もうひとつの盟約 ☆拾弐 【完】

「――それで、飛廉ひれんがあなたの式神になった、と?」

「まー、そうなりますかね?」

「いや、そうとしかならんじゃろ」


 今回の事件の真相については、生徒会メンバーと鵜飼うかいは把握済みだ。愛生が彼らに伝え、口裏を合わせるようにしてある。


 ゆらのそばでパタパタと小さな翼を動かして浮いていた暁鐘あかねは、ふいに机の上に降り立つと、生徒会の面々をぐるりと見回した。


「その節は、色々と迷惑をかけた。これからは響の式神として主を助け、この国の人々の力になりたいと思っている。何卒」


 そう言ってちょこんと頭を下げる。


 それを見て、生徒会メンバーが顔を見合わせた。再び沈黙が場に漂う。


「ま、つまりあれだろ? 昨日の敵は今日の友ってなわけだ」


 ややおいて、そう切り出したのは愛生あきだ。


「あんたを助けた響が決めたことなんだから、アタシらに言えることはなんもねーよ。なぁ?」


 愛生が話を振ると、玲子がそっと頷く。


「私も異論はないわ」


 他からも特に異論は上がらなかった。


「っつーことで、よろしくな」


 愛生が総意を代弁するかのようににかっと笑うと、暁鐘は再び頭を下げた。


「こちらこそ、よろしく頼む」

「いやはや、まさか白澤はくたくに続いて飛廉まで式神にするとは……」


 鵜飼が参ったとでも言いたげに顎をさすっている。


「なんじゃ、響。式神を増やしたということは、降魔士を目指す気にでもなったのか?」


 楓に含みのあるような表情で問われ、響は思いっきり顔をしかめた。


「そんなわけないじゃないですか……。なんか式神にしてくれって言われたから、まぁいっかーってなっただけですし」

「まっ……」


 響のあまりに適当な返答に、鵜飼は絶句した。


 神獣の式神化は、まぁいいかで済ませられるようなことではない。前代未聞の大事おおごとだというのに、響は至っていつもと変わらない。それが特別なことだとは、まるで思っていないかのような態度である。


