第9話 【朗報】パパになりました

 いくつもの部屋を通過し、ギシギシと軋んだ音がする階段を下りる。

 すると、


「あっ、パパ!! やっと起きてきたー。いけないんだー。鬼みたいに怒るママの拳骨が飛ぶよー」


 さっきの幼女が、元気よく話しかけてくる。

 手には布巾を持っている。

 どうやら眼に入る範囲で、3つはあるテーブルを拭いていたようだ。


「あのねー、サキ。変なこと吹き込まないの。私が初対面の人に暴力なんて振るうわけないでしょ? それに、他のお客さんが眠っているかも知れないから、静かにしていなさい」

「はーい」


 幼女であるサキ? の母親らしい人が、カウンターを挟んでフライパンを振るっていた。

 子どもと同じ髪と瞳の色をしている。

 動きやすい格好をしているが、滲み出る上品さを隠せていない。


 年齢は俺と同じぐらいだろうか。

 異世界の人だから年齢が分かりづらいけど、子どもがいるならそれぐらいの年齢だろうな。


「ほら、食事運んであげて。アンタも食べるだろ?」

「ああ、はい。いただけるのなら……」


 そういえば、お腹減っているな。

 異世界召喚される前もずっと労働してて、ご飯食べてないや。

 俺、何日ご飯食べてないんだろう。

 貰えるのなら貰いたい。


 ……ん?

 ハッとするような美人だが、それだけじゃない。

 この顔……。


「? どうしたんだい?」

「……あの、俺とどこかで会った事ありますか?」

「? 何のことだい? いいからとにかく椅子に座りな。まだ身体が痛むはずさね」

「は、はい」


 気のせいか。

 この異世界に知り合いなんている訳ないしな。


 言われた通りにテーブル席に座る。

 酒場や飲食店のような佇まいだ。

 だけど、二階にはベッドがあって机があって、明らかに宿泊する環境が整っていた。


「ここはどこですか?」

「ここは、王都の隣街にある宿屋だよ。私が店主のミサ。それでこの子は私の娘兼、この宿屋『ホーム』の看板娘、サキだよ。アンタが道端で倒れていたから、ここまで運んできたのさ」


 やっぱり、宿屋か。

 食事する場所まであるなんて、ホテルみたいだな。


「道端ですか。近くにダンジョンがありましたか?」

「ああ、イーストファングダンジョンの近くにいたね。まさか、冒険者登録していないのにダンジョンに入った訳じゃないだろうね!」

「いいえ、まさか!!」


 何だかよく分からないけど、冒険者登録とやらをしていなかったらダンジョンに入っちゃいけないような口ぶりだったので否定しておいた。


 だろうね、と納得しているみたいだから、やっぱり駄目だったらしい。

 こっちは勝手に放り込まれただけだから、不可抗力ってやつなんだけど。


「ミサ、さん。運んでくれてありがとうございます。病院――というか治療する場所とかじゃないですね?」

「治療系の魔法を使ったからさ。薬草やポーションでも回復できるが、私の魔法の方が強力だからね」

「え? 治してくれたのも、ミサさんなんですね! すいません。色々お世話になったみたいで……」


 深手を負っていたのに治療までしてもらい、泊めてもらって、さらには食事まで今用意してくれている。

 異世界に来る前も後も、こんなに親切にしてもらった人は、人生で初めてだ。


 娘さんのサキは怒ったら鬼になるとか言っていたけど、むしろ逆。

 女神のように優しい。


「いいの、いいの。困った時はお互い様だからね」


 そう言って笑いかけてくれた。


 そういえば、ミサさんに名乗らせたままで、俺はまだ名乗ってすらいない。

 あまりにも失礼だった。


「俺の名前は――」


 顔を上げると、そこにはミサさんの両足があった。


「ドォ――ンッ!!」

「どぐああああああっ!!」


 ドロップキックをかまされて、さらには全体重でボディブレスを受けた。


「いっ――」


 起き上がるとスカートの中身がチラ見したので、目を瞑りながら起き上がる。


「な、何するんですか!?」

「ああ、虫のモンスターがいたからね。退治したんだよ」


 そんなの見えなかったけど。

 小さい虫だったのかな。


 カウンターを掴みながらジャンプして、そのままドロップキックをされたのか。

 アクロバティックなことを一瞬でやってのける彼女を、ただの宿屋の店主にしておくのは勿体ない。

 世が世なら体操選手になれただろう。


 いきなり豹変したようにドロップキックをしてきたのは、刺されたら死を招くような虫がいたからかも知れない。

 でなきゃ、あんなに親切だったミサさんが、あんなことをするはずがない。


「あ、ありがとうございます。改めて名乗らせてもらいますね。俺の名前は――」

「ドォ――ンッ!!」

「なんでぇッ!?」


 フライングクロスチョップが首に当たって、呼吸が苦しくなった。

 体操選手どころか、プロレスラーになれそうなぐらい綺麗に技が決まった。


 こっちが怪我人なのを忘れているんじゃないだろうか。

 なんで治療された人に、また怪我を負わされているんだ。


 あと、ドォ――ンって叫ぶの流行っているの?

 サキちゃんもしてたけど、この異世界の流行語大賞なの!?


