第66話 カサンドラの事情

「おはようございます、奥様」


「ええ、おはようカサンドラ」


 普段通りの朝。

 既に息が白く染まり、寝台から出てくるのが億劫になる季節――冬の到来である。アルスター王国は寒暖差の激しい国であり、冬はとことんまで寒くなるのだ。

 だがアミルが起きる少し前の時間に暖炉に火を入れ、起きる時刻にはしっかり部屋全体を温めるというカサンドラの仕事により、割と毎日快適に過ごしているアミルだ。そして部屋に繋がっている工房も、鍵言ひとつで適温にしてくれる魔暖炉が設置されているため、今のところ寒さで苦労することはない。そして当然、外になど出るはずがない。


「朝食をお持ちしました。お召し替えは、食後でよろしいでしょうか」


「……わたしは別に、この格好のままでいいのですが」


「夕食は旦那様と共に過ごすわけですから、服はちゃんとしたものをお召しになってください」


「……はぁ」


 正直、寝間着のままで過ごしたい――そう思うけれど、カサンドラは譲ってくれない。

 別に屋敷の者以外で誰に会うこともないし、レオンハルトを前に着飾る必要性も感じないし、寝間着でいても問題ないと思うのだけれど。

 初年度はアミルも「別にこのままでいいです」と押し切ることができたのだけれど、現在はそれがただアミルのずぼらであると気付かれているため、ちゃんと着替えさせられている。

 どことなく、実家の母を思い出してしまった。


「……はぁ」


 暖かな寝台から出て、椅子へと座る。

 カートから持ってきた朝食をカサンドラが並べ、湯気の立つ紅茶を用意してくれる。いつもながら、何もしなくてもこうして食事とお茶が用意してもらえる環境というのも、得難いものだ。

 ずずっ、と一口紅茶を啜り、体が芯から温まってくる気がする。


「さて……今日は何をしましょうか」


「その、奥様。大変、申し上げにくいことがあるのですが」


「……? カサンドラ、どうしましたか」


「はい……その、奥様」


 パンに手を伸ばしたときに、唐突にそうカサンドラが言ってくる。

 言いにくそうに口元をもごもごさせながら、カサンドラは小さく溜息を吐き。


「……お暇を、いただきたいと思います」


「えっ」


 思わず、アミルの手が止まった。

 既に二年、アミルの専属侍女として仕えてくれているカサンドラ――その、唐突な辞職宣言である。

 アミルの行動パターンを全て把握し、最適な場面で最適な行動をしてくれるカサンドラが、辞めると言い出したのだ。


「ど、どういう……」


「その……実は、縁談が決まりまして」


「縁談?」


「はい。以前からお話はあったのですが……伯爵家の嫡男とのご縁がありまして、このたび、結婚をすることになったのです」


「まぁ! それはめでたいですね!」


 少し顔を赤らめながら言ってくるカサンドラに、アミルはそう祝福した。

 カサンドラはもう妙齢だし、そういう浮いた話はないのだろうかと心配していたのだ。以前にレオンハルトから、「割と使用人同士の結婚が多かったりするんですよ」という話も聞いていたし、誰か別の使用人と結婚するものと考えていたけれど。

 貴族家との婚姻が決まったとなれば、それは実家にとっても良縁となるだろう。


「ありがとうございます、奥様。それで……春には、結婚式を挙げようと」


「なるほど。それは……レオンハルト様にも?」


「はい、申し上げております。冬のうちに、恐らくカロリーネが専属となる形になりますので、引き継ぎをしてからお暇をいただくことになるかと」


「ええ、分かりました。わたしは寂しいですが、そういう事情なら仕方ありませんね」


 アミルは微笑み、そう頷く。

 エルスタット家の使用人待遇は、非常に良い。そのため、ほとんど退職者は出ないという話を聞いている。だからまさか、カサンドラが退職するなんて考えもしなかった。

 しかし嫌になったとかそういうわけではなく、結婚するために退職ということならば仕方あるまい。カサンドラとて、エルスタット家で働いている以上、少なからず良家の出自であるだろうし。


「ありがとうございます、奥様」


「ええ。良かったですね、カサンドラ」


「はい……あと少しの間ですが、精一杯お仕えさせていただきますので、よろしくお願いします」


「ええ、こちらこそ」


 うん、とアミルは頷いて。

 朝から良い話を聞いたものだ、と頬を綻ばせた。
















「失礼いたします、奥様」


「失礼します」


 朝食を終え、カサンドラから強制的に着替えをさせられて、少し経てから。

 アミルがそろそろ工房の方にでも引き籠もろうかなぁ、と考えていた矢先、唐突に部屋へと来訪があった。

 使用人頭のライオネル、そしてもう一人は、知らない女性だった。


「今、お時間をよろしいでしょうか、奥様」


「ええ、いいですよ。何かありましたか?」


「朝のうちに、カサンドラから退職の方のお話を聞いていると思うのですが」


「ええ」


「カサンドラに代わり、今後マリアンヌが第一侍女という形になります」


「マリアンヌと申します。よろしくお願いします」


 ライオネルの隣で、そう頭を下げてくる侍女――マリアンヌ。

 恐らく彼女も、高貴な生まれではあるのだろう。その所作は洗練されたものだ。きっと、その出自はアミルより良家だと思う。何せアミルは、礼儀作法にとことん疎いし。

 しかし、そう紹介されたことに対して、アミルは首を傾げる。


「え、ええ、よろしくお願いします……カサンドラの代わりの、第一侍女、ですか」


「はい。変わらず、カロリーネが第二侍女という形になります」


「カロリーネが、第一侍女になるものだと思っていました」


 四日働いて二日休みというエルスタット家の使用人であるため、基本的には第一侍女のカサンドラが四日、第二侍女のカロリーネが二日という形で、アミルの専属となっていた。そのため、カロリーネが今後は四日という形になるものだと思っていたのだが。

 カサンドラもまた不思議そうに、眉を寄せている。


「カロリーネは、先日奥様の帰省にあたってトラブルを起こしたこともありますし、侍女としては抜けている部分が多いので……変わらず、第二侍女という形でお願いします。今後、小生の方で教育を続けてまいります」


「……はぁ」


 アミルからすれば、できれば気心の知れたカロリーネの方が良かったのだが。

 しかし、使用人頭であるライオネルには彼の考え方があるのだろう。そこまでアミルが口を出すわけにもいくまい。


「ではカサンドラ。マリアンヌに、しっかり引き継ぎを行うように」


「承知いたしました」


「お手柔らかによろしくお願いします、カサンドラ先輩」


 まぁ。

 アミルからすれば、侍女が誰であったところで特に問題はない。

 ただ今日も明日も、ゴーレムを作るだけである。

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