 大物なのか、わかっていないだけなのか。


 疲れたように頭を振ったあと、鵜飼は響に向き直った。


「何はともあれ、だ。如月、今回は本当によくやってくれた」

「え、や、別に……」


 結局は自分のためにやったことだし、とたじろぐ響に薄く笑いかけ、鵜飼は室内に集う面々を見回した。


「幸徳井もだが、きみたち二人のおかげで事態が無事収まった。他のメンバーもそうだ。よく街を守ってくれたね。僕は担任として、きみたちを誇らしく思う」


 玲子たちが黙って頭を下げる中、響だけはどこか居心地悪そうに視線を彷徨さまよわせる。


「それじゃ、このあと会議があるから、僕はこれで。あとは任せたよ」

「はい。お疲れさまでした」


 慇懃いんぎんに頭を下げる玲子の頷き、鵜飼が生徒会室から出ていく。


 残されたメンバーの中で、真っ先に声を上げたのはまたもや愛生だった。


「いやぁ、にしてもスッゲーじゃんかよ、響! やっぱあんたは最高におもしれーわ」


 そう言ってやおら立ち上がった愛生は、響の肩に腕を回すと反対の手でわしわしと頭を撫で繰り回した。


「ぅわ!? ちょ……っ」

「こーんな細っこい身体のどこにそんな力あんだよ?」

「ラ、ラブ先輩、やめてくださいって……!」


 目を白黒させた響は、玲子と楓に助けを求める。


「ちょ、楓、先輩と会長さんも、見てないで助けてくださいよっ」

「うん? 助ける必要があるかの?」

「嘘じゃん……っ」


 愛生の腕から逃れようと響はじたばたと足掻あがいている。それをものともせず、愛生がうりうりとさらにその頭を撫で回す。なんとも微笑ましい光景だ。


 そこで、ふと視線を移した楓は、玲子がどこか寂しげな面持ちで響たちを見ていることに気がついた。


 いや、これは寂しさというよりはーー。


「…………」


 ふむと一瞬思考を巡らせた楓に、もしやとひとつ思い当たる節があった。それを確かめるべく、響に問いかけてみることにした。


「ところで、響。おぬしはなぜ玲子だけ〝会長さん〟なんじゃ?」


 瞬間、玲子の眉がぴくりと動く。微細な変化だが、それを見逃さなかった楓は確信を得た。やはりそうか。


「え、なんでって……なんでだろ?」


 ようやく愛生の手から逃れた響は小首を傾げる。特に意識したことがなかった。なんとなく最初からそう呼んでたから、それで定着しただけのような気がする。


 というか、楓と愛生に関してはそう呼べと言われたから、仕方なく従っているだけなのだが。


「今回の件でおぬしらは共闘し、見事終息に導いたじゃろう。ならば、もう少し気易くてもよかろうとわしは思うんじゃがな」


 玲子の目がきらりと光る。しかし、平常心を崩すことなく、楓の発言になんでもない風に応じた。


「……そうね、私は名前で呼んでもらっても構わないわ。愛生や楓みたいに」


 最後の一言だけ少し強めのトーンだった。顔には出ずとも、気持ちが隠しきれていない。


「は、はぁ……」

「苗字だと呼びづらいでしょうし、下のほうで大丈夫よ」


 すかさず予防線を引きにいくあたり、玲子はよほど愛生や楓が羨ましかったのだろう。前から主に響と愛生がじゃれているのを見て、何か言いたげだったのには気づいていたが、聞いても毎回はぐらかされてしまっていた。


 玲子は言うべきことはきちんと言うタイプなので深追いはしなかったのだが、まさかこういうことだったとは。


 そう思う楓の視線の先で、玲子がじっと響を見ている。それを受け、響はたじろいだ。


 えー、これ今やる感じなの……。なんか前にもあったような、こんなこと。


「あー、じゃあ、玲子先輩。……で、いいですか」


 呼んだあとになんだか面映おもはゆくなり、ぶっきらぼうに付け足してしまった。なんだろう、このムズムズは。


 どこか決まり悪そうに目を泳がせている響を見て、玲子は嬉しそうに目元を和ませるとこくりと頷いた。


「じゃあ私も、響と呼ばせてもらうわね。いいかしら?」

「別に、いいですけど」


 そこで氷輪ひのわが怪訝そうな顔をする。


「今更ではないか。一昨夜も呼んでおったろうに」

「あ、あれは、咄嗟でつい、といいますか……」


 玲子の頬に朱が差す。


 それを、男子陣は遠目で眺めていた。玲子たちを要一がじっと見ているのを目にした満瑠みつるが、からかうように話しかける。


「要ちゃん、羨ましーい?」

「? 何がだ?」

「ん~? なんだろね~?」


 はぐらかすように答えた満瑠はニマニマと笑っている。和希かずきもただ黙って微笑を浮かべるのみ。要一ははてと首を傾げるのだった。


「…………」


 一方で、楓は沈黙の下に考える。


 玲子には、これまで親しくできるような下級生がいなかった。


 偉大な祖先と古い歴史を持つ名門幸徳井家の息女であり、未来の降魔士として稀にみる実力を持つ。自分の生まれと能力に誇りを持っている彼女は、みなの模範であろうと普段から己を律している。


 たしかに、玲子は学園中の憧れの的ではある。しかし、憧れとして遠目から見ているだけで、誰も玲子に近づこうとはしなかった。


 もちろんマイナスな意味ではなく、雲の上のような人だから容易に近づいてはいけないと思われているせいで、周囲が一歩引いているという意味である。


 憧れと慕うは、必ずしもイコールにはならないということだ。


 だから、玲子には親しい人間ができづらい状況にあった。彼女に気易くできるのは今のところ生徒会メンバーぐらいのものである。


 しかし、そんな周囲とは違い、響は玲子を特別視していない。他の降魔科生のように憧れることもなく、完璧であることもまったく求めていない。


 他人に無関心というのもあるだろうが、それはある意味、みな平等に見ているとも言える。


 そんなタイプの人間は、玲子の周囲にこれまでいなかった。だからそれが、玲子には心地の良いものだったのだろう。


 きっと、彼女に初めてできた後輩と呼べるような存在が、響なのだ。それが嬉しいのかもしれない。


 そこで楓は理解する。玲子がやたら響を気にかけていたのは、そういったものの表れなのだと。


 降魔士界名門の幸徳井家に生まれ、非凡な才能を持つ玲子とて年頃の女子高生だ。いくら毅然とあろうと自分を律していても、芯からそうであれるとは限らない。


 生真面目で自分にも他人にも厳しい性格ではあるが、ただの融通の利かない堅物というわけではけっしてないのだ。家柄や才能のせいで周囲から一歩引かれていた彼女にも、やはり一抹いちまつの寂しさを持っていたことを楓はなんとなく察していた。


