星廻る輩 ☆漆

 結果として、ゆらたちのチームの練習はまったく実を結んでいなかった。


 相も変わらずチームワークはバラバラ。連携どころの話ではない。


 そして、三日目にして早くも竜之介りゅうのすけが練習に来なくなっていた。






「ほんっと、あり得ない!」


 梨々花りりかが眉を吊り上げて憤激ふんげきしている。進める歩からドスドスと地を鳴らす音が聞こえてきそうな勢いだ。


「なんなの、あの男! 一般教室に行ってもいないし、Aクラスで会って話しかけても完全無視! これ、完璧にあたしたちのこと避けてるわよね!?」


 ひどくない!? と話を振られ、響ははぁと気のない相槌あいづちを打つ。


「あと三日しかないっていうのに、あいつは一体どうするつもりなのよ!」


 現在、練習しようと言い出した日から四日が経っている。初日と二日目こそ一応顔を出していた竜之介だったが、その次の日から来なくなってしまった。


 一昨日と昨日は、仕方なしに二人だけでやろうとしたが、三人揃っていなければ意味がないと早々に切り上げたのだ。


 響も便乗してサボろうと思ったが、毎回梨々花にしっかりがっちりと腕を掴まれ、半ば引きずられるようにして強引に練習に参加させられていた。


 ――如月さんは、行・く・わ・よ・ね? 


 そう言って、にっこり笑顔で放たれる圧に負けた。いているようで、そこに選択肢はない。とても嫌とは言えない、否、言わせない強制力があった。


「ちょっといいとこの出だからって、いい気になってんじゃないっての! そう思わない!?」


 憤然ふんぜんとしながら水を向けてくる梨々花に、はぁといつものように響は気のない返事をする。


「……っていうか、なんでわたしは呼び出されたわけ?」


 げんなりしながらたずねると、梨々花はきょとんとした。


「練習するからに決まってるでしょ?」

「いや、今日土曜日なんだけど……」

「大丈夫、休日の修練場使用許可はばっちり取ってあるから」

「そういうことじゃ……ああそう」


 何か言いかけたがもう面倒になり、響ははぁっと諦観ていかんの息を吐いた。


 今日は土曜日。当然学校も休み。


 響の休日の過ごし方は、制服やベッドシーツなどを洗濯する以外は基本寮の自室でずっとゴロゴロしている。ごくたまに街に繰り出しても、必要なものを買い足して即帰寮が響の行動パターンだ。


 無暗むやみに外に出れば妖異を呼びよせてしまう、というのもあるが、響はそもそもが出不精でぶしょうの引きこもり体質だった。


 氷輪にはそんなだから体力がつかないだの云々うんぬん言われているが、聞こえないふりをしてきれいに流している。


 そして、今日も今日とて、響はいつものように休日を過ごそうとしていた。


 休日とはいえ、寮の朝食の時間は変わらない。決められた時間に食べに行かないと食べ損ねてしまうため、響は起床して眠い目をこすりつつ食堂へ赴き、朝食を食べ終わったころに梨々花に捕まってしまったのだ。


 このあと十時に着替えてロビーに集合ね、と一方的に告げられ、返事も聞かずに食堂を後にしてしまった。


 非常にめんどくさくて聞かなかったことにしようかとも思ったが、きっと梨々花のことだ、行かなかったら響の部屋にまで突撃してくるかもしれない。いや絶対してくる。


 どちらにせよ面倒なことには変わりなかったので、響は渋々自室に戻って制服に着替え、言われた通りにロビーに行ったのだった。


 嘉神学園の降魔科生は、休日でも郊外へ出る際に、制服着用が義務付けられている。いつ妖異と遭遇しても不備のないように。そして、現場に到着した降魔士が瞬時に降魔科生を見定めて指示を飛ばせるように、という意図からだ。


