陰陽師の弟子 ☆参


 日本八地方区分に一校ずつしかない降魔士ごうまし養成機関。その中部地方北信越ほくしんえつに私立嘉神かがみ学園高等学校は位置している。


 嘉神学園には普通科と降魔科ごうまかがあり、普通科はごく一般的な高校となんら変わりなく、普通教育を主とする学科だ。


 対して降魔科は、妖異調伏よういちょうぶくに関することを履修りしゅうする学科である。カリキュラムとしては、一から四時限目までは一般授業、五・六時限目、あるいは放課後までは特別授業となっている。


 一般授業は、国語や数学や英語などの通常必修教科の学習を行う。ここは、普通科とまったく同じだ。


 そして降魔科専門の特別授業では、降魔士の活動に関する専門的な知識、たとえば妖異の種類・習性、妖異調伏におけるノウハウや術の使い方などの学習を行っている。


 それらを学び、降魔科生たちは日々切磋琢磨せっさたくまし合いながら、降魔士への道を進んでいく。


 そんな降魔科生たちには、この学園で己を鍛えていく中で目指すとある目標があった。


 それは、生徒会入りすることだ。


 降魔科にはAからDまでクラスがあり、実力ごとにクラスが振り分けられている。アルファベットが若いほど実力のある優秀な生徒が在籍ざいせきする。


 そのトップがAクラスだ。


 そして、そのAクラスの中でもさらに突出した才能を持つ者だけが集ったのが、生徒会なのである。


 降魔科生を束ね、学園運営の一端を担うほどかなり重要な役割を持った機関なので、生徒会役員は相応に優秀な生徒――術の扱いなど能力が非常にひいでた人物ばかりが集まっている。言うなれば、生徒会はエリート集団なのだ。


 そして、そんな生徒会には、様々な特別待遇がほどこされる。


 そのひとつが、制服。


 嘉神学園の指定制服は、普通科生と降魔科生でデザインが違う。


 普通科生は、男女とも灰色のブレザーに、深緑色ふかみどろいろ基調きちょうとしたスカートおよびズボン。


 降魔科生は、黒色のブレザーに、濃紺のうこんを基調としたスカートおよびズボン。こちらも男女共通である。


 そして、嘉神の降魔科の制服は、普通科および一般高校のそれとは意味合いがだいぶ違っている。


 降魔科専用の制服には特別な素材が適用されており、そこらの衣服よりかなり頑丈がんじょうだ。ちょっとやそっとのことでは傷むことがない。


 なぜならば、降魔科専用制服は、妖異の攻撃から身を守るための『防具』としての役割を担っているからだ。


 その中で、生徒会が着用している制服は、降魔科の通常制服の約三倍の防御力を誇る。しかも、自分好みのデザインの特注制服だから誰もが憧れる。


 もうひとつの好待遇こうたいぐうとしては、生徒会に入った生徒は最優先で降魔士へ斡旋あっせんされること。妖異と戦うことは言うまでもなく危険なことで、負傷や戦意喪失せんいそうしつで脱落者がそれなりにいる。斯界しかいとしては、優秀な人材はひとりでも多く欲しいのだ。


 と、嘉神学園降魔科の生徒会にはそういった魅力にあふれている。


 しかし制服や道具がより強力なものになるのは、ただ優遇されるからという理由だけではない。それだけ危険な妖異を相手にすることがあるからだ。


 学生とはいえ、妖異と相対する実戦がある。でないと、いざ降魔士になったときに初めて本物の妖異と戦う、では話にならないのだ。ある程度実力が伴っていないと、ただ自分の身をほろぼしてしまいかねないのだから。