「アンタの名前なんて聞きたくないね!! アンタの名前は今日からヴェスルだよっ!!」

「そんな……名前を奪う銭湯のババアみたいな言い方されても……」


 他人の名前を聴きそうになったら、プロレス技をかけなきゃいけないような呪いにでもかかっているのか。


「ん?」


 服の袖を引っ張られる感触があったので、視線を下にすると、悲しそうな顔をしているサキちゃんがいた。


「パパの名前はヴェスルだよね……」

「いや、違うくて……。そもそもパパじゃ――」

「ヴェスルだよね……」

「まあ、ここにいる間はそうかも知れないけど、違う可能性も――」

「そうだよね! ヴェスルだよね!!」


 駄目だ。

 この子、全然話聴いてないや。


 サキちゃんが誇らしげにサムズアップすると、今度は母親であるミサさんがそれを見てサムズアップし返す。


「なんか娘さんに仕込んでますか!? あなたは!?」


 俺が寝ている間に、この人がパパだよって変なこと教え込んでたんじゃないんだろうか。

 そもそも、本物のパパはどこなんだ。

 見つけたら、見知らぬ人をパパ呼ばわりしないよう教育してください! と文句の一言ぐらいは言いたいもんだ。


「それでアンタはこれからどうするんだい?」

「どうするとは?」

「帰る場所があれば送ってやろうか?」

「帰る場所は――――ありません」


 自分の世界に帰ったら死ぬらしいし、それに城に戻るのも危険だ。

 王様が完全な味方なら保護してくれるかも知れないけど、あの王様は印象的にあまり信用できない。


「金は?」

「金、は、すいません。これしか……」


 大分慣れて来たので、シームレスに半透明画面を心の中で呼び出し、そこから『赤い逆鱗』をタップして、手のひらの上に出現させる。


「どっから出したんだい!? 今!?」

「え、と、俺もよく分かってないですけど、こういう風に」

「?」


 もしかして、この画面が見えていないのか?

 水晶玉によって映されたステータス画面は俺達にも王様達にも見えていたみたいだけど、個人が展開したステータス画面は、他の人が閲覧できないようになっているのかな?

 個人情報漏洩しない為のセキュリティ、ちゃんとしているな。


「とにかく、これでお金になるはずです。治療してもらった上に、休ませてもらってありがとうございました」

「…………」


 赤い逆鱗をジッと見つめ、考え込むミサさん。

 何か気になることでもあるのかな。


「どうですか?」

「……とりあえず、飯でも食いな。出来合いで悪いけどね」

「ああ、はい。いただきます」


 テーブルに出されたのは、豆のスープとパンと、飲み水だけだった。


 最近、自炊する時間がなくて、カップラーメンやら半額弁当ばかり食べていたから、質素な料理でも涎が出て来た。


 他人が作った料理を食べるなんて、何年ぶりだろう。

 最後に食べたのは、生前母が作ってくれた料理だった気がする。


「いただきますぅ?」


 サキちゃんが小首を傾げる。

 そうか。

 いただきますって言葉を知らないのか。


「あー、食べ物になった生き物の命とか、食べ物を作ってくれた人に感謝して言う言葉なんだ。俺の故郷ではみんなそう言うんだ」

「へぇ。じゃあ、私もいただきまーす」


 仲良く並んで食事をする。


 美味しい。

 スープの味は薄いし、パンは固くて噛みづらいけど、それでも美味く感じる。


 空腹は最高のスパイスと言うけれど、それだけじゃなく、ミサさんが作ってくれたものだし、それに、隣にサキちゃんがいるからだろう。


 誰かに料理を作ってもらい、尚且つ誰かと一緒にご飯を食べるなんて本当に何年ぶりだろう。

 若かったら何も感じないだろうが、三十にもなると幸せな食卓が染みる。


「……今、食べたね?」

「ええ、まあ、はい。美味しいです」


 ミサさんは、テーブルに赤い逆鱗を置く。


「それで、なんだいこれ?」

「え?」

「商人じゃないから、これの価値なんて私には分からないね」


 そうか。

 換金してこないと駄目なのか。


 仮に日本で金塊を持って、これがお金ですとホテルの人に言っても現金でお願いします、って言われるのが関の山だ。


 言われてみれば、当然の話だ。


「そ、それじゃあ、商人とか、これが売れる人を紹介してくれませんか? いくらかお金になるはずなんです」

「現金は?」

「ないです」

「……つまり、お金もないのにここから出て、アンタは必ず帰って来ると? そんなの信用できるかい!! 自分の親友を人質にここに置いてくぐらいのことしないと、アンタをここから出すなんてことはさせないよ!!」

「いや、どこの『走れメロス』ぅ!? というか、絶対こうなるって分かって、今ご飯食べさせませんでした!?」


 だって、ご飯食べたのを確認してから言ったよね!?

 絶対に罠にかけようとしていたよね!?


「アンタが何を言っているか理解できないが、選択肢が二つある。一つは城の地下牢に閉じ込められるか。噂によるとあそこの囚人はねぇ、人体実験に使われたり、奴隷にされたりするらしいよ。どうする?」

「も、もう一つの選択肢がいいいんですけど、それは?」

「もう一つの選択肢は――」


 ゴクリ、と喉を鳴らす。

 このまま食い逃げ犯となるのだけは避けなければならない。


「お金が貯まるまでここで働くことさね」


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