串と鶏

佐々川よむ

串と鶏

「先輩、焼鳥の串だけ残して食べる方法ってわかるっすか?」


 コークハイを片手に彼女は僕にそう効いた。もう一方の手には食べ捺しのネギマが握られており、タレが皿に向かって滴り落ちる。


「……思考実験?」

「純粋な意味っす」

「なら簡単だろ。普通に食えばいいんだよ」


 俺は皿からスパイスのかかったもも肉を取り上げる。頭から口にふくみ、根本に歯を立てて一気に引き抜いた。

 口から抜いた串には肉の一欠片も残っていない。これでいいんだろ? と言いながら彼女に向かって串を振ってみる。


「じゃあ先輩、それが『焼き鳥の串』だったこと、証明できるっすか?」

「……持ち手に『もも』と書かれてる。でも言いたいのはこういうことじゃないんだな?」


 彼女は肯定代わりに焼き鳥に口をつける。俺より大きなひとくちで焼鳥を串だけにしてしまって、その串先でピッと俺の顔を指し示す。まるで良い質問をした学生に教授が評点を与えるように。


「要するにこれはドーナツホール問題ってわけだ。ドーナツを穴だけ残して食べるには、ってやつ」


 彼女はこういう議論が好きなやつだった。当然のことに疑義を呈する。どうでもいいことに価値を見出す。だから学部でも浮いていると風の噂で聞いたことがあるが、付き合ってさし飲みしている時点で十分俺も同じ穴の狢だった。


「鳥を焼くだけで焼き鳥が成立するならターキーだって北京ダックだってチキンステーキだって焼き鳥っす。でもそんなの提供してる焼鳥屋なんてどこにもない。なぜか」

「鶏肉に串を刺して焼いた料理が焼き鳥だから」

「そうっす。つまり串は焼き鳥の要件の一部を成してるんすよ」

「それで改めて最初の問いか。『焼き鳥の串だけを残して食べる方法は』」


 でも、と言って彼女は皿の上から焼き鳥を一本取り上げると、箸で肉だけを皿の上に落として串を串入れに放った。


「こうしてみるとこっちの肉は焼き鳥で、串の方は何ものでもないっすよね。『焼き鳥の串だったもの』かもしれないっすけど、肉がなくなった時点で『焼鳥の串』としてのアイデンティティは消え失せてしまうっす」

「それを言うなら、これまでの話をひっくり返してしまうことになるけど市販品の焼き鳥なんてそもそも串がないやつがあるだろ」

「焼き鳥のパブリックイメージに串は寄与してないってことっすか?」

「いや……そこまでもないかもな。たとえば、焼豚ってあるだろ? お前、焼豚って聞いてどんなの連想する?」

「ラーメンのチャーシューみたいな切ったやつっすかねえ」

「俺はたこ糸で縛った塊肉を連想するね。焼き鳥の串も同じじゃないか? 調理過程で必然的に用いられる要素が食べ物自体と一体になってるんだ。」


 ドーナツの真ん中に穴が空いているのは、真ん中の生地が生焼けになるのを防ぐためだと聞いたことがある。おかしな話だ。かつてドーナツが発明された時はそうだったかもしれないが、現代においては均一に火を通すなんて簡単なはずなのに、それでもドーナツと言えば真ん中に穴が空いたあのリング状の形を連想する。

 だから、ドーナツの穴はドーナツそのものと切り離せない。焼豚の連想にたこ糸は含まれたり含まれなかったりするのに、ドーナツと言えば穴だ。


 それは彼女の言う通りパブリックイメージの強度というものかもしれない。


 俺は鶏皮を一本腹に収めると、ビールを呷った。


「成立順に考えればいい。焼き鳥においては鶏肉が主で串が従。これだけは間違いない。肉だけで焼き鳥と認められるパターンはあるかもしれないが、串だけじゃそうはならない」


 彼女はジョッキをおいて腕組みをする。小動物のような小さな頭を捻って、うーんとしばらく悩みこんだ末、再び口を開いた。


「……たとえばっすよ。天然の鶏肉なんてものも亡くなって、食べ物は合成された代替食料がメインになって、なんなら焼くなんて調理法だってなくなってしまって――もういっそのこと文明も一度滅んで、今の人類とは全く違う生き物が焼き鳥の跡を見つけたらどう思うと思うっすか?」

「少なくともなんの肉を使ってたのかはわからないだろうな」

「きっと残ってるのは串だけなんす。串になにか加工して食事をしていたという文化の残り香だけがそこには残ってるんすよ。そのとき串と肉との立場は逆転すると思わなかいっすか」


 俺は遥かな未来に思いを馳せてみる。地球上に残された遺跡から発掘された料理のデータは当時の文化の傍証だ。そこにはきっと焼き鳥の頁もある。文字は読めないかもしれない。けれど挿入された写真なり挿絵なりからどんな料理だったかを推測するのだ。

 それは串と呼ばれた棒に肉や野菜を刺して火を通す原始的なものだろう。なにが刺さっているのかは重要じゃないのかもしれない。なんせ色んなものを刺していた形跡がある。


 そのとききっと肉と串の主従は逆転するのだ。『焼き鳥の串』は『焼き鳥』に。『焼き鳥』は『焼き鳥の肉』に。


「串による焼き鳥に対する革命か」


 彼女は満足げに笑った。


「それにさっき先輩はドーナツの穴と同じって言ったっすけど、焼き鳥とドーナツには大きな違いが一つあるっすよ。ドーナツの穴は不在っすけど、焼き鳥の串は実在っす」


 とかく俺たちは不在に意味を見出しがちだ。それはただ『ない』という意味でしかないのに、『ない』だけでそこにあるべきだったはずのもののことを考える。はじめから『ない』だけなのに、なにかが失われたように感じる。

 その点焼き鳥の串は『ある』のだ。なんなら焼き鳥よりも永くあり続ける。食べ終わったあとも串だけはその場に残り続けて、そこに焼き鳥が『在った』という事実を示し続けている。


 串入れには食べ終えられた焼き鳥の串たちが剣山のように刺さっている。これらはすべて墓標だ。焼き鳥がかつてあったこと、調理された肉とともにあったこと、そしてそれは消費されてしまったということをいつまでも語り続けるモニュメントだ。

 ……随分と酔いが回ってきたみたいだ。彼女もぼんやりと中空を見据えている。そろそろ結論を出すべき時間だった。


「焼き鳥の串だけ残して食べる方法は簡単だ。食べる。ただそれだけでいいんだ。串が『焼き鳥の串』だったことはそれ自体が証明してくれる。焼き鳥が焼き鳥じゃなくなったとしても、焼き鳥の串は焼き鳥の串であることをやめられないんだから」


 彼女はよくできましたというように手を叩いて笑った。俺もなにがおかしいのかもわからないまま笑った。


「先輩、卒業してもあたしのこと忘れないでくださいっすね……」

「バカ、お前みたいなやつのこと忘れられるかよ」


 テーブルに突っ伏して小声でポツリと漏らした彼女の頭を伝票の挟まったバインダーではたく。

 それに、たとえ忘れたとしても俺は何度でもこいつのことを思い出すだろう。串入れに刺さった串たちのように、俺と彼女の間を象徴するものは山ほどある。

 ドーナツに大きな穴が空いていたことが自明であるように。ぽっかりと空いた穴を想うことさえ俺たちには許されているのだから。


 彼女のことはいつまでも串のように俺の心に突き刺さって抜けはしまい。

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串と鶏 佐々川よむ @amioima

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