 とはいえ、生徒会に憧れをいだく生徒は多い。みな、そのようなことは百も承知で降魔士を目指しているのだ。


 だから、降魔科生は生徒会を目指して、日々授業に聞き入り鍛錬たんれんを積んでいるのである。






「……であるから、……になって……」


 雑音が紙を繰る音や筆記の音だけの中、教師の声が響く普通科教室。


 放課後を目前にした六時限目。本日最後の授業ともなると、集中力が切れ、学習姿勢がなおざりになる生徒がちらほらと見受けられる。ある者は漫画を読み、ある者はよだれを垂らしながら眠りこけ、中には机の下で携帯ゲームをいじっている猛者もさもいる。


 これが降魔科の生徒であれば、一日の最後の授業であるにもかかわらず、集中力を切らすことなく食いつくように教師の長ったらしい講釈こうしゃくを聞いていることだろう。


〝生徒会入り〟を目指して。


 そんな降魔科生とは違い、普通科生にそこまでの強い意志を持って勉学に励む者はさほど多くない。


 その生徒も、授業そっちのけでぼーっと窓の外を見ていた。


「…………はぁ」


 誰にも気づかれない程度の音で、その不真面目な生徒――如月きさらぎゆらは極小さく息を吐いた。


 授業の内容も、響の頭には全然入ってきていない。完璧に右から左へ受け流しているといった有様だ。


 退屈そうなため息には、だるい、早く帰りたいという思念が多分に含まれている。


 響のまぶたが閉じそうになったところで、ようやく終業のチャイムが鳴った。


「今日はここまで。今回やったことをちゃんと復習しておくように」


 そう言い残して、教師が退室していく。


 教室が喧騒けんそうに包まれ始める中、響は荷物を適当にまとめると、さっさと教室を出た。






「……あー、今日もつっかれたぁ」

「ふん、終始ぼうっとしていただけのなんじが何を言っておるのだ」


 首をコキコキと鳴らしながら気だるげに帰路につく響に、いつものようにスクールバッグ上のスペースから氷輪ひのわがつっこむ。


 五月に入り春から夏へ移りつつある時期だというのに、近頃は夏のごとく汗ばむような陽気が続く。幸い、今日は微かな冷風が吹いているので、汗だくになるということはない。田舎道には障害物が少ないため、風も自由気ままに駆け回れるのだろう。


「今日は勉学に身が入らなくてねぇ」

「汝の場合、常にそうではないか」


 ジト目を向けられるも、響は涼しい顔で返す。


「退屈じゃない授業なんてそうそうないって」

「だとしても、だ。きちんとした態度を取っておかなければ、教師に睨まれるのではないか?」

「それは大丈夫。もともと影薄いし、隠形おんぎょうしてるから気づかれない」


 隠形とは、自分の身を隠す術である。端的に言えば自分の姿を消すものだが、透明人間のようにその姿が消えて周囲から見えなくなるわけではない。気配、自身の存在感を消し、相手の意識が自分に向かないようにするのだ。


 そこにあっても、その存在が誰にも認識されなければ、存在していないのと同じ――そういう原理にもとづく術なのである。


 響は登下校を含めた外出時には必ず、それ以外でも何かとこの術を使っているのだった。


 しれっとした態度の響に、氷輪は呆れ果てた。


「それでよいのか……」

「こーゆーのは、バレなきゃいーんだよ」


 響は知っているのか……いや、この為人ひととなりでは確実に知らないだろうが、あの教師は降魔術に精通している。


 嘉神学園の教師の一部は、普通科と降魔科を行き来していたりする。降魔科にも一般授業はあるし、教師の数も限られているからだ。


 響は簡単に言っているが、降魔術の心得こころえがある教師相手に自身の気配を消しせしめているのだから、実際たいしたものだ。


 しかし、たとえ響がそのことを知っていたのだとしても、特に気にしていなさそうなのが恐ろしいところである。


 自身の能力に過信せず、おごらず、こだわらない。普通に考えると大物なのだろうが、本人の性格的にただ無頓着むとんちゃくで無関心なだけなのだろう。これが響の自然体だ。


 競争意識もなく、向上心があるわけでもない。周りのことなど一切気にせず、自分のやりたいようにやっている。自由奔放ほんぽうで、何を考えているのかわからない。何も考えていないだけかもしれない。