「で、これどこに向かってんの?」


 寮を出て、響は梨々花に腕を掴まれながら外を歩いている。ほとんど連行されるような形で梨々花についていっていた響だったが、進む方向に違和感を覚えた。


 嘉神学園は街から少し離れた、山のふもとに校舎を構えている。学園の敷地を出ると、すぐに緩やかな坂になり、両脇を林で挟まれた幅の広いコンクリートの一本道を下っていけば、やがて人家がぽつぽつと現れ始め、それをもう少し進んでいくと市街地に出る。


 梨々花は響を連れながら坂道を下っている。練習に行くと言っておきながら、明らかに学校から離れて行っているのだ。


「街よ」

「……なんで?」

「もうひとりをとっ捕まえるため」


 梨々花の返答は要領を得ず、いまいち話が見えない。


「意味わかんないんだけど」

たかむらが今日、街の術具店に行ってるって情報を手に入れたのよ。だから出待ちするの。今日こそは何がなんでも練習に参加してもらうんだから」


 女子の情報網なめんじゃないわよと、執念を燃やす梨々花の口元には不敵な笑みが浮かんでいる。


 響は呆れかえった。前々から思っていたがこのクラスメート、アクティブすぎる。


「なんでわたしまで……」


 別にひとりで行けばいいものを、なぜ自分までそれに付き合わされているのか。呼び出すならせめて二人揃ってからにしてほしかった。


 響のぼやきを聞きとめ、梨々花は当然とばかりに言う。


「あたしたちはチームなんだから、一緒に行かなくてどうすんの」

「…………」


 チームねぇ、と響は口の中で呟いた。そうして、嘆息たんそくする。


「てか、そういうの先に言ってほしいんだけど……」


 そう言って、響は己に隠形おんぎょうの術をかけた。


 妖異は陽の気である日光が苦手なため、昼間はどこかで息をひそめ、日の沈んだ頃から活発的に動き始める。とはいえ昼間でもまったく動けないわけではない。


 輝血かがちの霊力に誘われて寄ってくる妖異がいないとも限らないのだ。実際何度か経験している。


 だから響は結界の張ってある学校や寮にいるとき以外は、必ず隠形して己の気配を断ち、妖異から察知されないようにしているのである。


「ん? 隠形? なんで?」


 事情を知らない梨々花が、響の雰囲気が変わったことに気づき、いぶかしげな視線を送ってくる。


 隠形はなにも透明人間になるわけではないので、最初から自分の存在を認知している相手には効果がない。しかもこうもがっちりと腕を掴まれていれば尚更である。


 梨々花からしてみれば、視界にはっきり映っている響の気配が突然薄くなったように感じた、という認識だろう。


「え、あー……」


 輝血だから妖異に襲われないようにするため、などと言うわけにもいかず答えあぐねる響に、いつものように頭上に乗っかっていた氷輪ひのわが助け舟を出す。


「周囲の視線が気になる、とでも言うておけ」


 まぁそれが妥当か。


「ちょっと、人の視線が苦手、というかなんというか」

「視線が苦手? ……あーなんかあったわね、そういうの。視線恐怖症とかいうんだっけ」

「へ? あーまぁそんな感じのようなアレかなたぶん」


 助言を参考にして答えたら、梨々花はなるほどとしきりに頷いた。なんだか勝手に納得してくれたようなので、それに便乗しておくことにする。


「なんだ、そうだったのね。だから学校でも人目を避けるような行動ばっかりしてるんだ。だったらそうだって最初から言ってくれればいいのに」


 響はいやまぁはははとものすごく雑に誤魔化す。


 それはそうと。


「あの、そろそろ手、離してほしいんだけど」

「あ、ごめん。痛かった?」

「いやそうじゃなくて、普通に離してほしいんだって」

「えー、だってこうしておかないと、如月さんどっか行っちゃいそうなんだもん」

「行かないってば……」


 わざわざ制服に着替えてここまで来たのだ。今更逃げたりなどしない。……本当は帰れることなら帰りたいのだが、あとが怖いのでここは大人しくついていくことにする。


