第69話 閑話:レオンハルトの疑念

「旦那様、おはようございます」


「ああ、おはよう」


 朝。

 自室まで起こしにきた執事――ライオネルにそう挨拶を返し、レオンハルトは椅子から立ち上がる。

 ライオネルは一応レオンハルトを起こしに来たわけだが、ここ十年ほど起こされたことは一度もない。大抵の場合早めに起きたレオンハルトが朝から机の上にある書類を確認している間に、ライオネルがやってくるのがいつものことだ。

 ふぅ、と小さく嘆息して書類を机の上に置く。


「朝食とお飲み物でございます」


「ああ。そこに置いてくれ」


「は」


 そしてライオネルの方もそれを分かっており、簡単に摘まむことのできる朝食とまだ湯気の立っている飲み物を、レオンハルトの横に置く。

 基本的には紅茶が出されるエルスタット家だが、レオンハルトの朝だけはコーヒーと決まっている。それも豆の選定なども全てレオンハルト自身が行ったものであり、最も好みのブレンドを追求したものだ。

 ライオネルが休みの日は別の侍女が淹れているが、その腕がライオネルに認められるまで、朝の給仕は任されないらしい。


「ライオネル」


「は、旦那様」


「アミルに新しくついた第一侍女……マリアンヌ嬢は、お前の紹介らしいな」


「はい。そうでございます」


 そんなレオンハルトの目に置いてある書類――それは、屋敷の従業員に対する身辺調査結果である。

 エルスタット侯爵家には秘密も多いため、使用人の身辺調査はきっちり行ってから雇用を行っている。基本的には付き合いのある下級貴族家の息女から雇い入れているが、時にはライオネルをはじめとした、使用人の紹介というパターンもあるのだ。そして、新しい侍女マリアンヌに関しては後者――ライオネルの紹介である。

 レオンハルトが眺めていたのは、そんなマリアンヌの身辺調査報告書なのだが。


「エルンスト伯爵家の娘だという話だが……お前とエルンスト伯爵家に、何か関わりがあったか?」


「小生自身はエルンスト家と付き合いはございません。ザガン殿から紹介を受けた人物でございます」


「ザガン……?」


「ミシェル殿下の側近でございます。公私にわたって、彼とは付き合いがありますので」


「なるほど」


 身辺調査報告書には、特におかしな点などはない。

 現在十五歳で、本名をマリアンヌ・エルンスト。エルンスト伯爵家の長女であり、王都の中等学院を卒業したばかりである。

 出自もしっかりしており、人柄も特に問題なし。

 その内容は、ライオネルからカサンドラの代わりとなる新しい侍女を雇い入れるという話を聞いてから、レオンハルト自身も読んだものだ。

 そのときには、特に問題ないと許可したけれど――。


「くさいですか、旦那様」


「ああ。実にくさい」


「話は伺っております。奥様の前で、ゴーレムの専門書を開いて読んでいたのだとか。それも私物を」


「そうだ。アミルの所有物ではなく、マリアンヌ自身が所有しているものらしい。それも、最近購入したばかりだそうだ」


「……小生としては、奥様の人柄を理解するための勉強熱心と受け止めたいところですが」


「僕も、そうであればいいと思うよ」


 アミルは、ことゴーレムに関しては完全に目が曇る性質だ。

 目が曇るというより、視野が狭いと言った方がいいだろうか。ゴーレムが好きな人間に悪い人間はいないと、そう考えている節すらある。

 そして今まで、レオンハルトの方からアミルにゴーレムを注文してこそいたけれど、彼女のゴーレムに関する知識や技術を、真に理解している者は誰もいなかった。第一侍女であったカサンドラでさえ、よく理解せずに「はぁ……」と言っていたことを覚えている。


 だから本当にマリアンヌが、アミルの第一侍女として彼女を理解するために、勉強をしているのならばそれが一番だ。

 しかし、どうしてもレオンハルトにはそう思えなかった。


「マリアンヌ嬢の中等学院時代の成績を取り寄せたが、確かに土属性に対して非常に高い素養を持っているようだ」


「……でしたら、本当にゴーレムに興味があるという可能性も」


「そう思いたいところだけどね……残念ながら中等学院時代に、ゴーレムに関する選択授業は受けていないようだ。だけど行動記録を参照すると、我が家に雇用される三日前に書店で『現代ゴーレム基本論』を購入している。その時点では、アミルがゴーレムに関する技術を持っているという話は知らないはずだ」


「……」


「ならば何故、『現代ゴーレム基本論』を購入したのだろうね」


「なるほど……」


 マリアンヌが『現代ゴーレム基本論』をアミルの前で読んでいたという話を聞いて、すぐにレオンハルトは身辺の再調査を依頼した。

 その上で、さらに正確性を増した情報――それを鑑みながら、やはり怪しいという結論しか出てこなかったのである。

 あまりにも、興味を持つ内容がピンポイントすぎて。


「旦那様に、お手数をおかけして申し訳ありません。マリアンヌには、昼夜監視をつけておきます」


「頼む。何かあれば、すぐに僕に報告してくれ」


「は。お心のままに」


「では、僕は仕事に戻る」


「承知いたしました」


 ライオネルが、レオンハルトに対して頭を下げる。

 そしてレオンハルトが別の書類を手に取ったのを見て、そのまま退室していった。

 レオンハルトはそれを確認して、溜息を一つ。


 そしてレオンハルトは天井を見上げ。

 ぱちん、と指を鳴らした。


「お側に」


「ライオネルを監視しておけ。ミシェル殿下と繋がっている可能性がある」


「御意」


 背後に一瞬で現れた声に、焦ることなくレオンハルトは命じる。

 それは、レオンハルトが子飼いとしている密偵の一人だ。王宮や他の貴族家の屋敷など様々な場所に潜入させている、レオンハルトに従う手勢である。

 その気配が、再び一瞬で消えるのを確認して。


「……何を企んでいるんですかね、ミシェル殿下」


 己を愚鈍に見せる仮面を被った、第一王子の姿を頭に描き。

 そう、レオンハルトは閉まっている窓の外――王宮の見えるそちらへ向けて、呟いた。

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