 そういうのもあって、響との距離感を図りかねていたのかもしれない。だから、時々らしくない態度をとっていたのだろう。


 玲子はもう少し自分に素直になってもいいのではないだろうかと、楓は思う。とはいえ、おそらく彼女自身が自覚していないことなのだから、言っても仕方ないだろう。


 変なところで不器用なのが、完璧であり続けようとする彼女の欠点と言えるかもしれない。欠点というには、あまりにもいじらしいものではあるが。


「…………」


 楓はほっとする反面、少し悔しくもあった。玲子の持つ孤独感は知っていたはずだ。だから、自分がそばにいて支えようと思っていたのに、足りていなかった。


 それがエゴであることはわかっている。それでも、そう思わずにはいられない。


 楓は、玲子に救われた。そのおかげで今の自分がある。


 本心から言えば、楓は玲子を主君として敬いかしずきたいと思っているほどだ。そう思うのは、自分に流れる血のせいもあるだろう。――尊敬していた人に否定された、この血の。


 けれども、玲子がそれを望んでいないことを知っている。彼女は楓を対等な友人として見てくれているのだ。だから、その気持ちを無下にしないよう、楓もまた対等であろうと努めている。


 しかし、何があっても玲子の味方であろうという気持ちに変わりはない。彼女が不要と切り捨てない限り、どこまでも付き従うつもりだ。


 そんなことを考えていた時、ふと玲子と目が合った。玲子が軽く目を伏せ、口元で何事か呟く。


 ありがとう――そう読み取って、楓は目を瞬かせた。


 どうやら玲子の気持ちを楓が察してこの流れを作ったことが、彼女にばれていたらしい。黙っておいてやろうと思っていたのに、当の本人が気づいてしまったのなら仕方ない。


 まったく、本当に真面目な奴だ。


 苦笑を押し隠し、楓は軽く頷くことでそれに応じた。


 再び響に目線を戻した玲子は、響の左腕をじっと見た。


「それで、怪我のほうはもう平気?」

「ああ、はい。なんとか」


 このとおり、と響は左腕を上げて見せた。


「そう、よかった」


 心底安堵したといったようにほっと息を吐く玲子を、今度は響がじっと見る。


 彼女の顔にはうっすらとだがかすり傷の線がいくつかある。よく見れば手や足のほうにもガーゼが貼られており、包帯が巻かれている箇所もあった。病院にいた今朝はあまり気にならなかったが、それなりに痛々しい姿をしている。


 響の視線に気づいた玲子が苦笑した。


「大げさだとは言ったのだけどね」


 見た目はあれだけど、私のほうは全然たいした怪我じゃないから気にしないで。


 そう言って眉を下げた玲子は、おそらく響の大怪我に引け目を感じているのだろう。別に怪我の程度で何かが変わるというわけではないし、怪我などしないに越したことはないのに、玲子は自分だけ軽症で済んだことを気にしているようだ。


 他人の感情の機微きびに疎い響でも、それがなんとなくわかった。


「…………」


 一瞬悩んだ響は、やおらふところに手をやると符を一枚取り出した。


「響?」

「……ちょっと、そのままで」


 ぼそっと言われ、玲子は目を瞬かせたが言われた通りにその場に立ち尽くす。響は符を玲子に向けて翳すと、すっと息を吸った。


「――オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ」


 響が唱えると、符がカッと光り出した。放たれた光が、玲子を優しく包む。


 やがて光が消えると、玲子の頬にあった傷がきれいになくなっていた。


「これは……」


 玲子が目を見張り、それを見ていた役員たちがどよめく。


「おぬし、そんなこともできたのか?」

「まぁ、一応……。私にはこれぐらいしか、できないですけど」


 師のように、骨折だとか生死に関わるほどの大怪我を治すことは響にはできない。癒符ゆふを使った術で、かすり傷を癒すか、痛みを緩和させるぐらいで精いっぱいだ。


 それでも響には必須の術である。かすり傷程度でも、血を流していればそれだけで妖異を呼び寄せる火種となってしまう。隠形の術をかけていても、血の匂いまでは誤魔化せない。


