恋は甘く。時に炭火で焦げ付いた、焼鳥のように。
尾岡れき@猫部
恋は甘く。時に炭火で焦げ付いた焼鳥のように。
「先輩、私の行きつけの焼き鳥屋さんがあるんですよ。そろそろ一緒にいきませんか?」
「仕方ないわね。いいんじゃないかな? シフトもなかなか合わないしね。蔓延防止等措置も終了したしね」
と頑張り屋の後輩に微笑んで見せた。ぐっと力こぶを作る素振りで――もちろん、彼女に力こぶなんかできるはずもなく。ふんすと、彼女なりの気合いの入った吐息を聞く。
やっぱり微笑ましい――と、つい後輩のお母さんになった気分で眺めてしまっていた自分がいた。
気付くはずもない。もう物語は始まっていることを――。
🐓
ガラガラと戸を開けて。暖簾をくぐれば、焼き鳥を焼く香ばしい匂いが鼻腔を刺激する。
後輩は、その香りを軽く吸い込んで満面の笑顔を浮かべていた。
一方、私の表情は凍り付いていた。
焼き鳥屋、
まるでな夜のお店のような名前だが、純粋に焼き鳥屋である。炭火で店主が丁寧に焼く。鶏肉は地産地消。ご近所の養鶏場と契約している。その地元愛から、アイツは家にまでニワトリを飼う始末。私が看護師で、夜勤があるというのに、ニワトリは問答無用で、起こしにかかるのだ。何とかして欲しい。
「(いら)っしゃい!」
おざなりな挨拶。居酒屋っぽくて良いじゃないかと言う子もいるが、とんでもない。甘やかしちゃいけない。ちゃんと挨拶できないヤツが従業員を雇ったり、客商売をしちゃいけないと思う。
とアイツが私に気づく。
「(い)らっしゃい!」
変わらないからね、と呆れてため息をつきつつ、空いているテーブル席に座ろうとして、私の手が引っ張られた。
「へ?」
「あ、あの。先輩、もし良ければなんですけれど」
「カウンター席ででも良いですか?」
空いている。確かに空いている。と見れば、アイツが気まずそうに視線を逸らした。私だって気まずい。
「……そ、その。なんだ。
「はいっ。大将さんが焼いている姿、本当に大好きで――あ、ちが、そうじゃなくて。大将さんの焼く焼き鳥、本当に美味しくて、大好きなんです!」
「あ、う、うん。その……ありがとう」
なんだ、この空気?
私は顔を引きつらせながら、とっとと椅子に座ることにした。
🐓
「「乾杯ー!」」
二人の声が重なった。正肉、ネギま、砂肝も美味しいが、私は皮を塩で食べるのが好きだ。今まで感染症対策で、飲みに行くのを控えていたので、ビールが体に染みわたる。
と見れば、チラチラと後輩はアイツのことを見やる。時々、目があっては気恥ずかしそうにしていた。
「あれ、大将? 今日はしてあげないの?」
お客さんの一人が、声をかけてきた。この店はアットホームな雰囲気も人気の一つだ。お客さんに助けられて良かったね、と思う。
「い、いや、しないよ? いつもは美嘉ちゃんが酔うから、仕方なくね」
「酔わないとしてくれないんですか?」
「いや、あの、ね? 今、営業中だから――」
「いつも営業時間でやってるじゃん」
お客さんの合いの手。いや、お前、何をやらかしてるんだ?
「……大将さんは仕方なくだったんですか?」
「いや、あの、そのだね」
「大将さん?」
と後輩は目を閉じて、唇を少し上に向ける。
艶のある唇。若いって良いなぁって思うけど。
いや、マテ。お前!
お前が何で唇を近づける?
お店のなかで、濃厚接触とか、私の目の前で何をしてくれようとしてんの?!
アイツも私の目を気にしてか、オドオドしていた。
でも意を決したかのように唇が動いて――。
「はい、あぁ~ん」
焼き鳥が、後輩の口の中に飛び込んでいく。
「大将さん、美味しいです」
「そ、そりゃ良かった。ははは」
笑ってる場合じゃないから。
お客さんの拍手喝采のなか、幸せそうに頬に手を当てる後輩。引きつった笑顔で後輩を見やりながら、どうしたものかと頭を抱えた私だった。
🐓
「せんぱいって大将さんと絶対、関係がありますよね?」
素知らぬ振りを決め込みたかったが、幾度となく視線が交われば、そりゃ流石に気付かれるというものだ。
それにしても、ビール2杯で酔いが回るとか。後輩、君は弱すぎじゃない?