 そこが、如月響という人間の得体の知れなさだ。


 そんな響をじーっと見ていた氷輪は、ようよう口を開いた。


「汝は、本当によかったのか?」

「何が?」

「降魔科へ入らずに、だ」


 唐突な質問に、思わず響は視線を式神に向けた。


「なんだよ、やぶからぼうに」

「降魔科の校舎を通ると、Aクラスの話をよく耳にするのだ」


 氷輪は響が授業を受けている間、教室のすみで眠る以外に、暇な時間を潰すために校内を練り歩くこともある。主に、降魔科の教室を覗いていた。


 氷輪は常人には見えないが、見鬼けんきの才を持つ者の目には映る。しかし、氷輪はそこいらの妖異とは比べ物にならないほどの並外れた高い能力を持っているため、見鬼の目さえもあざむけるぐらいには自身の霊力を抑え込むことができた。


 だから堂々と降魔科にもお邪魔し放題というわけなのである。それもそれでどうなんだ、と響は思ったこともあったが、まぁ別に何も問題ないならいいやと放っておいている。


「Aクラス、特に生徒会とやらは、稀有けうな才覚を持つ者たちの集まりという。――汝には、そこに入るに十分な力量があると、我は思っておるのだがな」


 響は思わず目を丸くして、氷輪をまじまじと見つめた。いつになく真剣な表情のこの式神は、自身が由緒ゆいしょある高貴な大妖たいようであるということを自負しており、傲岸不遜ごうがんふそんな性格をしている。それもあって、主である響に対してもめったに褒めるといったことをしない。


 その氷輪が、こんなことを言ったのだ。最高級の賛辞に値するだろう。


「そこに所属すれば、好待遇を受けるらしいではないか。汝の力をもってすれば、入ることなど容易ではないのか?」


 物珍しげな表情で氷輪を見ていた響は、やがて肩をすくめた。


「氷輪にしては、珍しく買いかぶりすぎじゃない? いくらなんでもそんな簡単にトップクラスになんか入れないって。氷輪も今朝の騒動見たでしょ、あの人たちのオーラ。半端じゃなかった」


 これには氷輪も同意する。この自分をそれなりに感心させる程度のものはあるようだった。


「仮に、自分にあの人たちに並ぶ実力があるとしても――悪いけど、興味ないんだよね」


 その言葉に、いつになく力強い響きが込められていた。響の双眸そうぼうが強い光を宿し、表情は真剣そのもの。ぞくぞくと氷輪の背筋が震えた。


 さて、どんな言葉が飛び出すのか。氷輪の期待を受けて、響はこう言った。


「だって、生徒会ってさ、いくら好待遇って言ったってやたら目立つじゃん。しかも、なんかいっぱい仕事しなきゃなんないんでしょ? 目立つの嫌いだしなによりめんどいから、むしろ入りたくない。こっちからしてみれば、なんでみんなそんな面倒なところに入りたがるのか全然わかんないぐらいなんだけど」

「…………」


 よどみない口調でつらつらと語られた、しかしその内容は。


 あまりと言えばあまりの言い草に、氷輪は呆れ果てて言葉を失った。


 Aクラスとか生徒会に入っても得することがないしなー、などと心底面倒くさそうな顔で首を振っている響は、本心からそう思って言っているらしい。


 そうだった。このあるじは、才覚さいかくは十分にあるのに、肝心のやる気が微塵みじんもないのだった。


 無関心、無気力、非積極的で、やらなければならないこと以外は基本的にやりたがらない、相当のものぐさなのだ。そんな性質が、ダウナーな目、アンニュイな雰囲気と見た目からも窺えてしまうほどに。