 だからほんの些細な怪我でも、身に危険が及ぶような場所では血を止めたり、治すように響は心がけているのだ。


 深晴みはるの回復術はもはや別次元といっても過言ではないし、土御門家の秘術中の秘術のようなもの。深晴が一人前の術者だとすれば、響はその足元にも及ばない半人前である。あの域に達するには、響にはまだまだ修行が足りない。


 けれど、あそこまで行くとほとんど人間を捨ててるようなものなので、響としては別にそこまでにはならなくてもいいと思っている。人間ではありたい。しれっと己の師を人外扱いする響であった。


 一方、包帯を解いてみた玲子は、その下にあった傷口もすっかり消えていることを確認して目を丸くする。


 対妖異に特化したカデイ式降魔術において、損傷した人体を治癒する術は、実はない。だから降魔士は大怪我を負っても、それを瞬時に回復させるようなことができないのだ。


 これを考えると、響は全然たいしたことではないと言っているが、かすり傷の瞬間治癒ですら十分すごいことだ。比べる対象が自分の師だから感覚が狂っているだけのような気もする。


「だから、その……」


 ふいに、響が歯切れ悪く言う。


「これでトントン、ってことで」

「え?」


 言われた意味がわからず、玲子は首を傾げる。ふむ、と一瞬考えた氷輪が響に視線を落とした。


「互いに怪我は完治した。だから気にするな、と汝は言いたいのか?」

「……っ、言わなくていいってば」


 式神をじとっと睨めつける響に、玲子は目を瞬かせ、ふっと顔をほころばせた。


「ありがとう、響」


 響はうっと声を詰まらせ、目を逸らした。自分でやったくせに、なんだか居心地が悪い。胸のあたりがなんかざわざわする。さっきからこんなのばっかりだ。


「……こちらも素直ではないの」


 楓が誰にも聞こえない声でぽつりと呟き、小さく笑った。


 そのとき、コンコンと扉を叩く音が室内に響いた。


「どうぞ」


 玲子が促すと、扉が開き、二つの人影が姿を現した。


「失礼します。言われたものを持ってきま――え」


 生徒会室に入って来たのは、梨々花と竜之介だった。響の姿を見た途端、二人の表情に驚愕が浮かぶ。


 しばらく固まっていた梨々花は、呆然とした顔でやおら自分が持っていた荷物を竜之介の荷物の上にどかりと置いた。


「あ? お前何やって……」


 目元を険を宿して竜之介が睨みつけるが、梨々花は聞いていない。


「ゆ……」


 そうして、がばっと響に突撃した。


「響~~~っ!」

「ぐえっ」


 思い切り抱き着かれ、そのあまりの勢いに響の口から潰れたような声が漏れ出る。梨々花がはっとした。


「あ、ご、ごめん! 怪我してるんだっけ? 痛かった?」

「そう思うんなら、離してくんない……」


 梨々花をぐいぐいと押しこくる。ようやく愛生から解放されたと思ったのに、やめてほしい。


 こういうのは、なんというか困る。どうしたらいいのか、わからなくなるから。


 少し離れた梨々花は、まじまじと響を見た。


「あれ、なんか思ったより元気そう? 大丈夫なの?」

「あー、まぁ……」


 曖昧に答える。言及されたら面倒だなと思い、響は話題転換を試みた。


「てか、なんでいんの」


 今日は休日で、授業はないはずだ。生徒会メンバーはともかく一般の降魔科生がここにいる理由がわからない。


 響の問いに答えたのは竜之介だ。


「見てわかんねぇのか。いつもの雑務だ」


 補足するように、要一が口を挟む。


「今回の一件で学園祭の準備のほうがだいぶ遅れていてな。それを挽回するために、手を借りているんだ」

「へぇ……」


 自分で聞いておいて興味なさそうに相槌を打つ響に、梨々花が言い募る。


「そんなことより、響、心配したんだよ!? 目の前で竜巻に巻き込まれていっちゃったときは、どうなることかと思ったんだから! あれもうトラウマよ!? それで、色々終わってから無事って聞いて会いに行こうとしたら、病院に運ばれたっていうし!」


