞いてほっと胸を撫でおろした玲子は、ふと首を傾げた。


「そういえば、楓は?」

『子どもたちの家族に事情説明してます。それで、連絡しといてくれって』


 なるほど、だから響が連絡してきたのか。


 よくよく考えれば、玲子の連絡先は生徒会以外の降魔科生だと響にしか教えていないので、彼女がかけてくるのも道理か。


 などとつらつら考えていた玲子の耳に、遠慮がちな声が届いた。


『……あの、先輩』

「うん?」


 返事をするが、呼びかけた本人は何やら言い澱んでいる。


「どうしたの?」


 不思議に思いながら先を促せば、響は意を決したように話し出した。


『途中で変わった妖異の気配が、あの時と同じだったんです』

「あの時?」

嘉神かがみを襲った牛鬼ぎゅうき


 実に端的だが、一瞬で意味を理解した玲子は息を呑む。


「それは確かなの?」

『はい』


 佳澄かすみが投げた小袋を受けてから百目鬼どうめきの妖気が爆発した。それがあの五月の百鬼夜行の時に、突如あの場に現れた巨大牛鬼とまるで同じだったと、響は言うのだ。


「では、やっぱりあの百鬼夜行は、人の手によって生み出されたものということなの……!?」

『楓先輩と、あと氷輪ひのわがその可能性が高い、って』


 楓だけでなく知恵の神獣である白澤はくたくが言うのならば、それはもう確定事項と言える。


『えっと、なんか、伝えておいたほうがいいかなって思ったんですけど』

「……ありがとう、響。助かるわ」


 驚愕の事実にまだ脳が追いついていないが、玲子は努めて冷静に答える。


『じゃあまぁ、そういうことなんで』


 響たちももう少ししたら、佳澄とまきなも連れてすぐに学園に向かうとのことだった。


 通話の切れた端末をしまった玲子の脳が急速に回転し出す。


 五月の嘉神学園襲撃事件は、誰かが裏で糸を引いている。それは楓がもたらした報告にもあったことだ。響から伝え聞いた話で、それがようやく確信へと変わった。


 そして驚くべきことに、百鬼夜行の一件と今回の件は繋がっている。おそらく、同一人物が引き起こしたものだろうと思われる。


 しかし、それ以上のことは依然としてわからないままだ。


 百鬼夜行を裏で操り、そしてまた今回学園を脅かそうとしているその誰かの意図とは、果たしてなんなのだろうか。


 一旦整理してみようと、玲子は思考を巡らせる。


 百鬼夜行が襲撃して来た時は、学園の結界が破壊されそうになった。


 嘉神学園全体を覆う巨大な結界は、玲子の父であり、幸徳井家現当主である現代最高峰の術者、幸徳井定俊さだとしが施したものだ。


 天災のごとく天候や地形を変えるほどの甚大な力を持つ妖異が束になって攻撃でもしない限り、破られることはないはずの強固さを誇っている。


 しかし、牛鬼は凶悪な妖異だが天災レベルには達しない。それなのに、結界に亀裂が生じた。


 そこまで考えた時、玲子は引っかかりを覚え、ぴたりと足を止めた。


「……いえ、違うわ」


 結界に綻びが生じたのは、あの牛鬼が出現する前だった。牛鬼は結界が弱まったところに攻撃をしかけ、破壊しようとしていたのだ。


 玲子は息を詰めて瞠目する。なぜそれを見落としていたのだろう。


 どくんと、鼓動が跳ねる。自分たちは、とんだ思い違いをしていたのではないだろうか。


 牛鬼の仕業でないのなら、何が原因なのか。


 結界を囲うように群がっていたあの百鬼の仕業? 否、大して力のない有象無象が押し寄せてきた程度で、あの強固な結界に綻びが生じるわけがない。


 結界を打ち破る方法としては、結界の強度を上回る衝撃を与えるか、もしくは内側から破るかのほぼ二択。


 結界は外側からの負荷には強いが、逆を言えば、内側からの負荷に対しては非常に脆い。内側からの攻撃などは想定していないのだから。


 しかし、内側から攻撃されたような形跡はなかった。


 他に、結界を脆くさせる手段があるとすれば、それは内側から阻んでいるものを招くことだ。


 招く――。


「…………!」


 玲子は息を詰める。


 思い出せ。あの時、結界が弱まった瞬間、何があった?