 氷輪はぼそりと呟く。


「……なぜ我はこんな無精ぶしょう者のもとに下ってしまったのか、時折ときおり考えさせられる」

「なんか言った?」

「いや、なにも」

「そ」


 特に追及することもなく、響はすたすたと歩を進める。


「そもそも、降魔士ってのは人々の生活をおびやかす妖異を滅し、世の安寧あんねいを守るのが役目なわけじゃん? でも、こっちは勝手に寄ってくる妖異どもから自衛するためだけに術を使ってんの。目的が全然違うわけ」


 そこで、響は深いため息をつく。


「何度も言ってることじゃん。氷輪も納得したでしょ。それなのに、いまさらし返してくるのはどうかと思うけど?」

「む……」

「てか、そんな目的でわざわざ嘉神に入ったわけじゃないしねー」


 思わず氷輪は視線を上げた。しかし、響の表情に変化はない。


「ま、誰になんと言われても、降魔士になる気なんてさらさらないから。自分の身さえ守れれば、それでいいんだよ」


 残念でしたー、と響はぽふぽふ氷輪の頭を叩く。いつもだったらここで反論のひとつでもしてやるのだが、氷輪は半眼を作っただけで何も言わなかった。


 たしかに、響の意見を受け入れたのは自分だ。しかし、心の内で惜しいと思っているのもまた事実。それは、式神となってから時が経つにつれて膨れていく思いだった。


 響のことだ、これからも表立った動きはしないだろう。このまま、誰に認められるでもなくひっそりと埋もれていく。


 これほどの逸材いつざいなのに、それが少々歯がゆくて、勿体もったいないと思ってしまうのだ。


 この自分を従えた術者を、周囲に認めさせてやりたい。そんな思いが、氷輪の中でくすぶる。


 無関心で、無欲で、無気力で。


 しかし、それは裏を返せば掴みどころがなくどこまでも自由な、天衣無縫てんいむほうとも取れる。


 如月響は、その身の内に確かな才覚を秘めている。どこか得体の知れないこの若き降魔の術を操る者は、この先一体どう成長していくのだろう。


 氷輪は退屈しのぎの一環で人間の使役しえきに下っているにすぎない。妖異は総じて長生きだ。氷輪もその例に漏れず、幾星霜いくせいそうという長い長い年月を過ごしてきている。そんな大妖にとって、人間の一生など瞬きひとつと変わりない。