「勘ぐりすぎ。このお店は知っていたけどさ。そんなんじゃないから」
むしろ、アイツとそんな関係であってたまるか。
「せんぱいの名前、佳純じゃないですかー。お店の名前をつけられるくらい、愛されているってコトでしょう? 嫉妬しちゃう」
「そういうのじゃ無いから」
――面倒くさいからさ。その名前を店名にもらうわ。そう言ったアイツの言葉が今でも忘れられない。
と、後輩が体をふるふる震わせた。
「……そんなのウソです! 私、分かってるんですから! 先輩と大将さんには、深い絆があります。先輩は優しいからそう言ってくれてますけど、二人が一朝一夕の仲じゃないこと、見れば分かります!」
付き合いは確かに長いけどさ。そういう目で見られるのは、ちょっとイタいよ?
「ごまかさくても良いです! 先輩と大将さんは、体と体で繋がった深い関係だったんでしょ!」
ぶはっ。思わずビールを噴き出して、慌てておしぼりで拭う。彼女が本気でそう思っているのは明らかで。紅潮した頬。潤んだ瞳が感情を制御できないことを示していた。
「元カノさんなんですか?」
じーっと私を見る。
「あ、あのね。ちょっと私の話を聞こうか?」
「い、いえ、やっぱり良いです」
と手を振って遮る。いや、後輩? むしろ、ちゃんと話を聞こうよ?
「先輩って本当にすごいなぁって思っていたんです。仕事もできるし。アセスメントの視点も深いし。でも患者さんにも本当に親身に接するし。私、先輩のような看護師さんになりたいって、入職してからずっと思ってました」
「あ、ありがとう?」
いや、そういう話じゃないよね? 君の目は剣呑なままなんですけど?
「でも、恋は別です!」
「いや、だから――」
「私、負けません! 元カノさんには絶対に絶対に絶対に負けませんから! まだ今カノにはなれてませけど……なります! なってみせます! 大将さんの気持ちも、その指先も、笑顔だって、全部私が独り占めしますから!」
ドンと勢いよくビーールジョッキを置かれて、彼女はテーブルに突っ伏してしまう。と――すぅすぅ。規則正しい呼吸音が聞こえた。
「寝た?」
後輩の頬を指で突くが、反応はない。気苦労で余計にストレスが増えた。焼き鳥盛り合わせのお代わりと、ビールの飲み直しを要求したい。心の底からそう思った。
🐓
「それでバカ息子、これはどういうことなのかしら?」
私は正肉を頬張りながら、アイツを睨む。熊みたいにでかい体が、すくみ上がっていた。昔からこのこはそう。小心者で肝心な時に一歩踏み込むことができない。
「……いや、あのね、母ちゃん……。今は仕事中だから――」
「焼くのは喋りながらでもできる。客は勝手にビール注ぐし、ちゃんと伝票に書いてくれてるでしょ? だから問題ない。ココまで私を巻き込んでおいて、話を逸らすんじゃない」
にべもなく突き放す。観念したように、バカ息子はため息をついた。
「……最初はただのお客さんだったんだよ。お爺さんが焼き鳥屋を経営していたみたいで。お爺さんの味に近いって、ニコニコしてくれて、さ」
「ふぅん」
それで足げく後輩が通うウチに――という経緯は理解した。シルバー世代が溜まり場にするなか、若い子達が接点をもったら。特別な感情を持つこともあるだろう。私はビールをあおる。折角のビールも焼き鳥も味がしない。
「……なんで私があんたの元カノになっているのかしら?」
童顔で、息子と兄妹と言われることもしばしばあった。でも流石40代に突入してからはそう言われることはもう無いと思っていたのに――今日の出来事が人生のなかで一番、ダメージがデカかった。
職場の後輩と、息子がプラトニックな関係。それだけでショッキングなのに、まさかの有難くもない元カノ認定――外野の後期高齢者、笑いすぎだからね!
私はため息をついた。
深い絆を感じる?
そりゃ、そうでしょ。だって親子だ。それに、そこら辺の親子より仲が良いと思っている。
体と体で繋がった深い関係?
臍の緒で繋がっていたワケだから、そう言えなくも無いけれど。
「……先輩、私は絶対に負けませんから!」
もう意識は夢の中に旅立ったはずなのに、意志は決して曲げない。そう強い想いを感じて、つい唇が綻んでしまっていた。
「ここまで想われて、何でヘタれてるの?」
「うぐっ。こ、今度は、ちゃんと伝えようと思っていたんだ、よ」
その後もゴニョゴニョ、馬鹿息子が言い訳するが、それもどうでも良かった。
ココまで女の子に言わせたのだ。意気地なしを理由にさせてやるものか。
私は意地悪く、アイツに笑んでみせた。
――あんたが踏ん切りつけないのなら、しばらく元カノを演じてやるのも悪くないかもね。
それから焼き鳥を頬張って。
炭火で焦げた部分も、ほろ苦くてビールが進む。
切なさも。時にはちょっと辛くて。でも相手を思ったら甘くて。私が想った人はもういないけれど。そんな忘れかけていた恋心を目の当たりにして――その感情を、私はビールで無理やり流し込んだ。
恋は甘く。時に炭火で焦げ付いた焼鳥のように。
恋は甘く。時に炭火で焦げ付いた、焼鳥のように。 尾岡れき@猫部 @okazakireo
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