第57話 やってきた旦那様

 アミルの実家まで到着するのに、三日ほど掛かった。

 それは、アミルも覚悟していたことではある。勿論、馬車に揺られながらもアミルは思いついたことを紙に書きながら、思考実験だけで成否を判定し続けていた。とりあえず、頭の中だけで二つ目のゴーレム――音声認識のものに関しては、ほぼ完成したと言っていいだろう。

 だが頭の中で上手いこといっていても、実際作ってみると齟齬が発生するというのもえてしてあることだ。そのあたりは、やはり作ってみないと分からない。


 ちなみにこの三日間は町や村に寄るたびにカサンドラが食事を買ってきてくれて、夜は貴族しか泊まれないような高級なところに泊まった。至れり尽くせりである。


「ふー……ようやく到着ですね」


「ええ。奥様はやはり……すぐに帰られる予定ですか?」


「勿論です。ですから、両親がいないことを願うところですが……」


 ようやく見えてきた、アミルの実家。

 しかし以前と変わっている点は、玄関先にやたら毛並みのいい白馬が一頭繋がれていることだ。あんな高級そうな馬、持っていただろうか。

 もしかすると、レオンハルトからの結納金で購入したのかもしれない。父が馬を購入する理由が、何一つ思い浮かばないけれど。


「さぁ、とりあえず資料を載せましょう」


「あの、奥様」


「どうしましたか?」


「あちらの馬ですが……エルスタット家のものです」


「はい?」


 アミルの実家――その玄関先にある高級そうな白馬。

 それを指差してカサンドラが言ってくることの、意味が分からない。馬なんて結納品にあっただろうか、と。


「そうなんですか?」


「はい。旦那様の愛馬、フーウンサイキ号です」


「フーウンサイキ……」


「いつもは、お屋敷の馬屋に繋がれているはずなのですが……」


 カサンドラの言葉に、アミルは眉を寄せる。

 なんだか、嫌な予感しかしない。


「……もしや、とは思いますが」


「奥様はすぐに戻られると、文は出したのですが……」


「……やはり、届く前に出立されておられたか」


 カサンドラの呟きと、ライオネルの諦めたような声。

 その両方を考えると、どう考えても一つの結論にしか至らない。

 レオンハルト、ここにいる。


「アミル!」


 馬車がようやく、実家の前へと到着したそのとき。

 玄関をばぁんっ、と激しく開いて、出てきたのは当然レオンハルトだった。そして、その後ろから顔のやつれた夫婦――アミルの両親も出てくる。

 きっと、突然やってきた侯爵閣下に色々心労が重なったのだろう。


「レオンハルト様、こんにちは」


「こんにちはではありませんよ!? 何故実家に!?」


「……何故だと思われていますか?」


「僕が、無茶な注文をしたことは、本当に反省しています! ですからどうか! 屋敷の方に戻ってきてください!」


「……」


 アミルの言葉に対して、思い切り両膝をついて両手をついて、頭を下げてきたレオンハルト。

 物凄く、反省の色が伝わってくる姿勢である。本来、膝って騎士の座礼のときにしかつかないはずなのに。

 溜息を吐きたい気持ちを、どうにか堪える。

 当然アミルは、屋敷に戻る予定だ。

 資料さえ積めば。


「失礼します、旦那様」


「ライオネル!」


「今回のことは……色々と勘違いが重なった結果でございます。カロリーネの早とちりと、私の確認不足、それに奥様の説明不足が重なりまして……」


「……」


 アミルの代わりにライオネルが前に出て、説明をしてくれる。

 一応アミルも、反省はしている。アミルがしっかり資料を取りに行くことさえ説明していれば、こんなことにはならなかっただろう。

 恐らくレオンハルトは、カサンドラが出してくれた説明の手紙が届く前に、屋敷の方を出発したのだと思う。そして、そのままアミルたちを抜かして、実家に先回りしていたのだろう。

 馬車が色々な街に立ち寄っている中、きっとぶっ通しでやってきたのだと思う。


 ただ、アミルは。

 レオンハルトの後ろで、突然の出来事に困惑している両親に、どう説明するかを悩んでいた。














「本当に、ただ資料を取りに来ただけだったのですね……」


「ええ、そうです」


「……僕の追加発注が不満で、離縁をするつもりだとか」


「考えていませんよ」


 まぁ、鬼のような追加発注には、さすがに腹が立ったけれど。

 しかし、かといってあれが不満で逃げ出すとか、そんな真似はしない。仮に不満ならば、代わりの仕様を提案するか不可能だと告げるのがアミルという女だ。

 嫌なことを投げ出して、逃げ出すようなことはまずありえない。

 そんなアミルの言葉に、全身から力が抜けたかのように、レオンハルトが大きく溜息を吐いた。


「……てっきり、僕はアミルが実家に帰ってしまったものだと、考えていました」


「まぁ実家には帰りましたけど」


「そういう意味ではありません。僕と……もう、離縁をするつもりだと」


「……わたしの方も、説明不足でした。そんなつもりは、一切ありません」


「それなら、良かったです」


 ちなみに今、帰路である。

 アミルは一応、端的に両親に説明を行い、夫婦関係は極めて良好であり離縁をすることはまずないと伝えておいた。

 アミルの方から最高の環境を捨てることはないだろうし、レオンハルトもアミルという便利なゴーレム師を手放すことはないだろう――そう考えれば、関係が良好というのは間違っていない。

 そして、父ウィリアムがひどく青白い顔をしていたのは、アミルが離縁することによって生じる様々な不都合を考えてのことだったため、その報告で安心していた。

 その結果、アミルは資料を馬車に積んで、早々に帰ることができたのだが。


「しかし、よろしかったのですか? 馬を一頭、失うことになりましたが」


「ええ。アミルの父君も、時には馬が必要になるでしょう。そのときに使っていただければと」


「それはありがたいですが……」


「さすがに僕の、フーウンサイキは譲れませんけどね」


 結局、レオンハルトは衛兵の乗ってきた馬の一頭を、そのままアミルの実家へと譲り渡した。

 父もたまには遠出をしなければならないときもあったし、そのときには常に貸し馬を借りていたのだ。そういった実家の事情を鑑みて、衛兵の乗ってきた馬を譲り渡し、代わりに衛兵の一人がレオンハルトのフーウンサイキ号に乗っている。そして帰り道、アミルは馬車でレオンハルトと共に過ごすことになった。


「しかし、本当に焦りましたよ。アミルが出て行ったんじゃないかと」


「わたしは信用がないのですか?」


「そういうわけではないのですが……」


 はぁ、とレオンハルトは小さく溜息を吐いて。

 そして、真剣な眼差しでアミルを見据えた。


「今後、アミルが実家に帰るときには……僕も一緒に行きます」


「……レオンハルト様は、お忙しいのでは?」


「都合くらいつけますよ。そのために、予定は基本的に前倒しでやっていますので」


「はぁ……」


 別にアミルからすれば、それは構わないけれど。

 ただ。


「あ、でも次に帰るときには、子供の顔を見せてあげたいですね」


「まだ言いますか」


 レオンハルトの、この押しの強さには。

 未だに、慣れる気がしない。

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