 暇潰し程度の気持ちで式神となっているとはいえ、氷輪はこの人間の行く末に、少なからず期待を抱いているのだった。


 そんな式神の心中など知るよしもない響の考えていることといえば、今日の夕飯はなんだろー久々に麻婆豆腐が食べたいなー、などという氷輪が知ったら脱力必至なことだった。


 と、そのとき、響のこめかみ辺りにピリッと電流のような痛みが一瞬走った。


「……ん」


 思わず響が足を止めると同時に、氷輪が鞄の上から地面に飛び降り、辺りに険しい目線を向ける。


 物理的な痛みではない。どこからともなく漂ってくる嫌な気配が、響の肌を刺激する。これは――。


妖気ようきだな」

「だねー」


 しかし、響は気のない素振りだ。


「こっちに近づいてきてるわけじゃないんでしょ?」

「うむ。気配は遠く、あまり動きもみせてはおらぬ。汝を狙っておるわけではないようだ」

「なら、こっちには関係ないね。そのうち降魔士が状況を感知するでしょ」


 そう切り捨て歩みを再開しかけたとき、氷輪が告げた次の言葉で、響は足を止めることとなった。


「――人間の気配もわずかだが、する」

「…………」

「妖異が人間を襲っておるのであれば、降魔士が駆けつけるまでに、果たして無事でいられるかどうか」

「……何が言いたいわけ?」

「いやなに、助けに行かぬのか、と」

「はぁ? なんでそんなめんどくさいことしなきゃなんないの……正義のヒーローじゃあるまいし」


 いやいやと片手を振る響を、氷輪はただ黙って見つめている。


「……わざわざ、自分から危険に身をさらせっての?」


 眉根を寄せて胡乱うろんな顔をする響をじっと見据えたまま、氷輪は言う。


「状況を打破しうる力を持つ者で、今一番近くにいるのは間違いなく汝だというだけだ。だが――どうする、我が主よ」


 そうたずねた式神の瞳には、試すような色が含まれている。響は顔をしかめた。


 一体どういうつもりだろうか。自分にあるについて、氷輪も知っているはずだ。そのせいで妖異に狙われやすく、今までにたくさん危険な目にあってきた。死にかけたことだって一度や二度ではないのだ。


 だというのに、自分を狙ってきたわけでもない妖異のもとへわざわざ自ら出向くだなんて、はっきり言って正気の沙汰さたではない。


 無言で立ち尽くす響に、氷輪が静かな声音で言葉をつむぐ。


「汝にその意志がないのであれば、それもよかろう。汝を責める者などおりはせん。無論、我もこれ以上は言うまい。響、すべては汝次第だ」


「…………」


 その言い方はずるい。それはもうダメ押しではないか。


「あーもう……」


 一度天を仰いだ響は、諦めたように首を振って己の式神に言い放った。


「こんな面倒なこと、さっさと終わらせて帰るよ、氷輪」


 氷輪はにやりと笑った。


「それでこそ。――行くぞ」


 そうして、ものぐさな降魔術者とその式神は、妖気を辿って駆け出した。






 響たちがたどり着いたのは、街のはずれにある、今はもう使われていない廃工場だった。


 一応スマホで調べてみたところ、元は重金属関係の製造工場で何年も前に潰れており、そのまま放置されているようだった。


 建物は見事な荒廃ぶりで、ガラスがすっかり曇り切っている上にあちこち割れており、コンクリートの壁には蔦がびっしりと絡みついている。夜には何かよからぬものが出そうなほど、雰囲気のある外観と成り果てていた。


「どこ?」

「妖気は中から漂ってきておる。こちらだ」


 再び駆け出した氷輪とともに、響は建物内に侵入していく。


 中は暗く、辺りが判然としない。響は呪文を口中で唱える。すると、視界が昼間のように明るくなった。暗闇の中でも不自由なく見通せる、暗視あんしの術を己にかけたのだ。


 床には土埃が溜まっており、走るたびにそれが舞うので咄嗟に口元を覆う。土埃だけでなく、足下には割れたガラスの破片やら石やらが散らばっているため、足場の状況が非常に悪かった。


「わっ」


 ふいにつま先に何かが引っかかり、響はつまずいてこけそうになった。が、どうにか耐えて体勢を立て直す。


「あっぶな……」

「汝は緊張感というものを持てぬのか?」


 呆れた表情で自分を見てくる式神に、響は肩をすくめて開き直ってみせる。


「こんな足場だし、ここまで全速力で走ってきたから仕方ない」

「妖と相対する前からそのような調子でどうするのだ」


 冷たい視線に気づかないふりをし、再び走り出そうとした瞬間、甲高かんだかい悲鳴が響たちの耳に突き刺さった。


 人の悲鳴だ。妖力が濃くなっていくこの先に人間がいる。


 響と氷輪は視線を交わし、走る速度を上げる。


 いくつかの角を曲がると、巨大な鉄製の扉が目の前に見えてきた。そこに妖気が集中している。


「……あそこか」


 慎重に近づくと、鉄扉は人ひとり通れるほど開いていた。響は氷輪と目を合わせて頷き合うと、少し呼吸を整えてからするりとその隙間から中に入り込んだ。


 周りを見渡す。やたらと広い空間だ。天井はトタン屋根らしく、所々に開いた穴から微かに日の光が差し込んでいる。


 フロアには、何をどういう風に使うのかさっぱりわからない大小様々な形の機械の残骸ざんがいが至る所に転がっていた。わかったことは、以前はここで製造が行われていたらしいということだけ。


