第4話 婚約締結

 はっ。

 思わず、反射的に頷いていた――そうアミルは気付く。


「では、今後の話を詰めさせてもらいますので、お父様とお母様にも同席してもらいましょう」


「……」


 レオンハルトが立ち上がり、扉の方へと向かう。恐らく、ウィリアムとハンナは扉の近くで聞き耳を立てていたことだろう。

 終始レオンハルトの声は小さかったから、多分アミルへの条件などは聞こえていないと思うけれど。

 しかし――アミルは、頷いた。頷いてしまった。

 自分が結婚するという、人生の一大事を。

 反射的に。


「どうぞ、同席ください」


「え、ええ……あの、アミルとはどういったお話を……?」


「色々と、ですね」


 ウィリアム、ハンナが入ってきて、それぞれアミルの隣に腰を下ろす。

 そして正面にレオンハルトが座り、テーブルに肘をついて手を組んだ。その流れるような所作にも、まさに貴族然とした気品がある。


「それでは、今後のお話をさせていただければと思います。まず結納金として、金貨五千枚をメイヤー伯爵家に納めます」


「――っ!? ごせっ……!?」


「ひっ――!」


 レオンハルトが、さりげなく言った結納金――その金額に、両親がそれぞれ肩を震わせて驚く。

 それも当然だ。アミルも同じく目を見開き、その金額に驚愕するしかない。

 何せ、メイヤー伯爵領の税収は、金貨に換算すれば年間二枚程度である。勿論、それは老人ばかりで農村ばかりのメイヤー伯爵領であるため、他の領地に比べれば非常に少ないのは間違いない。

 銀貨百枚で金貨一枚、そして平民の月収が大体銀貨十枚程度、といえばその少なさが分かるだろうか。

 そして、金貨五千枚――その、凄まじさが。


「また、今後はエルスタット侯爵家の縁戚になる形になりますので、陛下に所領の加増を奏上しておきます」


「そ、そんな……!」


「これについては、我が家の都合だと思ってください。中には口さがない者もおりますので、見栄を張る必要があるんです」


 柔和に微笑むレオンハルト。

 しかし、結納金といい所領の加増といい、メイヤー家にしてみれば全く損のない話だ。

 ゴーレムの研究をする環境を整えてくれていることといい、アミルにはレオンハルトの目的が全く分からない。どうして、そこまで金を出してアミルを嫁に迎え入れようとしているのか。


「それから……結婚式は半年後を予定していますが、それまでアミルさんはどうされますか? 半年間はご実家で過ごされて、それから我が家に来られますか?」


「えっ……」


「もしくは、婚約の状態から我が家に来てもらうことも可能です。結婚する前から、環境に慣れておくのも良いかもしれません」


「……」


 ぱちん、とレオンハルトが片目を閉じて、アミルに示す。

 それは、今すぐにでもエルスタット侯爵家に赴き、アミルの楽園を手に入れてもいい――そういうことだ。

 結婚まで半年――ハンナはその間、アミルを鍛え直すと言っていた。マナーから何から、とにかく仕込んでいくと言っていた。

 ならば――。


「こ、侯爵閣下、申し訳ありません。この娘はまだ勉強不足でして、せめて我が家で半年ほど……」


「すぐにでも行きたいです」


「アミル!?」


 レオンハルトの言葉を信じるなら。

 アミルの食事は、三食部屋に運ばれる。つまり、テーブルマナーなど必要ない。

 夜会は、王家が開催するものを除いて出席する必要ない。つまり、夜会のマナーは最低限備えておけばいい。

 アミルはゴーレムの研究に専念していい。つまり、社交的マナーなど必要ない。

 半年間、ハンナにマナーを叩き込まれるより、アミルは一日でも早く研究に没頭したい――その想いが、口から飛び出した。


「分かりました」


 レオンハルトは、そんなアミルの想いを分かってか。

 微笑みと共に頷き、そしてアミルの方を見る。


「でしたら、できる限り早くに迎えの馬車をやります。生活必需品などは揃っておりますので、アミルさんはご自身に必要な荷物だけ揃えてお待ちください。そうですね……七日後でどうでしょうか?」


「分かりました」


「では、七日後に迎えの馬車をやります」


 うん、とレオンハルトが頷く。

 それからウィリアムを見て、ハンナを見て。

 文句はないな、とばかりに視線だけで促した。


 当然、そんな侯爵閣下の決定に対して。

 ウィリアムもハンナも、何も言えなかった。














「では、七日後に」


「はい。お待ちしております」


 馬車に乗り込むレオンハルトを、家族三人で見送る。

 とんとん拍子に結婚が決まってしまった。しかし、最初に縁談の話を聞いたときほど諦観や絶望はない。

 むしろアミルとしては本当に、一日でも早く向こうに行きたいのが本音だ。

 馬車が見えなくなるまで見送り、三人で屋敷の中に入る。


「はぁ……なんというか……」


「……あたしはもう、理解が追いつかないよ」


「だが……」


 屋敷に入るなり、項垂れる両親。

 レオンハルトという高位貴族との対面、そして速やかに進んだ結婚の話、それに伴う結納金や所領の加増――メイヤー家からすれば、完全に夢のような話だ。


「……わたしは、少し麦畑のゴーレムを確認してきます」


 アミルもまた、理解が追いついていない。

 だけれど、最低限の理解はした。少なくとも実家にいるより、エルスタット侯爵家に嫁いだ方が研究に没頭でき、何よりゴーレムの研究に理解を持ってもらっている。

 レオンハルトの理由や目的は分からないけれど、分からなくとも都合がいいのであれば、それを分かる必要などないだろう。

 ただ、これからの生活。

 エルスタット侯爵家で、触媒に糸目をつけずにゴーレムの研究をできる日々――その期待に胸を膨らませて、アミルは麦畑へと向かった。

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