 しかし、梨々花はなおも疑わしげだ。


「転科してきた日だって、みんなから逃げてたじゃない」

「あれは……」

「あ、そっか、視線恐怖症だからか」


 響はもうそれでいいやと諦め、そうそうと棒読みで肯定する。


「とにかく、今はそんなことしないから」


 さらに言い募ると、渋々といった様子で手が緩められる。なんとか腕を解放してもらい、響はふぅっと息を吐いた。


「信用がないな」


 くっくっと喉の奥で笑う氷輪にうるさいな、と内心で返す。


 響がどこかに行く気配を見せないのを確認した梨々花は、ひと安心したように彼女と並んで歩く。


「――――」


 先ほどまでの会話が途切れ、二人の間に静寂せいじゃくが漂う。


 正直、響は梨々花とどう接したらいいのかわからずにいる。


 長らく他人とこうして外を歩いて話すということをしてこなかった。そのせいで、他人との距離感を推し量ることが苦手になっているのだ。


 わずかに居心地の悪さを覚えた響は、ふと空を仰いだ。雲ひとつない快晴、燦々さんさんと地上に差し込む日光が眩しい。気温も高く、夏服とはいえ制服だと少しばかり暑いほどだった。


 そういえば、この先三日はこんな天気が続くのだと、食堂の壁に設置された巨大モニターで流れていたニュースで言っていた気がする。とはいえそろそろ梅雨シーズンなので、そのあとから徐々に雨の日が多くなるとの予報だそう。


 雨の日は雲で太陽が隠れる。それによって陽気が弱まってしまうため、日中に動く妖異が若干増える。ただでさえ雨の日は気分が鬱々うつうつとしがちなのに、それでいて日中においての妖異との遭遇率が高くなるというのは、輝血の響にとっては最悪の組み合わせでしかない。毎年、この時期は一層気を張っていなければならないのだ。


 余計な疲れを負うことになる時期の到来にうんざりしていた響だったが、ふと気づけばぽつぽつと人家が視界に映るようになっていた。ここから徐々に建物が増えていき、そのうち市街に出るのだ。


「如月さんってさ」


 ふいに梨々花が切り出したので、響はそちらを一瞥した。


「話してみると案外普通なのね」

「はぁ、そうですか……」


 間の抜けた返答だが、響としてはそう答えるほかない。


「そんなにしゃべるほうじゃないけど、別に会話できないわけじゃないし。ちゃんと練習にも来てくれるし」


 それはあなたに無理やり連れてかれてるだけなんですけど。


 思ったが言わない賢明けんめいさは響にも多少ある。面倒だというのが本音だ。


「ねぇ、なのになんでいつもそんななの?」

「そんな、って?」


 意味を図りかねて訊ね返すと、梨々花は一瞬口ごもった後、意を決したように口を開いた。


「如月さん、みんなから避けられてるの、知ってるでしょ?」

「ああ、うんまぁ」

「汝の場合、自ら避けておるからな」


 頭上から挟まれた言葉に、響は梨々花に気づかれないように軽く肩をすくめた。


 氷輪の存在を知らない梨々花には、響がけろりとしているようにしか見えない。


「どうして、それで平気でいられるの?」


 学校やなにかしらのコミュニティに属したとき、梨々花が真っ先にするのは、友人を作ること。それが人間関係を円滑えんかつに進めていく上で必要な手段であり、物心ついたころから自然と身についたものだ。


 そのおかげか、梨々花はどんな相手とでも大抵普通に話すことができる。さっぱりした性分ということもあり、相手からしても気楽に接することができるため、親しみを持ちやすいのだ。


 だから梨々花は、響と会話をするのも別に苦とは思わない。それに、梨々花は他の降魔科生ほど響に対して敵愾心てきがいしんがあるわけでもなく、むしろ珍しい古式使いということで興味を持っている。受講態度自体には思うところは多少あれども、普通に接することはそう難しいことではなかった。


