第42話 26号完成
春も深まり、夏の気配が近付いてきた。
ふぅ、とアミルは真鍮製の兜――その中の汗をハンカチで拭って、目の前にある成果をじっくりと見る。
高さ三メートルにもなる、大きな鉄の巨人。
ずんぐりむっくりとした体つきに、円柱が並んだような腕と足。何故か騎士の兜を被っているような装飾に、長い鼻。
レオンハルトからデザイン画を渡され、一生懸命に毎日作業を続け、ようやく完成した成果がそこにある。
とはいえ、まだレオンハルトに言われている完成品――高さ十五メートルのものを作るまでには、程遠いけれど。
「ようやく完成ですか……」
「ええ、ようやくです。これで、レオンハルト様も喜んでくださるでしょう」
「侍従の身といたしましては、奥様が長く外にいらっしゃることを嬉しく思います」
「……ええ、おかげさまで少し痩せましたよ」
カサンドラの余計な言葉に、アミルは小さく溜息を吐く。
エルスタット侯爵家に嫁入りをしてから、そろそろ一年近くになる。そして夏から冬にかけてアミルは不摂生を繰り返し、引きこもりを繰り返し、それなのに食事も甘味も美味しくいただいていた。その結果、腹回りが悲しいことになってしまった。
しかしこの春から、侯爵家の庭で作業をすることが多くなり、必然的に運動量も多くなった。汗をかくことも多くなったし、運動不足だったあの頃に比べれば体が健康的なのがよく分かる。
「しかし、これは女の我儘というか何というか」
「どうなさいましたか?」
「太ったことには気付かれたくないのですが、痩せたことには気付かれたいのは何故でしょうか」
「はは……」
なんとなく、褒めてほしいからだろうか。
アミルの体型は一応、嫁入り前くらいには戻った。母ハンナから家事や畑仕事を強要されていた、あの頃に。これでまぁ、出席を強要される夜会に向かうことになった場合、「あら地味な奥様」くらいの反応で済んでくれると思う。
まぁ今のところ嫁入りして一年近くにはなるけれど、夜会などの誘いはない。レオンハルト自身も出席していないようだけれど、高位貴族がそれでいいのだろうか。
「旦那様は、このことをご存じなのですか?」
「昨夜の夕食時に、今日の昼までには完成するとは伝えてあります」
「ああ……だから今日、出られる際に『急いで帰ってきます』と言っていたのですね」
「ええ、そういうことです」
ちなみに当然ながら、この一年ほどアミルとレオンハルトに夫婦らしい行動は一度もない。皆無である。
一応アミルも、いつお誘いがあってもいいように毎日身を清めている。だけれどさすがに、一年近く皆無となると今後もないんじゃね、と思えてきた。そのため、最近は無駄毛の処理を少なからずさぼっていたりする。
何せ、レオンハルトが興味を抱いている対象は、ゴーレムばかりなのだから。
「はぁ……一段落ついたことですし、わたしも少し休みましょうか」
「それがよろしいかと。何をなさいますか?」
「とりあえず、お茶を。ひとまず、今日は休みということにします」
んっ、と軽く伸びをする。
この一年、ほぼノンストップでゴーレムの研究を続けてきた。勿論、三日に一回ほどはゴーレム博物館に行っているけれど、あれは研究の一環である。
庭の隅に設置してある椅子に座り、手早くカサンドラがお茶を淹れてくれる。
色々あって砂糖を入れないようにしているため、勿論甘味はない。だけれど、甘味がない分茶葉の美味しさというものを再認識できるお茶だ。
「しかし最近、レオンハルト様はお忙しくされていますね」
春になって、レオンハルトが屋敷を空けることが多くなった。
基本的に夕食は共にしているのだけれど、その夕食の時間にレオンハルトが帰ってこないことが多いのだ。本人曰く、「色々面倒なことになっているんです」とのことだが、その詳細は話してもらっていない。
そのあたりの事情も全く知らないのは、妻としてどうなんだろう――そう思わなくもないけれど。
そんなアミルの言葉に、カサンドラが僅かに眉を寄せて。
「私も執事長のライオネルさんから聞いた話なのですが」
「ええ」
「何でも、新しい商会が現れたらしいんです。それがエルスタット印の家電製品などを、そっくりそのまま真似ているのだとか」
「そうなのですか?」
「ええ。それも、材料にかなり粗悪品を使っているらしく、品質も耐久性も非常に低いそうです。ただその代わり、エルスタット印よりも遥かに安く売っているんです」
「むぅ……」
確かにコンロや冷蔵庫などは、真似しようと思えば真似できる代物だ。
それこそ純正のものよりも劣悪な魔石を使ったり、全体的に品質の劣るものは作れるだろう。そして、それを正規のものよりも安く売るとなれば、確かに貧しい者には売れるかもしれない。
現状、王国にはそういった偽物を売ることに対する罰則などの法はないため、それこそやりたい放題にはできるだろう。
「今まではエルスタット家に逆らうような商会はいなかったので、これほど悪質な業者も出なかったのですが……」
「こちらの真似をしている、と文句を言うわけにいかないのですか?」
「向こうの商会は、真似をしているわけではないとの一点張りなのです。あくまで自分たちが考えたものが、既存のものとよく似ているだけだと」
「はぁ……それで罷り通ってしまうのですから、嫌な世の中ですね」
証拠を出せと言われても、無理な話だ。
そして証拠がない以上、法では裁けない。
「母に言われたことがあります」
「何をですか?」
「世の中には、頭のおかしい人がいます。あなたが今一番、頭のおかしい人を想像しなさい。その人は、あなたの想像の百倍頭がおかしいですから気をつけなさい、と」
「……ある種、至言ですね」
今のところ、アミルはそういった人物に会っていない。
だけれど、恐らくその悪質な商会を経営している人物は、アミルの想像を超える人物だろう。それこそ、貴族に喧嘩を売ることを何とも思っていないくらいに。
「まぁ、レオンハルト様が帰ってくるまで待ちましょう。多分、喜んでくださいますよ」
「ええ、そうですね」
カサンドラと共に、アミルは完成した試作品――26号を眺める。
ちゃんと、リモコンで動くことも確認済みだ。そのリモコンも、ちゃんとここに置いてある。
あとは、これをレオンハルトが操作して、喜んでもらうだけだ。
だけれど。
その日、レオンハルトは帰ってこなかった。
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