 音を立てないよう、辺りを窺いながらゆっくり中を進んでいく。全体の半分ほど超えた辺りで、機械の向こうに何かいるのが見えた。


 なんだ、あれは。


 響は目を凝らし、その姿をはっきりと捉えて息を呑んだ。


「……っ」


 視線の先に、昨晩遭遇したトカゲもどきとは比べ物にならないほど、大きな図体の化け物がいたのだ。


 その化け物は響たちに気づいた様子もなく、こちらに背を向けて壁と向かい合っている状態でそこにいた。


「妖異、だよな……?」

「響、あれを!」


 氷輪の切迫せっぱくした口調に、響ははっと我に返って視線をずらした。


 化け物の下のほう。そこに、二人の少女の姿を認める。そうして、彼女たちの格好をよく見た響は軽く目を見開いた。


「……うちの生徒?」


 見慣れた制服を着た嘉神の女子生徒が二人、壁にぴったりとくっついて抱き合っていた。彼女たちは足をガクガクと震わせ、顔を真っ青にさせている。


 それも、よく見ると両方ともブレザーの色は黒。降魔科の生徒だった。


「なんでこんなところに……」


 怪訝けげんそうに呟く響の耳に、氷輪から鋭い声が上がる。


「思考の猶予はない。早急にあやつらを逃がせ」

「簡単に言ってくれるなー……」


 彼女たちを逃がすためには、まずはあの妖異の意識をこちらへと向けさせなければならない。


 響は辺りに素早く視線を巡らす。出入り口は自分の後ろにある扉ひとつだけ。


 ――仕方がない。


 響はふっと息を吐くと、今まで己にかけていた隠形の術を解いた。そして、ふところから取り出した霊符れいふを指に挟み、息を整えて集中する。


「行け!」


 そして、霊符を化け物に思い切り投げ放つ。


 霊符は妖異に向かって真っ直ぐ飛んでいき、広大な背中に張りついた。


雷呼らいこ!」


 術者の言霊ことだまに呼応して、霊符から稲妻がほとばしった。


 稲妻は化け物の背中を駆け巡る。すると、妖異はのっそりと鈍重どんじゅうな動きで背後へ向いた。必然、意識が響のほうに逸れる。


「こっちへ! 早く!」


 響は女子生徒二人に鋭く叫ぶ。すると、女子たちは弾かれたように、一目散にこちらへ向かって駆け出してきた。


 こういう状況の場合、恐怖のあまり身体が動かないというパターンも少なくない。が、そこは降魔科の生徒だけということはある。瞬時の判断力はまだ残っていたようだ。


 一方、妖異は獲物が逃げ出したことに気づき、猛然と追いかけてきた。


 ここまでは予定通り。


 ここからだ。


 響は妖異に向けて走り出した。


「このまま振り向かずに全力で逃げろ!」


 こちらに向かってくる女子に、すれ違いざま声をかける。


 そして、女子達が自分の後方へ行ったのを確認して、響は機械をなぎ倒しながらもの凄い勢いでこっちに向かってくる妖異に立ちはだかった。


「――放つ風、まがものを打ち破る刃となれ!」


 言霊もろとも刀印を化け物に向ける。


 すると、そこから風の刃が放たれた。刃は化け物の巨体に幾筋もの傷をつけたが、表皮ひょうひが余程硬いのか、たいしたダメージは与えられない。しかし、妖異の足を止めるには十分だった。


 その隙に、響はそっと背後を顧みて、女子生徒たちがきちんと逃げたことを確認する。


 まさか降魔科生が逃げ、普通科生である自分が妖異の相手をする羽目になるとは。


 このなんとも皮肉な状況に、響は一瞬自嘲じちょう気味に口元を歪めたが、すぐに表情を引き締め直した。


 そして視線を戻した響は、こちらをすさまじい形相で睨みつけてくる化け物と対峙たいじした。

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