 そんな彼女だからこそ理解できない。


 ひとりきりでいることが、ましてや周囲から白い目で見られて孤立している状態で平気でいられることが、とても信じられなかった。自分だったら耐えられない、そんな状況。


 じっと見られ、響はふぅっと息を吐いて億劫おっくうそうに答えた。


「別に―。もう慣れてるし、ひとりのほうが気楽だから」


 それに。


「――一緒にいると、巻き込んじゃうしね」

「え?」


 ぼそっとこぼされた言葉がうまく聞き取れず、梨々花が聞き返そうとする。しかし、それより先に響が口を開いた。


「どっち?」

「……へ? 何が?」

「だから、街に着いたけど、どっち行くのって」

「あ……」


 気づけば、視界に店やビルなどが立ち並んでいた。学校からここまで徒歩おおよそ三十分。もうそんなに時間が経ったのか。


 嘉神学園にもっとも隣接した市、香弥こうや。香弥市街は休日の昼間らしく人々がそれなりに多く行きかっている。


「えっと、こっちよ」


 スマホを取り出して、地図アプリを見ながら先導する梨々花に響も続く。


「――――」


 話はうやむやになったが、唯一聞こえていた氷輪が、何かを思う風情でぱたりと尻尾を振るのだった。






 営業開始したばかりの店が多い時間帯のせいか、まだそこまで人は多くない。しかし、今日の天気も合わせれば、これからどんどん人で賑わっていくだろう。


 そうなる前に早く済ませて帰りたい。人混みに入るなんてまっぴらごめんだ。ああでもこのあとは練習しなきゃいけないのか。それはそれで面倒だな。


 などと響が憂鬱な気分にひたっていたとき、かすかな音が耳朶じだに触れた。


「?」


 首を巡らせ、軽く辺りを見回すと、視界の端に気になるものが映りこんできた。


 それは上空。見晴るかす先に灰色の雲があった。響は目を細めてじっとそれを見つめる。


 なんだ、あれは。


 今日は一日晴れ予報だったはず。それとも予報が外れ、通り雨でも降るのだろうか。


 ――いや、違う。あの雲、なんか変だ。


 灰色雲は明らかにこちらに向かってきている。それも尋常ではないスピードで。風があれば雲の動きも早くはなるが、今は無風だ。よしんば風に煽られていたのだとしても、あそこまで急速に動くわけがない。


 なんだか胸騒ぎがした。肌が粟立あわだち、首筋にピリピリとした痛みのような違和感が走る。


 響はこの感覚を知っていた。


 これは――妖気。


 遠雷えんらいが響く。


 そこで梨々花も空がかげってきたことに気づき、思い切り眉をしかめた。


「なに、あの雲……え、嘘、まさか雨降るんじゃないでしょうね?」


 しばらく晴れが続くんじゃなかったの? もー最悪、傘なんか持ってきてないわよ。


 思わず嘆いていた梨々花は、それまで並んで歩いていた影が隣にないことに気づく。


 足を止めて振り返ると、数歩後ろで立ち止まった響が険しい表情を浮かべて空を睨んでいた。


「如月さん? どうし――」


 怪訝けげんそうに梨々花が問いかけた刹那せつな、轟音とともに辺り一面が白く染め上がった。



   ▼    ▼



「これは使えそうだな……こいつも使いどころに寄っちゃあ……」


 ぶつぶつと呟きながら、竜之介は目の前に立ち並ぶ術具を吟味ぎんみしていた。


 ここは竜之介行きつけの術具店。開店してから一時間ほど経つが、店内にはまだ自分ひとりしかいない。


「精が出るねぇ、竜ちゃん」


 商品を見ながら脳内であれこれシミュレートしていると、ふいに老婆に話かけられた。七十代ほどで、白くなった髪をひとつに結わえて肩に垂らしている。杖を突き、片足を引きずっていた。