 怒涛の勢いに、響は押され気味だ。横にいた竜之介もうるさそうに眉根を寄せる。


「ピーピーやかましいやつだ。一昨日からずっとそんな調子じゃねぇか」

「なによ、なんかスカしてるけどあんただってけっこう気にしてたじゃない」

「ああ? 適当なこと言ってんじゃねぇよ。つーか、誰がスカしてるって――」


 ふいに言葉が途切れる。竜之介はあるところを見て、目を大きく見開いていた。


「おい……なんだ、そりゃ」


 唐突な驚きの声に梨々花もその視線を追い、そして目を丸くした。


「……あれ、なんか増えてない?」


 二人が見ていたもの。それは、長机の上に乗っていた暁鐘だった。


「響の友人か? ならば名乗らねばな。私はひ――」

「待て」


 言いかけた言葉を遮り、響の頭上から机に飛び降りた氷輪が、暁鐘にこそっと耳打ちする。


「こやつらは、汝が呪詛じゅそを受けていたことも、それが原因で事件が起きておったことも知らぬのだ」


 氷輪は真面目くさった口ぶりで続ける。


「我もこやつらには己の正体を明かしてはおらぬ。汝の素性と、経緯の詳細は伏せよ。それが響のためにもなるというもの」

「わ、わかった。主のためとあらば仕方あるまい」


 暁鐘は戸惑いつつも、響のためという言葉に反応して承諾した。扱いやすい奴で大変助かる。


 氷輪が正体を明かしていないのは、ただ単にそっちのほうが面白いからというだけの理由なのだが、それはおくびにも出さない。


 怪訝そうな顔をしている梨々花と竜之介に、暁鐘は名乗り直す。


「改めて。縁あって私は響から暁鐘と名をたまわり、式神と相成あいなった。以後、見知りおきを」


 梨々花と竜之介はぽかんと口を開けている。


「式神!? 響の!?」


 ややおいて、ようやく事態を飲み込めたらしい梨々花が素っ頓狂な声を上げる。竜之介は表情を険しくして、響を睨んだ。


「また、こいつの……」


 今回の件といい、新たに加わった式神といい、色々と響に先を越されてしまっている。絶対に負けたくないのに。


 そんな燃えたぎっている闘志を向けられていることに、響は気づかない。


「ちょっと響、どういうことなの!? 説明して!」

「えー……」


 梨々花にぐいぐい詰め寄られ、響は一歩引く。その様子を、生徒会役員たちは温かい眼差しで見守っている。


 賑わい始めた生徒会室の光景を見ていた暁鐘が、大きな目をきらりと光らせた。


「おお、響は人徳があるのだな。さすがは我が主」

「…………」


 暁鐘が何やら盛大に勘違いをしている。氷輪はそれを黙殺した。


 ――しかし、まぁ。


 人徳かどうかはこの際置いておくとして、暁鐘のその言葉を受けて氷輪にもひとつ思うところはあった。


 響は、果たして気づいているのだろうか。


 自分の周りが、すっかり騒々しくなっているということに。



   ▼    ▼



 晴れ渡った空に、星が瞬く月夜。


 嘉神学園降魔科寮。夜が更け切って久しく、寮生はみな寝静まっている。


 その屋根の上。そこに、二つの影があった。


「なぜ響だったのだ」


 主語のない突然の振りに、暁鐘はその意図を正確に読み取って答えた。


「我が君が力を貸した人間だ。であれば、私もそれに倣わねばなるまいよ」


 暁鐘は目を細め、柔和な表情を浮かべた。


 氷輪は暁鐘に、黄帝の残留思念が起こした一連のできごとを話した。話したその時は暁鐘が歓喜に打ち震えて少し大変だったが、今はさすがに落ち着いている。


 暁鐘の答えに、しかし氷輪は不満そうな表情を作った。


「それは後付けであろう。汝が響のそばにと請うたのは、我が一連を話す前だ」


 氷輪が鋭い眼差しを暁鐘へと注いでいる。


 これはきちんと理由を言うまで離してくれなさそうだ。そう思った暁鐘は観念して、そっと瞑目した。


「……似ていたのだ」


 誰に、と聞くまでもない。氷輪は思わず鼻で笑い飛ばす。


「汝の眼は節穴か? 似ても似つかぬ。あの男は暑苦しかったではないか」

