第15話 王城へ

 どきどきと跳ね上がる鼓動を抑えながら、アミルは馬車を降りた。

 一晩、天蓋つきのふわふわの寝台で休み、豪華な朝食に舌鼓を打ち、メイド――カサンドラによって今日の服を用意されて髪を梳かれ、軽い化粧の施されたアミル。

 彼女は現在、レオンハルトと並んで王城まで来ていた。


「ふー……」


「それほど、気負う必要はありませんよ。あくまで、僕の婚約者だと紹介するだけですから」


「ええ……」


 それが、一番気負う理由であることを分からないのか、レオンハルトがそう言ってきた。

 昨晩、アミルも色々と考えていたのだ。レオンハルトと共に、アミルが王城へ呼ばれる理由を。

 そもそも、エルスタット家は侯爵家だ。そして、侯爵家とは王国において、上から数えて二番目の貴族位である。そして最も家格の高い公爵家は、基本的に王家と縁がある家だけと決まっているのだ。

 ゆえに、王家と血の繋がりのない貴族位では、侯爵家が最も高いと言っていい。

 そして、レオンハルトはそんな新鋭の侯爵家だ。


「……」


 カサンドラに聞いた話では、エルスタット侯爵家が新たに出している商品――冷蔵庫やコンロ、トイレといった家電製品からシリアルなどの食品など、全部考えているのはレオンハルトらしい。

 どれほどの天才ならば、それほど思いつくのか――そんな疑問は出てくるけれど、その結果として王国一の商会を作り、侯爵位を叙爵されたエルスタット家だ。少なくとも、王家としては縁戚関係を結びたくて仕方ない相手だと思う。特に、その当主が未婚となれば。

 だからこそ、王女との縁談が打診されたのだろう。本人は冗談だと思っている様子だけれど。


「ああ、そうだアミル」


「はい?」


「昨日カロリーネから聞いたのですが、マダム・キルシェに『アミル・メイヤー』と名乗ったとか」


「え、ええ……」


 昨日、アミルは少し悩んで、メイヤー姓でマダムに対して名乗った。

 エルスタット家とは、まだ婚約関係であることは間違いない。だから、名乗るべきかどうかは悩んだのだけれど――。


「今後は、アミル・エルスタットと名乗ってください。結婚は決まっているわけですから、今のうちから姓に慣れておいた方が良いでしょう」


「……それは、良いのですか?」


「ええ。それに、エルスタットの名がどこで役に立つか分かりませんから」


「はぁ……」


 まぁ別にアミルも、メイヤー姓に特に思い入れがあるわけではない。

 ただ、婚約段階で相手の姓を名乗るというのは不思議なものだ、と思うだけである。だが確かに、今から結婚相手として紹介されるわけだから、下手に旧姓を名乗るのもおかしな話なのだろうか。

 貴族の常識が分からない以上、アミルはレオンハルトの言うとおりにするしかない。


「どうぞ、こちらです」


 王城――門の衛兵にレオンハルトは会釈を一つして、そのままアミルの手を引いて入っていく。どうやら通い慣れているらしく、顔パスのようだ。

 衛兵は僅かにアミルに猜疑的な視線を向けたけれど、レオンハルトが手を取っていることを確認してか、何も言わない。

 アミルは、心の中だけで気合いを入れて。

 今から訪れる針の筵に、耐える覚悟を決めた。















「あらあら。久しぶりねぇ、レオ」


「王妃様、ご無沙汰しております」


「まったくだ。もう少し顔を出してもいいものを」


「陛下も、壮健のようで何よりです」


 アルスター王国国王、ヨハン・ヴィエッツ・アルスター三世陛下ならびに王妃クリームヒルト・ヴィエン・アルスター陛下。

 それはアルスター王国に住む民にとって、天上人である。そのご尊顔を拝見することも栄誉であり、限られた上流階級しかお声を掛けられることはない。

 その相手が――まさに今、アミルの目の前に座っている。

 思考と肉体が乖離したかのように、アミルは割と冷静に今の自分を分析できていた。


「紹介します、陛下。このたび、僕が妻として迎えることになりました、アミルです」


「アミル・エルスタットと申します」


 レオンハルトの促しに対して、アミルは名乗りと共に頭を下げる。

 一瞬国王の眉が寄り、王妃が唇を突き出すのが分かった。だけれど、その一瞬だけで、次には笑顔に戻る。

 歓迎されていない――そんな当然のことを、改めて理解した。


「しかし、こんな狭い部屋ですまないな、レオ」


「いえ、僕としてはお世話になっている両陛下に、妻を紹介できれば良かったので」


「下手な部屋を使うと、勘ぐられちゃうのよ。ごめんなさいね」


「いえいえ」


 ここは、応接間。

 本来、官僚に対してやってきた客を通すような、小さな部屋だ。小さいとはいえ、それは王城においての話であり、普通に広い。

 そしてアミルの目の前には、まだ湯気の立つお茶が既に配られている。レオンハルトはもう口をつけているけれど、マナーに関して自信のないアミルはまだ手を伸ばしていなかった。


「いや、立派になったものだ、レオ。お前の代から侯爵家ということになったが、既に貴族たちの間では一目置かれているぞ。下手に、エルスタット家と揉めるような輩はいるまい」


「そうなのですか?」


「勿論だ。エルスタット家と揉めて、エルスタット商会から物が買えなくなる方が、貴族にしてみれば傷になる。何せ流行の最先端は、須くエルスタット商会に集まると評判だからな。余もよく、出入りの者から買っておる」


「ありがとうございます」


「しかし、様々な品を全て、お前一人で考えていると聞いたときには驚いたものだ。是非とも、この人物は王家に欲しいと、そう思っていたのだがな」


 ちらり、と国王がアミルを見やる。

 アミルのことを一切話さず、アミルと一切目を合わせることなく、ただ一瞬だけ寄せてくる視線。

 国王であるならば、もう少し感情を操ることができる人物だと、そう思っていたのだが。


「過分な評価、ありがたく思います。ですが僕は、あくまで貴族家として王家を支えていきたいと思っておりますので」


「うむうむ……その謙虚なところも、またレオの良いところだ」


「でも、一度考え直してくれてもいいのよ、レオ。あなたならシェリルのことも幸せにしてくれると思っているし、縁戚になれば公爵家の叙爵も検討されるわ」


「いえ。それこそ過分な評価です。僕には、王女殿下を娶るような器量はありませんので」


「……」


 仮にも妻を紹介されている状況で、よくそれが言えるものだ――そう、アミルは小さく嘆息した。

 しかし、この分では気にしなくても良さそうに思える。

 とりあえずレオンハルトの隣で、人形のように黙って座っていれば、マナー違反になることもないだろう。そもそも無視されているし。


「あらあら。まぁ、いつでも気が変わったら言って頂戴」


「こらこら、そんなに押しつけるように言うな。レオは今日、妻を紹介しに来たのだからな」


「ははは……」


 無視されているなら、それでいいや。

 そうアミルは思いながら、レオンハルトと両陛下が交わす言葉を右から左に流しながら。


 レオンハルトが求める、ゴーレムの機構を考えていた。

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