「あのなぁ、前から言ってるけど、その竜ちゃんってのやめてくれよ。俺だってもう高校生なんだぜ?」


 竜之介が苦い顔で返すが、老婆はにこにこ笑顔を崩さない。


「はい、これ」


 そう言って老婆が差し出してきたのは、手のひらサイズの銀色のプレートだった。


「もう終わったのか?」


 竜之介が目を軽く見張りながら嘉神学園の校章が刻まれたプレートを受け取ると、老婆はほがらかに笑った。


「なぁに、このぐらいなら時間もそうかからないよ」

「さすがばあちゃんだな、ありがとう」


 礼を言って、竜之介はさっそくその校章を右肩に装着した。老婆が相好そうごうを崩しながらそれを見守る。


 この老婆はこの店の店主。昔馴染みで、小さいころからよく父や姉たちにくっついて来ていた竜之介を、実の孫かのように思って接してくれていた。


 夫が早くに他界して、自分の子どもたちもとうに独り立ちしてしまっていたため、余計に竜之介が可愛かったのだろう。高校生となった今でもそれは変わらない。


 この老婆はこう見えて、昔は降魔士として活躍していた。歳をとって引退してからは、こうして術具のメンテナンスや販売を行う店を経営しているのだと聞いた。


 以前は竜之介の家にも出張で、適霊機のメンテナンスや術具の販売に来てくれていたのだが、歳のせいで片足を悪くしてしまってからはそれも難しくなり、あまり店から出られなくなってしまったのだ。


 今回は適霊機のメンテナンスという目的があったからだが、特に用がなくても竜之介は時折顔を見せに、この老婆のもとへ赴くようにしていた。


 メンテナンスもそうだが、符盤ふばんなどの術具の買い足しもここでしかしていない。


 嘉神学園の購買でも術具は買えるが、最低限の品揃えでしかない。なので、忘れてきたとか足りなくなったとか、そういう必要に迫られ仕方なくといったときにしか購買はほとんど利用しないのだ。


 特にAクラス相当の実力を持つ降魔科生は、基本公的術具店を利用し、自分に合わせてメンテナンスしてもらった術具を使っている。


 大体の降魔科生は行きつけの店を持っており、竜之介の場合はそれがこの店というわけだ。昔から懇意こんいにしているというのもあるが、店主の技術は確かなものなので、彼はこの店に全幅ぜんぷくの信頼を寄せていた。


「あ、そういえば聞いたよ。お父さんたち、頑張ってるみたいだねぇ」


 老婆の言葉に、竜之介は重々しく頷いた。


「ああ、本当すげぇよ」


 竜之介の生家、篁は代々降魔士の家系で、これまでに優秀な降魔士を多く輩出はいしゅつしている。竜之介の父や上にいる二人の姉も現役の降魔士だ。


 人々を脅威から救い、日々悪と真正面から戦うヒーロー。


 そんな家族に憧れ、末の竜之介もまた幼いころから降魔士になるのだと決めており、家族同様才能にも恵まれたため、今こうして降魔士養成機関のトップクラスに所属している。


 だからといって、まったく努力してこなかったわけではない。篁家の一員として恥ずかしくないよう、研鑽けんさんを重ね、自己啓発けいはつに励み、心身ともに日々の鍛錬を怠らなかった。無論、それは今も同じだ。


