第56話 真相

「……資料を、取りに戻られるのですか?」


「ええ。馬車に運んだらそのまま、またお屋敷の方に戻ります」


 馬車が出発して、暫く経ってから。

 カサンドラから「あの奥様……差し支えなければ、今回ご実家に帰られることとなった、きっかけなどをお教えいただければと……」と物凄く聞きにくそうに質問をされたため、アミルは普通に答えた。

 ちょっと次の実験に使うための資料が足りないから、実家に取りに行きたい、と。


「……つまり、本当にただ一時的に帰るだけということですか?」


「ええ、そうですよ。一日でも早く研究を再開したいですし」


「……使用人の誰かに仰っていただければ、その者が取りに行きましたが」


「資料、かなりの数があるんですよ。多分、わたしが行かないと分かりません。それに丁度いい機会なので、幾つか持ち帰りたい本もありますし」


「……」


 今回、アミルが必要としている資料の本、それに加えて持ち帰りたい本は幾つもある。

 何せアミルが嫁入りをするときには、ゴーレムの詳しい話を聞いていなかったのだ。ただ、「僕のためにゴーレムを作ってください」と言われただけである。そのため、極めて最低限の資料だけを持って嫁入りしたのだ。

 だが、レオンハルトから示された三つのゴーレム――その全てを作るためには、まだ足りない。アミルの頭の中で考えているだけでも、十冊は持ち帰る必要があるだろう。資料はそれなりに読み込んでいる自信があるけれど、さすがに一言一句覚えているわけではないし。


「……なるほど」


「どうかしましたか?」


「屋敷に残された使用人たちが、要らぬ心労を抱えてしまっていることを危惧しているだけです」


「……何の話です?」


 カサンドラの言葉の意味が分からず、アミルは首を傾げる。

 確かに、まぁ出発が唐突すぎた感はあるだろう。しかし、レオンハルトは基本的にアミルの自由を許してくれているし、七日程度不在になるくらいは問題あるまい。

 そう考えながら前の方を見やると、御者台で執事のライオネルも頭を抱えていた。一体何が、そこまで衝撃だったのだろう。


「しかし、折角ご実家にお戻りになられますのに、資料の本を積んでそのままお屋敷に戻られるのですか?」


「ええ、そのつもりです」


「ご実家の方に、数日程度滞在されてもよろしいのでは?」


「嫌ですよ。絶対、掃除とか食事の支度とか洗濯とか手伝わされますし。出てくる食事も貧相ですしお茶の時間もありませんし、何よりゴーレムの研究する場所ありませんし」


「……左様、ですか」


 アミルは、現在の環境に非常に満足している。

 何せ寝る時間も起きる時間も自由であり、何もしなくても三食豪華な食事が出る。掃除や洗濯といった家事は使用人に任せておけばいいし、好きに休憩の時間をとれば、その時間にちゃんとお茶が出てくる。

 さらにゴーレムの研究にあたって必要なものは何でも仕入れることができ、使うことのできる工具も一級品揃いだ。ちなみに、レオンハルトが揃えてくれたものに加えて、アミルが出入りの商人に注文したものも幾つか増えていたりする。

 出入りの商人には、「こんな注文をなさる奥様は初めてです……」と言われたくらいだ。


「ですので、むしろ母がいない時間にこっそり入ってこっそり資料を持ち出して、こっそり帰りたいんですよね。わたしが戻ったとなれば、さすがに食事くらいは一緒にしようと言い出すでしょうし」


「……それはまぁ、ご実家に戻られたとなれば」


「せいぜい、肉が多少入った野菜のスープと固いパンですよ。メイヤー伯爵家は貧乏なので。わたしのここ一年半で肥えてしまった舌では、満足できません」


 はぁ、と小さく嘆息。

 元々は粗食だったアミルの実家だが、ここ一年半ほど美味しい食事に舌鼓を打ち続けてきたアミルだ。

 今更、あの頃の食事を楽しめる気がしない。

 だから、できるだけ早く帰りたいというのが本音である。


「……なるほど。ようやく、奥様がいきなりご実家に帰ると言い出した理由が分かりました」


「わたし言ってませんでしたか?」


「言っておりません。正直、屋敷では騒ぎが起こりました」


「騒ぎ?」


 こてん、とアミルは首を傾げる。

 あれ、言ってなかったっけ――そう記憶を探るけれど、確かに言った覚えはない。むしろカサンドラに言おうとして、遮られた覚えがある。

 アミルも、決して馬鹿というわけではない。

 だからこそ、そこでようやく理解できた。


「……もしかして、わたしがレオンハルト様と離縁すると思われたのですか?」


「はい。旦那様から逃げるために、実家に戻られるものだと」


「何故」


 使用人がそのように勘違いした理由にも、全く心当たりがない。

 アミルにしてみれば、これ以上ない環境なのだ。頼まれても手放すつもりはない。まぁ奥様から、お抱えの職人になるという立場の変化なら喜んで受け入れるけど。

 わざわざ満ち足りた環境を捨てて、実家に帰るなどあり得ない。


「いえ……どうしましょう。ライオネルさん、お屋敷の方には……」


「うむ……できれば伝えたいところだが」


「衛兵の方に、文を届けてもらいましょうか?」


「衛兵は三人しか連れていないからな……そのうち一人が減るというのは、さすがに難しい」


「そうですか……」


 うぅん、とカサンドラが眉を寄せて。

 それから、大きく溜息を吐いた。


「でしたら奥様、ひとまず馬の休憩も必要ですし、次の街で少し滞在してもよろしいでしょうか?」


「ええ、それは構いませんが……」


「次の街から、屋敷に向けて文を届けてもらいます。それで、旦那様には誤解だと気付いていただけると思います」


「わたし、そんなにも誤解される出発だったんですか」


「ええ。使用人全員が混乱しておりました」


 アミルに向けて、そう言ってくるのはライオネル。少しばかり、恨みがましい口調だ。きっと、アミルのせいで仕事が増えたのだろう。

 まぁ本来、お屋敷を統括する立場のライオネルが、こうして御者代わりをやっている時点で問題ではあると思うけれど――。


「ひとまず、次の街から文を出せば……」


「……まぁ、明日の夜には届くだろう。それまで旦那様が、早とちりをしなければいいが」


「それから、ライオネルさん。カロリーネですが」


「……戻ったら、しっかり叱っておく。場合によっては、奥様付きの第二侍女を変えよう」


「承知いたしました」


 そんなカサンドラとライオネルの会話を聞きながら、アミルは思った。

 なんか、わたしのせいで大事件になってる。

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