第13話 広間の仕立屋
ああ、胃が痛い。
そう思いながらアミルは、エルスタット侯爵家の大広間にいた。
「改めまして、奥様の女官補佐を務めるカロリーネと申します。よろしくお願いします」
「ええ、お願いします」
ここまで一緒にやってきた女官――カロリーネ。
レオンハルトが言うには、基本的にアミルに仕える女官はカサンドラであるが、カサンドラが休みの日にはカロリーネが仕えるとのことだった。
カサンドラが背の高い褐色美人であることに比べて、カロリーネの方はどこか愛嬌のある背の低い可愛らしい女性だ。頬のそばかすが、どことなくあどけない印象を持たせる。ただし、アミルと違ってちゃんと出ているところは出ているのが、少しばかり嫉みの対象だった。
そして、案内された大広間の入り口。
それと共に、レオンハルトが小さく溜息を吐いた。
「申し訳ありませんがアミル、僕はこれから仕事がありますので、少し屋敷を離れます」
「あ……そうなんですか?」
「はい。夕餉までには戻りますので、一緒に食事をしてもいいですか? それとも、もう今日から三食お部屋の方に運びましょうか?」
「……」
うっ、と僅かに悩む。
一応、アミルはこの家――エルスタット侯爵家に嫁入りに来たのだ。そんなアミルが、初日からレオンハルトと食事すら一緒にすることなく、引きこもるのは妻としてどうなのだろう。
本音を言うなら、今から工房の方に籠もってひたすら研究を続けたいものだけれど。
レオンハルトの望み――三種類のゴーレムの話を聞いてから、すぐにでも書き記したい計算式が幾つもある。
だけれど、一応。
「はい、ご一緒します」
「分かりました。それでは、食堂の方に用意させますね」
「……その、テーブルマナーなどは、お察しいただければ」
「僕も大したものではありませんし、あくまで家での食事ですから。それほどマナーに気を遣わなくてもいいですよ」
ふふっ、と微笑むレオンハルト。
もう、なんだか後光が差しているかのように、優しさに溢れている。自分が研究をしたいという欲望のために、母ハンナからのマナー講習を一蹴してきたアミルが、まるで欲に溺れているかのように思えた。
「それでは。カロリーネ、あとは任せるよ」
「承知いたしました、旦那様」
すっ、と踵を返して離れていくレオンハルト。
とりあえずアミルが今するべきは、明日の対策だ。とりあえず付け焼き刃でも、明日王族との会食を行うにあたってのマナーを習得しておかねばならない。
付き合いとかはしなくていいって言ってたのに――そう思いながら、しかし「王族の主催する夜会だけは出てもらいます」という一文があったことを思い出す。三日間で、せめて王族を相手にしたマナーだけでも教えてもらった方が良かったかもしれない。
「……」
はぁぁぁ、と大きく溜息。
もう、面倒なことは考えない方がいいだろう。そもそもこちとら、田舎の貧乏貴族の娘だ。そんな相手に、完璧なマナーなんて向こうだって求めているまい。
「奥様、どうなされましたか?」
「……ああ、いえ。特に何も。それより、仕立屋はこちらですか?」
「はい。我が家の出入り仕立屋、マダム・キルシェを呼びつけております」
「分かりました」
きぃっ、と広間に続く扉を開く。
それと同時に、椅子に座っていた派手な老齢の女性が立ち上がった。
「あらぁ! 初めまして、あなたがレオンハルト様の奥様?」
思わず、その勢いにアミルはたじろいで。
しかし、その退きをカロリーネの手によって遮られた。
全体的に派手な印象を持たせる、年齢に見合わない服を着た女性だ。だけれど、決して下品というわけではないし、全体的には整っている。どうすれば、これほど奇抜なコーディネートを合わせることができるのだろう、と逆に疑問に思うほどの見た目だ。
恐らく、先程言っていたマダム・キルシェなのだと思うが――。
「奥様、出入りの仕立屋、マダム・キルシェでございます」
「は……はじめまして、アミル・メイヤーと申します」
「マーガレット・キルシェと申しますわ。皆様からは、マダム・キルシェと呼ばれております。それより……メイヤー? エルスタットではなく?」
「ええと……まだ、婚約段階ですので」
正直、アミルもどう自己紹介すればいいか分からなかった。
今のところ、レオンハルトとは結婚する予定だ。私室も工房もこの屋敷の中にあるし、今後はこの屋敷で暮らしていくのだと思う。
だけれど、今のところ婚約段階ではあるし、姓を変えるという話も聞いていない。今夜にでも聞いておこう――そう思いながら、とりあえず表面的には笑みを浮かべる。
「なるほど。ええ……レオンハルト様からは、明日に王城へと登城するに相応しい服を、とご命令を受けておりますわ」
「え、ええ……」
「お美しい奥様ですし、本当なら一から仕立てたいところですが……さすがに明日となると、既製品で対応するしか。ああ、もったいない!」
「……」
いやいや、心にもないことを、と思わないでもない。
だけれどこういう商家は、貴族家に対しては必要以上に媚びへつらう必要があるのだ。アミルのようにゴーレムの研究以外には何の興味も抱かないような変人を相手にしても、こうして褒めて褒めて褒め殺すのが商人である。
勿論、それで「わたし美しいの……?」なんて調子に乗るアミルというわけでもない。
「わたしは既製品でも問題ありませんので、とりあえず急場を凌げるものを見繕っていただけますか?」
「それは勿論です。それで奥様、今後、夜会などに出席するご予定はありますの? ありましたら是非、わたくしにドレスを仕立てさせていただきたいですわ」
「今のところ予定はありませんが、そのときにはお願いします」
王家の主催する夜会には出席するとか言っていたし、機会がないわけではないだろう。
それに、マダム・キルシェは出入りの仕立屋だと言っていたし、ここで任せる口約束をすることにも問題はないと思う。これが一見の相手だったりした場合、言動には気をつけないといけないけれど。
貴族って面倒だ――そう思いながらも、アミルは頷いて。
「それでは、幾つかの既製品をお持ちしましたので、色々と奥様に着ていただきましょう」
「はぁ……」
マダム・キルシェが持ってきた、山盛りの服を見て。
しばらく、着せ替え人形になる覚悟を決めた。
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