 それもこれも、尊敬する家族のような、立派な降魔士になるためにやってきたことだ。


 そんな竜之介だからこそ、許せない。


「…………」


 竜之介はギリッと歯噛はがみした。


「どうかしたのかい?」


 竜之介の表情の変化に、老婆が心配そうに顔を覗き込んでくる。はっと我に返った竜之介は首を振った。


「な、なんでもない。もうちょっと見させてもらってもいいか?」

「もちろんだよ。あ、お茶でも飲んでゆっくりしておいき。今持ってくるから」

「いいって、そんな身体で無理すんなよ」

「いいからいいから」


 そう言って奥へ引っ込んでいく老婆の背中を見送りながら、竜之介は頭を掻いた。


「ったく……」


 再び商品棚に顔を向けた竜之介だったが、その目は術具を見ていなかった。


 思い浮かんだのは、あのぽっと出の転科生。


 まったくやる気のないあの態度。降魔科生でありながら降魔士になりたいという強い意志も、向上心の欠片もまるで見受けられない。それに、今や廃れた術式を使うくせにすぐへばる。


 意味がわからなかった。なんでやる気がないのに、わざわざあんな霊力消耗の激しい術式を使うのか。自身を磨いている姿勢を見せていたのならば、ここまでは思わなかっただろう。


 しかし響にそんな様子は見られない。本当に降魔士になりたいと思っている者の態度ではなかった。


 しかも、そんな不真面目極まりない素行であるにも関わらず、どういうわけか生徒会からは目をかけられ、あの担任ですらこれといった指導をしない。


 当然、竜之介はそれが面白くなく、これっぽっちも納得していなかった。


 ただの親の七光りかとも思ったが、如月なんて家名は聞いたことがなかった。有名な降魔士の名前はほとんど記憶しているが、その中に如月などという苗字はない。


 ここまでくると、担任や生徒会の弱みを何か握っているのではないかとでも思わなければ、到底説明がつかなかった。


 馬鹿にするのも大概にしてほしい。こっちは死に物狂いで降魔士になるべく、日々自己鍛錬にいそしんでいるというのに。


「……俺だって」


 こんなところでつまずいている場合じゃない。早く追いつかなければ。


 竜之介とて、再試の件はこのままではいけないと思っている。思ってはいるものの、響の顔を見るとどうしてもダメだった。冷静になるようにと努めようとするも苛立ちのほうが勝り、つい投げ出してしまったのだ。