 校内にいた普通科生たちを修練場に避難させて状況報告したあと、それからどうしようかと考えつつ校内を歩いていた。


 その時に、結界が弱まったのを感じて、それと同時に悲鳴を聞いたのだ。


 そう、悲鳴。


 それを聞いて急いで駆けつけた場所は正門前。そして、そこにいたのは――。


「あれ、生徒会長?」


 ふいに声がかかり、玲子は思考の淵から引き戻された。


 気づけば、正面に数人の生徒がいた。男女混合のグループで全員学園祭Tシャツの下に、深緑色基調の制服を身につけている。ということは、普通科生だ。


「どうかされたんですか?」


 しまった。思考に没頭していたせいで、周りがまったく見えていなかった。あまつさえ、ここまで人に接近されても気づかないとは。


 たしかに、こんなところでぼさっと突っ立っていたら通行の妨げにもなるし、見る人は何事かと思うだろう。


「ああ、いえ。少し考え事を……」


 己の失態を内心で恥じて誤魔化そうとした玲子だったが、途中で言葉を詰めた。


 大きく開かれた玲子の目は、ひとりの生徒を捉えている。


 男子生徒だ。なんだかそわそわとしていて、落ち着かない様子を見せていた彼は、玲子と目が合うとその表情を強張らせた。


 ……間違いない。


 彼はあの時、正門前にいた普通科生だった。



     △   △



「っし、確保っと」


 愛生あきの目の前で二人の生徒が、取り押さえられている。ひとりは巨大な白い蛇にぐるぐる巻きにされ、もうひとりは白い虎にのしかかられ身動きが取れずにいる。獣式鬼【】と【とら】だ。


 そんな彼らの校章を愛生は回収した。降魔科生がカデイ式降魔術を使う上で、校章は欠かせない道具だ。これがなければまず術は使えないので、無駄な抵抗をされないためにも取り上げるに限る。