「暑苦しい、か。たしかに熱意のあるお方だった」

「良いように言いおって」


 これだから盲目は、とばかりに氷輪は首を振った。


「あの男は野心があっただろう。それに比べ、響はその真逆だ。どこに似る要素がある」

「たしかに、人柄では似ているとは言い難いだろう。……ふむ、どう言ったものか」


 暁鐘には、呪詛にむしばまれていた時の記憶がそのまま残っている。


 思い返すと罪の意識に苛まれるが、響との戦闘。あれが、かつて繰り広げた琢鹿たくろくでの戦いを彷彿とさせたのだ。


 今では我が君と呼ぶ人間が敵陣の大将だったころ、蚩尤しゆう軍の圧倒的な力で黄帝軍が次々と倒れていく中、しかし彼は諦めることなく、策を捻り出して立ち向かって来た。


 その姿と、この身にかけられた呪詛を返そうと、傷つきながらも必死になっていた響がとてもよく似ていた。


 そして、何より。


 大罪を犯した自分を罰することなく許したところが、自分を配下に置いたあのお方と重なったのだ。


 ――ああ、そうか。


「私は、焦がれてしまったのだな……」


 自分でも明確なものが出ないままだったが、そこまで考えてようやくわかった。


 響との戦闘が、遠い昔のあの日々を思い起こさせた。


 それがどうしようもなく懐かしくて、つい手を伸ばしたくなった。


 だから、響のそばに、と思ったのだ。


 目尻を下げて彼方を見つめる暁鐘に、氷輪はやれやれと首を振った。


「我には理解できぬ」


 暁鐘は人間に仕え、ともに過ごした時期があるゆえに、感覚が少なからず人間に寄っているところもあるのだろう。


 しかし、氷輪はそこまで人間に肩入れしたことがない。人間どころか何かひとつに執心することなど、一度たりともなかった。おそらくそれは、氷輪が一生感じることはないものだ。


「先ほど、そなたは我が目を節穴かと言ったが」


 暁鐘が話を再開させる。


「私をあまり見くびらないでもらいたい。これでも一時いっときは人間とともにあった身。相手がどのような人間かを見誤るほど、この目に曇りはないつもりだ」


 そうして、暁鐘がふっと天を仰ぐ。


「白澤殿。私はあれでも、響を試したのだ」


 自分が式神にしてくれと言ったとき、響は目の色を変えたりしなかった。態度も変えず、欲深くよこしまな気持ちを一切見せなかったのだ。


 もしそこで、自分を利用しようなどという気持ちが少しでも垣間見えたのならば、暁鐘のほうからこの話を取り下げようと思っていたぐらいだ。


 しかし、結果として響からはそういったものがひとつも感じられなかった。だから、暁鐘は心を決めたのである。


 氷輪はそれを聞いて思い返す。たしかに、自分の時もそうだった。響は白澤が己の式神へと下る流れになっても、歓喜するでもなく平常心でいた。いや、それすらも特に興味がないといった様子だった。


 暁鐘が首を巡らせ、氷輪をまっすぐに見つめた。


「白澤殿も、私と同じようなものを感じたからこそ、かつて我が君に助力し、今は響とともにあるのではないのか?」

「…………」


 しばし沈黙した氷輪は、漸う口を開いた。


「我が最もいとうものは退屈だ。退屈に飽いていたとき、たまさか見つけたのがあれよ。あれのもとにいるのは、単なる退屈しのぎでしかない」

「だとしても、響に何かを見出したことに変わりはないのだろう?」

「……汝との話は疲れる」

「それはすまない」


 謝ってはいるが、本当にそう思っているのかは怪しいところだ。氷輪は嘆息し、星空を眺めた。


 数多ある星々。そのひとつひとつが、人間の生涯を表しているのだという。白澤である氷輪でも、それがどれかはわからないが、この中にきっと響の命運を示す星もあるはずだ。


 それも、非常に数奇な星。


 そんな星の下に、響は生まれた。


 どう転んでも、響の周囲には必ず何事か起こる。輝血である響の背負うものが、あまりにも大きすぎるのだ。本人が望まずとも、今回の一件しかり、否応なく勝手にそれは起きる。