 一部のクラスメートからは遠くで笑われて屈辱的な思いをし、仲のいい友人たちは運が悪かっただけだなどと慰めてくれたが、それが余計竜之介をみじめな気分にさせた。


 ままならない現状に、焦燥感しょうそうかんばかりが募る。それがさらに竜之介の苛立ちに拍車はくしゃをかけていた。


 あんな顔ぶれでなければ、こんなことにならなかった。もっとうまくやれていたはずなのだ。


「……くそっ」


 身の内から沸々ふつふつと湧き上がってくるどうしようもない感情に、こらえきれずに小さく吐き捨てる。


 そのとき、轟音が竜之介の耳をつんざいた。


「な、なんだ……!?」


 驚いた竜之介が店の出口に向かう。


 自動ドアが開いた瞬間、カッと辺りが白くなった。


「……っ」


 咄嗟に腕で顔を覆った直後に、地響きのような激しい雷鳴が轟く。


 少ししてゆるゆると顔を上げると、外がやけに暗いことに気づき、次いで妖気を感じた。


 それが漂ってくる方向――上空へ目を向ける。


 ここに来るときまでは確かに晴れていた。雲ひとつなかったはずだ。


 それが今はどうだ。青が針の穴程度も見当たらないほど、暗雲が空を覆い尽くしているではないか。


「何が起こってるってんだ……」


 雲からは時折、光のぐねぐねした線のようなものが一瞬走っている。


 稲光だ。雨こそ降っていないものの、雷鳴があちらこちらで鳴り響いていた。


 雲ひとつなかった晴天が、ほんの数十分の間でここまで曇るわけがない。それにあの暗雲から感じられる妖気。


 雲からだけでなく、時折ほとばしる稲妻からも同様の妖気が感じられた。


 間違いない。妖異の仕業だ。


「な、なんだい、今のは……」


 轟音を聞きつけて竜之介同様店先まで来た老婆が、背後から声をかけてくる。竜之介の背中越しに外の様子を窺った老婆は目を丸くした。


「妖気? こんな真昼間からどうして……」

「ばあちゃんは下がっててくれ」


 この店主がいくら元降魔士だったといっても、今は年を取って色々と衰えている。ましてや足も不自由な身で外に出すわけにはいかなかった。


「いいか、絶対にここから出るなよ。いざとなったら結界を張るんだ」

「りゅ、竜ちゃんは?」


 不安そうな響きを持った問いに、竜之介は視線を外へ向けた。


 雷鳴の合間にかすかな悲鳴が聞こえる。視界には外にいる人々が頭を抱えながら走って逃げまどっている姿が見えた。


 自分は降魔科生だ。ならば、取るべき行動はひとつ。


「俺は――住民の避難誘導に行ってくる」


 そうして竜之介は老婆の制止を振り切り、店の外に飛び出した。



   ▼    ▼



「も、もうっ、なんなの急に……!」


 梨々花が耳を塞いで座り込んでいる。ゆらも両手で耳を覆い、うるさそうに眉根を寄せながら空を見上げた。


 突如どこからともなくやってきた不審な暗雲は、瞬く間に上空を覆い尽くしたかと思うと雷を落とし、あちこちでゴロゴロと雷鳴を轟かせ始めたのだ。


「妖異の仕業……だよな」


 響が呟くと、頭上の氷輪ひのわがすっと目を細めた。


「あれは雷獣らいじゅうだな」

「雷獣?」

「雷雲に乗り、雷を落としていく妖だ」


 この世のありとあらゆる知識を持つ白澤の真価がここで発揮される。


「ふーん。強いの?」

「雷雲を操るからな。先に相対した牛鬼ぎゅうきよりも上だ」

「うへぇ……まさか、わたしを狙ってきた、とかじゃないよね」


 氷輪は首を振った。


「隠形中の汝が感知されていることはまずなかろう。仮に目的が汝ならば、すぐさまこちらへ狙いを定めてきそうなものだが」

「そ。ならいーや」


 響は一安心すると、ぐっと伸びをした。


「まぁ、こんなあからさまだと、すぐ降魔士が駆けつけてくるよねー」


 雷鳴のおかげで、梨々花には響の声は聞こえていない。氷輪とのやり取りを不審がる者はこの場にいなかった。


「今回は何もしなくてよさそうだ」


 響がほっと息を吐くのも束の間、唯一その言葉は雷鳴の間隙かんげきって梨々花の耳に届いた。


「何もしなくて……?」


 梨々花はそろそろと立ち上がり、響の肩を力強く掴んだ。


「何言ってんの、街の人たちを避難させなくちゃ!」

「え」

「そうよ、動かなくちゃ……あたしは、Aクラスの降魔科生なんだから……」


 自分に言い聞かせるようにぶつぶつと呟いていた梨々花は、すっと顔を上げると響を顧みた。


「一般人を守るために避難誘導するのも降魔士の仕事の一環! ほら行くわよ!」

「うええ、めんどくさー……」


 再び腕を掴まれ、響は梨々花に引きずられていく。


「危険なので建物の中に隠れてください!」


 それまで外を歩いていた人々が、突然の異常事態に悲鳴を上げながら逃げている。降魔科生の呼びかけに気づいた者は、近場の建物に飛び込んでいった。


 そうして、自分の身も気にしつつ声をかけながら街中を駆けていた梨々花は、視線の先に見慣れた制服をまとった人影を認めた。


「あそこにうちの降魔科生がいるわ。あの人たちとも協力しましょ!」


 そう響に言って、梨々花は自分と同じように人々を誘導している生徒に駆け寄る。


「あの、すみません――」


 こちらの呼びかけに振り返った人物の顔を見て、梨々花は目を丸くした。


「あ、あんたは!」


 その降魔科生は、梨々花たちがここへやってきた目的、篁竜之介その人だった。

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