「くそっ、離せ!」

「俺たちが何したって言うんだ!」

「ああ~? あんなあからさまに不審な動きしといて、今更すっとぼけてんじゃねーよ」


 確保と同時に適霊機を外され降魔術を発動できない二人は、なおもギャーギャーと喚き散らしている。


 愛生はため息を吐くと、足元に寄ってきた獣式鬼じゅうしきいぬ】がくわえていたものを受け取って彼らに見せつけた。


「じゃあ、これはなんだよ? 知らないとは言わせねーぞ」


 それを見た途端、二人は一瞬目を泳がせた。


「し、知らない……」

「そーかい。ま、話はまたあとでゆっくり聞かせてもらおうじゃねーの」


 鼻を鳴らし、愛生は手に持った呪具をぽいっと白い虎に放る。獣式鬼【とら】はぐわりと口を開くと、その呪具を噛み砕いた。粉々になった呪具が地面にパラパラと落ちる。


「こっちも排除と捕縛完了したぜー」


 肩口にいた【】を通して報告する。


『よくやった、ご苦労様』

『ねー、なーんかラブちゃんのとこ楽しそーじゃない? いいな~』


 満瑠みつるのおちゃらけたような言葉に愛生は呆れた。


「別に楽しかねーよ……」

『はーあ、オレんとこもそこまで元気いいのだったらよかったのになぁ。ねね、ちょっとそっちの子たちと話させてくんない?』

「――ほぉ? そりゃいい考えだ」


 意地の悪い笑みを浮かべた愛生は、暴言を吐きながらなんとか抜け出そうともがいている彼らに声をかけた。


「なぁ。うちの会計が、あんたらとおしゃべりしたいんだと」


 途端に、二人はぴたりと動きを止めた。顔を青ざめさせてぶんぶんと頭を横に振る。


 愛生はにやりと笑って、満瑠に告げた。


「あー、なんか黙っちまったわ」

『ちぇ~、つまんないの~』


 そう言った満瑠の声音には、落胆の色が滲んでいる。


 満瑠のほうも難なく任務完了していた。随従させた【戌】が呪具を発見し、その傍にいた降魔科生を即無力化した。


 満瑠は、愛生のように術を使ったりはしていない。二言三言話しただけで相手があっさりと降伏したのだ。


 満瑠は言霊を操ることに非常に長けている。術を発動する以外でも、力を言の葉に乗せることが上手いため、ちょっとした発言だけで相手を震え上がらせてしまうのだ。


 糸目で普段から笑っているような表情をしているのも、それに拍車をかけているように思う。本人にそのつもりはない、と思う。たぶん。いや、どうだろう。


 正直、満瑠は何を考えているのかはよくわからない。そんな彼が、実は降魔科で一番恐れられていたりする。


「クソ、あとちょっとだったってのに……っ」


 表情を歪めて悔しそうに呟く降魔科生に、愛生はため息を吐いた。


「こんな方法使ったって、あんたら自身の実力にはなんの変化もねーだろ」

「……っ、うるせぇな! お前にはわかんねぇよ! 最初っから才能あるやつに、俺らみたいなやつの苦労なんてわかりっこねぇだろ!」


 声を荒げ、降魔科生が憎々しげにギッと睨んでくる。愛生は肩をすくめた。


「おいおい、アタシだってこれでもそれなりに苦労したんだぜ?」

「けっ、誰でも苦労してるってか? 生徒会の役員様には想像もつかないことだろうが、才能あるやつと、そんなもんないやつとじゃ苦労の量も質も全部違ぇんだよ!」


 ひとしきり叫んでぜぇぜぇと息を吐いている。彼らの言い分は、完全に開き直りかつ八つ当たりである。しかし、愛生は怒るでもなくふっと眉を下げた。


「……まったくそのとおりだ」

「なに?」

「アタシもな、最初からこいつらを使いこなせたわけじゃあないんだ」


 見ろよこれ。


 そう言って愛生はやおら右袖をまくり上げた。


 怪訝そうにしていた男子は、そこに現れたものを見てギョッと目を見開いた。


「おま、それ……」


 二の腕に痛々しい傷があった。まるで細く鋭い刃物で刺されたかのような傷痕。それも数ヶ所ある。古いもののようで、完全に塞がってはいるが痕ははっきりとわかる。おそらく、一生残るものだろう。


「これは寅嶋とらじまに噛まれた痕。いやー、こいつ昔はホンットにやんちゃでよ。まぁ寅嶋に限らず獣式鬼こいつらみんな、最初は全っ然言うこと聞いてくれなかったわけさ」


 今ではこんなに仲良しだけどな、と言って【寅】の頭をぽんぽんと叩く。


「ま、あれだ。ちょっとやそっとの苦労でなれるほど、降魔士の道は甘くない――ってことなんだよな」


 まぁこんなダサい傷痕あるやつが偉そうに言えることじゃないか、とおどけたように付け足すが、男子二人はにこりともせず、ただただ絶句している。


 少し刺激が強すぎたか。別に脅すつもりはなかったのだが。


 かりかりと頬を掻き、愛生は袖を元に戻した。


 そのタイミングを見計らったかのように、肩口の鼠から声が聞こえてきた。


『残るは不破ふわのところだけか』


 鵜飼の声だ。その言葉に、軽く息を弾ませた返事が来る。


『申し訳ありません。こちらももう少しで到着します』


 最後に見つかった呪具の場所に向かっていた要一よういちだったが、途中で一般客に道を聞かれるというハプニングが起こってしまったのだ。


 その一般客は老婆で、孫の出し物を見にやって来たがパンフレットの地図を見ても場所がわからなくなってしまったのだという。だから、案内をしてほしいと頼まれた。


 正直そんなことにかかずらっていられなかったが、裏で起こっていることは内密にしなければならないために蔑ろにするわけにもいかず、要一は目的地まで送り届ける羽目になったのだ。


 それに要一は生徒会役員。そんな立場の人間が、困っている一般客を放っておくことなどできるわけがない。


 せめて呪具の発見だけはと【戌】を先行させた。そして用事を無事終えた要一が、現場に急行している最中なのだった。


『いや、大丈夫だ。刻限までまだ時間はある。平良のほうは、何か反応はあったか?』

『ノン。今のところ他は特に』


 学園に仕掛けられた呪具は五個だと聞いているが、本当にそれで全部なのか確証がない。


 伝え聞いた五個の場所はすべて発見したが、念のために他の場所に埋め込まれていないかと、和希が探索を続行していた。


『そうか。念のため、もう少しだけ続けてくれるか』

『わかりました』

『それと、すまないが僕はこれで一旦抜けさせてもらう。あとはきみたちに任せたぞ』


何かあったらすぐに連絡をくれと言い残し、鵜飼が通信から離脱した。


『目的地、到着』


 鵜飼が抜けて幾ばくもしないうちに、要一から報告が入る。


 これで最後のひとつも回収できるだろう。やれやれと息を吐いた愛生に、突如信号が伝わってきた。


「……戌飼いぬかい? どうした!」


 すでに役目を終えた獣式鬼は戻しているので、現在召喚している【戌】は、要一につけた一体のみ。


 その獣式鬼に、異変が生じたのだ。


 焦燥を滲ませる愛生の耳に、要一の怒号が飛び込んできた。


『貴様ら! 何をやっている!』



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