 それが響の、逃れられない宿命。そしてそれこそが、久遠くおんを生きる白澤の無聊ぶりょうを慰める一興たりえるのだ。


「我はただ、あれの行く先を物見するだけのこと」


 そのために、自分が必要と判断した場合は力を貸してやらんこともない。そう思っているだけだ。


 氷輪のその言葉に何を思ったのか、暁鐘は大仰に頷いた。


贖罪しょくざいが主目的ではあるが、私も響のこの先に興味がある。呪詛に呑まれていた私を救ったほどの腕を持つ術者だ。そんな人間が切り拓く未来を見てみたい」


 曇りなき眼の中で、映り込んだ夜空の星がキラキラと瞬いている。期待に胸を弾ませている暁鐘の様子に、氷輪はそっと息を吐いた。


「……。勝手にするがよい」

「ああ」


 そこで会話が途切れる。二体の神獣は、ひとしきり無言で同じ星空を眺めていた。


「そういえば」


 ふいに暁鐘が声を上げる。ちらと見やれば、暁鐘が改まったように居住まいを正してこちらに身体を向けていた。


「挨拶がまだだったな。白澤殿、これからよろしく頼む」


 頭を下げる暁鐘を、氷輪はじっと見つめる。そうして息を吐き、再び視線を外した。


「白澤殿?」

「……氷輪だ」

「! それは……」

「今は同じ主を頂く式神。であれば、我らは同胞と変わらぬ。違うか――暁鐘よ」


 空を見上げたまま動かない氷輪の横顔をまじまじと見ていた暁鐘は、やがてこくりと頷いた。


「ああ、そうだな。氷輪殿、改めてよろしく頼む」


 氷輪はそれに答えず、ただ鼻を鳴らすのだった。




 人々を恐怖に陥れていた〝羅刹らせつ〟事件は、その原因たる呪詛を受けて狂暴化した神獣を若き古式降魔術使いが鎮めてみせたことにより、無事終止符が打たれた。


 そして、ここにまた新たな盟約が結ばれた。


 白澤に続き、風の神の名を冠する飛廉との、もうひとつの魂のちぎり。


 神獣二体を式神へと成した少女を、次に待ち受けるものとは――。



   ▼    ▼



「――――……」


 佇んだ男は、それをじっと見つめていた。


 男の視線の先には庭が広がっており、地面に大きな円が引かれ、その中にいくつもの文字が描かれている。方陣ほうじんだ。


 その方陣の中心。


 どす黒く変色した何かが置かれていた。べしゃりと潰れ、腐食している。


 それは、元は藁人形だった。けれども、今はその面影すらなくひどい有様である。


「――まさか、返されるとは」


 呟きが、虚空に消える。


 途中から制御が利かなくなり、やがて反応も途切れたので、もしやと思って見に来たらこうなっていた。


 方陣も藁人形も、男が用意したものだ。


 藁に髪の毛を織り交ぜ、切った爪を粉末状にしたものを血液に煎じ、そこに藁人形を浸した。毛も爪も血も、すべて自分の身体から摂取したものである。


 そして仕上げに、己の名を書いた符を人形にはりつけ、方陣の真ん中に置いていた。


 そこに、返された呪詛がりついたのだ。


 藁人形を術者と勘違いして。


 術者の代わりに呪いを受けた形代かたしろは、こうして腐り果ててしまったのだった。


 万一を考えて対策をしておいてよかった。でなければ、今頃自分は死んでいた。


呪詛返しはカデイ式では対処出来ない古式の術法。ということはつまり。


「やはり……」


 自分と同じ、古式呪術を操る者がかの地にいるのか。


 男が独り言ちていると、ふいに大声が響いた。


「おい! どうなってんだ!」


 動じることなく振り返る。姿を現したのは、二十代の若い青年だった。


「あんた言っただろ! 今度こそ潰すってよ……!」


 癇癪かんしゃくを起こしたようにわめく青年に、男はとりなすように言った。


「すまないな、まさか失敗に終わるとは思わなかった。だが、この程度はまだまだ序の口。次の手立てはすでに考えてある」

「本当かよ」


 青年は吐き捨てるように言った。


「五月のやつも失敗してんだ。このままじゃ俺の気持ちが収まらねぇ」


 その目に激しい憎悪がはらむ。


「こっちの首尾は整ってる。待ってろよ、この俺を蹴落としやがった嘉神学園。絶対復讐してやるからな……!」

「…………」


 執念を燃やしている彼は、冷たい目を向けられていることに気がつかない。


 青年から目を逸らし、再び方陣を見やった男は、人知れずにやりと笑った。


「面白い……」


 あのレベルの妖とやり合い、呪詛返しをやってのけたということは、相手の術者は相当の手練てだれだ。


 しかし、だからなんだという話だ。


 どこの誰だかは知らないが、どんな相手であろうと。


 自分の邪魔をする者は、許さない――。



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